SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
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FM3-21.11 3章
出典 global security org
URL http://www.globalsecurity.org/military/library/policy/army/fm/3-21-11/c03.htm
原題 FM 3-21.11 Chapter 3 Movement
著者 米陸軍歩兵学校
日時 Page last modified: 27-04-2005 12:21:00 Zulu
他掲載媒体 政府刊行物 
発信地 ジョージア州フォートベニング
内容 以下全訳

戦術運動の目的はSBCT部隊を戦場にて運動させること及び接敵に備えることである。本章は運動技(movement techniques)、隊形(formations)、降車点(dismounted transition points)に焦点をおき、これらはあいまってSBCT中隊長に部隊を運動させるに当たっての選択肢を与える。それぞれの技と隊形には各々利点と弱点がある。運動技の中には安全だが鈍足なものもあり、また俊足だがさほど安全でないものもある。隊形の中にはある種の地形や戦術状況では良く機能するが他の状況ではさほど有効でないものもある。SBCT歩兵中隊の能力ゆえに指揮官は、いつ、どこでどのように降車/乗車を切り替えるかを含めた乗車/降車運動計画全体を検討せねばならない。本章中の運動技および隊形を変更の余地の無い、柔軟性の無いものと考えるべきでない。中隊長は眼前の状況に応じてこれらを応用する構えを持たねばならない。



3-1. 戦術運動と接敵(TACTICAL MOVEMENT AND ENEMY CONTACT)

運動(movement)と機動(maneuver)を混同してはならない。機動は火力に支援されて敵に対して有利な位置を占めるための運動と定義される。中隊階梯では、運動と機動はかなり重なる。戦術運動が機動と異なるのは、機動が接敵中の運動であるのに対して、戦術運動は接敵に備えての運動である点である。部隊が戦術運動から機動へ移る過程を接敵行動(actions on contact)と呼ぶ。接敵行動は第4章Ⅳ段で扱う。図3-1は運動技(行軍(traveling)、行軍/援護監視(traveling overwatch)、躍進/援護監視(bounding overwatch))と接敵の可能性、機動への移行の関係を描いたものである。


図3-1.  運動技から機動への移行

行軍 接敵の蓋然性無し
行軍/援護監視 接敵の可能性あり
躍進/援護監視 接敵の蓋然性あり
接敵行動   接敵
戦術任務の遂行

#図終わり


3-2. 運動技(MOVEMENT TECHNIQUES)

SBCT歩兵中隊長は戦場の要素に基づいて3つの運動技から選択する。

接敵の蓋然性
予期される接敵の種類
援護監視隊を使用できるか
運動する隊が通過する地形
運動中に必要とされる速度と安全の釣り合い


中隊要員と諸隊の図記号については図3-2を見よ。

図3-2. 中隊の図記号

中隊長
先任軍曹
副長
迫撃砲班
歩兵戦闘車
機動砲
降車小銃小隊
降車小銃分隊

#終わり


a. 行軍(Traveling) 行軍は中隊の全諸隊が連続して運動するのが特徴である。接敵の蓋然性が無く速度が重要なときに最も適する。図3-3と図3-4は降車、乗車しての行軍技を描く。


図3-3. 降車行軍(#略)

図3-4. 乗車行軍(#略)


b. 行軍/援護監視(Traveling Overwatch) 行軍の警戒を強化した類型であり、速度が求められるが接敵の可能性があるときに用いる。先導隊(lead element)は連続して動く。後尾隊(trail element)は様々な速度で動いては定期的に停車し先導隊を援護監視する。先導隊と後尾隊の間隔は後尾隊が先導隊を視界におさめる能力(視覚上或いはデジタル上で)と先導隊が接敵した場合に直ちに制圧射撃を供する能力に基づかねばならない。意図は縦深を維持し、柔軟性を備え、接敵が生じたときでも機動する能力を保つことである。とはいえ、部隊は行軍/援護監視時ではなく躍進/援護監視で移動中に接敵するほうが望ましい。図3-5と図3-6は降車時と乗車時の行軍/援護監視を描いたものである。

注:

中隊の行軍/援護監視時および躍進/援護監視時の組織は先導隊(躍進/援護監視時には躍進隊とも呼ぶ)と後尾隊(援護監視隊)からなる。指揮官は中隊諸隊を様々に組み合わせてこれらの隊を構成する。指揮官の決断はMETT-TC分析に基づいていなければならない。例えば、先導隊は1個小隊と副長車で、援護監視は残余の2個小隊、中隊長、火力支援将校からなるなど。


図3-5. 降車行軍/援護監視 (#略)

図3-6. 乗車行軍/援護監視 (#略)


c. 躍進/援護監視(Bounding Overwatch) 躍進/援護監視は接敵が予想されるときに用いる。最も安全であるが、最も速度が低い運動技である。躍進/援護監視の目的は接敵前に展開し、敵を直ちに制圧して躍進隊を守る能力を部隊に与えることである。躍進の種類を問わず、援護監視隊は捜索界を割り当てられ、躍進隊は隠掩蔽をえるため地形を利用する。躍進隊は援護監視隊の射線を塞ぐのを避けるべきである。躍進隊は援護監視隊が敵陣地の蓋然性ある地点あるいは疑われる地点を有効に制圧しえる射程を超えてはならない。中隊が用いる躍進方法には交互躍進(alternate bounds)と段階躍進(successive bounds)の二つがある。それぞれ以降の段で説明する。図3-7と図3-8は降車時および乗車時におけるMGS小隊を用いての躍進/援護監視技法を表している。


図3-7. 降車躍進/援護監視

図3-8. 乗車躍進/援護監視


(1) 交互躍進(Alternate Bounds)  後尾隊の援護をうけて、先導隊は前進し、停止、援護監視陣地につく。後尾隊が先導隊を超えて前進し、援護監視陣地につく。この過程を必要に応じて繰り返し、一度に一隊のみが動く。この方法は大抵、段階躍進よりも高速である。

(2) 段階躍進(Successive Bounds) 段階躍進では、先導隊が後尾隊の援護をうけて、前進し、援護監視陣地につく。次いで後尾隊が前進し先導隊とおおよそ並ぶ援護監視陣地に入り、停止する。先導隊が次の陣地へと運動する、これを繰り返す。一度に動くのは一隊のみであり、後尾隊は先導隊よりも先へ進むのは避ける。この方法は統制がより容易であり、交互躍進よりも安全だが、速度は遅い。



3-3. 運動隊形(MOVEMENT FORMATIONS)

SBCT歩兵中隊がもちいる基本運動隊形は縦列(column)、横列(line)、V字(vee)、楔形(wedge)、単縦列(file)、右梯形或いは左梯形(echelon right or left)の6種である。これらの隊形は中隊の各小隊、班の相互位置を表しており、中隊が運動する際の手引きである。それぞれの隊形は統制、警戒、火力の発揮を様々な度合いで助長する。

a. 考慮事項。これらの隊形は中隊の統制に、乗車、降車双方で用いられる。歩兵戦闘車と機動砲(MGS)の制約から、乗車運動の大半は路上か非制約地形で行われる。

(1) 乗車、降車の別に関わらず、用いるべき最適の隊形は以下による。

任務
敵情
地形
天候と視界状況
望ましい運動速度
望ましい柔軟性

(2) 路外を運動するときは、兵、車両、小隊間の距離は地形と状況により様々である。兵は敵陣地の蓋然性あるところを担当する射界(sector)内で観察、接敵の場合に行ける掩蔽を常に探しておくべきである。

(3) 中隊長は中隊隊形内での小隊隊形を指定することがある。中隊長が指定しない場合、各小隊長は小隊の隊形を選択する。例えば、先導小隊長は正面に対する視界と火力集中に秀でる隊形を選択する(V字隊形)。二番目の小隊長は援護監視陣地へ高速に運動でき側面警戒が良好な隊形を選ぶ(楔形隊形)。(分隊及び小隊運動隊形と運動技についてはFM 3-21.9, (FM 7-5)にて記述されている)

(4) 隊形で運動するとき、中隊は通常、統制を容易にするために基準小隊(base platoon)をもうけて導きとする。基準小隊は先導小隊にすべきである。横列隊形やV字隊形の場合、中隊長はどの小隊を基準小隊とするか指名する必要がある。他の小隊は基準小隊の速度と方向を基調とする。これにより迅速に変更するのが可能となり、指揮官は中隊全体の運動を基準小隊のみを統制することで統制できるようになる。基準小隊を導くのに特定の地形・地物(terrain features)が指定されることもある。この技法については段3-5で記述する。中隊長は通常、隊形内で最もよく基準小隊の運動を見、指示できるところに占位する。

(5) 部隊を運動に備えて待機させたり、部隊が運動を行いえる態勢の度合いを報告する技法が即応度(alert status)である。この技法では、即応態勢(readiness condition, REDCON)を用いて部隊が運動開始するまでにかかる時間を示す。

REDCON 1: 直ちに運動開始できる態勢

REDCON 2: 15分以内に運動開始できる態勢

REDCON 3: 1時間以内に運動開始できる態勢

REDCON 4: 2時間以内に運動開始できる態勢


b. 隊形 以下はSBCT歩兵中隊の運動隊形に関する記述である。

(1) 縦列(Column) 縦隊をとると中隊は1個小隊で接敵しつつ残余3個小隊を機動させることが可能となる。これは柔軟性ある隊形であり、他の隊形への転換が容易である。全周警戒は良好であり、高速運動が可能。また分散にもかない機動と統制にも助けとなり、視界限定状況でことに助けとなる。正面および背面に対する火力は限られるが、側面への火力は大である。図3-9と図3-10は中隊縦列隊形を描いたものである。

図3-9 降車中隊縦列 (#略)

図3-10 乗車中隊縦列 (#略)

(2) 中隊横列(Company Line) 中隊横列は全小隊前に出し同一方向へ向けて運動させるもので、正面への火力発揮は最大となるが側面に対する火力は減ずる。最も統制が難しい隊形である。中隊長は他小隊の導きとなる基準小隊(通常は中央の小隊)を指定すべきである。側面および背面警戒は概して貧弱であるが側翼小隊が梯形隊形をとると向上する。図3-11と3-12は中隊横列の例である。

図3-11 降車中隊横列 (#略)

図3-12 乗車中隊横列 (#略)

(3) 中隊楔形(Company Wedge) 中隊楔形では指揮官が一部の小さな隊で接敵をしつつ残余の小隊を機動することを可能である。中隊が側面から攻撃を受けた場合、1個小隊は自由に機動可能である。この隊形は統制が難しいが、中隊V字隊形よりも運動速度は大きい。図3-13と図3-14は中隊楔形の例である。

図3-13 降車中隊楔形

図3-14 乗車中隊楔形

(4) 中隊V字(Company Vee) 中隊V字隊形は2個小隊が前面に出て、接敵した場合直ちに火力を供するか、敵側面を突く(flank the enemy)。中央には1個小隊、後尾に1個小隊が位置する。これらの小隊は先導小隊を援護監視するか後続する。中隊が側面から攻撃を受けた場合、2個小隊が火力を発揮し、少なくとも1個小隊は自由に機動可能である。この隊形は統制が難しく運動は遅い。中隊長は前面の小隊のいずれかを基準小隊に指定する。図3-15と図3-16は全ての小隊の隊形が楔形をとっている中隊V字の例である。

図3-15 降車中隊V字

図3-16 乗車中隊V字

(5) 中隊単縦列(Company File) 中隊単縦列隊形は統制が最も容易である。制約地形や視界限定下において迅速な運動が可能であり、統制と掩蔽も増す。しかしながら、最も安全の低い隊形でありこの隊形からの機動は最も困難である。図3-17と図3-18は全諸隊が単縦列隊形である中隊単縦列の例である。

(a) 中隊長はかなり前方、先導小隊本部或いは先導警戒隊(the lead security element)直後に占位する。中隊長が重要な決断を下せる位置にあることで統制が増す。中隊指揮所(the company command post)はかなり後尾(先導小隊の背後)につき、小隊の運動に干渉するのを避け、他諸隊との通信を介助する。

(b) 先任軍曹(或いは副長)は中隊単縦列の最後尾あるいは最後尾近くに位置し、統率するとともに単縦列が分離するのを防止する。

(c) 中隊単縦列は隊列が分離しやすく、必要なときにのみ短時間用いられるべきである。降車した場合、中隊単縦列は600mを超えて伸び、通過時間は20分間以上となる。

図3-17 降車中隊単縦列

図3-18 乗車中隊単縦列

(6) 右梯形および左梯形(Echelon Right or Left) 右梯形および左梯形は状況が不明確で中隊長が接敵を正面か側翼いずれかに予期しているときに用いられる。通常、友軍部隊か障害が梯形の反対側翼にあり、そちら側での接敵を妨げている。この隊形は梯形側翼に対する火力と防護は良好であるが、反対側翼では減じられる。図3-19と図3-20は右梯形隊形の例である。

図3-19 降車右梯形

図3-20 乗車右梯形


c. 隊形の選択  中隊長は適切な統制、警戒、速度をえられる隊形を選択する。表3-1は運動隊形6種を比較したものである。


表3-1 運動隊形の比較

縦列 
 警戒 分散良好 360度全周警戒良好 
 火力 正面及び背面に良好 側面に秀でる
 統制 統制容易 柔軟性ある隊形
 速度 高速

横列 
 警戒 正面に秀でる 側面及び背面は貧弱
 火力 正面に秀でる 側面及び背面は貧弱
 統制 統制困難 柔軟性を欠く隊形
 速度 遅い

楔形
 警戒  360度全周警戒良好
 火力 正面及び側面に良好
 統制 横隊よりは統制の難度は低い 柔軟性ある隊形
 速度 横隊よりは高速
 
V字
 警戒 正面には良好
 火力 正面には極めて良好
 統制 極めて統制は困難
 速度 遅い

単縦列
 警戒 最も安全を欠く 隠蔽を効果的に用いれる
 火力 貧弱
 統制 統制は容易
 速度 高速

梯形
 警戒 梯形側翼及び正面に良好
 火力 梯形側翼及び正面に良好
 統制 統制は困難
 速度 遅い

#表3-1終わり



3-4. 運動隊形の使用(USE OF MOVEMENT FORMATIONS)

運動は地形、戦力の機動力、敵情が許容する一杯に迅速であるべきである。主導を獲得し維持する能力はしばしば、部隊が探知されずに運動することに掛かっている。運動中に探知された場合、敵は中隊にかなりの戦闘力を用いることが可能であろう。SBCT歩兵中隊は敵火力に対する防護について地形に大きく依存している。中隊長もまた自中隊を運動中、適切な運動隊形と技術を用いることで守る。

a. 基本事項 自身の任務分析とFBCB2を通じて得た情報はSBCT歩兵中隊長がどのように部隊を運動させるのが最も有効であるか決するのを介助する。これには定まった方法は無い。中隊運動を計画するときは、指揮官は機動へ迅速に移行するのを支援する方法で部隊を動かすことに確実を期さねばならない。ひとたび接敵したらば、有効な射撃を被っている分隊及び小隊は適切な戦闘行動(battle drills)を遂行し、指揮官は部隊の機動を開始する。以下の基本事項は中隊運動を有効に計画する上で指針となる。

(1) 偵察の遂行 部隊の全階梯が偵察を遂行すべきである。敵情と使用可能な時間数が部隊偵察を制約するであろうが、全階梯の指揮官は地形と敵に関する情報を積極的に求める必要がある。主として、地形と敵に関する情報はFBCB2を通じて得られる。しかしながら、十分な情報に欠けるときは、先導小隊よりも前方に偵察隊を出すのが有効な技法である。偵察隊が中隊のわずか15分前方にいる場合であっても、なおも中隊長に価値ある情報と対応時間を与えうる。

(2) 地形と天候の活用 SBCT歩兵中隊の長所の一つはほぼいかなる地形、ほぼいかなる天候状況で運動できる能力である。中隊は隠掩蔽された経路を運動するべきである。視界限定下での運動はより良い隠蔽をもたらし、敵はこの時間帯は警戒が緩むであろう。判明せる危険域は避けるよう計画すること。

(3) 分隊及び小隊での運動 中隊を分隊及び小隊毎に運動させる利点には以下が含まれる。

運動がより高速となる
安全の向上 隠掩蔽をさほど必要としないため探知される可能性が減じる
分散の向上 中隊を分隊及び小隊毎に運動させることによる分散がゆえ、敵は中隊に対し火力を集中するのが遥かに困難となる、とりわけ間接火力、近接航空支援、化学剤にあてはまる。又、隷下部隊は機動の余地を得る。戦術インターネットによる情報共有によりこの案は現実的な選択肢となっている。
作戦保全(operational security, OPSEC)の向上 個々の分隊規模の目撃報告(spot report)しか得ていない場合、敵が我が軍の行動を見定めるのは遥かに困難となる。

通常、長所が短所を上回るが、分散運動を計画するときは指揮官は以下の短所をも考慮すべきである。

中隊を再集結(regroup)するのに連接(linkup)が多数必要となる
接敵時に応急攻撃(hasty attack)を支援、あるいは離脱(disengage)するのに戦闘力を集中するのにより時間が掛かりうる

(4) 運動中の警戒維持 部隊をあらゆる時において守るのは中隊長の主たる責任である。この責任は運動中は重大となる。なぜならば中隊は敵の直射および間接火力に極めて脆弱となるゆえである。すでにあげた基本事項に加えて、中隊長は以下を適用することで安全を確保する。

状況に応じた運動隊形と技術を用いる。

状況が許す限りの速度で運動する。敵が我が部隊を探知する能力、探知された場合の火力の効力を減退させるであろう。

隷下部隊が側翼、正面、背面に本隊に対する直射を阻む距離に警戒隊を適切に配置するよう確実に講じる。(通常、中隊隊形と運動技は正面に対する警戒はより大である、側翼と背面はこれらの警戒隊が固めねばならない。中隊標準作戦手順でこれらの警戒隊を供する責任を誰が負うか明文化しておくべきである。

音響および灯火規律(noicse and light discipline)を保つ(とりわけ降車時に)

偽装規律(camouflage discipline)を保つ(兵および装備につき)

状況が不明確なときは、最も小さな隊で接敵せよ。小さな隊(small element)で接敵すれば、中隊長は戦力の大半を機動させる能力を保てる。最初に敵射撃を受けた兵は損害となる蓋然性が最も大きい。また敵に制圧され、拘束される蓋然性も最も大きい。

状況が明らかなときは、中隊長は迅速に戦闘力を集中発揮させて敵を圧倒せねばならない。

b. 主要指揮官と兵器の占位 主要指揮官と兵器の占位は状況、運動隊形、運動技、SBCT歩兵中隊の編組(organization)に依拠する。以下の段は中隊長がどこに資産を占位するか定める上で指針となる。

(1) 中隊指揮所(Company Command Post) 中隊指揮所は通常、中隊長、中隊長付無線手、火力支援組、通信特技兵、NBC軍曹、そしてその他の人員と配された人員(副長、先任軍曹、警護隊)からなる。中隊指揮所は中隊長の支援と、上層階梯および隷下部隊との通信を維持するに最も適したところに占位する。通信を維持するため、乗車指揮所が指揮官と離れて占位する必要があることもある。この場合副長が指揮所(或いはその一部)を統制し上層階梯や隣接部隊との通信を維持し、中隊長は中隊を最も統制できるところに占位する。指揮所は独立して運動することも可能だが、通常は中隊隊形内で他の小隊や班により警護されるところに占位する。

(2) 中隊長 中隊長は中隊を見て統制できるところに占位する。通常、中隊長は指揮所を自身のところに占位させるが、時として中隊長は指揮所とは別個に運動することもある。降車時は中隊網無線手のみを連れて隷下小隊の一つと移動することがある。これにより中隊長は小隊の隊形を乱すことなく運動を共にできる。総じて、中隊長(と指揮所)は先導小隊の直後で活動する。

(3) 中隊火力支援将校( Company Fire Support Officer) 中隊火力支援将校は通常、中隊長とともに運動する。ときとして、中退火力支援将校は間接火力統制や小隊からの火力要請を中継(relay)するため別のところに占位する。

(4) 中隊迫撃砲(Company Mortars) 中隊迫は接敵の場合、即応火力を供する位置に占位する。中隊の他諸隊から警護を得られる位置に占位せねばならない。中隊迫は通常、中隊隊形の最後尾にはならない。なぜならば警戒能力が限定的であり、降車時の兵の担う荷重がゆえに中隊で最も遅い隊となることがしばしばであるためである。

(5) その他配された隊(Other Attachments) その他配された隊の占位はMETT-TCによる。戦闘支援資産、例えば工兵は中隊を最もよく支援しうる位置に占位する。例えば工兵は先導小隊に後続してより即応できるようにする。

(6) 歩兵輸送車(Infantry Carrier Vehicles)、機動砲(Mobile Gun Systems)その他車両 SBCT歩兵中隊の歩兵輸送車、機動砲その他配された車両、例えば野戦救急車や補給車両はSBCT歩兵中隊長にとってある種の問題を課す。歩兵中隊が降車後、通常運動する地形は車両の運動に適さない(may not support)ことがある。中隊がこれらの車両が運動する道路や道の側面の制約地形を運動して警戒することで、その道路や道を確保することもありえる。降車後、車両の位置につき指揮官が選べる選択肢は幾つかある。それらの選択肢として以下がある。

降車歩兵の支援に車両を運用する

野営地(lagger site)に乗員とともに後に連接するまで残置(7章Ⅳ段をみよ)

他の位置へ転換させる

乗員を降車させ、車体を残置する



3-5. 統制技法(CONTROL TECHNIQUES)

適切な隊形と運動技を用いればSBCT歩兵中隊長の中隊統制の助けとなるが、それ以外の統制技法が必要なことがしばしばである。以下の技法は中隊運動を統制する上で助けとなろう。

a. 図表(Graphics) 通常、SBCT大隊はSBCT歩兵中隊の運動を大隊運動或いは機動構想に統合する図表統制手段を指定する。中隊長は部隊を統制するのにさらに統制手段を設ける必要があることがある。例えば、境界(boundary)、経路(route)、チェックポイント(checkpoint)、降車点(release point)、判明せる(蓋然性ある)敵陣地に対する直射火力を統制する目標標定点(target reference point)である。SBCT歩兵中隊長は各図表統制手段がFBCB2にて確実に更新され、地形上で容易に位置が分かるよう講じる。

b. 偵察 事前偵察は運動中の統制の助けとなる。SBCT歩兵中隊長は運動がより困難な箇所や図表統制手段が必要な箇所をより把握しておける。中隊の諸隊がこの偵察をすることもあるが、RSTA(偵察、捜索、目標捕捉)大隊や大隊偵察小隊が偵察を遂行して得た情報を他部隊へFBCB2を通じて供することのほうが蓋然性が高い。

c. 案内役(Guides) 地形を見たことがある案内役が統制に最適である。運動の始終で案内役を立てるのが不可能であるときは、困難な箇所を偵察させてそこを通過するSBCT歩兵中隊を案内させる。

d. 航法補助手段(Navigational Aids) 地球測位装置(global positioning system, GPS)が使用可能であっても、全指揮官はあらゆる運動にてコンパスと歩数計測を行うべきである。可能ならば、指揮官が顕著な地形を方向維持に用いえる経路を選択せよ。

e. 限定視界下降車運動(Limited Visibility Dismounted Movements) 既にあげた手段が限定視界下での運動統制に最適である。以下の手段は限定視界下で降車運動をさらに統制するものである。

(1) 夜間暗視装置(Night Vision Devices, NVD)の使用 全兵士に十分に行き渡る数の夜間暗視装置が無いときでも限定視界下運動を有効裡に行うのは可能である。正面、側翼、背面の警戒に任じられた兵が夜間暗視装置を使用すれば、部隊全体がより高速に運動できる。効率を保つために兵は定期交代(rotate)するべきである。隊形中の主要指揮官もまた夜間暗視装置を用いる必要がある。

(2) 兵および部隊の間隔を縮小する 隊形を詰めると手信号(arm-and-hand signal)が使用でき、隊列が分離する可能性も減退する。しかし、指揮官はあらゆる時においてできる限りの分散を維持するよう努力すべきである。良く訓練された部隊は昼間と同程度に夜間でも活動可能である。 

(3) その他の手段の使用 その他の手段にはヘルメット後部に蛍光テープを貼る、運動速度を緩める、通信や道案内に地上有線(land line)を用いる、指揮官が前面により近いところで運動するなどがある。

f. 限定視界下乗車運動(Limited Visibility Mounted Movement) 全指揮官は各自の地図とコンパスに加えてFBCB2で得る情報を用いて常時、方向を維持すべきである。可能ならば指揮官が方向を維持するのに顕著な地形を用いられる経路を選択せよ。FBCB2の能力に加え、限定視界下乗車運動作戦中は、さらなる統制手段が部隊の車両を全うするのに役立つ。

(1) 夜間暗視装置の使用 隊形内の全ての操縦手と車長が夜間暗視装置を用いれば限定視界下乗車運動を有効裡に行える。

(2) 兵、車両、部隊の間隔を縮小する 隊形を詰めることで手信号が使用でき、隊列が分離する可能性も減退する。しかし、指揮官はFBCB2と夜間暗視装置を用いて常時、車両分散を最大に維持するよう努めるべきである。良く訓練された部隊は昼間と同程度に夜間でも活動可能である。



3-6. 運動中の警戒(SECURITY DURING MOVEMENT)

中隊運動中、各小隊は隊形内の位置に応じて担任界を持つ。降車時は、小隊内の各射撃組と分隊が担任界を持つ。これにより中隊は運動中の全周警戒(all-around security)をおこなう(図3-21)。

図3-21 全周警戒 (#略)

a. 短停止(short halt)時、兵は散開(spread out)し、掩蔽背後に伏射位置をとる。兵は運動中と同じ担任界を監視する。指揮官は機関銃と対機甲兵器を陣地への蓋然性ある敵接近経路へと指向する。兵は警戒を保ち、動きを最小限度に抑える。必要時のみ忍びやかに話す。夜間暗視装置のある兵は視界限定下では敵が潜伏しえる箇所を注視(scan)する。

b. 長停止(long halt)時、SBCT歩兵中隊は円陣防御(perimeter defense)を確立する。中隊長は最も防御に適した地形を選ぶ。この地形は良好な隠掩蔽が備わっている必要がある。中隊標準作戦手順は長停止時の行動について明文にて触れる必要がある。

c. さらに安全を確保するために、短停止後、小規模な伏撃組(ambush team)が隠蔽され陣地に残ることがある。理想的には中央の小隊がこの組を出すべきである。伏撃組はSBCT歩兵中隊を尾行する敵に待ち伏せを仕掛ける。この組との連接(linkup)の調整をしておく必要があり、全員が理解していなければならない。

d. 静止陣地(目標集結点objective rally point、哨戒拠点patorol base、円陣防御perimeter defense)を占位(occupy)する前に、SBCT歩兵中隊長は敵が中隊の位置に確実に気付かぬよう講じるべきである。伏撃組を用いることに加えて、中隊長は中隊が通過時に暫定静止陣地に警戒組を隠蔽する。中隊は運動を可能ならば日没後まで継続し、戻ってきて警戒組と連接する。警戒組は陣地を偵察し中隊を導きいれる。



3-7. 大隊の一部としての運動(MOVEMENT AS PART OF A BATTALION)

SBCT歩兵中隊はしばしば大隊の一部として運動する。大隊長は中隊に大隊隊形内での位置を中隊に付与し、中隊長は接敵の蓋然性と部隊の任務に最も適した運動技と運動隊形を用いる。大隊隊形内の中隊の位置に関わらず、接敵、他のSBCT歩兵中隊を機動あるいは火力のみで支援する備えをもたねばならない。
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FM 3-21.11 第2章
出典 global security org
URL http://www.globalsecurity.org/military/library/policy/army/fm/3-21-11/c02.htm
原題  Fm 3-21.11 Chapter 2
BATTLE COMMAND AND
TROOP-LEADING PROCEDURES
日時 Page last modified: 27-04-2005 12:20:59 Zulu
筆者 米陸軍歩兵学校
発信地 ジョージア州フォートベニング


戦闘指揮とは思考する敵に対する作戦において指揮を行使することである。勝利を達成するために何千ビットという情報を取り入れて作戦を視覚化し、企図の観点から作戦を記述し、隷下の軍事行動を指示するべく戦闘力の一要素である統率術(leadership)を用いる。思考と行動は戦闘中の歩兵指揮官にとって同時に行う活動である。戦闘指揮には、作戦を統制し、兵と組織の士気を振るいたたせ付与された任務を達成すべく行動へと向かわせるに必要な知識、戦技、手順が含まれる。戦闘指揮の一環で、指揮官は戦場の現況および作戦の各時点における将来状況を描き出す。指揮官はある状況から別な状況へと最小限の損害で進展するよう作戦構想を作成する。戦闘指揮にはまた任務の付与、資源の優先順位付けと配分、行動すべき決定時機と地点の選定、戦闘中においてどのように、かついつ修正をすべきかを判断することも含まれる。



SECTION I. 指揮および統制(COMMAND AND CONTROL)

指揮および統制は任務を達成するために、配属された(assign)あるいは配された(attach)戦力に対して適切に指定された指揮官が権限を行使、指示することである。

2-1. 指揮および統制(COMMAND AND CONTROL)

指揮と統制は別個の概念であり、一体で一語であったり一つの系を為すよりもむしろ、それぞれがはっきりとした別々の意味を有している。

a. 指揮 指揮とは任務を付与、資源の優先順位を決定、部下に指導、指示し、明確な目的を完遂すべく部隊の精力を集中させる術である。指揮官の勝利への意志、士気、陣頭での存在を指揮官に従う者が感得できるほどでなければならない。兵と部隊を率い任務を完遂することが指揮には必須である。指揮の責任には兵の安全を図ることが内在する。


b. 統制 統制とは限界を見極め、必要を見積もり、資源を配分し、遂行を監視し、指揮官の企図を達成すべく部下の行動を導くことである。



c. 指揮統制系 歩兵小銃中隊における指揮統制系とは作戦の計画、準備、遂行、評価に必須の人員管理、情報管理、手順と装備および施設である。指揮統制系は信頼でき、即応し、抗堪性がなければならない。危機にも堪え、指揮官を喪失してすらも堪え、機能し続けなければならない。部隊において最も複雑な系であるが、指揮統制(C2)は部隊全体を目的へと集中させる明確かつ簡潔な訓令(instruction)に結実せねばならない。



2-2. 指揮および統制の概念(CONCEPT OF COMMAND AND CONTROL)

歴史的に、軍指揮官は二つの基本的な指揮統制概念に由来する様々な型を用いてきた。その二つの基本的な指揮統制概念とは集中指揮と委託指揮である。

a. 集中指揮(Detailed Command)
集中指揮では情報と決定権限を集中させる。命令と計画は詳細かつ明確で、遂行が成功するかは部下が自身での意思決定と創意発揮を最小限度に抑えて厳格に服従することに掛かっている。集中指揮では垂直、直線的な情報の流れを重視し、情報は指揮階梯を昇り、命令が降ってくる。

b. 委託指揮(Mission Command)

委託指揮では目的をいかに達成するかでは無く作戦の目的そのものへ集中する。任務を有効裡に達成するため委託命令(mission order)に基づく分散化実行を通じて軍事作戦を遂行することである。委託指揮が成功するには、隷下全階梯の指揮官が任務を達成するため指揮官の企図内で規律ある創意を発揮し行使することが前提である。信頼と相互理解の環境が
必要とされる。今日の作戦環境では変わり行く状況に対して迅速に対応することを含めた迅速な意思決定と遂行の必要が重視されている。これは上官と部下との間での信頼と相互理解を強調する。委託指揮は、行動を起こすのに完全な確実性が必要とされるのを減じて戦争の不確実性を受け入れる。委託指揮では意思決定権限を分散させ、部下に著しい行動の自由を与えるがゆえ、陸軍教義に通暁し規律あり、情報に通じ、創意あり、積極的で、豪胆で、自信に満ち、有能な指揮官を必要とする。



2-3. 統率術(LEADERSHIP)

統率術は指揮統制系(人員)と戦闘力にとって不可欠の要素である。統率術により指揮官は隊を喚起し険しい状況で困難な任務を完遂すべく導く。くわえて、中隊長が自らの中隊を戦場で率いるにあたり以下の要素が必須である。

a. 意志 しばしば戦場で勝利するのは、敗北を拒んだ部隊である。有能な指揮官と厳しく、現実的な訓練がこの決意を培う鍵である。指揮官は兵と部隊に”勝利する意志”を養わねばならない。

b. 信頼 指揮官は兵の信頼を勝ち得ねばならない。兵は指揮官の能力に信頼を置かねばならない。指揮官は兵を信頼し、部下が決断するのを認める雰囲気を作り上げねばならない。

c. 委譲 部下が良く訓練されるよう講じた後は、指揮官は適切な権限と自由を部下に委ねばならない。指揮官は自身の時間と精力を決定的と判断した事柄へ集中させ、その他は部下に委譲する。

d. 規律 指揮官は規律を兵に浸潤させる。規律により、監督する指揮官が不在時にも適切な基準が着実に保たれる。歩兵中隊が遂行する分散化作戦では隊の兵全員の自律が必要とされる。



2-4. 指揮および統制の基礎

以下礎は、部下が上層階梯司令部の企図と構想に合致する行動をとることを期待し勧奨するよう、軍事作戦を指導する際の基礎である。

a. 不意に備えよ。 指揮官は戦闘を囲繞する状況を理解せねばならない。戦闘は動的で非直線的である。通信は減退し、戦闘の混沌により指揮官は自身の五感の外では何が起きているのか把握するのが妨げられるのもしばしばである。計画立案中の状況は遂行する前に変化するのが常である。

b. 指揮官の介入を限定せよ。遂行中の介入を絶対最小限度に抑える作戦を計画、指導せよ。兵が指揮官の決定や行動着手を期待するようになると、兵は行動を起こすのを躊躇うようになる。同期化のため精妙な統制が必要なとき、例えば、命令あり次第の任務(on-order task)の場合、指揮官は部下に決断のための基準を与えるべきである。指揮官は行動を起こさぬよりも精密さがある程度損なわれるほうがましということを認識せねばならない。

c. 部下が計画立案に用いられる時間を増やせ。指揮官は計画立案に使用可能な全時間が有効裡に使われるよう取り計らう。計画立案は主として大隊および中隊階梯で行われるが、歩兵小銃小隊と分隊は事前予行と査閲を遂行するために余分に時間を必要とする。部隊標準作戦手順(SOP)は時間をうまく使う鍵となる手立てである。

d. 部下に最大限の行動の自由を与えよ。予期される戦場の状況を踏まえると、各階梯の指揮官は兵の行動の自由を不必要に制限するのを避けるべきである。決定点にある指揮官が上官の企図を支援する正しい決断を下せる知識、訓練、行動の自由を持たねばならない。

e. 陣頭で率いよ。指揮官は部隊を最も良く戦闘させられるところに占位し、この地点を決するには幾多の要素を勘案する。指揮官の統率は顔をつき合せ、状況を自身で見、兵が彼を見れるとき最も効を発揮する。指揮官はあらゆるところに身をおくことは不可能であるから、任務を達成する決定点に集中する。指揮官は通常、主力(決定行動を付与された隷下部隊)とともにあり、統率を発揮し主力を移動させ、或いは任務を変更できる位置に占位する。



2-5. 指揮及び統率の責任(COMMAND AND CONTROL RESPONSIBILITIES)

歩兵小銃中隊長は持続して作戦を遂行できるよう部隊を訓練、維持する。全指揮官は兵が部隊の携える兵器に戦術面および技術面で熟達するよう確実に取り計らわねばならない。

a. 中隊長 中隊長は中隊が任務を確実に達成するよう指揮および統制を行使する。指揮官はまた中隊の戦術運用、訓練、事務(administration)、人員管理(personnel management)、維持の責任を負う。指揮官は部下と兵器の能力およびこれらの戦術運用の方法を把握せねばならない。指揮官は部下の指揮官を通じて指揮を行使する。空挺、空中強襲、あるいはSBCTいずれにあっても、中隊長は中隊のあらゆる資産の運用について上層階梯指揮官に対し助言を行う。

b. 中隊副長(Company Executive Officer,XO)は中隊長が小銃小隊の射撃と運動を統制するのを助ける。副長は中隊の指揮では中隊長についで次席である。副長は中隊長があらゆる煩雑事から解放され中隊の最も決定的な行動を統制するのを可能ならしめる。(例えば副長が状況報告を上層階梯司令部主指揮所へ送り、敵および自軍の状況更新を中隊長へと中継し、隣接部隊と通信する) 戦闘作戦の準備中には、副長は中隊の主な戦務支援計画担当をつとめ、上層階梯司令部と必要な調整を行い、中隊先任軍曹に戦務支援計画を示し遂行させる。作戦遂行中は、副長は隊指揮官に任じられることがありえる。典型的には、副長は中隊の60mm迫撃砲班や対機甲班(antiarmor section)を統制する。また副長は小銃小隊やその他の隊からなる支援隊を統制することもありえる(例えば、中隊の全機関銃など)。

c. 中隊先任軍曹 先任軍曹は中隊で最も先任の下士官であり、通常、中隊で最も経験を有する兵である。先任軍曹は中隊長に戦術運用につき助言し、個人および下士官術に熟達している。先任軍曹は中隊長が任務を支援するあらゆる活動を計画、調整、監督するのを介助する。遂行中は、先任軍曹は主な戦務支援遂行者である。先任軍曹は指定去れた任務中、隊(elements)あるいは隷下部隊(subordinate units)を統制することがある。

d. 迫撃砲班長 迫撃砲班長は中隊の60mm迫撃砲班の訓練と維持の責任を負う。迫撃砲班長は中隊が迫撃砲班から有効な火力支援を確実に受けられるよう取り計らう。迫撃砲班長は指揮官が迫撃砲班の運用を計画するのを介助し、中隊火力支援組と調整し、戦術作戦中、班を統制する。

e. 小銃小隊長 小銃小隊長は小隊の訓練、維持、戦術運用の責任を負う。小隊長の責任には支援を受ける部隊の戦術計画に合致するよう小隊の射撃を計画、調整、統合することも含まれる。小隊長は武器の能力を把握しその使用に熟達する。小隊長は間接射撃の要請および修正に堪能でなければならない。小隊長は指揮官の命令に基づいて小隊を戦術的に運用する。

f. 小銃小隊軍曹 小隊軍曹は通常、小隊で最も経験を有する兵である。小隊軍曹は小隊長の指示により小隊の隊を率いる。小隊軍曹は小隊長が不在のときは小隊の責任を引き継ぐ。小隊軍曹(PSG)は個人訓練の責任を持ち、小隊長に小隊の武器の戦術運用につき助言し、戦闘作戦中に小隊を統制するのを介助する。小隊軍曹は装備整備、補給、負傷者後送を監督する。

g. 武器分隊長 武器分隊長は自隊の機関銃組2個の規律および訓練と、分隊の装備の整備の責任を負う。作戦中は、武器分隊長は主射撃陣地(primary)、代替射撃陣地(alternate)、予備射撃陣地(supplementary firing position)の位置を選定する。武器分隊長は分隊の射撃と運動を統制し、分隊がともに作戦する小隊の他隊との相互支援が確実になされるよう取り計らう。武器分隊長は小隊軍曹が不在時、その責任を引き継ぐ。

h. 小銃分隊長 分隊長は分隊の規律と訓練および装備の整備の責任を担う。分隊長は武器のあらゆる面に熟達している。分隊長は小隊長の命令に沿って分隊を運用する。分隊長は脅威を探知、識別し、射撃命令を発し、分隊の射撃と運動を統制する。



2-6. 戦闘命令(COMBAT ORDERS)

戦闘命令は如何に為されるか詳細を規定せずに、どんな任務を達成せねばならないかに重点を置く。可能ならば常に、戦闘が行われる地にて顔をつきあわせて口頭にて発せられる。

a. 簡潔かつ明確に。戦闘命令は、部下が良く訓練されており(二層上の階梯までの)指揮官の企図と構想を理解できることを必要とする。戦闘命令では必要な情報のみを含める。不必要な詳細や冗長、教義や標準作戦手順を繰り返すのは避ける。

b. 斟酌せよ。指揮官は部隊が何を達成することを欲するかを定め、その要求を明確に伝える。部下のうちに戦闘命令で作戦するだけの戦術能力を示していない者があるときは、命令は受領する隷下指揮官の訓練、経験、能力に基づいて斟酌されねばならない。

(1) 斟酌とは、追加の指示を与えること、ことにより制限的な統制手段を設けたり、隷下指揮官固有の資産の用い方を具体的に指示することというだけの意味である。

(2) 指揮官は小隊長に小隊丸々をどのように運用するか、創意の発揮に制限を明言し、詳しく伝えたり、自身あるいは中隊副長を小隊に同伴させることもありえる。これは短期的な解決に留まるべきである。指揮官は責任にみあうよう訓練されねばならない。



SECTION II. 部隊指揮手順(TROOP-LEADING PROCEDURES)

部隊指揮手順は中隊長が、使用可能な時間を効果的、効率的に戦闘任務の計画立案、準備、遂行、評価に用いることを可能とする一連の行動手順である。総じて、部隊指揮手順は指揮官が作戦命令を作成、発令、監督するのを助ける道具である。部隊指揮手順は軍事意思決定過程(MDMP, military decision-making process)とあいまって一体をなす。(部隊指揮手順と軍事意思決定手順の統合については、補遺Dをみよ) デジタル化によりSBCT歩兵中隊長の部隊指揮手順は向上したが、(#特質が)変化したわけではない。戦術インターネットによりSBCT内外双方の情報源からの情報は絶えず更新されるようになった。戦術インターネットは衛星、センサー、無人飛翔体、人間情報(HUMINT、human intelligence)からの情報を中隊長が計画に組み入れるよう伝える。この収集環はこれまで可能であったよりもより迅速かつより詳細な情報を供する。加えて、RSTA大隊(偵察、捜索、目標捕捉大隊)や大隊偵察小隊の供する戦闘情報は、これまでの推定と定型模式(template)を置き換えはしないが、最小限度に抑える。中隊長はこれらの情報源に精通しておかねばならず、また、これらの情報摂取を可能とする通信を最大限に活用して作戦を立案せねばならない。通信の到達外では、計画立案過程で判明せる敵および定型模式による敵を用いる必要が極めて大きい。



2-7. 部隊指揮手順の適用(APPLICATION OF TROOP-LEADING PROCEDURES)

以下の部隊指揮手順に関する記述では中隊長が時間に制約のある状況で計画することを前提としている。かくて、示されている技法は迅速に戦闘命令を作成し、発令するのを助けることを眼目としている。


図2-1. 部隊指揮手順.
任務を受領する
準備命令を発する
暫定計画を作成する
運動を開始する
偵察を遂行する
計画を完成させる
作戦命令を発する
監督し、修正する

#図2-1 終わり


a. 部隊指揮手順はFM 5-0(FM 101-5)で記述されている軍事意思決定過程と整合している。部隊指揮手順と軍事意思決定過程は同一のものでは無い。なぜならば軍事意思決定過程の具体的な各段階は参謀のいる部隊で参謀と指揮官の責任を調整するのを助ける意図されており、整えられている。それに対して、中隊長は隷下指揮官が作戦の計画立案を介助するものの、これら指揮官は参謀ではない。この事実により計画立案は中隊長の肩に課せられている。部隊指揮手順はこの現実を反映しつつ、軍事意思決定過程の精神、用語、全体過程を取り入れて作戦命令の準備を助けるものである。

b. 部隊指揮手順は厳格かつ揺ぎない規則集ではない。むしろ、中隊長が状況、自身の経験、隷下指揮官の経験に適するように様々に応用する手引きである。幾つかの段階での作業(たとえば、準備命令の発令、運動の開始、偵察の遂行)などは何度か繰り返されることもある。最後の段階である、計画の監督と修正は部隊指揮手順の始終を通じて行われる。以下の部隊指揮手順の概要は中隊長が時間に制約のある状況で計画立案することを前提としている。示されている技法は中隊長が迅速に戦闘命令を作成、発令するのを助けるものである。上層階梯司令部が準備命令を発令するのが二度あってから、中隊長が部隊指揮手順を開始することもありえる。

(1) FM 5-0(FM 101-5)にもとづき、準備命令は最低限、以下の要素を含む。作戦の型、作戦が行われる概略位置、開始すべき偵察一切、開始すべき運動一切、当初の時系列。上層司令部は最初の準備命令にさらに情報を盛り込むこともありえる(たとえば、現時点での参謀および指揮官見積もりの成果物)。指揮官は当初計画立案時間数分析を行い、これにより計画立案と準備に用いられうる時間数を見定める。この当初計画立案時間数分析は計画立案が進むにつれて行われる詳細な時間数分析の基礎となる。指揮官は自部隊が使用可能な時間数を分析し、当初時系列線に備える。指揮官は使用可能な計画立案時間の三分の一までのみを用いるよう計画すべきである。使用可能時間数の三分の二を部下に与えることができるようにである。使用可能な時間数を管理する効果的な技法としては、指揮官は使用可能計画立案時間数のおよそ五分の一内に作戦命令を発するというものがある。これにより部下の計画立案時間数に食い込むことなく、事前予行のための余分な時間を得られる。指揮官は時系列線を計画するにあたっては、日の巡りを考慮すべきである(he should take into account ambient light effects when planning his time line)


(2) 中隊長は上層階梯司令部からの当初準備命令に続いて直ちに準備命令を発することもありえる。中隊長は自身の当初準備命令も上層階梯の当初準備命令と同じ要素を含める。中隊長の当初準備命令で最も重要な要素は当初計画立案時間系列線である。中隊長はまた部下が来るべき任務に備えるに助けとなると判断する訓令または情報を伝えることもある。中隊長は準備命令を戦術インターネットで配布することもあれば、実地形を前にして、地形模式、見取り図、地図を用いて説明することもある。現実に可能であれば、隷下指揮官を集結させて実地形を前にして顔と顔をあわせて準備命令を発する。現実的でない場合、地形模式、見取り図、地図を用いることがある。直ちに準備命令を発することで、指揮官が準備命令の残りおよび作戦命令を作成している間に部下にそれぞれの準備を開始させることが可能となる。準備命令は、作戦命令ほどには詳細ではないが、同じく五段構成書式を用い、当初時系列線において可能な限りの情報を伝えるべきである。

(3) 上層階梯司令部からの二番目の準備命令は任務分析と上層指揮官の指針から得られる必須情報からなる。任務分析の成果を含む。

地形分析

敵戦力(上層階梯司令部の作戦命令1a段には敵情定型模式(situlational template, SITEMP)を含む)

上層階梯司令部の任務宣明を言い換える

上層階梯指揮官の企図

作戦域(Area of operations, AO)、関連域(area of influence)、関心域(are of interest)

指揮官の必須情報要求(Commander(s critical information requirements, CCIR)

脅威指針(Risk guidance)

開始すべき偵察(Reconnaissance to initiate)

保全手段(Security measures)

欺瞞指針(Deception guidance)

機動支援/機動妨害支援指針(Mobility/counter-mobility guidance)

具体的な優先順位(Specific priorities)

時系列線(Time line)

事前予行に関する指針(Guidance on rehearsals)

上層階梯司令部は二番目の準備命令で追加情報を発することがある(例えば、友軍戦力、作戦命令1b段)。指揮官は上層階梯司令部の二番目の準備命令により得た情報を把握せねばならない。指揮官は評価を行うこともできるが、任務を受領するまでは詳細分析を仕上げることはしない。状況によっては、指揮官は上層階梯司令部からの二番目の準備命令を受領した後に、部下に当初準備命令を発することを選ぶこともありえる。

(4) 中隊長は上層階梯司令部の二番目の準備命令を受領、あるいはその他の関連情報を受け取った後、二番目の準備命令を発する必要があると決することがありうる。上層階梯司令部の二番目の準備命令にて受け取った情報につき中隊長はほとんど分析はしないから、また状況によっては二番目の中隊準備命令を発しないこともありえる。中隊長はその代わりに上層階梯司令部の三番目の準備命令を受領したのちにこれらの情報を発することを選ぶこともありえる。



2-8. 任務の受領(RECEIVE THE MISSION)

表題の示すように、この段階は任務を受領して中隊長がとる行動を扱う。任務の”受領”には幾つかの方法がある。上層階梯司令部からの準備命令受領に始まることもあれば、実際に上層階梯司令部の作戦命令(上層階梯司令部が作戦命令を発する前に準備命令を発令しなかった場合はこちらとなる)を受領してからはじまることもある。最も厳しい状況では、遂行中に全体状況が変化した結果として出来することもある。部隊指揮手順の最初の段階として任務を受領(演繹する)のとあわせて、中隊長は任務の準備と遂行に使用可能な時間数を見積もらねばならない。時間見積もりの結果として、中隊長は計画立案および遂行の当初時系列線を準備する。

a. 任務分析 部隊指揮手順の第一段階は部隊の任務を定め、任務遂行に使用可能な時間数を見積もることに重点があるが、第一段階ではまた任務分析と呼ばれる活動も開始する。中隊長は上層階梯司令部が三番目の準備命令或いは作戦命令を発してはじめて任務を受領する。中隊長の任務分析は上層階梯司令部での軍事意思決定過程ほどには詳細ではない。中隊長の任務分析は本質的にはMETT-TC各要素の分析である。中隊長は時間と情報の質が許容するだけあたう限り深く分析をする。METT-TCの各要素分析は継続して行われる過程である。遂行中は、たえず分析を続けることで良く整えられた詳細命令(fragmentary order)を発することが可能となる。中隊長は新たな情報が自らの任務や計画に影響するか見定めねばならない。影響が及ぶ場合、この新たな事態に適するよう計画をいかに修正するかを定める必要がある。中隊長は固定された順序、並びでMETT-TC各要素の分析をする必要は無い。各要素をいかにいつ分析するかはいつ情報が入手可能となるかと自身の経験と好みによる。一つの技法としては上層階梯司令部の軍事意思決定過程として受領した成果物に基づいて部隊指揮手順を平行して進めるものがある。この技法を用いれば、中隊長はまず任務を分析し、地形、天候、敵、使用可能な自戦力および支援、時間と進め、最後に民間配慮事項へと至る。これは厳格に定まった規則ではない。部隊に届く様々な情報は分析し、評価されねばならない。

(1) 任務 全階梯の指揮官は一階梯上および二階梯上の指揮官の任務、企図、作戦構想を明確に理解せねばならない。この理解により規律ある主導を発揮することが可能となる。中隊長は自部隊が達成すべき事項の理解を任務宣明を言い換えることで明白に捉える。中隊長は任務宣明を言い換えるにあたって6つの段階を踏まえる。この6段階には上層階梯司令部(二階梯上)の任務企図構想の分析、直上階梯司令部(一階梯上)の任務企図構想、指定任務、内在任務、必須任務および制約の抽出が含まれる。

(a) 上層階梯司令部(二階梯上)の任務、企図、構想。中隊長は二階梯上の司令部の作戦構想を把握せねばならない。中隊長は二階梯上の司令部の任務と目的と、直上階梯司令部がその戦闘にどのように貢献するかを明確に捉える。また中隊長は指揮官(二階梯上)の企図を把握せねばならない。

(b) 直上階梯司令部(一階梯上)の任務、企図、構想。中隊長は直上階梯司令部の作戦構想を把握する。中隊長は直上階梯司令部の任務と目的、その戦闘に対する自らの貢献を明確に捉える。中隊長は(一階梯上の)作戦命令から指揮官の企図を明白に把握せねばならない。くわえて、中隊長は一階梯上司令部の統制下にある近傍の全ての機動戦力の任務、目的、配置を把握する。

(c) 部隊の任務。中隊長は直上階梯司令部の作戦命令の作戦構想段から自部隊の任務を知る。主力部隊の目的はたいてい直上階梯司令部の目的と一致するか、それを達成することである。同様に助勢部隊の目的は主力部隊がその目的を達成するのと直接に関連する。中隊長は自部隊が他部隊の目的にどのように関係するかを把握せねばならない。最後に、中隊長は作戦必須戦術任務(mission essential tactical task)を決する。これは部隊が付与された目的を達成するために完遂せねばならぬ任務である。中隊長は(一階梯上の)指揮官がなぜ自部隊にこの戦術任務を付与したかを理解し、その任務が直上階梯司令部の作戦構想でどのように位置づけられているかを見定めねばならない。

(d) 制約。上層階梯司令部が指揮官に課した行動あるいは行動せぬことを定めた制約であり、隷下指揮官が計画立案における行動の自由を、なさねばならぬこと、してはならぬことを明記することで制限する。中隊長は作戦命令が部隊の任務を遂行するに当たり課した制約全てを把握する。制約には二種類がある。禁令事項(行動を必ず起こさねばならぬ事項)と禁止事項(行動を押し留めねばならない事項)である。

(e) 任務の抽出。中隊長は付与された作戦を達成するために必要とされる任務を抽出し把握せねばならない。この任務は三種類ある。指定任務、内在任務、必須任務である。


指定任務(Specified Tasks) 上層階梯司令部から部隊に具体的に付与された任務。上層階梯司令部の命令第2段および第3段か計画に具体的に記述されている任務。また補遺やデジタルオーバーレイに指定任務が記述されていることもある。(例えば、目標FOXを奪取せよ、BLUE経路を偵察せよ、B中隊の前線超越を介助せよ、弾薬搭載介助のため兵2名を送れ)

内在任務 指定任務を達成するために行わねばならぬが、上層階梯司令部の命令には記述されていない任務。内在任務は上層階梯司令部の命令、敵情、可能行動、地形を詳細に分析することでえられる。将来の作戦域と部隊の現在位置の関係や各指定任務に関する教義上の必要事項も内在任務をもたらすことがありえる。資源の配分を必要とする任務のみに留意すべきである。

必須任務。部隊の成功に重要な任務である。指定任務及び内在任務を検討することで明らかとなる。付与された目的を達成するのに必ず遂行せねばならぬ必須任務が作戦必須任務(the mission essential task)である。

(f) 任務宣明の言い換え。指揮官は5つのW(誰、何、いつ、どこ、なぜ)に沿って任務宣明の換言を行う。誰は中隊或いは小隊である。何は部隊の作戦必須任務である。いつは上層階梯司令部の作戦命令に含まれている。どこは上層階梯司令部の作戦命令にある目的あるいは位置である。そしてなぜは上層階梯司令部の作戦構想からえられた中隊または小隊の目的である。換言を終えた中隊任務宣明は例えば次のようになる。

例:B中隊は目標FOX(NB123456)を10月010200までに奪取する。目的は敵が大隊主力に対し反撃するのを阻むことにある。

(2) 地形と天候。上層階梯が修正済統合障害オーバーレイ(modified combined obstacle overlay)を作成し戦術インターネットを通じて共有している場合、中隊長は手早く地形分析をなしおえることが可能である。修正済統合障害オーバーレイにより中隊長は地形と天候作用の全体的特質を早期に把握できる。しかしながら、中隊長は地形と天候がどのように自部隊の任務と敵に影響するかを自身で詳細に分析する必要がある。中隊長は単に修正済統合障害オーバーレイを隷下指揮官に伝送して、地形について概観する(例えば、ここが高地だ)だけでなくその先に踏み込まなくてはならない。中隊長は地形と天候が敵と自部隊にどのように影響を与えるかについて意味ある結論をえなくてはならない。最も重要なのは、中隊長は敵部隊および自部隊の可能行動を作成するにあたって、その結論を適用することである。

(a) 地形踏破性(Terrain Mobility)を分類する。地形踏破性は以下の4分類に分ける。制約無し、制約有り、著しく制約有り、錯雑。

制約無し(Unrestricted)。この地形は運動に対して一切制約が無い。機動性を向上させるために行動は一切必要ない。この型の地形は概して広範な機動が可能であり、良く発達した道路網により制約無い移動ができる。

制約有り(Restricted)。この地形はある程度運動を妨げる。機動性を向上させるには少々の活動が必要であるが、部隊は頻繁に迂回する必要が生じることもある。戦闘隊形によっては、或いは隊形を変換しつつ、最適の速度を維持するのが困難であることもありえる。

著しく制約有り(Severely restricted)。この地形では機動性を向上させるためある程度の活動を注がぬ限り、戦闘隊形での運動は極めて妨げられるか速度を低下せざるをえない。機動性を向上するには工兵の投入が必要となるか、或いは教義にある隊形もしくは教義にある行進速度から逸脱する必要があることもある。

錯雑(Complex)。錯雑地形には従来の地形分類の二種かそれ以上が含まれる。錯雑地形の例として、制約ある森林域が、著しい制約ある都市地域と制約無しの起伏ある開豁地の傍らにあるなどである。

(b) 地形分析での優先順位付け。計画立案に使用可能な時間数に制約があるため中隊長は地形分析を優先順位付けして行わねばならないときがある。例えば、攻撃の遂行時、中隊長は目標直近の地域を優先し、続いて目標へ通じる特定の中隊軸を分析する。さらに時間数がある場合、中隊長は中隊作戦域の他の部分、関連域(area of influence)、関心域(area of interest)を分析する。

(c) 視覚補助手段を用いる。中隊長は何らかの視覚補助手段を用意して分析の成果を表示、部下に説明し、地形と天候がどのように任務に影響を与えるのかについて中隊長が得た結論を部下が理解できるようにする。この視覚補助手段には戦術インターネットを通じて部下に伝送したデジタルオーバーレイ、地図に重ねる手描きオーバーレイ、地形模式などがある。選んだ手段が何であれ、中隊長は地形踏破性の種別、枢要地形(key terrain)、不可視線(inter-visibility line)、判明せる障害、接近経路および機動回廊を図式により表示して含めねばならない。

(d) 観測、射界、接近経路、枢要地形、障害と運動、隠掩蔽(OAKOC、Observation and aields of fire, Avenues of approach, Key terrain, Obstacles and movement, Cover and concealment)を用いる。地形の軍事的側面(OAKOC)(図2-2)は土地を分析するのに用いられる。地形の軍事的側面を分析するのに用いる順序は様々である。指揮官は障害を先に判断し、続いて接近経路、三番目に枢要地形、四番目が観測と射界、最後に隠掩蔽とすることもある。各地形特質項目毎に中隊長は自軍および敵戦力に対する効果を見定める。これらの効果は自軍および敵可能行動に適用される結論と直接に解釈される。地形を分析する技法の一つは図表を用いることである。図2-3(地形分析図表)を見よ。


図2-2 地形の軍事的側面 OAKOC
観測と射界
接近経路
枢要地形
障害
隠掩蔽

#図2-2終わり

図2-3 地形分析図表 (#略)


(e) 障害。中隊長は最初に作戦域内の既存、強化障害を任務に関して機動性を限定するものにつき調べる。既存障害には以下が含まれるが、これらに限定するものではない。

峡谷

幅が3mを超える間隙、溝

18インチ(約45.72cm)以上の高さの切り株、大岩

樹間4m以下で直径8インチ(約20.32cm)以上の木々が生えている森林

既存の人造障害(例えば、建造物や電力線、電話線)


強化障害には以下があるが、これらに限定するものではない。

地雷原(通常のもの、状況によるもの)

対戦車溝

鉄条網障害


図2-4は障害および制約地形分析につき歩兵小銃中隊長が攻勢、防勢時に検討すべき事項の幾つかを表にしたものである。


図2-4 障害および制約地形分析に当たっての考慮事項

攻勢作戦 
 敵はどのように障害と制約地形の特質を用いるか
 敵の強化障害の配置、構成はどのようか
 障害と地形は我の運動、機動にどのように影響するか
 必要な場合、中隊はこれらをいかに避けるか
 我はいかに探知し、望ましい場合、いかに迂回するか
 敵が障害を火制する兵器をどこに配置しているか、敵はどのような兵器を用いているか
 突破を支援する必要がある場合、突破地点として予想されるのはどこか、また敵は障害をどこから監視しているか
 地形は迫撃砲、機関銃、ジャベリンの運用にどのように影響するか

防勢作戦
 敵はどこへ進もうとしているか。敵をどこで撃滅できるか。いかに敵をそこへ行かせるか
 既存障害と制約地形は敵にどのように影響するか
 この地形を用いていかに敵を我が交戦域へ導入、敵に経路を拒絶し、敵の運動を妨げるか
 地形は迫撃砲、機関銃、ジャベリンの運用にどのように影響するか

#図2-4終わり


(f) 接近経路(Avenues of Approach) 接近経路は攻撃部隊が目標あるいは枢要地形とと進む地上あるいは空中経路である。接近経路は種別(乗車、降車、航空、地下)、隊形、経路を移動可能な最大の部隊の速度により分類される。上層階梯司令部が供していない場合、まず、中隊長は機動回廊を明らかにする。機動回廊は部隊が教義にある隊形で教義にある行進速度で運動できる地域である。種別と戦力規模と用いられる隊形により分類される。二つ例をあげる。

単縦列で運動中の自動車化小銃小隊(自動車化小隊-単縦列)

楔形で運動中の敵分隊(降車分隊-楔形)


中隊長は相互に支援する機動回廊をまとめて接近経路とする。互いに支援する機動回廊が無い場合、単一の機動回廊が接近経路となる。接近経路は機動回廊と同様に分類される。接近経路を明らかにした後、中隊長はそれぞれを評価しそれぞれの状況に対する重要性について結論を得る。図2-5は歩兵小銃中隊長が接近経路を評価する上で、攻勢時、防勢時における検討事項の幾つかを表としたものである。


図2-5.接近経路分析における検討事項

攻勢作戦
 我は我が運動と機動を支援するのにいかに各接近経路を用いるか
 各接近経路は移動技法、隊形、そして(ひとたび接敵すれば)機動をどの程度支援するか
 踏破性の度合いは隊形、移動技法の変更を強いたり、制約地形の掃討(clearance)を必要とするか
各経路の得失はなにか
 敵がとる可能性がある反撃経路はどれか
 他軸へ変換するのに用いられうる並行経路はどれか、また敵が我が側翼を脅かすのに用いえる経路はどれか
 各経路は部隊種別毎の運動速度にどのように影響するか

防勢作戦
 わが戦区への敵が用いうる経路全てはどれか
 敵はいかに各接近経路を用いえるか
 敵がわが側翼を脅かすのに用いえる並行経路はどれか
 友軍の反撃、或いは陣地転換を支援する経路はどれか

#図2-5 終わり


(g) 枢要地形 中隊長は枢要地形を詳らかにせねばならない。枢要地形とは戦う両者いずれにとってもその奪取、保持、支配が著しい利をもたらすあらゆる地点あるいは地域のことである。枢要地形を詳らかにするのは観察よりもむしろ(#思考の)成果である。例えば、接近経路を瞰制する卓越した丘頂上は枢要地形であることも無いこともある。丘が開けた観測および射界を供するときであっても、対抗側が容易に別の接近経路で迂回できる場合は著しい利とはならない。その一方で、丘頂上が複数の接近経路に対して隠掩蔽、観測、良好な射界を供する場合、いずれ側であっても支配する者に明白な利を与える。指揮官はどの地形が任務完遂に必須であるかを評価せねばならない。攻撃時における歩兵小銃中隊にとっての吸うよう地形の例は敵の反斜面防御を瞰制する樹木線であることもありえる。この地域を支配することが突破部隊を防護する火力支援陣地の確立に必須であることがありえる。指揮官はまたどこが決定地形であるかを見定めねばならない。これは奪取、保持、支配が任務達成に必要な枢要地形のことである。あらゆる状況に決定地形があるわけではない。ある地形が決定的であると見定めることで、指揮官は任務を成功裡に達成するにその奪取、保持、支配が絶対に必要であると認識する。図2-6は、枢要地形の分析において含められうる検討事項の幾つかを表にしたものである。


図2-6 枢要地形分析検討事項

 戦術検討事項
  どの地形が自軍の観測、指揮統制と火力要請の双方にとって重要か
  どの地形が敵にとって重要で、それはなぜか。その地形は我にとって重要か
  どの地形を上層階梯司令部は枢要地形としたか。その地形は敵にとって重要か
  敵はこの枢要地形を支配しているか。我がその枢要地形を支配しているか
  枢要地形の支配を奪取し維持するにはどうすべきか
  どの地形がデジタル通信装置の運用を左右する通信結節(communication node)にとって枢要か

#図2-6 終わり

(h) 観測と射界 中隊長は攻防両者にとって良好な観測および社会を供する接近経路沿いの地点を詳らかにせねばならない。中隊長は枢要地形、目標、交戦域、障害を囲繞する地域を分析する。、中隊長は不可視線(IV lines)(ある地点から他の地点への視線を妨げる地形)の位置をつかみ、攻撃部隊が援護監視あるいは運動を(直射火力で)支援する能力を評価する。射界を分析にするにあたっては、中隊長は彼我が直射で地形を(とりわけ接近経路と枢要地形を)瞰制する可能性に重点を置く。くわえて、中隊長は砲兵観測員(artillery observer)が間接射撃を要請できる地形を把握せねばならない。可能ならば常に、中隊長は彼我双方の視点から地形偵察を行う。中隊長はこの偵察を自身で直に、地図上で、あるいは隷下部隊とともに、あるいはRSTA(偵察、捜索、目標捕捉)大隊や大隊偵察小隊が供する情報や資産を用いて行う。この偵察は中隊長がより客観的に地形を見、敵および自軍双方へどうのようなに地形が影響するかを知る上で助けとなる(図2-7)。


図2-7 観測と射界分析検討事項
 攻勢作戦
  敵観測員および兵器から目標自体あるいはその近傍に良好な観測および射界が開けているか
  敵が火力を集中しうるのはどこか
  敵が火力を集中しえぬのはどこか
  敵が脆弱なのはどこか
  友軍の運動を迫撃砲、機関銃、ジャベリンで支援できるのはどこか
  友軍が火力支援、火力攻撃を遂行できるのはどこか
  天然の目標標定点はどこか
  どこに間接火力観測員を占位させるか

 防勢作戦
  敵接近経路に対して良好な観測および射界を供するのはどの地点か
  敵が砲列(firing line)あるいは火力支援陣地を設けているのはどこか
火力を集中できぬのはどこか
  我が戦区の死角はどこか。我が脆弱なのはどこか
  天然の目標標定点はどこか
  敵を撃滅できるのはどこか。我が戦闘力の少なくとも三分の二以上でその地点を観測し、射界におさめられるか
  敵にこれらの陣地はどの程度暴露しているか
  どこに間接火力観測員を占位させるか

#2-7終わり



(i) 隠掩蔽(Cover and Concealment)。中隊長は接近経路沿いおよび目標或いは枢要地形の地形、植生、構造物、その他地物(features)を見て掩蔽(直射火力および間接火力からの防御効果のある防護)と隠蔽(観測からの防護)を供する地点を詳らかにする。防御時には、兵器の位置は撃破能力と生残性をともに有すことが必要であり、かつ隠掩蔽は良好な射界と同じく必須である(図2-8)。

図2-8 隠掩蔽分析検討事項
 攻勢作戦
  どの軸が良好な射界と有効な隠掩蔽をともに供するか
  どの地形が躍進中の隊に撃破能力を妨げることなく、かつ隠掩蔽を供するか

 防勢作戦
  どの位置が有効な隠掩蔽と良好な観測及び射界を供するか
  彼我はどのように使いえる隠掩蔽を用いるか

#図2-8 終わり



(j) 天候分析(Weather Analysis)。 天候の軍事的側面は5つある。視程、風、降水、雲(量)、気温/湿度である。天候の影響を検討するのは中隊長の任務分析において必須である。指揮官は単に観察をするに留まらずさらに踏み込まねばならない。指揮官は天候が、彼我の視程、機動性、生残性にどのような影響を与えるか意味ある結論へ到達せねばならない。中隊長は上層階梯指揮官の結論を検討し、天候の5つの軍事的側面について独自に意義ある結論をえる。中隊長は彼我の可能行動を作成するにあたりその分析結果を適用せねばならない。

(k) 視程(Visibility)。中隊長は視程要素(光データ、霧、スモッグなど)と戦場における撹乱要素(煙、塵埃など)について定かな判断をする。指揮官は光データを検討し、航海薄明開始時刻(beginning morining nautical twilight, BMNT)、日昇時刻(sunrise, SR)、日没時刻(sunset, SS)、航海薄明終了時刻(end of evening nautical twilight, EENT)、月昇時刻(moonrise, MR)、月没時刻(moonset, MS)および光量度(percentage of illumination)について定かな判断をする。視程に関するさらなる検討事項には以下が含まれる。

我が攻撃の背後で陽が昇るか。我は日昇に向かって攻撃するか
限定光量を我が利とするにはどうすべきか
視程は彼我の目標捕捉にどのように影響するか
現在の天候は突破を煙覆するのに適するか
霧は彼我の目標捕捉にどのように影響するか

(l) 風(Winds)。中隊長は風の各要素(例えば風向と風速)につき定かな判断をする。風に関する検討事項には以下のようなものがある。

風速により煙はたちどころに拡散するか
風速と風向は敵の煙幕使用に有利か
風速と風向は60mm迫撃砲の運用に影響するか

(m) 降水(Precipitation)。中隊長は降水の各要素(例えば、種類、量、時間)につき定かな判断をする。降水に関する検討事項には以下のようなものがある。

降水は中隊の機動力にどう影響するか
中隊が奇襲を達成するに降水はどう加わる(add)か

(n) 雲(量)(Cloud Cover)。中隊長は雲(量)につき(例えば光量度への制約、目標への太陽放射加熱など)定かな判断をする。

雲(量)は中隊の夜間作戦にどのように影響するか。敵にどう影響するか
ジャベリンの指令発射装置での目標捕捉に雲(量)はどう影響するか

(o) 気温と湿度(Temperature and Humidity) 中隊長は気温要素(最高温度、最低温度、赤外線温度交錯時間帯(infrared crossover times)および戦場要素(煙幕および化学剤の使用)につき定かな判断をする。気温に関する検討事項には以下のようなものがある。

気温(高温、低温)と湿度は中隊の行軍速度(the rate of march)にどう影響するか
気温(高温、低温)と湿度は兵と装備にどう影響するか
気温と湿度は非持続性化学剤の使用に適するか

#infrared crossover times
出典 global security org
URL http://www.globalsecurity.org/military/library/policy/army/fm/3-22-37/appe.htm
原題 FM 3-22.37 JAVELIN MEDIUM ANTIARMOR WEAPON SYSTEM
APPENDIX E  FORWARD LOOKING INFRARED
内容 同補遺の一部を訳出

赤外線温度交錯時間帯(Infrared Cross Over)
一日に二度、払暁と黄昏時に、戦車、草、木々の温度と河川の温度の上下が交差し入れ替わる(図E-12)。この二度の時間帯は温度の相対関係の変化との視覚効果から赤外線温度交錯時間帯と呼ばれている。この二つの時間帯には、目標視界内のあらゆる物が同じ温度となり、温度差がほとんど捉えられない。既に示したように、測定可能な温度差が無ければ、ジャベリン射手は目標を背景と区別できない。

#3-22.37 APP E 一部訳出終わり


(3) 敵(Enemy)。
敵を分析するのは7段階からなる。教義分析、組成、配置、戦力、能力、中隊階梯敵情定型模式(company level enemy SITEMP)、当初中隊情報要求優先事項である。中隊長にとって敵の分析による重要な成果は、自身の目的を達成するため圧倒的な戦闘力を注いで利用できる敵の弱点を突き止めて得ることである。中隊長は敵がいかに戦い、戦いがどこで生起するかを把握せねばならない。中隊長は何が実際に敵について判明しているかと何が単に定型模式であるかを把握せねばならない。この理解を踏まえねば、推測にのみ基づく誤りを含む計画を作成してしまい、よって何が生起するかについて信頼しうる予測をえられぬこととなる。中隊長は大隊S-2が敵の可能行動を描くのに用いた前提を把握せねばならない。さらに、中隊長自身の敵に関する想定は上層階梯指揮官のと整合していなければならない。


注意:

敵を分析するに当たって、中隊長は戦場の情報見積もり(the intelligence preparation of the battlefield, IPB)を理解せねばならない。中隊長がIPB成果物を部下に準備するのではないが、中隊長は上層階梯司令部のIPBを有効に用いることができなければならない。


(a) 教義分析(Doctrinal Analysis) (敵はどう戦うか)。敵が有する車両、兵員、武器数を単に知るだけでは十分でない。中隊長は敵が有する資産をいつ、どこで、どのように用いるのを好む、用いる傾向があるかを徹底的に理解せねばならない。教義定型模式は天候および地形を考慮外として、敵戦力の配置と行動を視覚的に描き出したものである。中隊長は所与の作戦における敵の具体的行動を考え(例えば、離隔防御(defense out of contact)、警戒帯防御(security zone defense)、接敵行動)て適切な教義定型模式を用いて敵がどのように戦闘するかについての洞察をえる。同様に、中隊長は敵の教義による目的を把握せねばならない。教義の用語を用いて、中隊長は以下の問いを発する。敵は地形を指向しているか(例えば、前方分遣隊forward detachment)、敵は敵軍自身を指向しているか(例えば、前衛 advance guard)、あるいは我が軍を指向しているか(例えば、警戒帯)。これらは敵の戦闘方法にどのように影響するか。しかしながら、世界情勢が変化し、体系だった教義を持たぬ敵と戦闘する可能性が増している。それゆえ、敵を定型模式する過程もある程度限定的となるであろう。このような状況では、中隊長はRSTA大隊(偵察、捜索、目標捕捉大隊)と大隊偵察小隊の資産が供する情報に依存せざるを得ない。中隊長はまた敵、人間の特質、現地の文化について健全な想定をすることがありえる。

#defense out of direct contact
出典 fas org
URL http://www.fas.org/man/dod-101/army/docs/st100-7/chapter06/C6II.htm
原題 ST 100-7 6-2 対抗部隊の防御作戦
内容 以下全訳
6-2 防御の種別

a. 接敵防御 OPFOR(対抗部隊)の接敵防御への移行が最もしばしば起こるのは攻撃中においてである。対抗部隊が反攻を撃退、奪取した線を強化、攻撃部隊の側翼を確保するとき、或いは遭遇戦の結果が芳しからざる(unsuccessful)ときにも起こりえる。対抗部隊の主防御帯は青部隊(BLUFOR)の直射射程内(direct range)内にある。

b. 離隔防御 対抗部隊は戦闘開始前、青部隊の直射射程外にあるときに防御に入ることもありえる。接敵防御と離隔防御の主な違いは前者は警戒帯(security zone)を欠くことである。後者の状況では、防御への移行は接敵がありうる地域を火制(cover)、青部隊の行いうる攻撃を撃退、さらなる部隊の配置を支援するために行われる。

離隔防御においては、防御前縁正面と防御縦深双方の地形を慎重に評価するのが重要である。強化拠点の配置、火力網の組織、良好な隠掩蔽に最も有利となるよう地形を選択すべきである。

#6-2終わり



(b) 組成(Composition)。中隊長は敵が自部隊に対し用いえる車両の型式、兵、装備を見極めねばならない。上層階梯司令部の作戦命令情報補遺、敵戦力段落1(a)から、或いは共通作戦図(common operational picture,COP)にて供される情報にて、中隊長は敵部隊の任務と目的を見定める。

(c) 配置(Disposition)。中隊長は上層階梯司令部からの情報により敵がどのように配置している(あるいはしているであろう)かを判断する。ついで、敵の機動形態あるいは防御戦技を判断する。可能であれば、中隊長はどの部隊から敵が来るかを判断する。中隊長は二階梯上の敵部隊についてまで配置を判断する。

(d) 戦力(Strength)。中隊長は敵の戦力を部隊ごとに詳らかにする。中隊長は上層階梯司令部から与えられた割合度数を敵の各部隊にあてはめて実数を割り出し、あるいは共通戦況図から得られる情報によりこれをえることができる。

(e) 能力(Capabilities)。S-2の評価および敵の教義や現在の位置に基づき、中隊長は敵の能力を見定めねばならない。これには敵の兵器それぞれの最大有効射程、教義上の行軍速度、各任務を遂行する際の時系列線を考究することも含まれる。技法の一つに、戦場における機能系(BOS)を検討速見表として用いて敵が戦闘に投じる重要要素全てを扱うものがある。中隊長はまた一つ上の階梯の敵部隊の能力を見定める。その敵部隊の能力には一つ上の階梯の部隊、あるいはその上層の敵司令部が供すると合理的に(#見積もられる)資産を含めるべきである。 これには、予備の運用、化学兵器の使用、砲兵および迫撃砲の位置と射程、偵察資産の運用を含めるべきであるが、これらのみに限定してはならない。

(f) 敵情定型模式(Enemy SITEMP)。敵にはどのような戦闘が可能であるかを見定めるため、中隊長は自身の地形及び天候分析を上層階梯司令部の敵情定型模式とあわせ検討する。その仕上げた成果が中隊敵情定型模式である。これは中隊長が考える、敵が特定の戦場状況においていかに戦闘するかを視覚/図表で表したものである。この敵情定型模式は上層階梯司令部S-2が作成するものより一階梯下を描いている。例えば、仮に大隊敵情定型模式が中隊の目標として自動車化小銃小隊(motorized rifle platoon, MRP)1個を描いている場合、中隊長は敵の教義と地形に関する知識をともに用いて、自動車化小銃小隊の各車両と小隊防御をとるありえる各々個人戦闘陣地あるいは塹壕線の位置を示す敵情定型模式を作成する。中隊長はこの敵情定型模式にありえる敵兵器の射界と防御を支援するあらゆる戦術および防御障害を、判明しているもの(identified)或いは単に定型模式であるものともに含める。図2-9は敵情定型模式に含めるが推奨される項目を示している。
 中隊長は上層階梯指揮官の指導およびS-2成果物とは別個に敵情定型模式を作成してはならない点は重要である。成果物は偵察結果と共有されている情報を反映していなければならない。敵情定型模式の相違点は中隊長が敵分析をさらに進める前に解消されねばならない。最後に、中隊長が敵情定型模式を作成する縮尺はしばしば、5万分の1地図であるから、状況が許すならば説明するためにはより大縮尺(#精度のより微細な縮尺)の見取り図へと敵情定型模式を移すべきである。これは分析のためではなく、部下が予想しえる敵可能行動の詳細をみてとれるようにするためである。ひとたび部下に敵分析を説明したらば、中隊長は部下らが判明していること(known)、推理されていること(suspected)、単に定型模式で表されている(templated)推定されている(estimated)に過ぎぬことそれぞれが確実に分けて理解されているのを確かめる。偵察あるいはその他の情報の恩恵が与えられぬ限り、中隊長の敵情模式は敵がいかに配置しているであろうかという”推定”に過ぎない。中隊長はこれを事実として扱ってはならない。最もありえる敵想定を作成するには偵察が必須である。


図2-9 敵情定型模式に勧奨される項目

 防御(defense)
  主/代替/以降陣地(primary/alternate/subsequent positions)
  交戦域(engagement area)
  各車両(individual vehicles)
  組扱兵器(crew-served weapons)
  戦術および防御障害(tactical and protective obstacles)
  塹壕線(trences)
  計画されている間接射撃目標(planned indirect fire targets)
  監視哨(observation posts)
  指揮統制陣地(command and control positions)
  最終防御射撃および最終防御線(FPF and FPL)
  予備の位置(location of reserves)
  予備投入経路(routes for reserve commitment)
  投入時の予備の移動時間(travel time for reserve commitment)
  戦闘陣地/強化拠点/戦区(battle positions/strongpoints/sectors)
  射界(sectors of fire)

 攻撃(offense)
  攻撃隊形(attack formations)
  前進軸(axes of advance)
  砲列(firing lines)
  目標(objectives)
  予備戦力投入(reserve force commitment)
  計画されている間接射撃目標(planned indirect fire targets)
  状況による障害(situational obstacles)
  偵察目標(reconnaissance objectives)
  偵察部隊経路(reconnaissance force routes)
  段階線(phase lines)
  計画されている突破点(planned point of penetration)
 
#図2-9終わり

(g) 当初優先情報要求(Initial Priority Intelligence Requirements)。中隊長は自身の当初優先情報要求を作成する。当初優先情報要求は敵に関する情報で指揮官を重大な決断へ導くものと定義される。当初優先情報要求に応じれば指揮官が敵情を解明するのが可能となる。中隊長の当初優先情報要求は中隊長にとって敵情の解明の助けとなるが、たいてい大隊長の当初優先情報要求に応じることにも繋がる。



(4) 使用可能な自戦力および支援(Troops and Support Available)。
任務分析で最も重大な部分は自身の部隊が戦闘において発揮しうる力(combat potential)を見定めることである。中隊長は現実的かつ感情を排して使用可能なあらゆる資源と訓練水準と直近の戦闘による新たな制約一切を見極めねばならない。これには配されている(attached)、或いは直協(direct support)している隊を含む。中隊長は兵の士気、経験、訓練、そして隷下指揮官の長所と弱点を把握せねばならない。この見積もりには兵および装備の長所と状態を把握することが含まれる。また部隊を支援している資産全てを把握することも含まれている。中隊長は、例えば、どれだけの間接火力が、その種別毎に使用可能であるかといつ使用可能になるかを把握していなければならない。



(5) 使用可能な時間数(Time Available)。

部隊指揮手順の第一段階で触れたように、時間数分析は計画立案、準備、遂行で重要な部分を占める。中隊長が使用可能な時間数だけを把握するのはあってはならない。中隊長は同時に準備、運動、戦闘、維持の時間=空間関係を把握できなくてはならない。中隊長は自身の任務と敵の行動を時間との関係で考えることができねばならぬ。例えば、中隊長は部隊指揮手順に対する視界制約状況の影響を見積もることができねばならぬ。中隊長はそのような状況下では特定の任務、例えば命令作成、事前予行、復命(backbrief)や隷下隊のため時間に制約あるその他の準備を完了するのにがどれだけの時間を要するかを把握していなければならない。中隊長は火力支援隊を展開するのにどれだけ時間を要するかを理解しておらねばならず、特定の時間数、支援を持続するに必要とされる弾薬量を見定めねばならない。中隊長はバンガロール爆薬筒を組み立てて、鉄条網障害を突破するのにどれだけの時間を要するかを把握していなければならない。最も重要なのは、事象が生起するにつれて中隊長は自身が使用可能な時間の認識を修正し、自身が達成したいと望んでいることへの影響を見積もらねばならない。最後にこれまでの時系列線を部下のために更新し、中隊および隷下隊に影響ある全ての事象を網羅せねばならない。図2-10は中隊時系列線の例である。


図2-10 中隊時系列線の例 

敵事象 1日目6時 師団偵察  2日目6時 連隊偵察 2日目18時前 準備射撃
視程  1日目18時から2日目6時 視界制約状況
遂行事象 1日目 運動開始  視界制約状況中 監視哨設置 2日目18時までに防御
計画事象 1日目6時 中隊作戦命令受領 戦闘教練 1日目15時 小隊作戦命令発令 1日目18時 小隊事前予行 2日目6時 中隊事前予行

小隊作戦命令作成時間数 中隊準備命令時間数+(全時間数-視界制約時間数)×1/3
=010600 + (36時間-9時間)×1/3
=010600 + 27時間×1/3
=010600 + 9時間
=011500  1日目15時

#図2-10終わり



(6) 民間配慮事項(Civil Considerations)

上層階梯司令部は中隊長に大隊の任務に影響しえる民間配慮事項を供する。中隊長もまた自身の任務のみに影響しえる民間考慮事項を詳らかにせねばならない。これらには避難民の移動、人道支援の必要、交戦規定(the rules of engagement, ROE)あるいは交流規定(rules of interaction, ROI)に関しての特定の必要などが含められうる。



(7) 任務分析の要約(Summary of Mission Analysis)

任務分析の最終成果物はMETT-TC各要素が部隊の任務の達成にどう影響するかについて作成された多数の知見と結論である。これらの知見と結論をもとに、中隊長は任務、当初企図、当初脅威評価、そして場合によっては決定点を再び記述する。中隊長はこれらを用いて可能行動を作成する。可能行動とは任務を達成するためとりえる方法である。

(a) 指揮官の企図。中隊長の企図は明確、簡潔な文言で敵、地形、望ましい完了状態につき達成するには部隊は何をせねばならぬかを綴る。中隊長の企図は目的と作戦構想を枢要任務(key task)を挙げることで連結する。枢要任務は作戦において、部下が予期せざる機会が生じたとき或いは当初の作戦構想がもはや適さなくなったときに規律ある主導を発揮する基礎となる。枢要任務には部隊が遂行せねばならぬ任務、或いは作戦の宣明されている目的を達成するために満たさねばならぬ条件である。枢要任務は特定の可能行動にのみ結びついているわけではない。枢要任務は”戦術任務”に限らない。作戦のテンポ、持続、敵への効果、制圧せねばならぬ地形、などが枢要任務の例である。指揮官の企図は部隊が現在状態から完了状態へといかに到達するのかについての方法を含まない。その方法は作戦構想である。また企図には受容できる危険度を含まない。危険度は可能行動で扱われる。図2-11は敵、地形、望ましい完了状態についての枢要任務の例を示す。指揮官の企図の例は以下の通り。

指揮官の企図 目標ATLANTAの敵部隊全てを撃滅せよ。中隊はBush丘西側を制圧する。中隊は××年10月1日14時まで(NLT 011400 OCT _)に防御態勢に入る、交戦域REDにて敵 CATKを撃破せよ、第99歩兵(機械化)連隊第2大隊基幹支隊(TF 2-99 IN(M))は著しい遅滞なく統制点2(CP2)を通過する。

図2-11 敵、地形、望ましい完了状態に関連する枢要任務

敵に関連する枢要任務
目標ATLANTAの敵部隊全てを撃滅する
敵を交戦域DOGにて拘束する
敵偵察部隊が段階線DOGに到達する前に撃滅する
中隊主力(company ME)に対して1個自動車化小銃小隊以上の敵が集結するのを防ぐ

地形に関連する枢要任務
中隊はBush丘西側を10月1日6時までに制圧する
経路Blueの主要緊扼地点の障害および敵部隊を掃討する
中隊は段階線DOGに10月1日4時までに到達する

望ましい完了状態に関連する枢要任務
中隊は××年10月1日14時までに防御態勢に入る
交戦域REDにて敵反攻を撃滅しえる
TF 2-99 IN (M)は統制点2を著しい遅滞なく通過する

#図2-11 終わり


(b) 危険評価(Risk Assessment)。危険評価は危険を識別、評価し指揮官が危険を御する手段を講じられるようにすることである。(危険管理(risk management)の詳細については補遺Eを、友軍相撃の回避については補遺Fを参照のこと) 識別と評価が危険管理過程の最初の二段階である。危険管理は戦力を防護し任務達成の確率を増加させるために行われる。指揮官は二種類の危険を考慮せねばならない。戦術面と事故である。戦術面の危険は戦場において敵の存在に由来する危険である。戦術面の危険から帰結するのは主として二つである。

指揮官が危険を受け入れた地域での敵の行動(例えば、自軍指揮官が兵力の節用(economy of force)を行っている地域での敵の攻撃)

機会の喪失(例えば、制約極めて大の地形を運動していて、迅速に通過できなかったがゆえに戦闘力集中が不可能であること)

事故の危険には戦術面の危険以外のあらゆる運用上の危険考慮事項を含み、自軍人員、装備態勢、環境考慮事項に関する危険に関連しての活動を含む。友軍相撃や天候状態のため予定されていた航空移動を完了あたわざることは事故の危険の例である。指揮官は自身の任務分析の成果に基づいて危険を詳らかにし、どの危険を受け入れるかを決し、明らかとなった危険がもたらす我が可能行動に対する帰結を食い止めるか緩和する手段を講じねばならない。



2-9. 準備命令を発する(ISSUE A WARNING ORDER)

中隊長は自隊の任務を決し任務の計画立案、準備、遂行に使用可能な時間数を見積もった後、直ちに部下に準備命令を発するべきである。部下に中隊の新たな任務を告げるほかに、準備命令は部下らに計画立案時系列線を与える。中隊長はまた部下が新たな任務に備えるのを介助すると考えるその他の訓令、情報をも伝える。これには敵に関する情報や上層階梯司令部の全体計画、隷下部隊が任務に準備するための具体的な訓令や事前予行任務が含まれる。最も重要なことは当初準備命令を発するにあたり一切時間を無駄にせぬことである。より情報が得られた時および場合には、中隊長は重ねて準備命令を発することができるし、そうすべきである。当初準備命令をあたう限り迅速に発令することで、中隊長は自身が作戦命令を作成し始めている間にも部下が各自の計画立案と準備を開始できるようにする(並行計画立案)。



2-10. 暫定計画を作成する(MAKE A TENTATIVE PLAN)

時間に制約のある状況では、中隊長が作成する可能行動(course of action)は概して一つのみである。しかしながら、時間が許容する場合、中隊長は比較するためあたう限り多くの可能行動を作成することもある。中隊長は部隊指揮手順(TLP)のこの段階を準備命令を発した後、或いは上層階梯司令部の三番目の準備命令を受領した後に開始する。中隊長は自身の可能行動作成を上層階梯司令部からの完全な作戦命令を待って開始する必要は無い。SBCT歩兵中隊長は画像、図像、関連情報を用いて自身の可能行動(COA)を伝えるにあたり戦術インターネットの利を生かさねばならない。

a. 可能行動作成(Course of Action Development)

可能行動作成の目的は直上階梯司令部の企図と整合して任務を達成する方法を一つかそれ以上見出すことにある。可能行動は自軍の犠牲を最小限度に抑えつつ、決定点にて敵に対して圧倒的な戦闘力をどのように部隊が発揮するのかの方法である。中隊長が作成する各可能行動は中隊長が全資産と戦闘力倍増素を用いて中隊の作戦必須任務と目的をいかに達成するかを明確に描き出すよう細部にまでわたらねばならない。可能行動を作成するには、中隊長は決定点にて中隊がとらねばならぬ行動に焦点をあて、開始点へ戻りつつ作っていく。時間が許すならば、幾つかの可能行動を作成すべきである。本式の可能行動は以下のようでなければならない。

適切性 成功裡に遂行された場合、可能行動は上層階梯指揮官の構想と企図に合致する任務を達成する。

実現性 可能行動を成功裡に達成するに足る技術、戦技、資源を部隊が有する。

受容性 可能行動は自軍の犠牲を最小限度に抑えている。

相違性 各可能行動は作成と検討に意義を与えるほどに顕著に相違を有さねばならない。

完全性 可能行動は誰、何、いつ、どこ、いかにの作戦要素をおさえ、かつ任務を開始点から完了点までの始終を記述していなければならない。

可能行動は任務の教義的側面にもふれてなければならない。例えば、防御中の敵に対する攻撃では、可能行動は目標に対する運動、展開、突撃、そして目標での陣地強化を扱っていなければならない。


(1) 相対戦闘力の分析。

この段階の目的は彼我の戦闘力を比較することである。彼我の兵器や部隊数を数的有利を得んがために単に算定し比較することのみではない。任務分析で行ったこれまでの全ての分析結果を用いて、中隊長は自部隊の戦闘力の長所と弱点を敵のそれと比較する。中隊長は自部隊(と敵)が機動、火力、防護、統率、情報の効果を特定の地、配置、組成において最大とする時点と方法を計算し捜し求める。簡単に言えば、中隊長はどこ、いつ、どのように自部隊の戦闘力(機動、火力、防護、統率、情報の効果)が敵の戦闘力を発揮する能力を圧倒するかを見定めようとする。これが起こる地点と時刻が、勿論決定点である。分析を体系的に行うのを助ける技法として相対戦闘力分析図表を用いるものがある(図2-12)。図表は中隊長が可能行動を作成するに当たって適用できる結果をもたらすのに助けとなる。戦闘力分析の結果はある特定の可能行動にとどまらず、中隊長が作成しえるあらゆる可能行動に適用できる。中隊長は想定戦闘力分析の完了後、(仮に既に定めていない場合)決定点を定めるようと試みる。中隊長は部隊の任務、地形、敵を検討し、部隊に付与された目的を達成するのに圧倒的な戦闘力を集中できる時刻あるいは空間を探ることで決定点を定める。中隊長は自部隊と敵の長所と弱点を理解していなければならない。相対戦闘力分析は、道具として、敵の弱点あるいは相対的弱点を利用すべく中隊長がいつ、どこで、どのように戦闘力を用いるかについてより良い理解へと導く。この過程は選択肢を作成するにあたり、決定点の候補、用いるべき戦術、戦技への道筋を示す。


図2-12 相対戦闘力分析図表 (#略)


(2) 選択肢の作成

中隊長はまず作戦につき教義による必要事項を定める。これには隷下部隊に付与すべき教義上の任務が含まれえる。例えば、突破は、突撃隊、支援隊、突破隊、おそらくは予備を必要とする。この教義による必要事項は指揮官が可能行動を作成する枠組みとなる。次に指揮官は決定点を見定める。部隊指揮手順のここまでで既に決していないのであれば、この段階から進むには決定点を定めねばならない。決定点を定めた後、指揮官は主力の目的および助勢の目的を詳らかにする。主力の目的は指揮官の部隊全体の目的に包摂されており、指揮官の決定点において達成される。助勢の目的は主力が成功する条件を整えることから主力の目的に包摂されている。ついで指揮官は主力と助勢の作戦必須戦術任務を決する。これらの任務は隷下部隊が付与された目的を達成するには完遂せねばならぬ任務である。


(3) 当初戦力の組成(Array Initial Forces)

中隊長はついで敵の戦力組成に対して各任務を遂行するに必要な兵器数(種類毎に)と火力支援を決しなければならない。中隊長は付与された任務を達成するに十分な戦闘力を有するよう確実を期さねばならない。中隊長は重要度の大なる順に、まず主力の成功に必要な資源を配分し、ついで助勢に必要な資源を配分する。

例 強化拠点攻撃の主力は足掛かりを確保するのに3個小銃分隊と1個工兵分隊が必要であろう。一方、火力支援隊には4個分隊とMGS(機動砲)1門が必要であろう。この組成は正確な相対戦闘力分析(第1段階)に依拠する。


(4) 機動構想(scheme of maneuver)の作成

機動構想はいかに可能行動が開始点から完了点または完了状態へと展開するかについての中隊長の構想を表したものである。用いえる地形を最も有効に利用し、かつ自部隊の長所を敵の弱点に対して用いる最も有効な手立てを中隊長は心の内で明確に描く。機動を支援する間接火力要請もこれには含める。中隊長はついで企図を伝達するに必要な機動統制手段(the maneuver control measures)を作成して、機動構想への理解を増進し、友軍相撃を防ぎ、主力および助勢の任務と目的を明確にする。中隊長はまた可能行動の戦闘支援および戦務支援面を決する。一つの技法としては機動構想を定型模式(SITEMP)にデジタル上で重ねるというものがある。統制手段が必要になったとき、中隊長は機動構想を機動オーバーレイに置く。これが部下へ配布する可能行動見取り図の基礎となる。


(5) 指揮統制系統(Assign Headquarters)
中隊長は隷下部隊を主力と助勢に配分(assign)する。指揮下の全部隊および配されている資産全てを投入するとともに各隊に適切な指揮統制を供するよう中隊長は確実を期す。中隊長は不必要に込み入った指揮統制系統を避けねばならない。


(6) 可能行動宣明と見取り図を用意する
中隊長は既に作成した機動構想に基づいて可能行動宣明を作成する。宣明は可能行動の開始から完了に至るまでの重要な行動全てに焦点を置く。中隊長が可能行動見取り図と宣明を準備する能力は使用可能な時間数と技術および中隊内の兵器に関する経験に依拠する。中隊長は、可能ならば常に、(可能行動を複数作成した場合は)各可能行動の見取り図を準備する。役立つ技法として、可能行動見取り図で各運動と任務を達成する所要時間を示し、可能行動が遂行されていく累積時間を把握するというものがある。可能行動宣明は決定点、その理由、機動の形態、或いは防御戦技、主力および助勢の任務と目的、必須戦場機能系の任務と目的、完了状態を示す。



b. 可能行動分析

可能行動を作成した後、指揮官はそれぞれの長所と欠点を見定め、戦闘経緯を視覚化し、同期化を高めるのに必要な条件もしくは要求を明確とし、任務の決定点における行動につき知見を得る分析する。指揮官が可能行動を複数作成した場合、作成した可能行動それぞれにつき同様に分析する。図上演習(war-gaming)または少なくとも一つ以上の敵可能行動に対して我が可能行動を”戦闘する(fighting)"することにより指揮官は分析を行う。


(1) 図上演習(War-Gaming) 
時間が許すならば、指揮官は自軍可能行動それぞれにつき敵の最もありえる可能行動に対して図上演習を行う。図上演習は、どれだけの時間を割くかによって、以下をもたらす。

火力支援、煙幕、工兵、対空、核生物化学戦を機動小隊(歩兵、対機甲、戦車)に統合し機動構想で明らかとなった部隊任務と目的を支援するよう統合するのに必要な発起事象、時間、空間の理解。

基本計画からのありえる分岐について知見を得ることで計画に柔軟性が組み込まれる。

統制手段(統制、柔軟性、同期化を可能ならしめるチェックポイント、連接点、目標標定点など)の必要性。

活動の斉一性と遂行を向上させ、隷下諸隊間での混乱を緩和するための調整指示(coordinating instruction)。

作戦命令第3、4、5段を仕上げるに必要な情報。

即時遂行任務(on-order mission)と準備任務(be-prepared mission)の評価。

戦務支援消費、自軍損害、その結果としての衛生要求の予想。


(2) 図上演習の技法。

使用可能時間数と個人の選好により、中隊長は以下の図上演習技法のいずれかを用いる。

(a) 箱技法(Box Technique) 箱技法では戦場の特定の地域に図上演習の焦点を置く。その地域は目標地域、交戦域、その他決定行動や重要行動が生起する重要地点である。これら行動に直接影響ある彼我の全部隊を含めること。この技法は時間が限定されており、敵情が比較的解明されている場合用いるのに良い。しかし、大きな短所としては重要点あるいは決定点における行動のみを検討するため、中隊長が部隊の任務に著しい影響を与ええる他の行動や事象を見過ごしえることである。

(b) 帯技法(Belt Technique) 帯技法では可能行動を事象あるいは帯に区分する。中隊長がこれを行うには幾つか方法がある。例えば段階線で区切る、或いは重要事象で区切るなどである。ついで各区分毎に連続して頭上演習を行う。この技法は攻勢可能行動に最も有効である。中隊長はこの技法を修正し、戦場を帯に分割することもある。この場合、各帯は隣接、重複している必要は無く、作戦域全体での重要行動に重点を置く。

(c) 経路縦深技法(Avenue-in-Depth Technique) この技法は防勢可能行動で最も有効である。とりわけ考慮すべき接近経路が複数あるときにより有効である。敵の最もありえる可能行動を用い、中隊長は一度に接近経路一つにつき彼我の行動を分析する。


(3) 図上演習の指針。

可能行動を図上演習した結果から恩恵を得るには、中隊長は客観性を保ち図上演習の結果を記録する。中隊長は暫定計画作成中にもうけた敵、自部隊、地形に関する前提を念頭に置かねばならない。中隊長は可能行動を正当化するために敵あるいは自部隊に”勝たせる”のを避けねばならない。くわえて、中隊長は図上演習が完了するまで、過早に図上演習の結論を出したり、可能行動に変更を加えることを避けねばならない。

c. 可能行動の比較と選定 複数の可能行動を作成した場合、中隊長は図上演習で示されたそれぞれの具体的長所、短所を比較せねばならない。長所短所は部隊の目的達成、地形の利用、敵の撃滅、その他、中隊長が重要と考える作戦に関するものである。中隊長は相対戦闘力分析図表で得たこれらの要素を検討枠組みとして用いて暫定的に最良の可能行動を選択する。中隊長は自身の判断、作戦の開始時刻、作戦域、機動構想、隷下部隊の任務と目的に基づいて、最終的に可能行動を選択する。

d. 指揮官必須情報要求(Commander's Critical Information Requirements、CCIR)は指揮官が視覚化し重大な決断をする、とりわけ適切な可能行動を決するのを支援するのに指揮官が必要とする情報を詳らかにし、選別するものである。指揮官必須情報要求は任務達成に何が関連するかを指揮官が見定めるのを助ける。技法の一つに、指揮官が望ましい設問、数字を伴う回答、および反応(行うべき重大決断)を書き記すというものがある。指揮官必須情報要求はまた部下の活動を集中させ、資源の配分を介助する。指揮官必須情報要求は絶対に必要なものに限るべきである。

(1) 優先情報要求(Priority Intelligence Requirements, PIR) 優先情報要求は指揮官が重大な決断をするために地形或いは敵に関して知る必要がある情報である。優先情報要求は肯定/否定で答えられる質問で提示される。

例 敵装輪車両は小河川をNU12345678で渡渉可能か。仮に是ならば、中隊は障害を強化しこの地点に対機甲伏撃を設ける。仮に否ならば、中隊は監視哨を設置し別経路に対機甲伏撃を設ける。

(2) 友軍情報要求(Friendly Forces Information Requirements, FFIR) 指揮官が重大な決断をするために自部隊或いは隣接部隊に関して知る必要がある情報である。

例 いつ機動砲(MGS)1両を喪失するかを知りたい。なぜならば支援隊の直射火力残余を迫撃砲火力の追加により補う必要が出てくるためである。



2-11. 運動の開始(INITIATE MOVEMENT)

中隊長は任務準備を継続する、或いは任務開始の態勢を部隊にとらせるために必要な運動を開始する。この段階は部隊指揮手順の始終を通していつでも行われうる。運動の開始には集結地域、戦闘陣地、新たな作戦域への運動や先導(guide)、営地隊(quartering party)が含まれる。



2-12. 偵察の遂行(CONDUCT RECONNAISSANCE)

速度と奇襲の原則を利するために、中隊長は個人偵察により得られる利点とFBCB2を通じて供される情報という戦闘力倍増素とを比較検討すべきである。中隊長はRSTA(偵察、捜索、目標捕捉)大隊やその他の情報収集源から供される空前の戦闘情報に基づいて作戦を計画する能力を得られることもある。しかしながら、時間が許すならば、中隊長は上層階梯司令部の情報を目視偵察で確認すべきである。中隊長の偵察は暫定計画を支援する優先情報要求を確認するのを目的とすべきである。これら優先情報要求はたいてい、敵(位置、とりわけ定型模式化された位置、戦力)や地形(根拠、例えば暫定火力支援陣地は実際に敵、使用可能な接近経路を制圧しえるか)に関する想定或いは重大な事実である。

a. 可能ならば、中隊長は隷下指揮官を偵察に伴うべきである。これにより隷下指揮官はあたう限りの地形と敵を見ることができる。偵察はまた隷下指揮官が作戦の視覚化につき知見を得ることを助ける。

b. 指揮官偵察には出撃線(the line of departure, LD)もしくはその先へ運動する、戦闘地域前縁(the forward edge of battle area, FEBA)から中隊作戦域或いは戦闘陣地を敵の接近経路の蓋然性がある筋に沿い歩いて戻ってくることも含まれる。可能ならば、中隊長は制高点(vantage point)を選んで一行に決定点を最も良く視界を与える。

c. 指揮官偵察に加えて、部隊はさらに偵察行動を遂行することがある。例として隷下諸隊による敵がどこに所在するか(所在しないかの)地域捜索、哨戒や更なる情報を獲得するための監視哨(observation post)設置がある。METT-TC要素分析に基づいて指揮官はジャベリンミサイル指令発射装置を(昼間および夜間)捜索手段として組み入れることもできる。

d. 偵察の性格、何を対象としどれだけ続けるかは戦術状況と使用可能時間に依拠する。中隊長は可能行動作成過程の成果を部隊の偵察活動における情報および警戒必要事項を詳らかにするのに用いるべきである。



2-13. 計画の完成(COMPLETE THE PLAN)

この段階では、中隊長は選択した(仕上げられた)可能行動を用いてそれを完全な作戦命令へと拡張する。中隊長はオーバーレイを準備し、間接射撃一覧表を仕上げ、戦務支援および指揮統制要求を完成させ、そして勿論、暫定計画を最新の偵察と情報に基づいて更新する。中隊長は説明の場やその他、作戦命令を直接、隷下指揮官に提示するに必要となろう資料を準備する。最後に中隊長は他部隊や参謀と調整してから部下に命令を発する。作戦命令の五段落書式は作戦の全要素、地形、敵、上層階梯および隣接友軍、部隊の任務、遂行、支援、指揮統制を完全に描くのを介助する。この書式はまた中隊長が作戦に関するあらゆる細部に触れるのを介助する。部下に開始から完了までの情報を円滑に伝えるのにも資する。



2-14. 作戦命令の発令(ISSUE THE OPORD)

作戦命令は精確かつ簡潔に企図と部隊がいかに任務を達成するか描いている構想を伝える。命令は不必要な情報を含まない。知っておくと良い情報は必要かつ重要な事項をぼやけさせ、また混乱と不確実の原因となる。

a. 作戦命令を発するときは、中隊長は部下が、何がなされねばならぬかおよびそれはいつどのようになされねばならぬのかについての彼の構想を理解し共有するよう確実を期す。部下は中隊の全諸隊が任務を達成するためどのように協働するかについて理解しなければならない。部下はまた中隊の任務がどのように直上の階梯指揮官の企図を支援するのかを理解せねばならない。中隊長が命令を発し終えたらば、隷下指揮官は中隊長が彼らの隊に何を求めているのかを明確に理解してから去るべきである。

b. 加えて、そして多くの点でもっと重要なことは、中隊長は部下が計画に自信と、計画を達成するために最善を尽くすという決意をもたせるような方法で命令を発せばならないことである。可能ならば常に、中隊長は命令を自身で、兵の眼を見て、隷下指揮官各自が任務と自隊が達成せねばならぬことを確実に理解するようにして発令しなければならない。

c. 命令を部隊&
FM3-21.11 第1章
出典 global security org
URL http://www.globalsecurity.org/military/library/policy/army/fm/3-21-11/c01.htm
原題 CHAPTER 1
OVERVIEW OF THE SBCT INFANTRY RIFLE COMPANY
筆者 米陸軍歩兵学校
日時 Page last modified: 27-04-2005 12:20:58 Zulu
他掲載媒体 米陸軍教範
発信地 ジョージア州フォートベニング
内容 全訳

歩兵には5種があるが歴史的に二つの"思想学派"に分かれている。すなわち軽と機械化である。両派ともに最も適した地形と任務においては極めて高い撃破能力を有する。機械化部隊は迅速な火力と機動を可とする地形において卓越し、軽部隊はより制約的な地形において卓越し、小部隊階梯において任務を完遂する。両思想学派ともに根本教義は同一である。しかしながら、戦術、戦技、能力、限界は軽歩兵と機械化歩兵で違いがある。ストライカー旅団戦闘団(SBCT)歩兵小銃中隊はSBCT大隊の一部として軽歩兵と機械化歩兵の間隙を埋める。SBCTは独立して作戦することが可能であり、かつ、軽部隊および機械化部隊を補完することも可能である。



Section I. 序(INTRODUCTION)

本教範は中隊階梯におけるSBCTの教義を記述する。SBCT歩兵小銃中隊は機械化教義および軽教義双方の長所を生かしかつ短所を最小限に留める。軽歩兵の気概はSBCT歩兵中隊の組織の基礎であるが、それが乗車戦闘の速度、機動力および精度と組み合わされる。それぞれの歩兵種の相互補完する特質を最も決定的な行動が生起するところにて統合することで成功がもたらされる。


1-1. SBCT歩兵小銃中隊の特質

射撃と機動の基本は不変であるから、SBCT歩兵小銃中隊の戦闘力は主として高度な訓練を受けた分隊および小隊に在る。小隊に固有の車両は歩兵を迅速に戦闘へと運動させるためにあり、兵の担う装備を"機動武器庫"構想により組み換えて戦術上の柔軟性を与える。また長射程精密火力で歩兵戦闘を支援する機動砲小隊(mobile gun system platoon, MGS platoon)も在る。MGSは戦闘車両であるがブラッドレーや戦車とは違うものであり、従来の意味での戦闘車両として運用されるべきでは無い。歩兵中隊にとって鍵となるのは柔軟性である。現在および予見される今後の世界情勢は迅速に展開可能(96時間以内)、撃破能力を有し、陸軍作戦の全様相にわたり柔軟に対処可能な戦力を必要としている、


1-2. 作戦上からの前提

SBCTは米陸軍が現在面している変化しつつある状況のいくつかの面に対応すべく開発された。旅団階梯ではSBCTが戦闘する方法には著しい変化が起きている。旅団階梯での変化は中隊階梯以下での戦術には大きな変化をもたらさないが、中隊、小隊、分隊が特定の任務を遂行する頻度には影響を与えている。


1-3. SBCT部隊の能力と限界

SBCT歩兵小銃中隊長は従来の歩兵部隊と比してのSBCT部隊の能力と限界の違いを理解しなければならない。SBCTは機械化部隊の戦術機動力の側面と、決定的な行動が生起する歩兵戦闘を重点とし充実している側面をあわせもっている。表1-1はSBCT歩兵小銃中隊の能力と限界を明らかにしたものである。


表1-1 SBCT歩兵小銃中隊の能力および限界

能力
複雑な環境下において固有編制で諸兵科連合突撃を遂行可能
戦略展開性
補給負荷が軽減
中隊あたり4個小隊、小隊あたり4個分隊により戦闘力が増加
歩兵の戦術機動力が増大
"機動武器庫"構想により戦闘へ様々な武器を携え運用
中隊固有の120mm迫撃砲および60mm迫撃砲
情報支配
非線形および連続環境にて定常的に作戦可能
撃破力および非致死性効果を調整する能力を固有で持つ
これまでより広大な作戦域を担任
72時間にわたり自立して作戦可能

限界
降車中は間接射撃に脆弱
援護監視能力が減退
主要戦域戦争においては増強する必要性が増大
前線部隊の持続力が減少
中隊補給体系が減勢
固有の整備班を欠く
第一入域戦力にあらず
核、生物、化学攻撃に脆弱

#表1-1 終わり


Section II. 編制(ORGANIZATION)

SBCTは中隊階梯にいたるまで諸兵科連合で戦闘する能力がある。これにより複雑な環境下において必要とされる戦闘力および柔軟性を作り出している。

1-4 旅団の編制

SBCTは歩兵を中核とする、全様相、早期入域戦闘部隊であり予め編制され戦闘即応可能な諸兵科連合パッケージである(図1-1)。編制には軍事情報、通信、工兵、対戦車、砲兵、戦務支援といった能力の部隊が組み込まれている。この編制によりSBCTは中隊階梯においても諸兵科連合を用いて戦闘可能である。以下は旅団長が形成作戦および決定作戦をより有効裡に行うにあたって枢要となる固有資産である。

図1-1 SBCTの編制

旅団本部および本部中隊
歩兵大隊×3
偵察、捜索および目標捕捉大隊
対戦車中隊
砲兵大隊
中工兵中隊
軍事情報中隊
通信中隊
旅団支援大隊

#図1-1 終わり


1-5. SBCT歩兵大隊の編制

SBCT歩兵大隊(図1-2)は3個小銃中隊と、本部及び本部中隊(HHC)からなる。HHCは大隊長および参謀を支援し、大隊の偵察小隊、迫撃砲小隊、衛生小隊、通信班、狙撃分隊を統制する。


図1-2. SBCT歩兵大隊の編制 (#略)


1-6. 中隊の編制

図1-3はSBCT歩兵小銃中隊の編制を示している。中隊本部班は固有および配された隊全てを指揮、統制、監督する。中隊本部は中隊長、副長、先任軍曹、中隊補給要員、核生物化学戦要員、中隊長と副長の歩兵輸送車乗員、中隊長付無線手からなる。以下の人員、装備が中隊本部に含まれる。

歩兵輸送車2両、各車に操縦手と車長1名づつ。指揮はそれぞれ中隊長と副長がとる。

トレーラー付ハンヴィー2両。先任軍曹が統制する。NBC(核生物化学)戦下士官と通信特技兵が操縦する。

トレーラー付トラック2両。補給軍曹が統制する。補給特技兵が操縦する。


図1-3 SBCT歩兵小銃中隊の編制 (#略)


1-7. SBCT歩兵小隊

図1-4はSBCT歩兵小銃小隊の編制を示している。小隊には以下の人員と装備がある。

小隊本部 小隊長、小隊軍曹、無線手、前線観測員、小隊衛生兵(配)

歩兵輸送車4両 各車に操縦手と車長1名づつ。小隊長と小隊軍曹は小隊が乗車している時はうち2両の車長を兼ねる。

対戦車装備(ジャベリン)を備えた9名分隊3個

7名武器分隊1個


SBCT歩兵小隊は士官1名、下士官兵卒44名からなり、三隊(element)に分かれる。小隊本部、乗車隊、歩兵分隊(3個+武器分隊1個)である。


図1-4. SBCT歩兵小銃小隊の編制 (#略)


a. 小銃小隊本部 小隊本部(図1-5)は小銃小隊長、小隊軍曹、前線観測員、無線手からなる。戦術状況下では小隊衛生兵も含む。小隊長は小隊の運用と小隊のあらゆる装備の責任を持つ。小隊軍曹は小隊で最も先任の下士官である。指揮順位は小隊長に次ぎ小隊長が歩兵分隊とともに降車中は乗車隊を率いる。小隊軍曹は小隊長を介助し助言し、小隊長が不在の間は小隊を率いる。小隊軍曹が降車隊、乗車隊のいずれに加わるかは任務、敵、地形、自軍、時、民間への配慮(METT-TC、mission, enemy, terrain, troops, time available, and civil considerations)に基づく。

図1-5. 小銃小隊本部 (#略)


b. 乗車隊(Mounted Element) 歩兵小銃小隊は歩兵輸送車4両を装備し、迅速、防護された戦術級および作戦級機動力を歩兵分隊に供し戦場の枢要点へ輸送する(図1-6)。歩兵輸送車は歩兵および諸兵科連合団のその他の隊と連携して運用可能な完全なる機動性を有する兵器である。歩兵輸送車各車は車長と操縦手の乗員2名で運用される。乗員は歩兵輸送車を操作、整備し、戦場において適切に運用して歩兵分隊を降車点へと防護して確実に輸送するという小隊にとって必須の支援をする。歩兵分隊が降車した後は、乗員は自衛武装を用いて"防護の度合いが軽度な"敵車両(トラックや軽装甲車両)や降車歩兵を撃破する。

(1) 車長は歩兵輸送車の運用全般の責任を負い、歩兵輸送車の防御武装を操作する。操縦手はあらゆる状況下、昼間、夜間において車両を操縦する。車長の指示により操縦手はあらゆる地形と障害を乗り越え歩兵分隊を戦場の投入点まで安全に輸送する。

(2) 既に述べたように、歩兵輸送車の自衛武装は"防護の度合いが軽度な"敵車両(トラックや軽装甲車両)および降車歩兵を撃破する能力がある。歩兵輸送車の乗員は自衛武装を用いて小隊の武器分隊が供する火力基盤を増強することもある。直射火力を増強することで歩兵分隊が敵に肉薄し撃破する機動の余地を与える。またこれらの火力により敵人員、掩蓋陣地、銃座に正確な制圧射撃を加え、敵歩兵を昼光、夜間、視界限定状況(煙、靄、霧)において撃滅する。

(3) 小隊の歩兵輸送車と歩兵は割り当てられた任務を遂行しつつ互いを防護する。歩兵輸送車が停車している時は歩兵が車両周囲の警戒にあたり、歩兵輸送車は迅速かつ防護された戦場機動力を与え、かつ降車歩兵突撃に火力基盤を増強する。

(4) 小隊が車上にある時、小隊長は小隊の歩兵輸送車各車の運動を統制する。小隊長が降車して突撃やその他の降車歩兵作戦を歩兵分隊とともに遂行している時は、通常、小隊軍曹が小隊の乗車隊の統制を引き継ぐ。小隊軍曹は乗車隊を歩兵分隊を支援し、かつ小隊長の指示によって機動する。例えば、分隊の機動を可能ならしめるため歩兵輸送車からの直射が必要な場合、小隊長は小隊の機動を可能ならしめるため小隊軍曹に乗車隊の射撃を指示させることを決心することがありえる。小隊軍曹はまた必要な場合は小隊の他とともに降車することもある。

(5) 小隊は一団となって戦う。武器分隊と可能な場合は歩兵輸送車および機動砲(MGS)の支援を受けて制約地形で機動する備えを小隊は持たねばならない。小隊が降車作戦を遂行する場合、小隊には9名小銃小隊3個と7名武器分隊1個がある。大きな利点は、武器分隊の支援が加わったことで、歩兵がもはや歩兵輸送車の直射支援射程内に留まる必要が無いことである。かくて、歩兵輸送車は援護監視、他の接近経路を封鎖、目標を孤立させるなど他の任務を遂行できる。


図1-6. 乗車隊


c. 歩兵分隊 歩兵小銃小隊には9名小銃分隊3個と7名武器分隊1個がある。これらの分隊はSBCT歩兵小銃小隊構想の中核である。

(1) 小銃分隊 3個小銃分隊(図1-7)はそれぞれ小銃分隊長1名と兵8名からなる。小銃分隊長は分隊で先任の戦術指揮官であり分隊の運動と射撃を統制する。小銃分隊長は分隊訓練を遂行し分隊が成功裡に戦術任務を遂行する能力を維持する。各小銃分隊はさらに4名射撃組2個に分かれる。射撃組は組長、擲弾手、自動火器手の3名、そして4人目は分隊対戦車特技兵か分隊指名射手のどちらかとなる。射撃組長は戦闘指揮官であり射撃組に範を示して率いる。装備武器はM4小銃である。射撃組長は射撃組の運動と敵兵に対する射撃を統制する。射撃組長は必要に応じて分隊長を介助する。


図1-7 小銃分隊


(a) 分隊対戦車特技兵 通常は小銃分隊の射撃組の小銃手をつとめるが、分隊対戦車特技兵はいかなる戦術環境においても重装甲目標を撃破可能である。分隊隊戦車特技兵はジャベリンミサイルを装備する。これにより、分隊、小隊、中隊に極めて高い撃破能力をもつ、撃ち放し、個人携行、上面攻撃対戦車能力を供する。これにより脅威となる主戦闘戦車(MBT)を昼間、夜間、悪天候状況にて最大2000mで撃破可能である。ジャベリンミサイルの指令発射装置は分隊の歩兵輸送車で輸送される。必要な場合、分隊対戦車特技兵は分隊および小隊の任務達成を阻む敵機甲脅威を撃滅する。ジャベリンの運用については補遺Aを見よ。

(b) 分隊指名射手 通常は小銃分隊の射撃組の小銃手をつとめるが、分隊指名射手はM24 7.62mm狙撃銃を装備している。分隊指名射手は分隊長の指示により、あるいは再編され他の分隊指名射手とともに小隊狙撃手班として運用される。分隊指名射手は高価値敵人員目標、例えば自動火器組、対戦車組、狙撃手を射程800m内にて撃破することが可能である。

(2) 武器分隊。7名武器分隊(図1-8)は分隊長1名と3名機関銃組2個からなる。武器分隊は小隊の小銃分隊の機動につき主要な火力基盤として高精度な短射程および長射程直射小火器火力を敵人員および装備に対し発揮する。2個機関銃組はそれぞれ機関銃手、機関銃手助手、弾薬携行手からなる。各機関銃組はM240B 7.62mm中機関銃を装備し、その有効射程は800mを超える。

図1-8. 武器分隊 (#略)


1-8. 機動砲小隊(MOBILE GUN SYSTEM PLATOON)

図1-9はMGS小隊の編制を示している。小隊はMGS3両を装備し、各車の乗員は車長、砲手、操縦手の3名である。小隊長と小隊軍曹はうち2両の車長を兼ねる。(本教範補遺BにてMGS小隊の運用と配慮事項を詳述している)

図1-9. MGS小隊の編制 (#略)


1-9. 狙撃組

SBCT歩兵中隊では狙撃手を3名組で運用する。狙撃組は狙撃手、観測手、組の警戒をする兵からなる(図1-10)。組の先任は観測手で、次位が狙撃手、最も後任が狙撃組の警戒を担う。狙撃組は中隊にあらゆる狙撃支援を供し、M24 7.62mm狙撃銃(800mまでの対人射撃能力)とXM107 12.7mm狙撃銃(800m以遠の対人および対物射撃能力)を装備する。"武器庫"構想により狙撃組は任務の範疇に最も適した狙撃銃を運用することが可能となっている。さらに、狙撃組の三人目の者はM203擲弾筒付小銃を装備しており狙撃手および観測手を防護、周囲警戒し、狙撃組が暴露したとき接敵から離脱する手段となる。狙撃組は機動支援をし、敵の重要な指揮官を殺害し、軽装甲あるいは"防護の度合いが軽度な"車両を行動不能にし、部隊防護を高め、都市作戦において撃破能力を有する正確な射撃を供し、対狙撃任務を遂行する。狙撃手の運用についてのさらなる記述は補遺Cを参照せよ。

図1-10 狙撃組の編制


1-10. SBCTの戦闘支援資産

中隊は固有の迫撃砲班と火力支援組を持つ。また中隊にはさらなる戦闘支援隊が任務編成されることもある。


a. 迫撃砲班 迫撃砲班は小銃中隊の主要な間接火力支援隊である。班は兵10名で迫撃砲組二つに編成される。各組は120mm迫撃砲1門搭載の特別な装備をした迫撃砲車を有する(図1-11)。迫撃砲車により迅速かつ柔軟な間接火力が可能となり中隊作戦を迅速な機動により支援する即応性も向上している。また、各迫撃砲組は60mm迫撃砲1門も装備しており、迫撃砲班はこれにより従来の軽歩兵任務(例えば侵透など)の必要に応じる徒歩軽量迫撃砲も供せる。門数は4門と2門という違いを除けば、大隊迫撃砲小隊が大隊長に供するのと同様の間接火力能力を中隊長に迫撃砲班は供する。迫撃砲は人員による携行が可能な特質を有しており、中隊長に柔軟かつ頑健な間接火力能力を供する。組の人員の制約から一度に運用できるのは1門のみ(60mmか120mm)である。

図1-11 迫撃砲班の編制 (#略)


b. 火力支援組 火力支援組(FIST, fire support team)(図1-12)は火力支援将校(FSO)、火力支援下士官、火力支援特技兵からなる。火力支援車を装備しこのストライカー装甲車の派生型は精密誘導砲弾や航空投下弾薬に対して戦闘レーザー照射能力を有する。火力支援組は戦術作戦中にあらゆる種の支援火力を計画、統合、調整、遂行するにあたり中隊長を介助する。火力支援組は中隊長にとって主たる火力支援調整担当者であり大隊間接火力支援体系への直接の連接を指揮官に供する。

図1-12 火力支援組 (#略)


c. その他の資産 その他中隊に任務編成される戦闘支援資産には次が含まれる

工兵資産 例えば工兵分隊、特別装備、或いはこれらの双方

スティンガー組 組のためにのみ割り当てられた車両に搭乗する。対空砲兵資産は師団直協対空大隊から必要に応じて配される。

SBCT大隊偵察分隊

SBCT大隊迫撃砲班(戦術作戦において)

センサー組(警戒作戦において) 例えば地上捜索レーダー、向上型遠隔監視戦場センサー装置(IREMBASS、the improved remotely monitored battlefield sensor system)などを用いるセンサー組など。

対諜報、民政、言語支援組(安定作戦や支援作戦において)

METT-TCを考慮してSBCTが供する無人飛翔体



1-11. SBCTの戦務支援資産

SBCTの戦務支援資産はSBCT大隊本部および本部中隊から配された中隊衛生組と衛生後送組からなる。

a. 中隊衛生組 中隊衛生組は大隊衛生小隊から配された中隊先任衛生兵1名と小隊衛生兵3名からなる。中隊衛生組は中隊が肉体面で戦術作戦を遂行しえるよう図る。中隊先任衛生兵は中隊長に兵の衛生態勢について助言し、指揮官が中隊および小隊衛生訓練を計画、遂行するのを介助し、小隊衛生兵3名を監督し、中隊の人員の健康と衛生状態を監督する。戦術作戦中は、中隊先任衛生兵は負傷者処置と後送活動を組織、調整する。

b. 衛生後送組 大隊衛生小隊からの衛生後送組(図1-13)は衛生後送車を装備し、通常はSBCT歩兵中隊を直協(DS、direct support)する。衛生後送組は先任外傷処置特技兵(車長兼ねる)1名、外傷処置特技兵(trauma specialist)1名、操縦手1名からなる。SBCT歩兵小銃中隊を直協しているときは、衛生後送組は中隊衛生要員を疾病にかかった、あるいは負傷、戦傷した中隊人員の処置と衛生後送で介助する。中隊を直協している間は、衛生後送組は中隊先任軍曹と中隊先任衛生兵の指示を受ける。必要な場合、衛生後送組は小隊や中隊負傷者収容点(company csualty collection point)から支援処置組あるいは大隊救護所(the battalion aid station、BAS)へ中隊の人員の衛生後送を行う。

図1-13 衛生後送組



Section III. 主な各員の義務および責任(DUTIES AND RESPONSIBILITIES OF KEY PERSONNEL)

本段ではSBCT歩兵中隊の主な各員の義務及び責任について述べる。


1-12. 中隊長

中隊長は中隊が為すこと、失敗したこと全てに責任を持つ。これには戦術運用、訓練、管理、人事管理、整備、中隊の維持が含まれる。中隊長は部下の能力および支援する兵器の能力とそれらの戦術上の運用方法を把握していなければならない。又、中隊長は敵の能力を知悉していなければならない。

a. 中隊長は隷下の指揮官を通じて指揮を行使する。

b. 中隊長は大隊およびストライカー旅団戦闘団の任務を完遂するのを支援すべく中隊を運用する。中隊長は必要な場合、大隊にさらなる支援を要請する。



1-13. 副長

副長は指揮では中隊長につぎ次席である。副長の主な役割はデジタル情報の管理、照合、処理の監督と任務計画と達成について中隊長を介助することである。副長は必要に応じて中隊の指揮を引き継ぎ、小隊からの戦術報告が大隊戦術作戦センター(TOC、tactical operations center)へ確実に回送されるにはからう。副長は中隊長および大隊との通信を維持できる地点に占位する。

a. 副長は中隊におけるデジタル情報流通の主だった管理者である。

b. 戦闘前に、副長は(先任軍曹とともに)、中隊の戦務支援を計画、監督する。副長と先任軍曹は戦闘前査閲を着実に全うするはからう。副長は補給支援を計画し中隊外の諸機関と調整し、先任軍曹はこれを中隊内において行う。副長は中隊作戦命令の第4段を準備、あるいは介助する。副長はまた任務計画にあたり中隊長を介助することもある。

c. 副長は上階梯、隣接、支援部隊と調整する。戦闘における特定の大段階である、例えば前線超越、間隙での架橋、障害突破などにおいて副長は統制を介助したり、運動中には中隊に配された小隊の統制を引き継ぐこともある。

d. 副長は以下のような戦術責任を割り当てられることがある

(1) 着陸帯あるいは収容帯統制将校 これには落伍統制、負傷者後送、補給活動、空/地連絡が含まれうる。

(2) 補給隊、あるいは補給分遣隊担当将校 副長は様々な中隊諸隊の代表からなる隊の担当将校となることがある。その目的は、中隊に先んじて集結地域を偵察、確保、標示すること、或いは中隊から残置され中隊が新たな位置へ運動する、或いは戦闘作戦を遂行中に余剰装備と人員を運動させる、或いはその安全を確保することにある。

(3) 諸隊指揮官 副長は任務を付与されそれを達成する任務編成を授かることがある。例えば、副長が中隊の全機関銃、迫撃砲班、1個小銃小隊を支援部隊指揮官として中隊強襲あるいは攻撃において統制することがありえる。この種で一般的な任務には以下が含まれる。

予備を率いる

撤退時に残置接敵分遣隊(DLIC、detachment left in contact)を率いる

中隊への一時配属を統制する

運動統制将校を務める



1-14. 先任軍曹

先任軍曹は最も先任の下士官で通常は中隊で最も経験を積んだ兵士である。先任軍曹は中隊長の主だった戦術顧問であり個人および下士官術の専門家である。先任軍曹は部隊の任務を支援するあらゆる活動につき指揮官の計画、調整、監督を介助する。先任軍曹は指揮官が指示した所で、あるいは彼の任務が求める所で活動する。先任軍曹の具体的な義務には以下が含まれる。

a. 先任軍曹は定常活動を遂行、監督する。これには戦術標準作戦手順の遵守監督、訓練の計画と調整、人事および管理活動の計画と調整、補給ならびに整備ならびに通信および、野外衛生および衛生後送活動の監督が含まれる。

b. 先任軍曹は指揮官に指定された事項を監督(supervise)、査閲(inspect)、観閲(observe)する。(例えば、中隊のある区域、区帯を監督(observe)し報告する、迫撃砲班を査閲する、射界速見票(range card)を査閲する)

c. 先任軍曹は副長と調整、介助して副長の任務を引き継ぐ備えを持つ。

d. 先任軍曹は必要に応じて、指定された任務につき任務編成された隊あるいは隷下隊を率いる。



1-15. 小隊長

小隊長は指揮官に対して小隊と小隊の戦闘での成功につき、統率、規律、訓練、維持活動の責任を負う。小隊長はまた小隊の装備の整備と管理について責任を負う。

a. 小隊は中隊の他と協調しての小隊および小隊各隊(乗車隊であれ降車隊であれ)の戦術運用に熟達していなければならない。

b. 小隊長は部隊統率手順に確固たる理解をもたねばならず、またそれを迅速かつ有効に用いる能力を培わねばならない。

c. 小隊長は小隊の各員と装備の能力と限界を把握し、かつ敵の編制、教義、装備に通暁していなければならない。

d. 小隊長は指揮官の企図と戦術状況の特質にもとづいて正確に迅速な決断を下す能力を有さねばならない。



1-16. 小隊軍曹

小隊軍曹は小隊の指揮では小隊長につぐ次席であり、小隊長に対して小隊の兵の統率、規律、訓練、福利の責任を担う。


a. 小隊軍曹は小隊の整備と補給要求を調整し兵各個の個人的問題(personal needs)に対処する。

b. 小隊軍曹は小隊が降車したときは乗車隊に留まるが、METT-TCを考慮して小隊とともに降車することもありえる。



1-17. 火力支援将校

火力支援将校は中隊の火力支援の計画、調整、遂行を介助する。計画においては火力支援将校は中隊長の構想と指導に基づいて火力支援計画を作成する。火力支援将校は大隊火力支援将校と火力支援計画を調整する。

a. 計画における火力支援将校の任務には以下が含まれる

指揮官に目下使用可能なあらゆる火力支援資産の能力および状況について助言する

指揮官が火力を完全に構想に取り込んで作戦命令を作成するよう介助する

目標および火力統制手段を指示し、交戦方法と目標射撃責任を決定する

火力計画の遂行と統制に必要とされる作業(task)と指示(instruction)を決定する


b. 火力支援将校は中隊作戦命令の一環として火力支援計画を説明し小隊長が火力支援責任を確実に理解するよう調整する。

c. 火力支援将校は小隊目標を中隊目標オーバーレイ(the company target overlay)および目標作業シート(target worksheet)に統合する。ついで火力支援将校はこれらの作成物を大隊火力支援隊(the battalion fire support element, FSE)に送る。

d. 戦闘中は、火力支援将校は通常、指揮官の近傍に占位する。これにより火力支援計画を遂行、調整するにあたり最大の柔軟性が得られる。時には、火力支援将校はより効果的に火力支援統制を行うため指揮官から離れて占位することもある。火力支援将校は指揮官に無線網を通じて重要な情報を伝える。

e. 火力支援将校は歩兵戦術を把握していなければならない。この知識により火力支援将校はよりよく火力統合を行え、かつ中隊長が負傷した場合には副長が指揮を引き継ぐまでの間、中隊の統制を暫定的に担える。

f. 火力支援将校は近接航空支援を調整し、あるいは中隊迫撃砲班を運用、統制することがある。

g. 火力支援将校は中隊事前予行の一環に間接火力計画が確実に加わるようにはからう。



1-18. 通信特技兵(COMMUNICATIONS SPECIALIST)

通信特技兵はデジタル通信装置、中隊固有の有線、FM通信の運用、整備、取り付けを監督する。これには定期通信の送受と必須の通信検査を行うことが含まれる。

a. 通信特技兵は中隊指揮所(the company command post、CP)を監督する。これには情報伝達、戦術状況監視、指揮所警備計画と無線聴取担当時間割、そして指揮官と隷下部隊に重大事象についての通知が含まれる。

b. 通信特技兵は中隊固有の通信装備について限定的ながら故障検査をし、中隊と大隊の通信装置整備の橋渡しをつとめる。

c. 通信特技兵は通信保全装置(communications security (COMSEC) equipment) をあらゆる点で監督し、これには通信保全装置および関連機材の要求、受領、整備、保全、運用、訓練が含まれる。

d. 通信特技兵は中隊長に通信体系の計画と運用に関し助言する。指揮官の指導にもとづいて、通信特技兵は作戦命令第5段の作成を準備、介助する。

e. 通信特技兵は新たな情報システムデジタル装置の配備と戦術インターネット(the tactical internet、TI)の運用の責任を負う。


1-19. 無線手(RADIOTELEPHONE OPERATOR)

無線手は付与された無線の運用と整備を行う。これには特殊な作戦(寒冷地、空中強襲、水上挺身)と現地組立アンテナ(field-expedient antenna)の建設が含まれる。

a. 無線手は中隊の任務を把握していなければならない。指揮官が負傷したとき、無線手だけが無線網にいる者ということがありえる。その場合にそなえ、無線手は砲撃要請および修正や、衛生後送や補給要請を行える構えがなければならない。

b. 無線手はオーバーレイを転写し砂盤を作成して作戦命令の準備を介助する。



1-20. 補給軍曹(SUPPLY SERGEANT)

補給軍曹は中隊の補給と装備を要求、受領、支給、保管、整備、返納する。補給軍曹は先任軍曹およい大隊S-4参謀と要求を調整する。

a. 本部及び本部中隊長は補給軍曹が大隊野外段列に占位するときはこれを監督する。補給軍曹は大隊管理/補給無線網或いはフォース21旅団階梯以下戦闘指揮網(Force XXI battle command brigade and below, FBCB2 net)を用いて中隊と通信する。

b. 補給軍曹は中隊固有の補給トラックを統制する。

c. 補給軍曹は戦術状況を監視し補給要求を予期する。(第11章にて戦務支援要求についてさらに詳述している)



1-21. 核化学生物戦担当下士官(NUCLEAR, CHEMICAL, AND BIOLOGICAL NCO)

核化学生物戦担当下士官は中隊長の核生物化学作戦計画を介助し助言する。核化学生物戦担当下士官は中隊でのNBC戦訓練(除染、監視、探知、装備整備活動)を監督し探知防護装備が使用に堪えるかを査閲する。

a. NBC戦担当下士官は迅速に状況認識をえるためデジタル装置を用いる。

b. NBC戦担当下士官は中隊指揮所とともに前線で活動し中隊指揮所活動と警備について通信特技兵を介助する。

c. NBC戦担当下士官の具体的な任務には以下が含まれる。


指揮官に(大隊NBC戦担当下士官の指導と目下の状況に基づいて)NBC戦態勢(mission-oriented protective posture, MOPP)のレベルを勧奨する。

NBC戦脆弱分析を常に行う

統合警報報告網(the joint warning and reporting network、JWARN)への接続を確保する

支援を受ける化学部隊との連絡をつとめる

NBC警報報告装置、NBC1、NBC4、FBCB2装置による状況報告を用いて手動およびデジタルによりNBC攻撃データを報告、分析、配布する。

除染および監視/探知活動を計画、監督する。

NBC戦装備および補給を要求する。



1-22. 迫撃砲班長

迫撃砲班長は迫撃砲班の運用に責任を負い、中隊に対して有効な迫撃砲支援が確実に行われるようはからう。

a. 迫撃砲班長は迫撃砲班の運用の計画にあたり中隊長を介助する。

b. 迫撃砲班長は中隊火力支援将校および火力支援組と調整する。

c. 迫撃砲班長は戦術作戦中、班を統制する。

d. 迫撃砲班長は迫撃砲の主たる教官である。



1-23. 狙撃組長

狙撃組長は狙撃組の運用の責任を負い、中隊に対して有効な狙撃支援が確実に行われるようはからう。

a. 狙撃組長は狙撃組の運用の計画にあたり中隊長を介助する。

b. 狙撃組長は中隊火力支援将校および火力支援組と調整する。

c. 狙撃組長は戦術作戦中、組を統制する。

d. 狙撃組長は狙撃組の主たる教官である。

e. 狙撃組長は狙撃組の主たる観測手である。



1-24. 武器修繕兵(ARMORER)/補給特技兵(SUPPLY SPECIALIST)

武器修繕兵/補給特技兵は編制内で中隊の小火器の整備および修繕を行う。武器修繕兵/補給特技兵は必要な場合、武器を直接支援整備部隊へ後送する。通常、武器修繕兵/補給特技兵は補給軍曹を旅団支援地域で介助するが、中隊指揮所にて中隊指揮所活動の持続を支援するため前線で活動することもある。


1-25. 中隊衛生兵(COMPANY MEDIC)

先任外傷処置特技兵/中隊先任衛生兵は小銃中隊に配されて疾病、負傷した中隊人員に緊急衛生処置(emergency medical treatment, EMT)を施す。外傷処置特技兵が行う緊急衛生処置には気道確保、輸液、出血抑制、ショック症状予防および対処、骨折あるいはその疑いがある場合の添え木、鎮痛が含まれうる。外傷処置特技兵が行う緊急衛生処置は大隊軍医(the battalion surgeon)あるいは医療助手(physician's assistant, PA)の監督下におかれる。先任外傷処置特技兵/中隊衛生兵は以下の責任を負う。

必要に応じて小隊衛生兵を監督(oversee)し指導する

中隊負傷者収容点に到着した敵味方の負傷者、疾病者を処置優先順位に従い三分法にもとづき区分する(triage)。

中隊の疾病点呼(sick call)で審査(screening)を監督する。

疾病、負傷者の後送を中隊先任軍曹の指示下で要請、調整する。

中隊人員につき救命処置、戦闘救命員(combat lifesaver)につき上級救命手順の訓練を介助する。

中隊の第Ⅷ類補給物資を旅団支援地域へ戦術標準手順に従い要請する。

中隊負傷者収容点の位置を勧奨する。

中隊の戦闘救命員を必要に応じて指導する。

戦術状況を監視し衛生役務支援要求及び第Ⅷ類補給物資を必要に応じ予期、調整する。

中隊長および中隊先任軍曹に大量負傷時の活動(mass casulaty operations)について助言する。

負傷者の状態について中隊先任軍曹(the 1SG)に対して常に知らせ、さらなる衛生役務支援要求(HSS)を中隊先任軍曹と調整する。



Section IV. 戦場における機能系(BATTLEFIELD OPERATING SYSTEMS)

戦場における機能系(BOSs)は各個とした区分において準備および遂行を検討する枠組みを与える。この検討で重要なのは各機能系内の活動のみでなく、各機能系にわたる活動の同期化と調整である。



1-26. 指揮統制(COMMAND AND CONTROL)

指揮統制過程(the command and control process)は中隊を運用する上で指揮官の基本的な手立てである。指揮統制過程は指揮官が中隊の機能と行動を計画、指示、調整、統制にあたり用いる活動と手順からなる。また、指揮統制過程には指揮官を指揮統制につき介助する人員、装備が含まれる。

a. 指揮官は中隊をSBCT大隊から受領した命令と指導に従い運用する。中隊長にとって最も重要な技術は状況を正確に分析し最小限の人命および装備損失により任務を完遂する可能性を最大とする計画を作成することである。計画作成後、指揮官は部下に権限を委譲し、明確に責任、任務、目的を付与し、部隊の全員が有効に対応性ある主導を発揮できるよう企図を提示する。

b. 指揮官の指揮統制能力に重要なのはデジタル通信の運用である。戦術インターネット、これはFBCB2装置の一部である、位置標定報告装置(enhanced position and location reporting system、EPLRS)、単一周波数帯航空地上無線装置(single-channel ground and airborne radio system、SINCGARS)は中隊諸隊間でデータを伝達する。このデジタル情報通信により図表、命令、敵味方戦術級情報が分隊階梯へと配布される。



1-27. 情報(INTELLIGENCE)

情報機能系は敵、地形、その他自軍の作戦に影響を与える戦闘空間の諸側面を理解する諸活動を包括する。中隊の主要任務は戦闘であるが、いかなる作戦でも先立ってなんらかの偵察あるいは捜索を遂行し、かつあらゆる作戦の遂行中においても偵察を遂行する。作戦開始前および作戦中において、中隊は情報および戦闘情報を親部隊本部、他の中隊、中隊内の諸隊から受け取る。同時に、中隊は作戦の始終を通じて戦闘情報に不可欠の源である。



1-28. 機動(MANEUVER)

機動は戦場における部隊運用である。射撃(あるいは射撃を行いうる能力)と運動の結合を用いて敵に対して有利な地点へと到達し、必要に応じて状況を打開し、敵に肉薄し撃滅することを含む。METT-TCの要素に基づいて、中隊長は隷下小隊(乗車であれ降車であれ)および支援部隊を地の利を得るため機動する。理想的には、接敵がありえる場合、指揮官は中隊を躍進援護監視(bouding overwatch)を用いて運動させる。ひとたび接敵すれば、指揮官は機動へと切り替え、必要に応じて接敵行動を遂行する。指揮官は静止している友軍部隊からの直射および間接射撃を用いて、運動中の隊が敵に迫る間防護する。指揮官はまた確実に側面防護がなされるようはからう。側翼防護は機動の成功に不可欠の要素である。



1-29. 火力支援(FIRE SUPPORT)

中隊は火力支援を大隊戦闘の火力支援に組み入れる。大隊火力支援計画は各中隊に付与される任務についき、意図している戦術目的を明らかにする。例えば、目標に射撃し、敵部隊を特定の経路から逸脱させると計画で述べているとする。中隊長は各目標への射撃発起事象を指定し、又主要観測員および呼び観測員に必要に応じて火力修正を要求するよう指示する。指揮官はその後、確実に隊(team)が有効裡に目標を処理するはからうばかりでなく、意図されている目標が達成されるようにする最終的な責任を負う(この場合では、敵を当初の経路から逸脱させることである)



1-30. 対空防御(AIR DEFENSE)

中隊は受動あるいは積極対空防御手段、或いはその組み合わせを講じて、敵航空機を回避、航空攻撃の効果を減退させ、或いは攻撃してくる航空機を撃破する。受動対空防御は偽装、潜伏陣地、経路選択、その他同様の手段を用いて探知去れるのを回避するのを狙いとする。積極対空防御は固有の諸隊、中隊固有の火力の運用、対空資産の運用、これらの組み合わせにより対空行動(air defense drill)を実施することを含みうる。



1-31. 機動力確保および生残性確保(MOBILITY AND SURVIVABILITY)

機動力確保と生残性確保は自軍の機動の自由を保持、敵の機動の自由を攻撃、自軍を敵武器と環境の効果から防護する。全部隊はその種に関わらず、基礎的な機動力確保および生残性確保任務を遂行する。

a. 計画時系列が短縮されることが予期されることから、SBCT各中隊はSBCT(ストライカー旅団戦闘団)と歩兵大隊に機動力確保および生残性確保の攻勢作戦への組み込みについては大きく依存する。SBCTに固有の工兵中隊は隷下諸部隊および機材を特定の機動力確保および生残性確保任務を達成するため歩兵大隊や中隊へと任務編成する。(SBCT工兵中隊の編制、能力、限界については第11章のさらなる記述を参照せよ) SBCTの成功には極めて大なる機動力が必須であるから、工兵は通常、可能な限り最も下の階梯へと任務編成され、分散化した攻勢作戦中における即応性ある機動力確保力を最適化する。

b. 任務によるが、典型的にはSBCT歩兵大隊は任務編成された工兵小隊を受け取る。ついで、歩兵中隊は任務編成された工兵分隊あるいは組を受け取る。工兵は乗車機動および降車機動の双方のため障害除去作業を行い、都市環境を含むあらゆる地形において既存の或いは強化された障害の効果に対抗する。工兵の能力には人力(manual)、爆破(explosive)、機械力(mechanical)による突破手段が含まれる。

c. 工兵は限定的な対機動力(countermobility)能力を運用して(散布地雷や子弾)、敵の機動を制限し、自軍を防護かつ保全し、位置の有利を獲得、再獲得、確実とする。工兵はまた例えば、個人あるいは車両戦闘陣地構築、防護陣地準備、要塞構築など限定的な生残性確保作業を行い、部隊防護を向上させる。

d. 工兵資産は戦闘機動力小隊(combat mobility platoon)と機動力支援班(mobility support section)に編成されることがある。

(1) 戦闘機動力小隊 戦闘機動力小隊は通常、SBCT歩兵大隊を支援する。攻勢作戦中は、歩兵中隊は状況、任務、機動企図、明らかとなっている機動力確保任務に応じて戦闘機動力小隊の一部または全てを受け取ることがある。工兵は、乗車機動力確保活動のため分隊階梯より下に任務編成されることは通常無い。小隊あるいは分隊が機動力支援班あるいはSBCT工兵中隊の機動力支援小隊の特定の機動力支援装備に任務編成されることはありえる。

(2) 機動力支援班 機動力支援班は湿乾双方の間隙での突撃短径架橋、ある程度の排土、障害除去能力を供する。機動力支援班或いは班の車両は戦闘機動力小隊や分隊に任務編成されることがある。



1-32. 戦務支援(COMBAT SERVICE SUPPORT)

戦務支援は5つの機能分野に分かれる。補給、輸送、整備、野外役務、人員役務である。中隊には固有の補給班があり、通常、衛生組と後送組が配される。SBCT大隊はその他の戦務支援を歩兵中隊に供する。戦務支援は第11章にてさらに記述する。
FM3-21.11 APPENDIX B
出典 global security org
URL http://www.globalsecurity.org/military/library/policy/army/fm/3-21-11/appb.htm
原題 FM3-21.11 THE SBCT INFANTRY RIFLE COMPANY
APPENDIX B THE MGS PLATOON
著者 米陸軍歩兵学校(ジョージア州フォートベニング)
日時 Page last modified: 27-04-2005 12:20:51 Zulu 更新
他掲載媒体 米陸軍教範
発信地 不明

機動砲小隊(mbile gun system platoon, MGS platoon)の基本任務は機動、精密直射支援(mounted, precision direct fire support)をSBCT歩兵中隊に供することである。運動、射撃、通信を限定的な装甲防護を纏い行う能力は現代の戦場において重要な要素である。MGS小隊は中隊の作戦を支援して運動、攻撃、防御、その他必須となる任務を行う。割り当てられた任務を完遂するにあたっては、MGS小隊は他の機動戦力および戦闘支援および戦務支援資産と調整して火力、機動、衝撃効果を用いる。適切に支援を受ければ、MGS小隊はいかなる優れた脅威に対しても作戦を持続して遂行することが可能である。



Section I. 編制(ORGANIZATION)

MGS小隊はSBCT歩兵小銃中隊の降車した歩兵小銃小隊に機動、精密直射支援を供すべく組織されている。本段ではMGS小隊の編制と小隊各員の職掌を扱う。


B-1. 小隊の編制(PLATOON ORGANIZATION)

B-1図はMGS小隊の編制を表している。小隊にはMGS3両があり、各MGSの乗員は3名(車長、砲手、操縦手)である。小隊長および小隊軍曹はそれぞれ一両ずつMGSの車長を兼ねる。


B-1図. MGS小隊の編制


B-2. 職掌および責任(RESPONSIBILITIES)

以下の段落ではMGS小隊各員の職掌および責任を扱う。


a. 小隊長 MGS小隊長はSBCT歩兵中隊長に対して小隊の規律と訓練、装備の整備、戦闘時の成功について責任を負う。小隊長は自車および小隊の戦術運用に熟達せねばならない。小隊長は部隊指揮手順について確固たる理解を有し、戦場において迅速かつ有効裡にそれを用いる能力を磨かねばならない。

(1) 小隊長はMGS小隊の各員と装備の能力および限界を把握し敵の組織、教義、装備に通暁せねばならない。小隊長は車長としても有用であらねばならない。最も重要なことは、小隊長は中隊長の企図と戦術状況に基づいて判断を下すにあたり、柔軟性と適切な判断力を持たねばならない。

(2) 小隊長はSBCT歩兵大隊の任務と大隊長の企図の双方を把握し理解せねばならない。小隊長は指揮継承順位に基づきSBCT歩兵中隊長の任務を引き継ぐことに備えておかねばならない。

b. 小隊軍曹 小隊軍曹は指揮上は小隊長に次ぎ、小隊長に対して小隊の兵の訓練、規律、福利の責めを負う。小隊軍曹は小隊の整備および補給要求を調整し各兵の個人的な必要事を解決する。小隊軍曹は小隊の車長中で最も経験を有する者である。小隊軍曹の戦術および戦技知識は乗員、他の下士官、小隊長の師としての役目を果たすことを可能とする。小隊軍曹の戦場における行動は小隊長の行動を補うものでなければならない。小隊軍曹は小隊と協調してあるいは単車で有効裡に戦闘できねばならない。

c. 車長 車長は小隊長および小隊軍曹に対して自車乗員の規律と訓練、割り当てられた装備の整備、補給要求の報告、自らのMGSの戦術運用に関する責めを負う。車長は乗員に説明し、MGSの運動を指示し、あらゆる報告を発し、負傷した乗員の救急治療と後送を監督する。車長はMGSの武装について熟達し、間接射撃を要請、修正し、地上航法を行う。車長は個人として車両の周囲防御武器の照準と射撃を担う。車長は中隊の任務と中隊長の企図を把握し理解せねばならない。車長は指揮の継承順位に基づいて小隊長および小隊軍曹の任務と責任を引き継ぐ備えをしておかねばならない。これらの必要から車長は敵および自軍の状況を用いられるあらゆる光学観測装置、無線伝送聴取、FBCB2により常に認識せねばならない。

d. 砲手 砲手は目標を捜索し主砲の照準と射撃を行う。 砲手は車長に対してMGSの武装と射撃管制装置の整備の責めを負う。砲手は車長の助手をつとめ、必要に応じて車長の職掌を受け継ぐ。砲手はまた、他の乗員を必要に応じて助ける。砲手のその他の任務にはMGSの通信、および車内統制装置の整備、通信網の聴取、車両の射撃管制装置の監視と維持がある。

e. 操縦手 操縦手はMGSを運動、占位、停車する。操縦中は、交戦に入った場合にMGSを入れられる隠蔽位置と隠掩蔽経路を常に探す。操縦手は戦術隊形内において車両位置を保ち視覚信号を注視する。交戦中には、砲手と車長を助けて目標を探知し、飛翔する砲弾を感知する。操縦手は車長に対して車両の整備およびMGSの給油の責めを負う。操縦手は必要に応じて他の乗員を助ける。



Section II. 能力及び限界(CAPABILITIES AND LIMITATIONS)

戦闘に勝利するには、指揮官は装備の能力および限界を明確に理解せねばならない。この知識はMGS小隊長が自車および小隊がその一部として運用されるSBCT歩兵中隊の輸送性、持続性、機動性を評価、考慮する上で役立つ。


B-3. 能力(CAPABILITIES)

MGSは現代の戦場において数々の素晴らしい能力を有する。不整地機動力、一級の通信力、向上した目標捕捉力、撃破可能な火力、限定的ながらの装甲防護力である。これらが組み合わさって、大抵の天候および光量条件においてSBCT歩兵中隊を有効裡にMGS小隊が支援することを可能とする戦闘力となる。

a. MGSは軟地、浅溝、潅木、多少の障害を克服して様々な地形を迅速に運動できる。加えて、GPSによりMGSは指定地点へ素早くかつ正確に運動できる。視覚信号やFM無線を用いることで迅速かつ安全に有声およびデジタル通信で命令および指示を通達できる。この能力とFBCB2があいまって、敵の対機甲兵器の効力を限定すべく分散したままでMGS各車が迅速に攻撃力を集中して発揮することを可能とする。

b. 車載視界照準装置によりMGSは主砲を用いて要塞構築物を破壊、建造物壁体に穿孔し、敵陣地、兵、軽装甲目標を自車防御武器により制圧することが可能となる。MGSはまた敵装甲車両を捕捉、撃破する能力が多少ある。MGSの装甲は乗員を、小火器射撃、軽対機甲兵器、大体の砲撃から守る。


B-4. 限界(LIMITATIONS)

MGSは適切な整備水準と燃料及び油脂類の補給を保つには熟練した操作手と整備兵を必要とする。車両は戦車やその他の重攻撃車両(heavy assault vehicles)、攻撃ヘリ、地雷、対戦車誘導弾、対戦車砲、近接攻撃機(close attack aircraft)の武装には脆弱である。建造物密集域、繁茂した森林、その他の制約地形においてMGSが活動する場合は、視野が減じるため肩撃ち対機甲兵器を用いる降車歩兵に対して脆弱となる。このような状況では、MGSの行動は大抵、小道、道路、通りにのみ限定され、機動力および視界は著しい制約を受ける。既にあるあるいは強化された障害もまたMGSの運動を妨げる。

a. MGSには多少の機甲撃破能力があるが、戦車として扱ってはならない。MGSに込められた意図は敵歩兵に肉薄し撃破することが主である。

b. 都市環境における機動の制約は小隊が纏まって戦闘することを不可能にすることがある。小隊は単車毎に(歩兵小隊に配されて)戦闘することを求められ、僚車ともども相互支援を頼みとできないこととなる。


Section III. 攻勢作戦(OFFENSIVE OPERATIONS)

MGS小隊はSBCT歩兵中隊の固有の一部である。小隊は中隊を支援して戦術運動、接敵行動、編合、再編を行う。MGS小隊は中隊長の企図、戦術状況、交戦規則により必要とされる多々の任務を遂行できる。とりわけ、MGS小隊はSBCT歩兵中隊の攻勢の一環で次の任務を遂行可能である。

火力攻撃(Attack by fire)

援護監視/火力支援(Overwatch/support by fire)

迂回(Bypass)


B-5. 火力攻撃(ATTACK BY FIRE)

中隊長はMGS小隊に緊要地形あるいは主砲により離隔を生かして長射程、精密直射により敵を撃破すべく火力攻撃を行うよう命じることがある。MGS小隊は劣る敵に対して独自に火力攻撃を行うことも可能である。加えて、小隊は優る敵を撃破することを目標として中隊突撃の一環で火力攻撃を行うこともある。

a. 火力攻撃を遂行するに当たって、MGS小隊は武装を離隔して用いることができる、或いは車体掩蔽射撃を可能とする掩蔽がえられる地点へ戦術運動する。また敵の直射および間接射撃の威力から防護するため代替射撃位置へと運動する備えをしておかねばならない。

b. 時間が許容する場合は、MGS小隊長は目標標定点を指定、各車に射界を配分、暫定射撃位置を配分して応急直射計画を作成する。小隊長は小隊に射撃方法、射撃型式、中隊を支援するのに持続せねばならぬ射撃速度について小隊射撃命令を下達する。


B-6. 援護監視/火力支援(OVERWATCH/SUPPORT BY FIRE)

SBCT歩兵中隊長はMGS小隊に遊軍の運動中に援護監視あるいは火力支援を供するよう命じる。MGS小隊は緊要地形あるいは主砲による離隔を用いて敵を長射程、精密直射により制圧しなければならない。この支援により(乗車あるいは降車)で遊軍部隊が敵と交戦し撃破することを可能とする条件を整える。援護監視/火力支援位置の占位と火力の集中および統制に関する戦技については火力攻撃のと同様である。しかしながら特に考慮すべき事項としては、

a. 既に述べたように、援護監視あるいは火力支援任務は他の友軍部隊の運動や戦術行動と常に直接結び付いている。

b. 援護監視あるいは火力支援を行うにあたっては、小隊は常に支援を受ける部隊をよく認識し、友軍相撃を避けるために直射を止め、或いは目標変換する、また間接射撃を修正できるようにする必要がある。

c. 援護監視あるいは火力支援の始終において、MGS小隊は中隊通信網を通じて運動中の部隊との相互通信を維持する。友軍相撃の危険性を減じるのみならず、相互通信によりMGS小隊は判明した敵位置につき早期に警報を発することが可能となる。また敵部隊に対する戦果も報告することが可能となる。

d. MGS小隊は建造物密集域において戦闘作戦を遂行する。MGS小隊は部隊全体として、あるいは単車で、SBCT歩兵中隊が建造物密集域に足掛かりを確保する、或いは目標を奪取するのを介助して火力支援を遂行する。

e. 援護監視あるいは火力支援が成功すれば敵を制圧でき、(乗車或いは降車)部隊が戦術運動、突破作戦、突撃を行うことが可能となる。B-2図は突撃を支援しての火力支援状況を表したものである。


B-2図. MGS小隊が敵部隊を制圧すべく、中隊突撃中に火力支援を行っている。


B-7. 迂回(BYPASS)

当初計画によりあるいは状況の変化に基づき、中隊長は攻撃の速度を維持すべく中隊に敵を迂回するよう命じることがある。迂回は劣勢な敵および優勢な敵のいずれにも用いられえる。SBCCT歩兵中隊長は判明せる敵位置を迂回するべく、他の小隊が掩蔽もしくは隠蔽された経路、武器のための離隔、煙幕を用いることを可能とならしめるためにMGS小隊に敵を制圧するよう指示することがある(部隊は迂回を行いつつも接敵時行動を遂行する必要があるときもある)。ひとたび敵から解放されれば、MGS小隊は(可能であるときは)他の友軍部隊に敵への対処を引継ぎ、接敵から離脱し、中隊に復帰する。必要ならば、MGS小隊長は接敵からの離脱のため戦術運動を行い、任務を続行する。MGS小隊長はまたMGS小隊が安全裡に接敵から離脱するよう、敵を制圧、視界撹乱するため直射および間接射撃および煙幕を要請することもありえる(B-3図、B-4図)。


B-3図. 迂回(MGS小隊が敵を制圧中)


B-4図. 迂回(MGS小隊が中隊に復帰)



Section IV. 防勢作戦(DEFENSIVE OPERATIONS)

防御においては、MGS小隊はSBCT歩兵中隊に機動、中装甲搬送体からの精密直射を供する。(防勢作戦についての記述は本教範第5章を参照せよ) MGS小隊はSBCT歩兵中隊の防御の一環として次の任務を行いえる。

陣地防御(Defend from a battle position)

反撃への参加(Participate in a counterattack)

予備として破砕攻撃(spoiling attack)、敵突破阻止、防御中の小隊への増援、他小隊の任務引継ぎを行う


B-8. 陣地防御(DEFENDING FROM A BATTLE POSITION)

SBCT歩兵中隊長の企図に基づき、MGS小隊が陣地を守る必要がある場合、MGS小隊は敵戦力を撃破、阻止、導入する、あるいは連続して陣地転換しては占領するよう課せられることがありえる。MGS小隊は中隊交戦域の自隊の部分を整えねばならない。MGS小隊はSBCT歩兵中隊陣地、円陣防御、強化拠点防御、戦区防御の一部として陣地を割り当てられることがある。最低限、MGS小隊が為さねばならないのは、


隣接歩兵小隊およびその他の部隊とデジタルおよびアナログ通信により調整する

射界を配分し、目標標定点を定める。時間が許す場合は、様々な直射統制手段をもちいて小隊の交戦域を整える(最大交戦線、交戦戦技、交戦基準および優先順位、その他)。

MGS各車の陣地を検査する

事前予行する

SBCT歩兵中隊にMGS小隊が陣地を確保したらば報告する

小隊射撃号令により直射を統制する

弾薬の消費を監督する


B-9. 反撃への参加(PARTICIPATE IN A COUNTERATTACK)

反撃の目的は敵を撃破し、枢要地形を再奪取し、接敵中の部隊への敵の圧力を軽減し、中隊の攻勢主導権を持続するにある。MGS小隊はより大きな部隊の一部として反撃を遂行するが単独で反撃を遂行する能力を限定的ながら持つ。

a. MGS小隊が反撃部隊として指定された場合、小隊長は関係する部隊と掩蔽および隠蔽陣地と経路について調整する。防御を実施するに先立ち、時間が許せば、小隊はこれらの経路にて事前予行する。小隊長は計画に武器の離隔を組み込む。小隊長は反撃中における直射および間接射撃を統制する。小隊長は小隊各員にあらゆる情報を伝達せねばならない。陣地および経路につき修正が必要となった場合、反撃部隊は他部隊が適切に射向変換あるいは停止を確実にするよう直ちに行動をとらねばならない。さもなければ友軍相撃の危険性が高まる。


b. SBCT歩兵中隊がMGS小隊とともに反撃を実施する場合、小隊は隠蔽経路にて、敵の側面あるいは背面に対して攻撃可能な事前に定められた戦闘陣地あるいは火力攻撃陣地へと戦術運動を遂行する。歩兵小隊は各自の陣地を保持し敵との交戦を続ける。(B-5図) 企図は武器の離隔と掩蔽を生かして敵を直射で撃破することにある。


B-5図. 中隊反撃部隊としてのMGS小隊



B-10. 予備(PERFORM AS A RESERVE)

SBCT歩兵中隊長は予備の必要とMGSの機動力、攻撃力、生残力とを比較検討せねばならない。その結果によりMGS小隊は中隊予備あるいは中隊予備の一部となることがある。任務、敵、地形、時刻、自戦力および民間人(METT-TC)の要素により必要であるかが定まる。予備任務ではMGS小隊は攻勢あるいは防勢任務のいずれも遂行することがある。

a. 予備任務では、MGS小隊は破砕攻撃、敵突破阻止、防御中の小隊あるいは中隊への増援を課せられることがありえる。MGS小隊はSBCT歩兵中隊長およびSBCT歩兵大隊長の企図を理解せねばならない。これはSBCT歩兵中隊の予備としてのMGS小隊が行いえる多々の任務にとって必須である。

b. MGS小隊は他のSBCT歩兵小隊の任務を予備として割り当てられることもありえる。



Section V. 都市作戦(URBAN OPERATIONS)

都市地域は主として人口の構造物、建物、街路、地下構造物からなる。この都市地形の特徴はMGSを運用するにあたり様々な戦術上の問題を可能性をもたらす。都市環境においてMGS小隊が有効裡に作戦するのを確実ならしめるには、MGS小隊の視界と直射計画は地盤面戦闘(街路および建造物一階)、上層階戦闘(aboveground fight,高層建築物における上層階)、地下戦闘への対処を含まねばならない。



B-11. 配慮事項(CONSIDERATIONS)

都市環境でMGS小隊を用いるに当たって以下の事項に配慮すること。


a. 都市環境における重要な点としては建造物密集域は指揮統制を減退させることである。MGS小隊各車がそれぞれ歩兵小隊に配されて単車で戦闘する必要も生じえる。

b. 街路はつねに接近経路となる。街路を進む部隊はしかしながら、しばしば建造物により導入されてしまい路外機動の余地はほとんど無い。都市街路に設けられた障害はそれゆれ開豁地形における道路に設けられた障害と比べて迂回がより困難であるがためより効果的となる。

c. 建造物は掩蔽および隠蔽を供し、かつ装甲車両の運動を著しく制約する。また建造物は直射火力配分、統制、射界を著しく制約する。あらゆる街路角、街区の並びが"不可視線"と同様に働き、慎重な援護監視が必要となる。厚壁の建造物は出来合いの強化陣地となる。

d. 建造物密集域にある地下構造物は見過ごされがちであるが、都市作戦の成否を制することもある。

e. 上層階戦闘(高層建築物のある地域での)はMGS小隊長、小隊軍曹、車長の配慮を必須とする。二階以上の高さにある目標に対して有効裡に火力を指向できるかを目標の高度と目標までの距離に基づいて分析する必要があるということである。

f. MGSが建造物密集域に入るときは、MGS小隊の警戒を適切に行える歩兵部隊とともに運動し戦闘する必要があるのが常である。


B-12. MGS小隊の任務(ROLE OF THE MGS PLATOON)

建造物密集域に対する攻撃では、指揮官はMGS小隊をMGSの長射程、精密攻撃力および中装甲防護の利点を生かすように運用せねばならない。MGS小隊は先導するSBCT歩兵部隊が都市地域に足掛かりを奪取する間、火力支援を供することがある。ついで地域が確保されるまでの間、MGS小隊は歩兵のために援護監視あるいは火力基盤を務める。SBCT歩兵中隊長はたいてい、MGS小隊を建造物密集域の外に占位させる。MGS小隊は攻撃の始終を通じて高速接近経路を射制するためその場に留まることがある。これは企図がSBCT歩兵中隊が目標地域を確保する間、特定地域を孤立させることにある場合にことに当てはまる。しかしながら、中隊長はMGS1両を建造物密集域内の1個歩兵小隊に配し、MGS小隊残余は目標地域を孤立させ続けることを選ぶこともありえる。

注:

攻撃支援を供するより前に、MGSは火力支援陣地へ進入機動できる必要がある。これは、敵の強化拠点や対戦車誘導弾資産を固有の歩兵武器で制圧する支援が通常必要となる。


a. 指揮統制 以下の指揮統制上の配慮事項が都市環境においてMGS小隊を計画、運用するにあたって関わってくる。

(1) 通信 都市作戦中に行われる任務編成ゆえに、分隊や班といった小戦術編制において、建造物やその他の都市構造物により擾乱されうる通信手段の代替を講じる必要が生じることがある。

(2) 火力統制 都市作戦においては徹底した直射火力計画と制約的な火力統制手段が必須である。火力統制線その他図示による統制手段を徹底して用いることもまた必須である。

(3) 近接性と視界 都市作戦では友軍部隊は狭隘かつ制約された地域にて作戦せざるをえないのがしばしばであり、近傍の友軍部隊を視野に納められぬこともありえる。これらの要素により友軍相撃の可能性が著しく増大する。それゆえ、通信を向上させ、図示統制手段を用い、事前予行することが必須となる。

(4) 人的要素 都市作戦は兵および指揮官に対する肉体的、心理的負担が著しい、しばしば極度となることがしばしばである。MGS小隊では補給消費が増加(例えば燃料と弾薬)し都市環境では対戦車誘導弾による撃破の可能性も加わることでこれらの負担はさらに増す。

(5) 交戦規則、交流規定および民間人(Rules of Engagement, Rules of Interaction, and Civilians) 交戦規則および交流規定は特定の武装あるいは戦技および手順の使用を制限することがある。都市環境の一部として、非戦闘員は特別な作戦上の問題をもたらす。これらの懸念に対処するため、都市地形で作戦する舞台は交戦規則および交流規定の範疇で有効裡にMGSを運用するすべを知らねばならない。

(6) 都市作戦のテンポ 都市作戦は緩やかかつ周到に行われるため、MGS小隊は車両の攻撃力および速度と機動力を十分に発揮できないこともありえる。


b. 機動 次の機動に関する諸事項が都市環境におけるMGS小隊の計画及び運用に関わってくる。

(1) 一括詳細計画(Detalied Centralized Planning)と分散実行(Decentralized Execution)の必要性 都市作戦はたいてい周到攻撃を含み、徹底した情報活動と事前予行を必要とする。

(2) 調整の必要性 都市作戦はSBCT歩兵分隊とMGS各車との間という最も低い階梯において緊密な調整が確立したときに成功する。

(3) 最も低い階梯における諸兵科連合団の形成 任務編成は通常、小隊階梯から上で行われるが、都市作戦では分隊あるいは単車での任務編成が必要とされることがある。MGS小隊にはMGSが単車で歩兵小隊1個と協同するといった、様々な編成に入ることがある。

(4) 自軍の脆弱性 MGS単車は精密直射を随伴する歩兵分隊に供することが可能であるが、その一方で敵歩兵と対戦車誘導弾の攻撃には脆弱である。都市作戦における攻撃部隊は局所反撃(local counterattack)に対する構えがなければならない。

c. 任務編成 都市作戦に参加するMGS小隊の任務編成は建造物密集域と目標の特質にあわせて様々となる。総じて、SBCT大隊、あるいはSBCT歩兵中隊は突撃部隊、支援部隊、予備で運用するが、場合によっては警戒部隊も設けることがある。通常、突破部隊を別個に設けることはせず、突破隊は予期される障害の型式と位置に応じて突撃部隊あるいは支援部隊の一環となる。

(1) 突撃部隊(Assault Force) 突撃部隊は都市地域に足掛かりを確保し地域の実際の目標の掃討を行う部隊である。突撃部隊は通常、徒歩部隊で工兵と任務編成し歩兵戦闘車やMGSを小隊あるいは単車で増強として受け入れる。

(2) 支援部隊(Support Force) 通常、都市作戦に参加する乗車部隊の多くは、例えばMGS小隊などは支援部隊に任務編成される。これによりSBCT歩兵中隊長はその生残性を損なうことなくMGS小隊の火力を運用することが可能となる。支援部隊は目標地域および都市地域への実際の入域点を孤立させ、あるいは突撃部隊が足掛かりを奪取するのを可能とすべく敵陣地を制圧するため精密直射を供する。

(3) 予備部隊(Reserve Force) 予備部隊には通常、乗車部隊および徒歩部隊の双方が含まれる。次の任務のいずれでも遂行できるよう備えをもたねばならない。

敵に不意の方向から接敵する

友軍の戦果拡大、敵の弱点を利用する

友軍の背面や側面を警戒

迂回した敵陣地を掃討する

隣接部隊との接合を維持する

必要に応じて、火力支援や火力攻撃を遂行する



B-13. 都市作戦におけるMGSの能力と限界(MGS CAPABILITIES AND LIMITATIONS IN UO)

車両や装備に関する様々な要素が都市環境におけるMGS小隊の計画及び運用に影響する。これらの要素には以下が含まれる。


a. 弾薬 都市環境に適切な主砲弾種は曳光付対戦車成形炸薬弾(HEAT-T)、曳光付粘着榴弾(HEP-T)、曳光付白燐弾(WP-T)である。これらは掩蓋陣地及び建造物に対しては徹甲弾にはるかに優る。

(1) HEAT-Tは砲口からおよそ60フィートで信管安全装置が解除される。60フィート以内の都市目標に対してはその威力の大半を失う。

(2) HEP-Tは主として要塞構築物、掩蓋陣地、建造物、銃座(crew-served weapon emplacement)、兵員(爆圧と破片が望ましい場合)に対して用いられる。

(3) WP-Tの主な目的は目標を標示し遮蔽することであるが、可燃物を発火させるのにも用いられうる。

(4) 徹甲弾の装弾筒は随伴する歩兵部隊にとって危険である。砲と目標を結んだ線の両側70mずつ、1km先までが危険地域となる。

(5) フレシェット弾(Beehive ammunition)は主として開豁地の兵員に対して用いられる。フレシェット弾は狭隘な地域であることがから都市環境での使用は制限されることがある。

b. 機銃 敵人員および軽度の強度を有する建造物内の敵陣地に対して制圧射撃を有効裡に局所防御武器は行える。この武器は必要に応じて取り外して地上で用いることができる。

c. 視界と警戒 ハッチ閉鎖状態ではMGSの乗員は側面、背面への視界は限られ、上方は全く見えない。B-6図とB-7図は都市環境におけるMGS運用における死角を図示している。MGSがハッチ閉鎖状態の場合、降車歩兵がMGSの死角(側面、上方、背面)の周囲警戒を行わねばならない。

d. 主砲の仰角及び俯角 都市地形において降車歩兵突撃を支援するには主砲の仰角は20度必要である。また、局所防御武器で射程1000m、主砲で射程2000mで高所における徒歩歩兵突撃を直射で有効裡に支援するには仰角が20度必要である。歩兵の攻撃軸をMGSが機動することが不可能であり、距離をおいて歩兵を支援せざるをえぬとき、この能力が必須となる。俯角10度が必要となるのは、防勢作戦において低地の交戦域にいる敵に対して火力を集中するためMGSが用いられる場合である。


B-6図 街路高におけるMGSの武装の死角

B-7図 上層階高におけるMGSの武装の死角



B-14. 都市作戦における防勢戦技(DEFENSIVE TECHNIQUES IN UO)

防勢都市作戦においては、MGS小隊はSBCT歩兵中隊長に敵脅威に迅速に対応しえる機動戦力を供する。小隊各車は敵が接近してくる蓋然性がある経路で精密長射程直射の有利を活用できる陣地に占位すべきである。

a. MGS小隊の運用。有効な占位によりSBCT歩兵中隊長はMGS小隊を様々に運用することが可能となる。有効な占位には例えば以下が挙げられる。

都市縁の相互支援陣地

市街あるいは村落の側面にある枢要地形

阻塞や障害を火制しえる陣地

中隊予備の一環として

MGS小隊は通常、小隊丸々で用いられる。しかしながら、指揮官にはMGS各車を歩兵小隊や歩兵分隊と協同させる選択肢もありえる。この場合、MGS各車は降車歩兵が供する近接警戒の利を受け そしてこれら歩兵の攻撃力を増強することとなる。

b. 戦闘陣地(Fighting Positions) MGS各車の戦闘陣地は建造物密集域における完全かつ実効性ある防御計画に必須の要素である。車両陣地はあたうかぎりの掩蔽、隠蔽、視界、射界を与えられるように選定し整えねばならない。同時に必要なときに車両が運動する能力を戦闘陣地は妨げてはならない。以下の配慮事項が関わってくる。

(1) 射界が街路だけしか収められぬ場合は、車体掩蔽陣地を用いて掩蔽を供しMGSが街路を直接、縦射できるようにすべきである。この陣地であれば、MGSは防護を受けつつ代替陣地へ迅速に運動する能力も保持できる。敵砲撃により崩壊した建物はMGSの車体と乗員にはごくわずかな危険でしかない。

(2) 敵と交戦する陣地へ進入するまで、MGSは隠掩蔽のため潜伏陣地に占位することがある。潜伏陣地は建造物内、地下車庫、建造物の近傍(敵の視界を建造物で遮る)、あるいは切り通し(culvert)などに設けられる(B-8図)。

(3) 潜伏陣地からは前進してくる敵が見えぬため、MGS乗員か近傍の降車歩兵から観測手が出て隠蔽されつつも乗員に警報を発することができるようにせねばならない。観測手が目標を捕捉すると、MGSに射撃陣地へ進入し、適切なときに射撃するよう信号を送る。

(4) 射撃後、MGSは位置を暴露することを避けるため代替陣地へ運動する。

注意
車両潜伏陣地に建物内部を用いるため車両を入れるときは、床が車重を支えられることを確認すること。さもないと車両が床を踏み抜いて落下することもありえる。



B-8図 都市環境における潜伏陣地の例


B-15. 予備部隊としての運用(EMPLOYMENT OF THE RESERVE FORCE)

都市作戦防御構想における機動では、中隊長は予備部隊の運用を常に検討する必要がある。この部隊は枢要地形を再奪取する反撃、敵突破阻止、自軍の側面防御、離脱する部隊に火力基盤を供する構えを持つべきである。建造物密集域における戦闘では、予備部隊はあたうかぎり機動力をもたねばならない。MGS小隊(あるいはその一部)が中隊予備部隊の中核となることはおおいにありえる。


Section VI. 安定作戦および支援作戦(STABILITY OPERATIONS AND SUPPORT OPERATIONS)

既に述べたように、MGS小隊は米軍および連合軍が安定作戦および支援作戦双方を遂行するにあたって重要な資産となりえるだけの固有の能力がある。小隊は様々な政治的および地理的環境において広範な作戦を支援することを求められうる。これらの作戦の例は本教範の第8章および第9章に記載されている。


B-16. 安定作戦および支援作戦におけるMGSの能力と限界

安定支援活動においては、特定の作戦における火力、機動力、衝撃力、生残性といった固有の能力を最大限に活用する必要がある局面においてMGS小隊は用いられるのが通例である。小隊は本教範の始終で記述されてきたのと同様の手順を用いて運動、攻撃、防御する。

a. その一方で、安定支援作戦に通底する任務、敵、地形、時、自軍および民間人(METT-TC)と作戦上の配慮から任務の成功裡の達成条件が修正されることがある。これはMGS小隊に時として通常は特別に訓練され装備した部隊が扱う任務を割り当てられることがあるということである。例えば、憲兵が不足しているときは小隊が群集および暴動鎮圧を課せられることがありえる。(憲兵部隊がデジタル能力かアナログ能力を有するかを把握すべく早期に調整を行う必要がある)

b. この種の任務に中機甲戦力が用いられるときは幾つか問題が生じる。完全に実効的かつ効率を発揮するするには、乗員はこのような任務を遂行する前に特別な装備と訓練を受ける必要がある。安定或いは支援作戦のある局面ではMGS小隊固有の利点(攻撃力、機動力、生残性)が実質的に失われることがありえる。そこで、中隊長はその利点を最大限に生かすためにMGS小隊をいつどこで用いるかを決しなければならない。


B-17. 運用の例(EMPLOYMENT EXAMPLES)

以下の状況例で安定或いは支援作戦におけるMGS小隊の運用上の考慮事項を詳らかにする。これらの例は包括的なものでは無い。METT-TCの要素を評価し作戦域における作戦上の配慮事項からさらに別な任務が必要とされることもあろう。ここで描かれる比較的単純な状況は常に転変とししばしば混乱する状況、多用性が成功(そして生残)の鍵である安定あるいは支援作戦における状況を適切に表しているとはいえない。あたうかぎり、中隊長はMGS小隊の役割、任務を小隊の固有の特質および能力に適したものとするよう努力すべきである。B-9図は戦闘陣地あるいは予備/即応任務におけるMGS小隊を描いたものである。

注記: 都市作戦の説明については本教範第6章を参照せよ。既に述べたようにこれらの作戦は安定作戦および支援作戦の作戦上の準拠となる。

a. 戦闘陣地を設ける。小隊は戦闘陣地を設け、SBCT歩兵中隊円陣あるいは強化点防御において小隊戦闘陣地をその場で引き継ぐ(B-9図のA)。SBCT歩兵中隊のMGS小隊と降車歩兵は組み合わせるべきである。円陣外の徒歩パトロールや監視所との調整が必須である。交戦域内への立ち入り制限を伝える地元言語での標識が掲示されるべきであろう。(防勢作戦についてのさらなる記述は第5章を参照せよ)

b. 予備としての運用。 SBCT大隊あるいはSBCT歩兵中隊予備の一部として、MGS小隊は集結地域に占位し、或いは円陣防御を設ける(B-9図のB)。任務としてありえるのは包囲された友軍との連絡あるいは救援(B-9図のB1)、墜落したヘリ或いは擱座した車両を救出する作戦で目標を確保するため連絡、運動(B-9図のB2)、車列を攻撃する敵部隊を撃破すべく戦術運動(B-9図のB3)などである。これら3つの想定ではMGS小隊は戦術運動と接敵行動を遂行する。接合(linkup)、火力支援、火力攻撃、突撃、応急攻撃、編合と再編も予備任務では必須である(これらの作戦については第4、第5および第8章を参照せよ)


B-9図. 戦闘陣地および予備/即応部隊任務


c. 交通統制点の援護監視。 MGS小隊(あるいは単車)は歩兵あるいは憲兵の交通統制点を援護監視する(B-10図のC)。援護監視部隊はその周囲の安全を降車歩兵の監視所や中隊の徒歩パトロールと調整することで確保する。

d. 緊扼地点の防御。 MGS小隊は歩兵分隊1個(或いは歩兵小隊1個とMGS単車)で主補給経路沿いの緊扼地点を抜ける交通を守り可能ならしめるため円陣防御を占領する(B-10図のD)。MGSと歩兵を円陣防御にともに組み込むことが火力の効果を集中し、徒歩パトロールと監視所により早期警戒と防御の作戦保安を供するため必須である。防勢作戦に関するさらなる記述は第5章を見よ。

e. 封鎖あるいは路上阻塞の援護監視。MGS小隊(あるいは単車)は封鎖あるいは路上阻塞、有人陣地あるいは火制されているのみの強化障害を援護監視する(B-10図のE)。MGSを封鎖あるいは路上阻塞の援護監視に用いる場合、中隊長は降車歩兵監視所とパトロールを調整する必要がある。周到な戦闘陣地の占領手順を用いれば、MGSの陣地はより良くなる(第5章をみよ)。

f. 車列護衛。MGSは車列護衛任務を第8章にて述べた手順を用いて務める(B-10図のF)。

g. 探知/突破作戦。MGS小隊(或いは単車)は主補給経路(MSR)における突破作戦を援護監視する、或いは工兵部隊が経路を啓開する間、援護監視を供する(B-10図のG)。METT-TCの要素に基づいて、MGS小隊は、徒歩兵、工兵車両、戦車(可能ならば地雷ローラーを装着している)といった探知部隊に戦術運動の戦技を用いて援護監視を供する。地雷が探知された場合、MGS小隊は全ての地雷が探知され無害化されるまで突破部隊を援護監視し続ける。障害が突破部隊の能力を上回る場合、工兵が呼ばれる。常に、援護監視車両は普段と異なる事象、例えば新たな工事、損傷を受けていた建造物の修繕、真新しい或いは場違いな植物や樹木、掘られたばかりの穴などに注意すべきである。こういった状況は新たに埋設された、あるいは管制起爆地雷の存在を示すことがありえる。いかなるときもMGSは突破あるいは探知活動を行ってはならない。


B-10図 交通統制点、緊扼地点、封鎖、車列護衛、経路探知任務


h. 包囲捜索作戦。 包囲捜索作戦においては、MGS小隊は捜索地域を孤立するため援護監視陣地あるいは応急防御陣地(あるいはその双方)を占領する(B-11図)。捜索チームとの緊密な調整及び通信が必須である。また包囲地域の死角や間隙を常に監視するため監視所やパトロールの運用も必要である。MGS小隊(あるいは各車)は捜索チームあるいは監視哨が敵部隊を発見した場合、直ちに行動する備えがなければならない。接敵はMGS小隊が戦術運動および接合を遂行する必要があるときがある。


B-11図. 包囲捜索作戦


愚者の渡しの防御 ボーア戦争における英軍小隊の戦闘想定
出典 CGSC CSI press
URL 略
原題 The Defence of Duffer's Drift
筆者 
Captain E.D. Swinton, D.S.O., R.E.
後の
Major General Sir Ernest Swinton,
K.B.E., C.B., D.S.O.
掲載 Infantry Journal1905年4月号(後のArmy誌)
内容 以下全訳

筆者について(About the Author)
少将Earnest D. Swinton卿、K.B.E.、C.B.、D.S.O佩用は著名な英国軍人にして文筆家、教授である。陸軍元帥Wavell伯は少将を英国陸軍において最も先見がある将校の一人と賞している。少将は第一次世界大戦前に航空戦(air warfare)、地雷敷設(mining)、心理戦(psychological warfare)の威力について著している。1914年、Swinton少将は戦車を発明して戦争を全く革新したのであった。少将こそが戦車の導入と開発に当たって誰よりも多くを担ったのである。

1925年から1939年、Oxfordにて軍事史教授(Professor of Military History)、その後少将に昇進して1934年から1938年まで王立戦車軍団司令官(Commandant the Royal Tank Corps)。

大尉のとき、ボーア戦争(the Boer War)での勤務からほどなくして愚者の渡しの防御(The Defence of Duffer's Drift)を後知恵深慮少尉(Lieutenant Backsight Forethought、BF)の筆名で著す。愚者の渡しは今世紀における小戦術(minor tactcs)に関する軍事上の古典となった。愚者の渡しのほか、多数の雑誌に寄稿し、1909年にはThe Green Curve、1915年にはThe Great Tab DopeをO'le Luk-Oie(Olaf shut-eye)の筆名で著した。このほか、1926年にはThe Study Of Warを、1935年には最期の著作となったAn Eastern Odysseyを上梓している。



背景情報(BACKGROUND INFORMATION)
ボーア戦争(THE BOER WAR)
ボーア人(the Boers)とはオランダ系農場主であり、今の南アフリカ共和国ケープ州(Cape Province, Republic of South Africa)に初めて入植したのが1652年のことであった。1806年に大英帝国がケープ州を併合した後、ボーア人の多くは大いなる旅路(Great Trek)につきナタール共和国(the Republic of Natal)、オレンジ自由国(the Orange Free State)、トランスヴァール(the Transvaal)を建国した。英国が徐々に商業を支配したこと、および金鉱とダイヤモンド鉱山が発見されたこと、その他諸事情からボーア人と英国人との間に敵対が生じ、1899年から1902年の南アフリカ戦争(the South African War)またの名をボーア戦争(Boer War)へと繋がった。

当初ボーア人は英軍に対して数で上回りかつ装備も良好であり、領土近傍では見事な勝利を収めている。最後にはボーア軍は降伏したとはいえ、英国側の勝利は大掛かりかつ連携のとれたゲリラ戦争(guerilla warfare)によって妨げられた。戦争が最後に終結したのはボーア人ゲリラ部隊の組織的撃滅によるものであり、敵対が終了したのは1902年5月のフェリーニヒング条約(the Treaty of Vereeniging)によってである。ボーア人の領土は大英帝国に併合され、8年後南アフリカ連邦(the Union of South Africa)に組み込まれた。


語彙(GLOSSARY)




鹿砦(ABATIS): 切り倒した樹木を枝を敵の方向に揃えて並べた阻塞

蟻塚(ANT H): 大きな円錐状の土盛り

ボーア人(BOER):  南アフリカのオランダ系植民者の子孫

ドンガ(DONGA): 南アフリカの雨裂または峡谷

渡し(DRIFT): 渡河点、小流または河川で徒歩あるいは騎乗して渡ることができる浅い箇所。

愚か者(DUFFFER): 無能でぶざまあるいは愚かな人物

カフィール(KAFFIR):  (19世紀)南アフリカの獰猛なる黒人部族

コプジェ(KOPJE): 南アフリカの露岩丘陵または残丘(butte) 通常200から800メートル

クラール(KRALLE(原文ママ、Kraalのことか)): 南アフリカ原住民の村で防御のため柵などに囲まれているもの


QUI VIVE: フランス語。歩哨の誰何の言葉。"そこを行くのは誰か?"

中少尉(SUBALTERN): 英軍の将校の階級で、大尉(captain)より下。lieutenantのこと。

草原(VELD): 南アフリカの草の生えた平原、合州国での西部卓状地(the Western Tableland)と同様である。

ヴィクトリアクロス勲章(VC): 英国の勇敢な行いを称える勲章で最高のもの、Victoria Cross



前書き(PREFACE)


"我らの過ちであった、そう極めて手酷い過ちであった、さてそれを逆用しなければならぬ、
過つ理由は四百万もあるが、言い訳は一つも無い!" キプリング(Kipling)


この夢物語は"うわべばかりの口先だけの奴(giled Popinjays)"や英国の"お雇い殺し屋(hired assassins)"に向けたものであり、とりわけ門戸を叩きつつある者、ごく若手に役立てることを狙いとしている。この物語は1899年から1902年の南アフリカにおいてなされたこと、なされなかったことどもを振り返ってのものである。空想的な装いにより古来からの戦理を実地に応用する必要性を強調し、用いられぬ場合に何が起きうるかを理解し、小作戦においても用いることが必要であることを伝える手助けとなることを願っている。この実地への応用はしばしば緊張時には視野に入らぬものであり、その結果は厳しいものとなるのだが、現実に経験するというおぞましき瞬間にいたるまで気付かれぬものである。この物語が、想像力を喚起し、今後において戦理の無視を一つでも防ぐのに役立つのであれば、書かれたのも無意味ではなくなる。
 この夢物語は予知夢ではなく、ある敵に対するある国のみでのささやかな経験の記録と、そこからの演繹である。しかしこの夢物語から、条件によっては他国において、あるいは異なる戦闘方法と異なる兵器を持つ異なる敵と対決する機会において適切な派生を演繹するのは難しくは無い。

"後知恵深慮(BACKSIGHT FORETHOUGHT)"記す



序段(PROLOGUE)


困憊する行軍後、夕方に私は夢村(Dreamdorp)に到着した。当地の雰囲気に大食があいまってこれから語る夢に繋がったのであろう。夢は続き物であった。全体の流れを分かりやすくするには、それぞれの夢の舞台は同一であるが、奇妙な精神過程により私にはその場所や一切を夢の中で思い出すことは無かった。それぞれの夢でその地は全く新体験であったし、率いる部隊も新たなものであった。かくて私には慣れ親しんだ地という非常な有利は無かった。一つ、そしてたった一つだけそれぞれの夢の間で受け渡しされたのは、それまでで学んだ一般的な戦訓をまざまざと思い起こせることのみであった。これにより最後には成功するに至る。

しかしながら、一連の夢全体は結びついたままで、目覚めたときも記憶にあった。



第一の夢(First Dream)



"穴に入るのはどんな馬鹿でもできる
(Any fool can get into a hole)" -古い中国の諺
"君に任せる、防御側はスペードを揃えている
(If left to you, for defence make spades.)" -カードゲームのブリッジの格言


私は孤独を感じていたが、全然寂しくなかった、私は愚者の渡し(Duffer's Drift)の近くで川岸に立って赤い塵埃が南へと去っていく遠くの隊列に巻き上げられ、午後の陽光で徐々に黄金色となるのを見ていた。丁度午後三時で、私はここthe Silliaasvogel川の岸にいた。我が隊下士官兵50名は渡しを守るため去り行く隊列が残置したのである。ここは重要な渡しであった、というのも川の上下数マイルにわたって車両が渡れるのは唯一ここだけだったからだ。

川はゆったりとした流れで、今は増水しておらず、ほとんど垂直の急峻な崖の間の川底をのろのろと流れている。崖はいずれせにせよ極めて傾斜が急で荷馬車(wagon)はこの渡しでしか渉れない。川縁から崖の天辺までと、崖の天辺からある程度の距離までは密な棘の茂みやその他の茂みで覆われており、視界を遮る幕となっている。また川岸には雨裂や穴がところどころあり、土壌が増水時の川により運び去られており、その結果極めて険しくなっている。



第一図(MAP 1)


渡しから大体2000mほど北に平頂の岩山があり、渡しからおよそ1マイル北東には良く見られる角砂糖のような残丘がある。南側は藪と岩に覆われて急峻であるが北側はなだらかなに下っている。南側の崖下には農場が一つある。渡しからおよそ1000mほど南には盾状の滑らかな丘があり、盆地を裏返したような形であり、まばらに小岩が散らばっている。この丘の頂上にはカフィール(獰猛なる黒人部族)の草葺泥小屋数軒からなるクラール(砦村)がある。川から北岸の残丘間での間に開けた平坦な草原となっている。川南岸も草原だがより波打っているものの同じく開けている。この地域全体にわたって蟻塚が点在する。

私に与えられた命令は愚者の渡しを全てを代価としても保持することである。おそらく3日から4日のうちに他の隊が来るであろう。それまでに攻撃を受ける可能性はある。しかし、その可能性はほぼありえない、というのも100マイル内に存在が知られている敵は存在しない。敵は砲兵を有している(the enemy had guns)。

ごく簡単なように思えた、このときはまだ一番末尾の情報の真の意味は身にしみていなかった。50名の"真の良き男たち"とともにあるとはいっても、なにかしら寂しく果て無き草原にほとんど一人で島流しにあったかのように感じる向きはあった。しかし攻撃を受ける可能性が私の中を満たした、そして私は我が部下が武人の熱情に溢れていると確信できた。ようやくのこと私がしばしば熱望していた機会が訪れたのである。これが私の最初の"出番"、最初の独立しての指揮であり、最後まで命令を果たすと覚悟を決めていた。私は若く経験も無い、これは確かだが、試験は全てかなりの成績で合格してきた。部下は良き性根の奴らで、称揚すべき栄えある連隊の伝統とともに、私が彼らに望むことは全て行うと分かっていた。また弾薬、糧食は潤沢に補給されており、つるはし、シャベル、土嚢その他も多数あり、告白するとこれらはむしろ私に押し付けられたのであった。

わが勇敢な小隊へと転じると、血みどろの必死の戦いの光景が心中をよぎった。最後の銃弾をも使い、そして冷たき刃を用い、最後に勝利するのだ、そこで控えめな咳が傍らでして私を現実へ連れ戻し、軍旗軍曹(colour-sergeant)が命令を待っていることを伝えた。

しばし考えたのち、私は小幕営を渡しのすぐ南側に設けることにした。そこでわずかに土地が盛り上がっており、可能なときは幕営地として選ばれるべきところだと私は知っていた。それにもまして、そこは渡しからかなり近いこともあった。これも有利な点であった、というのは誰もが知っている通り、何かを守るように命じられたらばそれに接して守りを固めるべきであり、可能であれば見張りをその天辺に置くべきなのだ。また、私が選んだ地点は川がその三方を巡るように馬蹄形で流れており、ある種の溝、或いは書物にいう"自然障害"となっていた。実にこのような場所が手の届くところにあり幸運だった。これ以上にふさわしい場所は無かった。


地図2(MAP 2)


私の達した結論は、敵は100マイル以内に居ないのだから幕営地に防御を施すのは明日からで良いというのであった。くわえて、部下は長行軍で疲れており、居心地良くしつらえ、山と積まれた備蓄と装備を整頓し、天幕を張り、暗くなる前に茶を淹れるだけで精一杯だろう。

ここだけの話、私は明日まで防御措置を先延ばしにできたことに本当のところ安堵していた。というのも何をして良いか少々戸惑っていたのだ。それどころか、考えれば考えるほど、一層戸惑いが強くなった。今のところ思い出せる防御措置は、一つ結び(thumb knot)や一重結び(overhand knot)の結び方や6インチ太の林檎の木を切り倒すのにどれだけ掛かるかだけだった。不幸にしてこれらの有用な知識も役立てられそうにない。さて、ワーテルローの戦い、或いはセダンの戦い、或いはブルランの戦いをせよという仕事であれば、私は全て分かっている、というのも私は詰め込み勉強をし、試験も受けたからである。また師団、いや軍団(army corps)の陣地構築の方法も分かっている、しかし、愚かなちっぽけの少尉のゲームである、小隊(small detachment)による渡河点防御は面白いことに最もまごつかせたのだ、私はこのようなことを本当に考えたことが無かった。しかし、普段軍団を扱っていることに照らせば、疑いなく少々考えればよいだけの児戯であろう。

しかるべく当座の命令を出すと、私は一帯を探検することに決めたが、暫しの間、どちらへ行けばと戸惑った。馬はなかったから暗くなる前にあたり全てを回ることはできない。しばらく考えて、閃いたのは明らかに私は北へ行くべきだということであった。敵の多くは北におり、当然ながら正面である。当たり前ながら私には正面というものが必ずあることは知っていた。なぜならこれまでやってきたあたゆる想定(scheme)や、受けてきた試験全てで常に正面、或いは"敵が来る方向"があったからである。鈍い歩哨から彼の正面はどちらで巡回区域はどこか言わせるのに何度てこずったことか。北はかくて私の正面であり、東と西が側面、敵が居る可能性のあるところであり、南は後方であり、当然ながら敵はいない。

満足の行くようにこんがらかった問題を整理して、私は歩きに出た、双眼鏡(field-glasses)、そして勿論コダックカメラ(Kodak)を携えて足取りを北東の残丘の下に構える小さなオランダ人の農場の輝く白壁へと向けた。南アフリカにしては居心地のよさそうな小さな農場であり、青いゴムの木と果樹に囲まれていた。農場から約四分の一マイルのところで所有者のAndreas Brink氏にあった、馴致された(tame)あるいは降服したボーア人農場主で、二人の子息がPietとGert、"彼らも良い連中"で、快活な顔に長い髭を生やしていた。Brink氏は私を大尉と呼び続け、訂正しても混乱させるばかりであろうから、する意味も無いと思い、それにつまるところ私は我が"隊(company)"からそう離れていないのであった。彼ら三人は南アフリカ憲兵隊長(Provost Marshal in South Africa)の酷で汚い仕打ちにはっきりと憤っており、そして私を案内すると言ってきかないのだった。彼らの農場を訪問することは考えていなかったのだが、大変感銘を受け、かくも豊かであるからには彼らは特別な人物に相違なかった。彼らは私を農場へといざない、そこでは良き妻と数名の息女が出迎えてくれ、牛乳を一杯いただいた。長い埃まみれの行軍のあとでは大変喜ばしいものであった。一家は全員、英語を話せるか理解できるようであり、大変友好的に会話をし、その中で私は近くにはボーア人コマンドー(Boer commando)が居ないこと、家族全員が二度とコマンドーが来なければ良いと願っていること、Brink氏は大変忠実な英国人であり、戦争には非常に反対していること、二人の子息ともどもコマンドーにかつて加わるのを強いられたことを聞き出した。彼らの忠誠は明らかであった。というのも壁には女王陛下の彩色石版画が掛けられており、私が入っていったときは多くの若き女性の一人が英国国家をハーモニウムで演奏していたのである。

農場主と子息らは私の個人携行物に非常な興味を示した。とりわけ新品で最新型の双眼鏡は、喜んで試し、何度も"凄い(Aller machtig)"と感嘆したのであった。父子は双眼鏡を明らかに気に入っていたが、戦時にコダックカメラがどう使えるのかについては見当もつかないようだった、私が一家の集合写真をとった後でも。おかしな、純朴な奴らだ!彼らは私から牛乳、卵、バターを幕営地で売る許可を得、そして自身と隊のために良いことができたと自身を褒めつつもぶらぶらついた。我々は一人としてこんな贅沢を数週間もの間嗅いですらいなかった。

何事もなく巡った後、私は歩みを薄く青色の煙へと向けた、穏やかな空気の中を垂直に立ち上っており、それのみが私のささやかな任所の位置を示していた。そして私が歩むにつれてこの光景全てが私に感銘を与えた。風景は暮れ行く太陽の暖かな日差しを浴びており、名残りの光が見渡せる中のそこかしこの高所を濃く染めており、近づく夕闇の静けさが破られるのは遠くで鳴く牛の声と、騒々しく聞き分けがたい幕営地の物音であり、私が近づくにつれて次第に大きくなっていくのだった。私はかなり快活な心持で歩んだ、農場主のBrink氏が教えてくれたあたりの地形のいささか風変わりな名前を思いつつ。彼の農場の背後にある残丘はインシデンタンバ(Incidentamba)と呼ばれており、北2マイルほどにある平頂な山は、悔やみの卓山(Regret Table Mountain)、そして川のすぐ南岸でなだらかに隆起する丘は洗い出し丘(Waschout Hill)と呼ばれている。万事は順調であり、私が戻ったとき部下達はお茶をしていた。親切なオランダ人は使徒のような顔をして、子息のひょろ長いPietとGertと一緒に既に来ていた。我が部下に取り囲まれ、法外な値段で商品を売りつけていた。一行三名は幕営地を歩き回り、あらゆるものに興味を示し、英軍や全般情勢に非常に知的な質問をし、強力な英軍駐屯地が近在にあることで本当に安堵しているように思われた。荒くれた兵がかれらを"畜生なオランダ人(blersted Dutchmen)"と呼んでも激高したりはせず、話すのを拒み、"侮蔑の言葉(skoff)"に応じないのであった。夕闇のころになって農場主と子息二人は帰り、明日には新鮮な品を携えて来ると何度も約束していった。

明日の命令を書き上げると、そのうちの一つは幕営地のまわりに塹壕(trench)を掘ることであったが、これは我が部下らは、良き英国兵士ではあるが、大変に嫌っており、疲れる活動だと思っていることを知っていた。見張りを二つ設け、うち一つは渡しに、もう一つは川を少々下ったところにつき、それぞれ川岸に歩哨(sentry)を一名づつ出す形となった。

全てがおさまると、幕営地はとても静かとなり、歩哨が半時間ごとに大声で報告するのもほとんど心地よかった。"第一哨、全て異常なし! 第二哨、全て異常なし!" この音で私は歩哨の位置をつかめ、適切な配置にいることがわかるのだった。真夜中の歩哨を巡ると、彼らが油断無いさまであるのをみて嬉しかった、また、寒い晩であるので歩哨はそれぞれ焚き火をし、その愉快な炎に影法師が、ここに英国軍の歩哨が誰何せんと聳え立つ彫像のように照らし出されるのであった。歩哨らに命令と、彼らの"受け持ち区域"の範囲、そして"正面"の方向について等々念を押して私は戻った。彼らの焚いた火は、歩哨らにとって快適であるばかりでなく、私の役にも立った。というのは夜間に二度外を見渡した都度に、天幕を出ることなくはっきりと彼らが配置についているのが見て取れたからである。私は最後には眠りに入り、ヴィクトリア十字章(V.C.)と殊勲章(D.S.O.)を交差して佩用し、赤章(red tab)を背中にまで回して飾るのを夢見た。

夜明けの空が灰色となるころ、私は突然目が覚めた、"止まれ、そこを行くのは...."としゃがれた声が紛うことなきモーゼル小銃(Mauser rifle)のパン、パンという音で遮られた。旅行鞄兼寝台(valise)から降りる間もなく、幕営地の回り全てからモーゼルの銃声が聞こえてきた、銃弾が地面や裸の者に当たる音、鉛玉が霰のように天幕を抜けて立てるかするような音、よろめき出ようとしたり、伏せていたところを撃たれた者の罵り、うめきと交じり合い大変な騒ぎとなった。部下たちがあてずっぽうに撃ち返してみたが、すぐに途絶えてしまい、私が天幕からやっとのことでもがき出たころには、あたりは髭面の男達で一杯で、彼らは倒れた天幕に向かって撃ち込んでいた。この瞬間に私は頭を棍棒で殴られたに違いなかった、というのも空の箱に腰を掛けて頭から血を滴らせて、部下の一人が包帯を巻いてくれているまでその後のことが分からなくなっていたからである。

損失は歩哨両名を含めて10名戦死、21名負傷であった。ボーア人側は1名戦死、2名負傷であった。

やがて、性格は悪そうではないが大変汚い格好のボーア人隊長(Boer commandant)の命令で、姉妹が編んでくれた粋な暖かいまだらのベストを私はむっつりと脱いだ。つい夕方の友人が非常に活発かつ親しげにごろつきどもと話し、"パパ(Pappa)"は、面白いことに小銃、弾帯、私の新品の双眼鏡を下げていた。彼は笑いながら地面に転がっているものを指差し、やがて足を乗せて踏み潰した。それが哀れなコダックカメラだと知り、私はぞっとした。ここで私の精神はしばし錯乱していたようだ、というのも気がつくとあるラテン語を繰り返していたのである、かつては好きな引用句だったが学校時代以来忘れていたものだった、"Timeo Danas et dona ferentes... 私はギリシャ人を恐れる、彼らが贈り物を携えて来るときですらも" そのとき突然、敵士官(field cornet)の声が私の呟きに割り込んできて、"ズボンもだ、大尉(captain)"と告げた。

一日中、他人の靴で靴下もはかず行軍し、ずきずきする頭にくわえて考えることは沢山あった。ボーア人の砲を含む長い隊列が、かくもやすやすと我の守る渡しを越えた光景は、私の失敗と我が哀れなる隊の損失に対する私の責任を絶え間なく思い出させた。私は徐々にボーア人から私が既にところどころ推測していた話を聞き集めたのだった。すなわち、敵は我が友人の農場主Brink氏に呼ばれて先導されて我が幕営地に至り、暗いうちに包囲し、川岸の茂みの中を這い進んで、哀れな歩哨2名に狙いをつけた。警報する暇もなく同時に撃ち倒すと、三方の密な茂みから幕営地へ殺到した。夕方が近づくにつれて、頭痛はひどくなり、周期的な痛みが次第に意味をなしはじめ、次のような戦訓を打ち出した。これこそ私の失敗についての徹底的な考察の結果であった。

1. 防御措置を明日に先送りするな。防御措置は部下の安楽や幕営地の整理整頓よりも重要である。主として防御の見地から幕営地の位置を決めること。

2. 戦時には敵と同じ血が流れる見知らぬ者に幕営地の一切を見せぬこと。彼らがとても親切でバターも沢山持っていてもである。また様々な"手口(passes)"に幻惑されてたちどころに彼らを信用してはならない。

3. 敵を含む全世界に向かって歩哨が位置を宣伝するなどはさせぬこと、炎に完全に照らし出され、半時間毎に騒々しく音を立てるなどといったことをさせぬこと。

4. 避けうるならば、銃弾が切り裂くときには天幕の中に居ないこと。そのようなときには地面の穴が多数の天幕よりも価値がある。

これらの戦訓が私の魂に何百万回となく染みとおっていった後、そして思い起こせぬことなど無くなったとき、奇妙なことが起きた。万華鏡のように変わったかと思うと、新たな夢を私は見ていた。



第二の夢(Second Dream)

"君はそれが何を意味するのか知っていたのだろうか? 戦の技はたちどころに身に着き、死が遥かに見えただけで即座に知識を得られるとでも?" Kipling

私は既に詳述した命令を受けて愚者の渡しにいるのに突如気付いた。隊の部下達は全く別人ばかりであったが、同様の編成である。前と同じく、そして以降の機会でも同じく、物資、弾薬、装備は潤沢であった。前回と立場は全く同一であったが、重要な違いがあった。私の脳裏を4つの戦訓が巡っていたのである。

命令を受けるとすぐさま、それゆえ、私は地形、暮れ行く太陽、わが軍の隊列に時間を費やすことなく作戦計画を立て始めた。我が隊の荷を降ろすと南へ去り行く我が軍の隊列は、すぐに見えなくなった。私は身に着けた戦訓全てと知っていること全てを実行する決意であった。

友好的であろうとそうでなかろうと、見知らぬ者が我が陣地に入り込み私が構えんとする精緻なる防御を調べるのを阻むため、それぞれ下士官一名と兵三名からなる検問所(examing post)を二つ、洗い出し丘の頂と、渡しから北岸へおよそ1000mの草原の中へと直ちに送り出した。彼らには、周囲を見張り、誰であれ人が近づけば警告を与え(ボーア人は勿論、ありそうにも無かったが、それでも可能性だけはある)、友好的であろうがそうでなかろうが人が営地に近づくのを止め、停止命令に従わなかったら直ちに撃てと命じた。仮に近づいてきた人物に売り物があるときは、見張りの一人が売り物の一覧表を持って来て、金とともにその人物のところへ戻ることとなり、いかなる場合においても営地のそばには見知らぬ者を寄らせない。


地図3(MAP 3)


間諜に対する自衛措置をこのように講じて、私は営地の選定へと進んだ。私が選んだのは前回の夢の場所と同じだった。理由も同一であり、私にはなおも説得力があるように思えた。塹壕に篭っていれば、一帯では最適の場所だと思ったのである。我が小さな営地を囲むこととなる、きっかりとした方形を線引きすると直ちに塹壕を掘り始めた。さて、勿論、北が正面である、そう私は考えていたものの、営地は全周防御をある種の障害として持つのが最善であろう。部下の大多数は掘るのを命じられ、彼らはいい顔はしなかった。ごく少数が天幕をたて、茶を淹れるのに割かれた。塹壕の長さは投じられる掘り手の数と比べて些か長すぎ、地面は硬かったので暗くなるまでに、部下達は辛い一日でかなり疲れ切っており、かなり低い胸墻と浅い塹壕ができたのみであった。それでも我々は塹壕に篭れた、これは大したことであったし、塹壕は営地全周を巡っていたから、仮に夜間や明日午前早くに攻撃を受けても我々の備えは良好であり、それに攻撃はほぼありそうに無かった。

この間、見知らぬ者一、二名が北の検問所にインシデンタンバ(Incidentamba)の下にある農場から近づいた。彼らは売り物の卵、バター、その他を持っていたので、手筈どおりに買い取られた。品を持ってきた兵の報告ではオランダ人の年長の方は極めて快活な男性であり、私にバターを一塊と卵を褒め言葉を添えて贈ってよこし、営地に来て私と話す許可を求めてきた。しかし、彼を防御の中に入れるような愚か者では無かったので、替わりに私が出向いた。これは彼が情報を持っている場合を考えてのことだった。彼の唯一の情報は近在には全くボーア人は居ないというものだった。彼は老人であり、手練手管の宝庫だったが、誑かされて信じはしなかった。彼は友好的であったし、忠実な可能性もあるが、私は辺りを見渡すために彼の農場への帰り道を中途までともに歩いた。暗くなって検問所の人員は二つとも戻って来た。そして私が見張っている対象のすぐそばに見張りを二つ立てた。すなわち渡しに前回の夢と同一の場所においてである。今回は、しかしながら、半時間ごとの点呼も、焚き火も無く、歩哨には営地の外に人影を見たら誰何せず直ちに撃つよう命じた。歩哨の配置は川岸で、天辺から外を丁度見えるだけの高さのところにであった。不必要に露出しないようにである。食事(tea)をとったあと、夕方には全ての火を消し、暗くなったら全員が天幕ではなく、塹壕に入った。歩哨が夜を快適に過ごせるか見回ったあと、私は任務を果たしている、防護措置は何も怠っていないと思いつつ身を横たえた。

夜明け直前、最初の夢で既に描いたのと同様のことが起きた。違ったのは茂みの中を動く何かに対して我が歩哨の一人が誰何せずに撃ち、それが営地に対して全周からの近距離射撃を始めるきっかけとなったことである。今回は敵は殺到(rush)してこなかったが、塹壕の各正面と、胸墻を越えたり突き抜けて銃弾がまったくの嵐となって飛び交った。
手を差し上げたり、頭をもたげるだけで十数発の弾が貫通したり周囲を飛び交った。そして奇妙なことには我々には誰も見えなかった。隊の剽軽者が悲しげに言ったように、我々には大勢のボーア人が見えるはずであった、"彼らの間の藪が無ければだが"。

日が明るくなるまで反撃で損害を与えようとして敵を見つけようとしたが無駄だった、余りにも多くの兵が撃たれ、完全に望みが無いように思われた、かくて私は白旗を掲げざるを得なかった。このときまでに24名戦死、6名が負傷していた。白旗が揚がると同時にただちにボーア人は射撃を止めて立ち上がった。射程100mまでのあらゆる茂みと蟻塚にボーア人が隠れていたかのようだった。この距離の近さが彼らの精妙なる射撃、そしてわが戦死者(ほぼ全員が頭を撃ち抜かれていた)が負傷者に比して大きな割合である理由であった。

連行される準備で集まっているとき、一つ二つ私が衝撃を受けたことがあった。一つは私に卵とバターを贈ったオランダ人がボーア人隊長と非常に打ち解けて話していることで、隊長は彼を"おじさん(Oom)"と非常な親しみを込めて呼んでいた。また近くの砦村からカフィール(南アフリカの獰猛な黒人部族)の成人男子が総出で連れて来られ、ボーア人の砲と荷馬車が渡しを越すのと我々から鹵獲した装備を積み込むほか、総じて半端な汚れ仕事をさせられているのにも気付いた。これらのカフィールは仕事をまるで楽しんでいるかのようにこなしていた。我が友人の"おじさん"から命令を与えられるとき、"口答え"は一切無かった。

またしても、私は痛む足で日がな一日歩きながら、この失敗をじっくり考えた。私は知っていることは全てやったのに、それでもなお、私はここにこうしていた、無様にも囚われて、24名が戦死し、ボーア人が渡しを扼しているのは奇妙に思われた。"あぁ、後知恵深慮よ"と私は思った、"既に分かっているのの他に学ばねばならぬ戦訓が二、三あるに相違あるまい" それが何か突き止めようと私は戦闘の詳細を振り返った。

ボーア人は我が陣地を知っていたに違いない、しかし、どうして発見されずに易々と撃てる距離まで近づけたのだろう? 川岸の茂みから撃つことでどんなにか大きな有利を得ていたことか、我々は彼らを見つけられなかったのに、我々は敵を探そうとするたびに胸墻の上に姿を露にせざるを得ず、そしてなによりもボーア人が我々が姿を見せると期待しているまさにその場所で身を晒したのだ。陣地にもある程度欠点があったようだ。時々胸墻を銃弾が貫通することがあったようだし、陣地のある側を通り過ぎた銃弾が反対側を守っていた部下に当たることもあった。そして全体として、"自然障害"である河床が防護としてよりはむしろ不利に働いたように思える。

次第に次の戦訓が私の頭の中で固まって行った、いくつかは新しいものであり、いくつかは先に私が身につけた4つの戦訓を補うものであった。

5 近代小銃(modern rifle)により、渡しやある地を守るということは(あたかもその地形がつまみあげられて運び去られるかのように)その上に居座ることを必然としなくなった、その地形がその他の理由が防御上の理由から保持するに適するというのでもない限り。守るべきその地点からある程度離れて防御陣地を構えるのが遥かに良いことがありえる、そして隠蔽地形(concealed ground)から離れること、隠蔽地形は敵が至近距離まで身を隠して悟られずに這いより、射撃するときですらも掩蔽から撃つのすら可能とする。可能ならば敵を開豁地に居させること、あるいはいわゆる開けた"射界"を持つのが良い。

銃弾を防げない胸墻や目立つものは銃弾を防ぐ代わりに単にひきつけるだけである。(#胸墻の)厚みは簡単に実地に試すことができる。ほぼ全周から至近距離で敵が撃ってくる場合、低い胸墻と浅い塹壕はほとんど役立たずであり、陣地のある側を守っていた者に当たらなかった銃弾が反対側を守っていた者に当たることがあるほどである。

6. 敵と血を同じくする見知らぬ者を備えから遠ざけるだけでは不十分であり、彼らがその友人にこちらの存在と居場所を教えるのを阻まねばならない。たとえ彼らが得た知識を伝えるという意図を有していない場合もである。料理本でいう"別のやり方"としては、より人命を節約できる方法として次のような手がありえる。見知らぬ者を十分な数だけ集め、暖かく挨拶する。数時間後には大軍がこちらに加わると胸一杯に十分に詰め込む。平仄をあわせて細部を彩り、ウィスキーや煙草と一緒に調味料を効かせて味をととのえる。これで至近のコマンドーにはほとんど十分であろう。コストとなるのは、大掛かりで口達者に嘘話をすることだが、人命は失われない。

7. 怠惰な者ども(彼らが兄弟同仁(brothers)であったり中立であったとしても)、疲労困憊した兵が急いで重労働をしようと骨折っているかたわらで、砦村で歯をせせっているのをほおっておく手はない。兵が怠惰な中立の者に労働の尊厳を教え、彼が他にゆき話すのを阻むため見張るのはむしろ義務である。

これらの戦訓がどのような忘却にもまさって頭によく焼き付けられるころに、奇妙なことがおきた。私は新たに夢を見始めたのである。


第三の夢(Third Dream)

"砲と一緒に茶を飲めば、もちろん、何をするかは分かるだろ、ホー、ホー!" Kipling
"So when we take tea with a few guns, o'course you will
know what do do-hool hoo!"

同様に晴れた午後、全く同一の条件下で愚者の渡しにいた。違いはいまや私の頭の中に7つの戦訓が巡っていることである。

私は直ちにパトロールを二隊送り出した。それぞれ下士官一名と兵三名からなり、一隊を北へもう一隊を南へである。
これらの隊は近在の農場および砦村全てを訪れて体の動くオランダ人男性および少年とカフィールの男性を、可能ならば説得により、必要ならば力づくで連れて来ることになっている。これにより我々の到着の知らせが付近のコマンドーに伝わるのを防ぎ、労働力の問題を解決するのにも役立つだろう。洗い出し丘の上に見張りとして少人数の隊(small guard)を置いた。

渡しが立ち上がって逃げ出すことはできないのだから、わが駐屯地或いは陣地をその付近に置く必要は無いと私は判断した。とりわけそのような陣地が川岸からの近距離の小銃射撃に置かれうるとあってはである。そして川岸は掩蔽として好適であった。川が馬蹄形にまがる内側は陣地として最悪のように思われた、そこでは敵が実質的に陣地を包囲できてしまうからである。そこで私が選んだのは地面が川岸からなだらかにあがった、渡しから南へおよそ700mから800mのところだった。そこに私は大まかに正面(北)に対して塹壕を掘るよう措置をとった。こうすれば正面に対して開けた土地が800mほどあることになる。通常の教則(rule)に従い、50名用に約50mの塹壕を掘り始めた。

掘り始めてから少し経って、パトロールが戻ってきた。オランダ人の男3名と少年二人に、13人ばかりのカフィールを集めてきていた。オランダ人たちのうちの長は学があり何か重きをなす人物のようで、自身のために塹壕を掘るよう道具を与えられると最初は頑なに抗議をし、様々な手練手管を用い、我々の虐待について将軍に苦情を申し立てるとか、さらには"議会"で問題にするとか大きなことを吹かした。これはしばし私を戸惑わせた、というのも議員が取り上げたら哀れな後知恵深慮に何が起きるか見当もつかなかったからだが、しかしウェストミンスター(Westminster)は遠く、私は心を鬼にした。最後には彼らは議論の論拠を理解するユーモアを持ち、というのはつまるところ、彼ら自身の身体のために必要だからである。つまり、仮に駐屯地が攻撃を受けるとすれば、掘らない限り開けた草原にいることになるのである。

カフィールはわが部下が疲れると有難くも手伝った。彼らはまた、我々の塹壕の背後、小さな谷の中に自分達のための穴を別に掘った。

夕方までにはかなりまともな塹壕を掘り終えた、胸墻は上端の厚さが2フィート6インチ(#1フィート0.3048m、1フィート=12インチとすれば76.2cm)で私は実際に試してみたところ、極めて防弾力があった。塹壕は一直線ではなく、二辺が斜角に繋がっており、より広い範囲を撃てるようにしていた(私が巧妙さを発揮したといえよう)が、各辺はそれぞれできるだけ直線になっていた。


地図4(MAP 4)


部下達にきっちりとした直線で掘らせるのがどんなに難しかったか、驚くべきことである。私はこの点にはとりわけ注意を払った、というのもある大尉(captain)が演習で上位の士官に塹壕が"雑然としている"と"叱り付けられた"のを以前に聞いたことがあったからである。明日"お偉方(brass hat)"がここいらに来て我々を検閲しないとも限らないし、何事にも備えていたほうがよい。

夕方tには洗い出し丘の見張り、彼らのところでも塹壕も掘り終えていた、に増援して6名とした。そして食事(tea)をとり明日の命令を与えたのち、我々は全員塹壕に入った。天幕は張らなかった、というのも我々は天幕に入る気はなかったし、我々の陣地を明らかにするだけであり全く良くないゆえである。捕虜、むしろ"客人"には警備をつけ、歩哨一名で彼らを見張った。

寝入る前に私は7つの戦訓を思い返し、成功するために役立つことは何一つ遣り残していないように思えた。我々は塹壕に篭り、銃弾からは良く守られた備えがあり、糧食と弾薬は塹壕の中で手の届くところにあり、水瓶は満ちている。適切なことは全てやり"お気に入りの幼い少年"となれることに満ち足りた思いで、やがて眠りに落ちた。

翌朝は明るく何事もなく夜が開け、朝食が出来るまでの間一時間塹壕の細部をさらに仕上げた。朝食が終わるころになって、洗い出し丘の見張りが北、悔やみの卓山の脇に砂塵が立っているのを知らせてきた。それは馬に乗った大勢が立てているもので、何らかの車を伴っていた。最もありえるのは敵であり、我々が渡しにいるのを知らずに行軍してきているように思われた。

敵が不審に思わずにそのまま来て、渡しを越えてこちらの陣地に気付かずに固まって来たら、大したこと(scoop)になると私は思った。身を低くして、前衛隊(the advanced party)を一発も撃たずに行過ぎさせて、本隊(the main body)が至近にくるまでひきつけて、その只中に弾倉一杯の射撃(magazine fire)で撃ち始めよう。そうだ、敵があのだいたい400m先の崩れた蟻塚まで丁度来たときに"撃て"と号令しよう。

しかし、そうはならなかった。少しして敵は停止し、明らかに何か考えていた。前衛の奴らは相談しているようでやがて次第にインシデンタンバの農場に非常に注意を払いつつ近づいた。女性が二人、三人走り出てきて手を振ると連中は農場へと直ちに全速で迫った。何が伝えられたかは、勿論我々には分からなかったが、明らかに女性は我々が到着したこと、その位置についての情報を知らせたのである。というのも反応は電光石火であった。ボーア人前衛は二つ大きな隊に分かれると、一隊は川の随分東へと馬首を向け、もう一隊は同様に西へ向かった。一名は得た情報を携えて本隊へと急ぎ馬を駆って戻った。すると本隊が活発になり、荷馬車とともにインシデンタンバの背後へと動き始め、そして見えなくなった。勿論、彼らは射程のかなり外におり、我々は構えも十分だったが、できることは彼らが開けたところで射程内に入って撃てるまで待つことのみであった。

時間はのろのろと進んだ、5分、そして10分が敵のその後の兆候が全くなく過ぎた。"失礼します、上官殿。あちらの残丘の頂上に何か見えるように思えます"と部下の一人がインシデンタンバの平坦な肩を動いている荷馬車のようにみえる数点のシミに注意を促した。私が双眼鏡の焦点をあわせている間に、丘から轟きが聞こえ、続いてごく近くの空中から鋭い音があがり煙が昇り、続いて音とともに塹壕の正面およそ200フィートのところに激しく降り注ぎ、その一つ一つが小さな埃を立てた。これは、勿論、御馴染みの"なんとまぁ、撃ってきた!"、"こうなると我々も長くは無いな"といった反応を引き出し、それはあまりに真実であった。私は愕然とした、私は砲撃を受ける可能性をほとんど忘れていたし、その存在を忘れていなかったとしても、私の今の知識では、どんな異なる防御措置をできるのか分からなかった。部下たちの間にいくばくか不安があるので、私はしっかりした塹壕と銃弾を防ぐ厚みある胸墻の中で安全だときわめて快活に、すぐさま叫んだ。"大丈夫だ。身を潜めておけ。そうすれば奴らは触れやしない" その直後、二発目が轟き、砲弾は音を立てて頭上を越え、塹壕からある程度背後の丘斜面に飛散した。

この頃までに、我々はできる限り胸墻に身を寄せてかがみこんでいた。ほんの少し前までは完全に思われたのに、この憎憎しい砲弾が空から破片を散らしてくるとあっては、いまや突如としてはなはだしく不適なように思えた。さらに一発轟いた。今回は砲弾はよいところで爆発し、塹壕の正面の地面全体に弾片が注ぎ、一名に当たった。このとき、洗い出し丘で小銃射撃が始まったが、こちらには弾は飛んでこなかった。ほとんど直後にさらに一発が続き我々の頭上に弾片が降り注いだ。さらに数名が当たった。彼らのうめきは聞くに堪えなかった。道具を握り、部下たちは狂ったように固い土をさらに深く掘り始めた、というのも我々の塹壕は嵐の風雨に対する茶の受け皿よりも守ってくれそうに無かったからである。しかし、遅すぎた。間に合うまでに地面に潜ることはできなかった。ボーア人は塹壕までの距離を細かいところまで把握し、いまや砲弾は頭上で恐るべき整然とした正確さで炸裂した。数名に当たった。そして敵が我々全員を殺すまで弾片を降らすのを止める理由は全く無かった。我々は何もすることもできず全く無力であり、私は白旗をあげた。私に出来たのは主に敵が速射砲(quick-firing field gun)を持っていなかったことを感謝することだけであった、"我々は長くは無かった”とはいえ、敵が速射砲を持っていたら白旗を掲げる前に完全にやられていただろう。

砲撃がやむとすぐに、大いに驚いたことには降伏を受けにインシデンタンバの砲兵陣地から降りてくるボーア人は全く見えず、三分以内におよそ50名のボーア人が東と西の川岸から馬を駆って現れ、さらに数名が洗い出し丘を廻って南から来たことであった。洗い出し丘の見張りは敵にある程度の損害を与えており、小銃で二名が負傷していた。砲弾はそちらへは一発も落ちなかったが、彼らがカフィールの小屋の近くにいたゆえなのは明らかであった。

私が初めてボーア人をみたとき、午前早くのときに抱いた心地よい期待からすると現実はかくもあっけないものなのか。

もちろん、農場の女性らが我々を裏切ったわけだが、ボーア人たちが農場の女性と会う前にまず停止して疑い始めたのかを解くのは難しかった。彼らは何を見つけたのだろう? 私はこの謎に全くお手上げだった。

その日の行軍の間に次の戦訓がゆっくりと導き出されてきた。そして既に学んだものに加えて心に蓄えられた。


8. 友好的な未知の人物およびその子息を集めて彼らが敵にあなたの存在や位置の情報を伝えるのを防ごうとするときは、仮にあなたが"奇襲という贈り物"を得ようと望むのであれば、未知の人物の妻、息女、召使男女(彼らにも舌はある)を忘れてはならない、そして彼の牛、ロバも(敵が使う可能性がある)。もちろん、彼らが非常に数が多く、極めて遠くに居るときは、これは不可能である。その場合は敵を奇襲することを望めないのみである。


9. 砲撃を受けるときは、低い胸墻の浅い塹壕は役に立たない、むしろそれよりも酷い。かりに胸墻が抗弾する厚みの10倍以上だった(bulletproof ten times over)としても。塹壕は敵砲兵が砲を向ける目標となる、そして弾片からは全く守ってくれない。良く狙いの定められた長距離砲撃に対してはこのような塹壕に身を寄せ続けるよりも開けた草と藪の中に、あるいは石や蟻塚の背後に散らばったほうがよい。部下が散開すれば、安んじて敵にわが塹壕の縁まで弾片で満たさせてよい。


10. 弾片を止めるには小銃弾を止めるよりも土の厚みは実際にはきわめて薄くて良いが、それには正しい方向に土が無ければならない。防護を得るには、天蓋(cover)のまさに下に居なければならない。塹壕の幅ができる限り狭く、側面と胸墻内面があたうかぎり傾斜が崩れない限度で急であれば、可能性は最も高い。塹壕の底部を広げると空間が広がってさらに良い、なぜならば塹壕の上端開口部をより狭めることができるからである。上端開口部が単なる細長い穴となればなるほど、入ってこれる弾片の数は少なくなる。

苦い経験から身に着けたこれらの戦訓をかみ締めるうちに、私はまた新たな夢を見た。



第四の夢(Fourth Dream)

"どんな力がこの贈り物を我々に与えられようか、他の者が我々を見るがごとく自身を見るという!"
0 was some power the giftie gie us, To see oursels as
others see us!"
BURNS(#Robert Burns、スコットランドの国民詩人
To A Louse
On Seeing One On A Lady's Bonnet, At Church
1786
Type: Poem
http://www.robertburns.org/works/97.shtml )


再び、私は同じ問題に直面していた。今回私を導くのは10の戦訓である。私は前回の夢で描いた通りにパトロールを送ることから始めた。しかし命令は少々異なっていた。人は全員わが駐屯地に連れて来られること、敵の役に立ちそうな動物は全てを射殺すること、これは動物のための場所は無いがゆえである。

防御陣地については前回の夢で既に描いた場所を選定した。既に述べた理由から大変適切であると思われたのである。必然的に既に述べたのと同様の計画で塹壕を掘ったが、敵が砲を使う可能性を恐れて、塹壕の各辺はかなり異なっていた。計画では全体として北を向いており、正面に向かってかすかに両辺を下げ加減であるが、各辺はかなりまっすぐである。各辺の深さは3フィート6インチ(#106.68cm)、胸墻は正面からは高さおよそ12インチ(#30.48cm)、塹壕の上端幅は自由な移動が損なわれぬ限りでできるだけ狭くした。各員は塹壕下部をそれぞれにあうように広げ、各自の持ち場の胸墻を背丈に合わせて作った。胸墻は上端幅がおよそ2フィート6インチ(#76.2cm)で、内部の傾斜はかなりきつく、壊れた蟻塚のかけらから作られていた。このかけらは石とほぼ同じくらい堅いのである。

ほどなくパトロールが成人男女子供、数名を連れて戻ってきた。女性らは役立たずの悪態をついてばかりで命令に従うのを拒否し、事態を男性と比べてあまり哲学的にとらえていなかった。ここは明らかに私がかつて副官(A.D.C.、 # aide-de-camp)だったときの短期訓練を生かす機会である。そこで使ってみた。私は女性らに最大限丁重に接してあまたの"手管"を用い、オランダ語での唯一の慰めの言葉である"Wacht een beetje"と"Al zal rech kom"を繰り返したが、全く効き目は無かった。彼らは手管が分かるような育ち方はしておらず、一切受け付けなかった。私は無念に軍旗軍曹(the colour-sergeant)へと振り向き、まばたきをしてみせつつ厳粛かつはっきりと、軍曹の左まぶたが応じかつ敬意を持ってまばたくのをみつつ言った、"軍旗軍曹"

"上官殿?"

"農場に火を放つに最良の方法は何かね?"

"そうですね、上官殿。大きな寝台と藁を選ぶのもいるでしょうが、私はハーモニウム('armonium)と灯油を少々一角にまくのに勝るのは無いと思います"

それ以上の必要は無かった。淑女達はこのような手口ならば非常に理解する。問題は終わった。


地図5(MAP 5)


オランダ人とカフィールはただちに自身および女性子供のために避難場所を掘り始めた。女性子供は一箇所に集められて塹壕から遠くない小さな谷に置かれた、というのも彼らを本当に深い塹壕に入れる必要があるからである。これは第一に彼らの安全のためであり、第二に敵に手を振ったり、信号を送ったりするのを阻むためである。この谷のおかげで、それゆえかなり掘る手間が省けた、というのも谷底を掘り広げて少々削るだけで立派に使えるようになったからである。

全員が熱意を持って堀り、夜までには女性子供および男性捕虜の避難場所、射撃壕(firing trench)がほぼ仕上がった。見張り、歩哨に関する措置は前回の夢で記述したのと同一である。そして全て正しく行われており淑女らが下に潜り込めるよう天幕が与えられ(彼らは自分で毛布を持ってきていた)ているのを確認し、わたしは防護がよくなされているとの思いとともに眠りについた。

翌朝の夜明け、敵の兆候は全く無かったので我々は塹壕をさらに改良し、必要なところでは深さを変えたり調整し、各員の脚の寸法に合うように塹壕を整えた。最後には塹壕は極めて快適に、"ほとんど母の手作りのように素晴らしく"なり、真新しい赤土が草原の黄色とよい対照をなした。わが予備役兵(reservist)の一人が言ったように、牡蠣やジンジャービール(edging of oyster shells or gingerbeer bottles)があれば郷里のちいさなブロッコリー畑のようだ。これらの重要な点を踏まえつつ、朝食として2時間たっぷりが過ぎ、北に前回の夢と同様の位置で敵が報告された。前回と同じように敵は進んだが、勿論、前衛は農場で誰にも会わなかった。私はこれをみて、自身をねぎらいつつも穴の中のオランダ人淑女らに微笑みかけずにはいられなかった、すると彼女らは私を睨みつけ、(声をひそめて)唾を吐きかけてきた。

敵の前衛隊は近づき続け、農場をすぎるときは注意深く様子を伺い忍んで通り過ぎた。敵はほとんど無警戒のようであったので、私は奇襲できるかもと思った。全く我々の存在に気付かないところを、近距離からの一斉射撃(close-range volley)、そして敵の只中に弾倉を空に射撃(magazine fire)して。そこで突然敵の一人が停まり、他の者がその周りに集まった。このときおよそ1800mも離れており、インシデンタンバの切れるあたりの高さのところであった。かれらは明らかに何かを見て、危険を嗅ぎつけたのだ、というのも短く話してあちこち指差していたからである。伝令が本隊に馬を駆って戻ると、本隊はインシデンタンバの背後で、荷馬車やその他とともに道を曲がった。白馬に乗った一名を含めた少数が西へおおまかに道をとった。この動きの目的はよく分からなかった。この隊は何らかの車両の類を伴っているように思えた。前衛隊は既に前回の夢で描いたように二手に分かれた。敵は全て遠くにいるので、我々ができるのは待つことのみであった。

ほとんどすぐに、インシデンタンバの頂上で砲が轟音を発した。そして我々から程遠くないところで榴弾(sharpnel shell)が炸裂した。二発目、三発目が続き、その後は我々までの射程を正確につかみ、我々のまわりで砲弾が炸裂し始めた。しかし、我々はきちんとした深い塹壕に居心地良く安楽におり、満足して身をかがめているのだった。敵が立派な価値ある榴弾を浪費しているのは我が部下を非常に面白がらせた。部下の意気は高く、一人が述べたように、"隙間に入っているごきぶりのように居心地がよい"のだった。多数の弾を消費してたった二名、それも脚に当たっただけであった。

しばらくして砲撃は止み、我々は直ちに胸墻で配置につき攻撃を撃退すべく立ち上がった。しかし、我々はボーア人は見ることができなかったが、大気はあっという間に銃弾の擦過音とうなりで満ちた。ほぼ全てが正面、北および北東の川岸から来るように思え、胸墻にあたるたびに埃が噴きあがりそれが絶えることは無かった。我々にできたことは川岸のそれらしきあちこちの茂みに音を手がかりに撃つことであり、我々はあらゆる努力をこれに注いだが、眼に見えるほどの結果は無かった。

およそ15分後、最も露出する部分である頭部を撃ち抜かれた者が5名となった。射撃しようと頭をもたげるだけで、絶対に命取りとなるように思われた、これはこれまでの夢で身を潜めた敵に対して胸墻越しに至近距離で敵を撃とうとするときにも起きていた。石や蟻塚のかけらで賽の河原の石積み(house of cards)を始めた哀れな者を二人みた。これは胸墻の上に煙突があるくらい眼を引きやすく、彼らが使う前に粉々に撃たれてしまった。しかしこの事態を解決する手を私に思いつかせてくれた。そう、このような場合は、我々は"天蓋(head cover)"と"銃眼(loopholes)"が必要なのだ。いつもの事ながら、事が起きてから私は知恵が働く。今作れる可能性は全く無い、仮に我々が忙しくなかったとしてもである。突然射撃音がさらにもっと激しさを増し、しかしあたりの土にあたる銃弾の衝撃があまりに間近であり、この新たな射撃がどちらから来ているのか分かるのはたやすくなかった。同時に部下達が倒れるのもさらにしげくなったように思えた、そして私が彼らに正面に活発に射撃し続ける必要性を念押ししようとしたとき、胸墻の内側に弾が当たるのを見た。

これで明らかとなった、敵は明らかに我々の背後の谷にいた。(後方であったので私は何の注意も払っていなかった谷である)。そして我々が胸墻に立ち上がると背後から撃っていたのである。

これが"背後を突かれる(taken in reverse)"に相違ないと私はおもった、そしてその通りであった。

何が起きているのか把握したときには、既に十数名の部下が斃れていた。そこで私は全員に塹壕に篭り、正面か背面を撃つときだけ身を出すように命じた。しかし、正面に対してと同様背面についても何もできなかった。状況は同じだった、ボーア人は一人も見えなかった。この瞬間、洗い出し丘の見張りのうち二人が我々の塹壕へと駆け出してきた、そして彼らを包むように激しい一斉射撃が始まり、彼らが走るにつれて、その周りは銃弾がたてた埃の雲となった。哀れにも一人は倒れたが、もう一人はなんとか我々の塹壕まで辿り着き倒れこむように入った。彼も手酷く撃たれていたが、彼と駆け出したもう一人を除いては洗い出し丘の見張りは全員戦死か負傷し、ボーア人たちが次第に頂上へと途を開いたことを息をきらせつつも告げた。まことに意気のあがることであった。

射撃が余りにも激しく地面から頭をあげた者は一人残らず撃たれるほどであった、そこで屈み込んだままで狙いをつけずに塹壕の縁から小銃を出して撃つだけにして、暫しの間だけ損害を出すのを押さえられた。この手はしかし、すぐ使えなくなった。というのも塹壕の右辺の者が十分身を潜めて全く身を晒していないのに不意に斃れ始めたのである。やがて私はこの原因を発見した。洗い出し丘の頂上に敵狙撃兵(sniper)が到達して、我が塹壕の右辺を撃ち下ろし始めたに相違なかった。銃弾がますます多く飛び込み始め、狙撃兵の数が増しつつあることは明らかであった。

これが"側面から縦射を受ける(enfiladed from a flank)"に相違あるまいと私は考えた。そしてその通りであった。

命令もいらず、我々は本能的に塹壕の右辺を空けて左辺へと這って入り込んだ。左辺が川南岸のどこからでも縦射を受けることは無いのは非常な幸運であった。さらにはいかなるところからでも小銃射撃によっては不可能であった。というのも地形上、左辺を右に延長していった先は北岸の草原の中およそ3000mのところだったからである。

我々は罠の中の鼠のようにほとんど無力に寄り集まっていたとはいえ、突撃以外には敵は何も出来ないと考えるのはわずかばかりの慰めとなった。そこで我々は銃剣(bayonet)を着けて押し黙って待った。敵が突撃してきたら、我々には銃剣があり、敵には無い。そこで取っ組み合いで我々の命を高く売りつけてやることが出来るだろう。

あぁ! 私はまたもや裏切られたのである。肉弾戦と利器(cold steel)の出番は無かった。というのも突如、我々が耳にしたのは北のほうの草原は遠くから、誰かが錫の容器を叩くような音であった。そして小さな砲弾一連射が塹壕のすぐそばの地面に着弾した。うち二発は地面に着くなり炸裂した。小銃の射程外、北の開けた草原にボーア人の一隊が白馬と車両とともにいるのが見えた。こうして私にも分かった。しかし我々がどこに居るのかを知るまえにどうやって我が塹壕を縦射できるまさにその地点を探り当てることが出来るのだろう?

ふたたび、ポムポム、ポムポムと音がして、小さな鋼の悪魔が我々のいる砲弾受けの真ん中へと飛び込み、7名がめちゃくちゃにされた。私は職業のなせる大いなる極致から状況をたちどころにみてとった。我々はいまや両翼から縦射を受けている、しかし我々の役に立つにはこの知識を得るのは遅かった、というのも、

"我々は事務方の長の雌豚の太鼓腹のように丸裸で、北海の嵐に晒されている"
"We lay bare as the paunch
of the purser's sow,
To the hail of the Nordenfeldt."


これが最後の一本の藁だった。降伏するかさもなくば長距離から完全に撲滅されるかだった。私は降伏した。

ボーア人はいつものように辺り中から立ち上がった。我々は3時間戦い、戦死者25名、負傷者17名であった。そのうち正面からの弾片や銃撃による負傷はわずか7名であった。その他は全て側面、つまり敵はわずかしないはずのところや、背面、全く敵はいないはずのところ! から撃たれて死亡あるいは負傷したのであった。この事実は私の正面に関する先入観、そして他の方角に比しての正面の危険度について、かなりの修正が必要だということを納得させた。これまで私が抱え込んできた考えは仮借なく拭い去られ、疑いの海につかり、何か確実な、しっかり掴まれるものをもとめて手探りするのであった。詩人のロングフェロー(Longfellow)があの不滅の詩句、"物はそうみえるのと同じではない(Things are not what they seem)"と書いたとき、彼は私の立場にあったのだろうか?

全ては隙間(crack)からさきゆき良く始まったというのに、完全な敗北にまみれ、生き残った者は当然のことながら少々意気消沈していた。これは様々な形で現れた。ある兵が耳の穴に布切れを詰めていた伍長に言った。

"何かおかしいです、私が思うに、この縦射騒ぎとか。敵がどちらから来るか全く分からなかった。本当にうんざりです" するとこれに暗い調子で答えがあった、"縦射されたかって? もちろん我々は縦射されたんだ。この塹壕は折れ曲がりを少々つけるべきだったんだ、そうすればそんなに縦射されることもなかったろうよ。そうだ、折れ曲がりだ、そうしてしかるべきだったんだ" これに三人目が割り込んだ。"そうとも、そして敵の奴らが背中から撃ってくるのを防ぐなにかがあってもいずれにせよ害にはならなかったろうよ"

地上には私がこれまで自分の哲学ではゆめゆめ思いもよらなかったようなことがまだまだあるのだ!

ボーア人の見張りを付けられて北へと歩んでいくあいだ、上のような細かな点が私の心に染みとおっていった。しかしなぜ我々は敵を奇襲するのに成功しなかったのかの謎はしばらくの間解き明かせないでいた。我々の到着を知る警告を与えることができた男性、女性、子供、カフィール(南アフリカの獰猛なる黒人部族)はいなかった。かれらはどうやって我々の存在をあんなにも早く突き止めたのだろう? 午前中のあの停止と相談のときに明らかにこちらを突き止めていた。インシデンタンバを過ぎるとき何気なくたまたま辺りを見回して敵の視点から戦場をみて、この謎の単純な回答をようやく発見したのだった。渡しのすぐ南のなだらかな黄色の草原の坂の中に赤茶色の線が一筋あった。これは懐かしきサセックスの田舎のウィルミントンの巨人(the Long Man of Wilimington)ならば大声をあげて、"ホゥ、ホゥ! これは英軍の防御の構えじゃな"というくらい一目瞭然であった。間抜けなアリック(slick Alick)のようにばればれの塹壕の中に座って誰かを奇襲できると期待していたとはと沈鬱に私は微笑んだ。

縦射され背面を突かれたことをおいても、至近距離から身を隠して撃ってくる敵に対し、射撃するために定点に姿を見せざるをえぬため我々はまたしても不利であった。

やがて、私は次の戦訓を得た。


11. 小さい孤立した陣地(post)と積極的な敵の場合は、側面、背面というのは一切無い。言い換えれば全周が正面である。

12. 背面を突かれる可能性に留意せよ。守備を配置し措置するときは、塹壕正面の敵を撃っているときに敵の一部が背後から忍び寄って撃ってこれないようにすること。

13. 縦射される可能性に留意せよ。側面から縦射されると酷いことになり、両側面からされると一層酷いことになる。

また小銃射撃により縦射されないように措置した場合でも、長距離からの砲やポムポム砲(pompom fire)といった手段に対しては開けっぴろげになっていることがある。どこからも縦射されないような直線塹壕はほぼ無い、敵がそこへ到達できればであるが。ときには延長線上に、到達して撃ち下ろせないところに塹壕を掘ることで避けられることもある。あるいは塹壕をジグザグに掘り、直線としないことで、或いは塹壕に土橋(traverses)を設けることで、或いは二、三名ごとに別壕を掘るのも良い。

14. 見渡せず保持することもできない高所の近くに塹壕を設けてはならない。

15. 囲いの中の羊のように、小さな塹壕に兵を全て集めてはならない。広い余地を与えよ。

16. 既に導いたように、視界から身を隠す隠蔽のほうが、弾を防ぐ掩蔽よりも勝ることがしばしばである。

隠蔽されていない塹壕からの近距離射撃(close shooting)については、天蓋のある銃眼が有利である。これは銃弾を防ぎ胸墻の上に目立つように置いてはならない、つまり敵火を引き付けるところでないこと。さもないと銃眼がないときよりも遥かに危険となる。

17. 敵を奇襲するのは非常に有利である。

18. 奇襲の利を得んと欲するならば、陣地を隠蔽せよ。昇進のためには陣地を見せびらかすのが良いかもしれないが、防御のためには異なる。

19. 隠蔽やその他陣地について検査(test)するときは、敵の視点から見ること。



第五の夢(Fifth Dream)


"わずかばかりの惨めさが勘定書きにもう一行加わった"
"A trifling sum of misery
New added to the foot of they account"
DRYDEN.

"ジャック・フロストはある静かな晴れた晩考えた、
そして言った、"僕は視界から消えて、谷を越えて、高地を越えて
静かに道を行こう"
"Jack Frost looked forth one still clear night,
And he said, 'Now I shall be out of sight,
So over the valley and over the height
In silence I'll take my way."
GOULD.


再度、私は新鮮な心と望みを持って同一の課題に対していた、私のこれまでの試みで今手元にあるのは19の戦訓のみである。

既に前回述べたようにパトロールを二隊と洗い出し丘に見張りを送ったのち、私はおよそ20分ほど掛けて、物資その他が整頓されている間に、19の戦訓に照らして守るべき位置を選定すべく歩き回った。

私の達した結論は丘の頂上付近にありながら、頂上自体に居ないのは意味が無いというものであった。私は洗い出し丘の頂上を陣地にすることにした、そこなら小銃射程内ではどこからも見下ろされることは無く、またそこなら私が思うに"瞰制(command)"がきくと思ったからである。瞰制の意味についてはさほど定かではなかったが、それが重要であることは知っていた。本でもそう書いてあったし、くわえて、私が参加した演習や読んだ戦術想定(tactical schemes)の全てにおいて、防御側は常に丘の頂上から尾根に陣地を占めていた。私の任務は平易であった。洗い出し丘のみが私の身に着けた19の戦訓に反しない唯一の場所であるように思われた。そして私は丘を歩き登った。頂上にあるカフィールの砦村の小屋の一つの脇に立つと、渡しと丘のふくらみのすぐ先までの渡しへの南方からの道がよく見渡せた。そして川の東西もはっきりと見れた。私は最初、数軒の草と敷物の小屋、空の灯油缶や骨やがらくたの山と一緒にカフィールの砦村を作っている小屋を破壊しようかと考えた。しかし熟慮の上、もっと巧妙にやることにした。この何の変哲も無いカフィールの砦村に我が防御を隠すのに一役担わせるのである。細部まで作戦計画をつめると丘の上に物資を全て運び、作業を開始した。

パトロールが捕虜を連れて戻ってくると、オランダ人と少年達は自身および女性のために掘るよう伝えられた。砦村のカフィールたちはただちに手伝わせていた。


地図6


私のとった措置は次のようなものであった。丘の頂上の小屋そば近くで全周に、10個ばかりの短いが深い射撃壕(firing trench)を掘る。配置は弧状をなし、各壕は5名を入れるだけの長さがあり、胸墻は大変低く実際には小銃托座(rifle rest)としてのみ機能する。掘り出された土を一部を塹壕の背面およそ1フィートかそこら(30.48cm)の高さに積み上げ、残りについては後ほど触れることに使った。大体において胸墻には地面の高さまで溝を入れ、塹壕両縁の胸墻の高さは頭部を守るに足るだけであった。兵の頭部が本当に目立たないような背景として、きちんとした銃眼を作るのは不要であった。銃眼を作るとなると新品の土嚢を用いるのが必要となり、これはかえって目立ち隠すのに骨が折れるためである。部下たちがこの塹壕から射撃するときは、彼らの頭部は地面の高さのすぐ上となる。射撃壕が順調に進むと連絡壕(the communication trence)に手を着けた。連絡壕は幅を狭くして深く作り、塹壕を隣同士で繋ぎ、かつ、各塹壕を小屋のうちの4軒と繋ぐものである。この4軒の小屋は以下のような措置を講じた。すなわち、中から見られぬまま兵が立って撃てるようにしたのである。小屋の内側の壁沿いに潤沢にある塹壕から掘り出した土を土嚢に詰めたもの、蟻塚のかけら、石、その他を人がその上越しに撃てる高さまで積み上げた。これはおよそ4フィート半(#137.16cm)であり、厚みは上端で2フィート半(#76.2cm)ほど。そして銃眼を小屋の壁にこの胸墻の上のところに切り開けたが、ほとんど見えないものであった。各小屋には三名が撃てるだけの空間ができた。全てで4つの小屋のうち3つには最高の射手(best shot)を入れ狙撃手とした、この配置は塹壕よりも射撃により好適であるからである。そして4つ目の小屋は私が自身の展望塔(conning-tower)として使うことにした。天幕と物資は全て小屋の中、見えないところに仕舞われた。

その晩、部下の間からかなり不平の出たきつい作業にもかかわらず、射撃壕は完成したものの、他は未完であった。必要な深さの半分までしかいってなかった。小屋の中の土盛りもまだまだ完成していなかった。カフィールとオランダ人は深穴を前回の夢と同じく掘ったが、今度は小屋のうち三軒の中にであった。塹壕に入る前最後に弾薬と糧食が配られた。また水瓶および水を溜められる容器全て、空瓶、カフィールの瓢箪、料理鍋に水を詰めて、戦闘が長引いたときに備えて配った。ボーア人が明日午前早々に現れたときに我が陣地を暴露しないよう最大限秘匿する必要について命令を出したのち、私は自信をもって眠った。我々はともかくも極めて良い陣地があり、連絡壕はまだ完全ではないが、明日午前時間があればほどなく改善できるだろう。

翌朝となった。敵は見えなかった。これは素晴らしいことだった、そして昼前に我々は懸命にとりくみ、終えていなかった作業を完成させた。この頃には部下達は事に熱意を持って取り組むようになっており、可能ならば我らが同胞ボーア人を奇襲したいと意気込んでいた。掘り方が進む一方、朝食のためディキシー(dixies)が4箇所の草の幕の下で煮立てられた。この草の幕は転がっていたのを見つけだし、陣地の上に極めて自然な煙以外は出ないようにするために用いた。私は下士官の中で最も賢い者一、二名を選んでそれぞれ別な方向へ丘を下ってゆき川岸から射撃壕の中の兵の頭部が空を背景に見えるところがあるか確かめるように指示した。もし空を背景に頭部が目立った場合は、土盛り、缶、骨、草、幕その他を置きかえて全員の頭部の背後が覆われるようにした。

全体を見渡すため、私は従卒(orderly)とともに川の北岸を半マイルほど先まで歩いていった。ある程度の距離を行くので我々はヘルメット(helmet)は脱ぎ、カフィールの淑女の客人から借りたオレンジと赤紫の縞の毛布に身を包めていった。これはさすらいのボーア人がこのあたりに潜み、草原をカーキ色が二人うろついているのを見れば興味をひきつける可能性を考えてである。毛布の下に小銃を隠すと歩きづらかった。そしてそれ以上に二分毎に振り返って陣地の見張りが敵が視界に入ったという信号を出していないか確かめる必要があった、これは一番高い小屋で棒を掲げることで知らせることになっていた。我々の仕事の成果は素晴らしかった。(#陣地の潜む)丘の上のカフィールの砦村をみると、我々の眼には単なる砦村にしか見えなかった。砦村の周囲にはがらくたが積み上げられているのが常であり、ごくごく自然に見えたし、(#塹壕から突き出る)頭部も見えなかったし、塹壕も見えなかった。唯一つ至らぬところがあった、それは無考えな者が我々の見ている間に軍の茶色の毛布を小屋の上や草原に広げて陽に当て始めたのである。全く見知らぬ者からみて、この四角の染み、砦村のあたり中にある茶色の四角い絆創膏(sticking-plaster)は何か常ならざるものとして注意をひきつけるだろう。手遅れとなる前にこれを正すべく私は急ぎ戻った。

朝食を済ませたのち、そして夜明けから大体三時間後、ある小屋の歩哨が北に部隊(force)を知らせてきた。我々にできるのはただ待ち望むのみであった。全ては整い、全員がなすべきことを知っていた。私が展望塔から笛を吹くまで頭を塹壕からもたげたり小銃を撃ったりしてはならない。笛とともに全員が立ち上がり射程内の敵に対し弾倉を空にするまで射撃する。砲撃を受けた場合、小屋の中の兵はただちに深い塹壕に入り、安全である。展望塔に立ち、渡しをみる狭間(loophole)にて今後の可能性について私は考えた。非常に幸運であればボーア人の斥候(scout)は我々の脇のどちからを通り過ぎ、敵本隊に備え我々は身を低くして待つことができよう。火蓋を切るまえに本隊をどれだけ近寄らせるべきか正確なところをみて、命令を下す瞬間に最適の地点を選ぼうと渡しと渡しから南へを正面とする射撃壕から小銃を構える高さからどう見えるかを知っておくため私は降りていった。非常にぞっとしたことには、射撃壕からは渡しも、川の此岸の道路は洗い出し丘からかなり南まで行ったところに至るまでが見えなかった! 洗い出し丘がなだらかに膨らんでいるためこれらが視界から隠されているのである。これが死角(dead ground)というものに相違なかった! そしてまさにその通りであった。敵を攻撃するのに最適のその地点、敵が必ず通過するところに射撃を向けられないのである! せいぜい、展望塔と別の一軒の小屋の北側銃眼だけが渡しに射撃をすることができるのみであった。どんなに己の愚鈍さを呪ったことか! しかし、呪っても何の役にも立たない。丘の下部で新たに塹壕を掘り始めることもできない、そうすれば我が陣地全体を暴露することとなろう。私は最大に生かすにはと考えを切り替え、敵斥候に発見されなかった場合は、敵本隊が川の対岸、前方の隊列が渡河するのを待って蝟集しているところに火蓋を切ることにした。その地点になら撃ちかけることができた。しかし、私が意図していたよりは遥かに射程が延びた。私がこの重大な欠点に気付けたのは本当に僥倖であった、さもなければ敵本隊の大部分が渡しを過ぎてからこの死角について気づいていたらば遅きに失したということになっていたであろう。また私が思ったのは、(大して慰めになるわけではないが)、私と同様の過ちをする者は大勢いるということであった。というのも幾度と無く騎馬で乗り付けてきた"お偉方(brass-hat)"が馬上の高みから、小銃が地面からわずかの高さにある塹壕の正しい位置を正すのを見てきたからである。しかし、それらの塹壕は実際に用いられるという試練を経はしなかった。私の失敗もこの伝であった。

その間、敵斥候は前回の夢と同様に進んできており、違いはインシデンタンバの農場を過ぎた後も不審げに停まることなく、しかし小さな集団あるいは塊となって近づいてきた。敵斥候は数箇所で川を渡り、藪だらけの川岸を極めて慎重に探り、しかし、まったく"カーキ色の兵隊(khakis)"は見つからず、明らかにそこから先の開けた草原にいるとは思ってもいず、ほとんど注意せずに前進した。いくつかの群れがまとまり、およそ30名ばかりの一団となって話しながら近づいてくる。敵斥候は砦村を調べるだろうか、それとも通り過ぎるだろうか? 私の心臓は高鳴った。
残念なことに我々の居る小さな丘は彼らをひきつけた。というのは南へ地平を見晴るかすのに有利な位置であり、北の本隊に信号を送るのにも好適であった。それに砦村は本隊が渡しにくるまでのちょっとの間、鞍から降りるのに良いところである、つまりおそらくは火が、それゆえ一杯の珈琲がありえるからである。敵斥候は疑うことなく砦村に向かって笑い、しゃべり、煙草を吸いつつ近寄ってきた。我々は全く音を立てなかった。わがオランダ人とカフィールの客人もまた音を立てなかった、なぜならば彼らの穴には小銃を携えた兵が居たからである。とうとう敵斥候は北東におよそ250m離れたところで停止した、そこは丘の傾斜がなだらかで上まで見渡せるのである。数名が馬を降り、残りはそのまままた我々目掛けて進み始めた。たいしたものではないが、これは戦争である。私は笛を吹いた。

敵斥候のうち馬を全速で駆けさせて逃れたのがおおよそ10名、また放れ馬(loose horse)も数頭あった。5,6名が手を上げて我々の陣地に歩いてきた。一帯には足掻く馬や死んだり呻いている人間が残された。東と西の敵斥候隊はただちに川へ馳せ戻り、そこで物陰で下馬して銃を撃ち浴びせてきた。ともあれ、我々は何ごとかなしたわけである。

眼前の敵が四散するや、われわれはおよそ1500m先の敵本隊に射撃を開始した。敵は直ちに停止し、散開した。我々はかなりの損害を与え、非常に混乱させたのは見るだに慰めとなった。敵本隊を率いるボーア人は河床が安全だと知ったに相違なく、極めて大胆な動きをした。彼は荷馬車全てその他を全速で400m余り河へ向かわせ、河床へ渡しから乗り入れた。そこなら我々の射撃から安全であった。この短い距離でも敵の損害は大きかったに相違ない。というのは荷馬車のうち二台が川への途中で放棄された。この敵の動きは川岸へ馳せ寄り、下馬し我々に向かって撃ち始めた多数の小銃手による射撃、および砲二門とポムポム砲一門の援護下でなされたものである。敵砲兵は直ちに短く戻って東西に別れていたのであった。これはかれがとりえる最善といってよかった、また仮に敵が我々が川の渡しから南側を撃てないと知っていたら、彼らはまっすぐに殺到してきた可能性もありえた。

ここまで我々は得点をあげてきた。しかし、いまや手詰まりとなった。我々は北の川岸と、ほぼ全周の蟻塚などから撃たれ、また断続的に砲二門が撃ってきた。敵は小屋をよい練習の的にして、ほどなく小屋は粉々となったがそれでも役目を果たしてくれた。小屋の内部から散らばった新品の白い土嚢が敵の視界に入り、それがどんなに素晴らしい的であるか、何度も砲撃を受けるので分かった。土嚢は実際の塹壕から多数の砲撃を逸らしたに違いなかった。ボーア人が渡しから南へ我が陣地から射撃を受けずに進めると気付くまでは、彼らを食い止めておくことが出来よう。

彼らは気付くだろうか? 彼らは我々の全周で馬を乗り回し、射程外のところでである、我々については全てを知り我々が孤立していることに気付いているに違いない。

夕方が過ぎると、その頃まで我が方では一名が戦死、二名が負傷していたが、敵の攻撃は、連続しているが漫然とした小銃射撃と時折砲が弾を寄越すだけとなった。暗闇に隠れて、渡しとそこから南の死角ににらみを利かせようとして、私は兵を塹壕から立たせてみた。しかし、数名の損害が出たため真夜中には塹壕に引き上げさせざるを得なかった。というにも明らかに敵が起きていて我々に猛烈な小銃射撃を一時間以上も放ってきたからである。このとき、敵の砲撃は不可解な変貌をしていた。最初は我々は北から極めて激しい砲撃を受けていた、北はずっと敵砲のいた方角である。それから突然、南西で一門が我々に向けて砲撃を開始した。それからしばらくの間我々は北と南西の双方から砲弾を食らった。そして少しして北の砲撃が止み、南西はわずか20分間しか続かなかった。南西の砲も止み、そして小銃射撃も次第に途絶えていった。

日が明けると生きている者は見当たらなかった。死者、死馬、打ち捨てられた荷馬車がみえた。私は罠を恐れたが、やがてボーア人は引き上げたという結論に達した。しばらく後、敵が川岸からも撤収しているのに気付いたが、敵は引き上げたのではなかった。彼らは我々の死角に気付き、砲の相互支援のもとで、我々を塹壕に釘付けにして渡しを越えて南へと進んでいったのである!

しかり、我々は捕らわれはしなかった、そして損害もごくわずかであった、かつ敵に手酷い損害を与えた、しかし彼らは渡しを越えたのである。敵にとっては前進し続けることが明らかに非常に重要であった、さもなければ彼らは我々を捕らえようとしたであろう、なんといっても我々が50名なのに比べて彼らは500名ほどであった。

私は任務に失敗した。

それから数時間、我々は死者を葬り、負傷者に手当てし、当然の報いとして休息をとり、私には我が失敗とその原因について考える十分な余暇が与えられた。この戦闘から私が得た戦訓は次の通りである。

20. なだらかな傾斜の丘と死角には気をつけよ。敵が通過せざるをえない地点を射撃下に置くよう留意すること。射撃壕は適切な位置をその壕を使う兵の視線の高さに自分の目を置いて定めること。

21. 丘はつまるところ、"瞰制"が効くとしても、必ずしも守るのに最適の場ではない。

22.目立つ"偽(bluff)"塹壕は敵に多くの塹壕を無駄遣いさせ、そして、本当の防御から敵砲火を遠ざけえる。

これらの戦訓に加えて、私が少々気がかりであったのは私の失敗について連隊長(colonel)がなんと言うかであった。

寝転び、空を見上げつつ、私は今後ありえる攻撃に備えて防御をさらに固め始める前に少々眠りをとろうとした。しかし、それも役立たなかった、眠りのほうで私を避けた。

澄んだ青い天穹に突如として雲がかかり、次第に大佐の渋面となっていった。"なんだと? 君が言わんとするのは、後知恵深慮君、ボーア人が渡しを越えたというのかね?" しかし私にとって幸いなことにさらに言葉を継ぐ前に大佐の顔は次第に消えていった、"不思議の国のアリス(Alice in Wonderland)"のチェシャ猫(the Cheshire puss)のように、ひどいしかめ面を空に残して。これも最後にはちりぢりとなってしまい、全体の光景が変わった。また私は新たな夢をみていた。

#以下投稿容量制限のため追記に
[愚者の渡しの防御 ボーア戦争における英軍小隊の戦闘想定]の続きを読む
歩兵中隊団と対内乱作戦
出典 AUSA URL http://www.ausa.org/
原題 Conventional Forces in Low-Intensity Conflict: The 82nd Airbornes in Firebase Shkin
筆者 David L. Buffaloe
内容以下全訳

序論
2003年5月、筆者は素晴らしい機会を与えられた。筆者は常々、空挺歩兵中隊の指揮を執って実戦で率いたいと望んでいたが、5月からの三ヶ月間はその望みを遥かに上回るものであった。指揮を執ることになるなどとは思ったことも無かった部隊(assets)からなる風変わりな中隊団(company team)に上番(take command)したのである。私は激烈な戦闘作戦をしつつも軍民作戦(Civil Military Operations)を多数行った。指揮下にある兵らは6週間でアルカイダ(al Qaeda forces)と6回交戦したが、負傷した者は一人も居なかった。我々がShkin基地(Firebase Shkin)を去るころには、私は生涯ものの経験に携わったことを実感していた。私は陸軍のどの大尉にとっても未曾有の機会を与えられたのである。つまり、独自の担任地域(Area of Operations AO)において靡下に諸兵科連合、連合軍、統合、他省庁部隊を与えられたのであった。しかし、この機会を与えられたことに感謝するだけでなく、筆者は我々が成し遂げたことはテロとの世界規模の戦い(the Global War on Terrorism GWOT)において世界中の若き中隊指揮官が成し遂げることが可能であり、またそうあるべきであることに気づいた。高烈度戦争が終わり我々は内乱作戦を戦い始めており、ゲリラ戦争を仕掛ける敵を発見し、拘束し、仕止めるには、小部隊階梯の指揮官に住民と関与し、独自に情報を整え、敵を破砕するのを可能とする十分な裁量、専門資産、火力を与えることである。

#以下全訳最後まで



我々がテロの戸の地球規模の戦いにおいて普段対決する敵は住民に溶け込んでいる。敵は地元住民の支持を得ている場合も得ていない場合もあるが、これは住民と連合軍との関係についても同様である。我々は個々人の階梯において地元の支援を獲得せねばならない。そうすることで初めて住民が我々が内乱と戦うのを助けてくれるようになる。

本稿を書くにあたって筆者は三つ目標を持った。第一に陸軍および国家安全保障の指導者らに我々には現行の戦力の中にテロとの戦いを行い勝利するための素晴らしい資産、つまり中隊規模部隊(company-sized elements)があることを認識して貰うこと。前途は明瞭である。を若い中隊指揮官が諸兵科連合戦闘を率い、軍民作戦(CMO operations)を遂行し、独自に情報を整えることに教義や訓練の中の一部で重点とするのである。これが筆者の第二の目標へと繋がる。中隊指揮官の一人として目下あるいはまもなく私と同様にこれらの類の作戦を遂行できる立場となる同輩に簡略な"戦訓"を伝えることである。最後の目標として筆者は経験を分かち合いたいと願っている。200名余の米軍および連合軍の兵らと180名余のアフガニスタン民兵(Afghan Militia AM)、筆者とともにthe Bermel Valleyにて勤め日々生命を危険に晒し非常な達成の手ごたえを得て終えた者々。我々はthe Bermel Valleyを敵手から奪還し、テロとの地球規模の戦いでの我々の戦闘に勝利したのである。私は通常戦闘であれ不正規戦闘(unconventional warfare)であれ専門家であると主張するなど全くしない。ただ、成功した部隊の経験を分かちたいと望むのみである。



The Bermel Valley
the Bermel Valleyは第18空挺軍団司令官が"邪悪きわまる地"と呼んだ谷であるが、第82空挺師団第504空挺連隊第3大隊B中隊はこれまで達成されていなかったことをやりとげ、しかも極めて成功裏に成し遂げたのである。我々は共同(joint)、諸兵科連合(combined-arms)、連合国(coalition)、諸官庁連携(interagency)戦闘を中隊階梯において戦った。筆者が率いた兵らはal Qaedaと小火器にて交戦すること6回であった。戦闘に加えて、我々は無数の軍民作戦(CMOs)を遂行した。我々はthe Bermel Valleyの各村の長老(elders)と会い、チャイ(chai、茶)を飲み、村の問題と共同でどう解決するかを談じた。我々は人道支援(humanitarian assisance)と最低限度の巡回診療(de-minimus health care,余剰の医療物資を用い行う小規模な医療支援活動)を住民に供した。我々は井戸掘り、病院や学校建設の基礎をしいた、これには地域で初の女子学校も含まれている。我々は地域の知事と治安問題を話し合うために定期的に会合した。我々は毎月パキスタン国境警備隊(the Palistani Border Guard)司令官と国境を越えて会い、国境にまたがる問題と協力について話し合った。我々は180名のアフガン民兵(Afghan Militia fighters AMF)を訓練し、装備し、運用しアフガン国軍(the Afghan National Army ANA)と共同作戦(joint operations)を遂行した。そして何よりも、我々はこれらをうまくやり遂げたのである。筆者の指揮した兵の一人として敵銃火によりかすり傷すら負わなかった。諜報報告の示すところでは我々は歴戦の外国人al Qaeda戦士をおよそ20名ばかり殺害している。そして住民と軍民作戦で関与するという統一した取り組みが我々の収集しえた情報の大半に直接に繋がっている、これらの情報により筆者および兵らの生命は救われたのである。我々は特殊作戦戦術を、特殊作戦分遣隊アルファチーム(Special Forces Operational Detachment Alpha Teams A-Teams)が有しない通常部隊の火力と生残性とともに用いたのである。

 al Qaedaおよび敵対的なTalibanの残存勢力とのこの低烈度紛争を通じて、通常部隊は敵戦力を発見し拘束するのが困難であるのが常であった。通常部隊は大抵余りにも大きな戦力と火力で地域に入るので敵は単に住民に溶け込んでしまい我々が武器の隠匿場所に偶然にも行き当たらないことを願いつつ大隊が地域を去るのを待つのみである。特殊部隊Aチームは政府の自動車4両で車列を組んで地方を回って敵を発見するのには大いに成功したが、伏撃を突破し勝利するだけの火力(firepower)、装甲(armor)、後詰め(backup)を欠いていた。我々は敵を誘い出せるに丁度の見かけ(signature)と、撃破するに十分な火力と支援を持っていた。

 歩兵中隊長の立場からは、筆者の任務、裁量範囲、上部司令部からの距離、地元住民との関係はこれまで特殊作戦Aチーム指揮官のみが持っていたものであった。筆者の任務編成および指揮下の資産は小さな大隊任務部隊をまねたものとなった。筆者はこのような状況に投じられるとは思ってもいなかった。筆者の受けた正規軍事訓練はこのような想定は一切無かった。しかし、我々の国家は長期の低烈度戦争をしておりアフガニスタンとイラクの双方で安定作戦を遂行しており、かつ特殊作戦部隊が手薄な中で、わがB中隊は通常戦力も究極においてはこの戦闘で成功しうることばかりでなくこの任務に実際極めてよく対応したことを証明したのである。

 我々の作戦および方法は今後の低烈度紛争で用いられるべきである。我々のとった方法は中隊指揮官に諸兵科連合団(combined-arms team)を与え、機動力を与え、つまり対戦車小隊2個と移動するに十分な数の貨物型ハマー(cargo high-mobility multipurpose wheeled vehicle HMMWV)を与え、さらに以下を与えることである。
・十分な数の歩兵 我々には歩兵分隊が6個あった
・即応、精確な火力支援が近在すること、我々には60mm迫撃砲2門、105mm榴弾砲2門、Q-36対砲迫レーダー(Fire Finder Rader system)1基があった。
・豊富な情報資産、我々には人間情報チーム(human intelligence HUMINT team)1個、信号情報チーム(signal intelligence SIGINT team)1個、音響振動センサー(Remote Battlefield Sensor System REMBASS)1個、長距離偵察分遣隊(long-range reconnaissance detachment LRSD)1個、国家階梯情報資産を取得できる斥候(scout)があり上級司令部に情報を供しつつ独自に情報を整えられた。
・工兵および爆発物処理人員、仕掛け爆弾(improvised explosive device IED)を発見したら爆破あるいは解体。
・民生(Civil Affairs CA)資産、住民と関係を結ぶ。
・戦術航空統制班(tactical air control party TACP)
・医療資産、大量脱出事態に対処でき軍民作戦でも用いられる。
・心理作戦(Psychological Operations PSYOP)資産、連合側の宣伝を伝える。
・固有の調理師(cook)と整備手(mechanics) (地元雇用で増強する)
・大隊参謀の縮小版、全日勤務の戦闘長(full-time battle captain)(中少尉lieutenant, 若手の大尉captain、あるいはE-7) E-5情報分析担当、S2(情報)、S4(補給、筆者の場合、大隊S4補の経験ある中少尉があてられた)、S5(民生、筆者の場合は民生E-5がいた)
・十分な通訳
・地元民兵部隊、訓練し活用する
(#E-7はSFC、一等軍曹。 E-5はSG、三等軍曹)

また、佐官も用いられた。小銃大隊(rifle battalion)の場合、三箇所に分かれるのは容易である。大隊長が一箇所目、副長が二箇所目、S3(作戦)が三箇所目となる。これにより各基地(firebase)の指揮を佐官がとり、活動一切においては中隊長が"前線指揮官(commander on the ground)となることができる。

 これら全てを有したことで、我々は住民に関与し独自に任務を計画することができるようになった。我々は独自の担任域(AO)を統制し、佐官が火力許可(clear fires)を与えた。我々には基地を守り、即応部隊(quick-reaction force QRF)を備えてなおも(軍民作戦であれ攻勢作戦であれ)十分な規模で作戦するだけの資産を有していた。

低烈度紛争における戦術(Tactics in Low-Intensity Conflict) 低烈度紛争の本質と核心は高烈度紛争と全く違わない。指揮官の目標は敵を発見し、拘束し、仕留めることである。違うのは個々の任務においてである。敵は制服を着用しない。敵は住民に溶け込んでいる。時には敵は住民をその大義のもとに結集することもある。筆者の場合においては、敵は国境の向こうのパキスタン領内を実質的な安全地帯としており、明確に識別している場合で無い限り我々はそこへまで敵を追跡することは出来なかった。最も困難な任務は敵を発見することである。我々は、斥候、狙撃手、長距離偵察分遣隊、無人飛翔体、REMBASS振動センサー(motion sensor)、Q-36対砲迫レーダー、統合対地攻撃巡航誘導弾防御上空ネットワーク化センサー(Joint Land Attack Cruise Missile Defense Elevated Netted Sensor J-LENS 前方赤外線探知装置)、伏撃配置につけた歩兵分隊、監視哨(observation post)、戦術人間情報チームおよび村落の長老、パキスタン人、the Bermel警察、地方知事といった人間情報資産、そして最も薦められない手であるが、敵と偶然に直接、交戦(contact)すること(時には敵が仕掛け、ときにはこちらが仕掛けた)を用いた。  

 敵を拘束するには通常、間接火力をも用いた。間接火力は敵の予想退避経路を封じるために敵の向こう側に撃つときに最も効果があった。敵を拘束するには最初に接敵した部隊(例えば乗車対戦車パトロール、mounted antitank patrol)が直接接触を維持することも含まれる。

 敵を仕留めるとは、常に圧倒的な即応部隊で粉砕し、直射兵器で敵を撃破し、敵が占めていた土地を確保する、或いは追撃することであった。

 この発見-拘束-決戦(find-fix-finish)原理はthe Bermer Valleryにおいてal Qaedaおよび反連合武装勢力(anticoalition militants ACMs)を打倒するに役立ったが、より大きなレベルおよび長期的には勝ったのは外に出て地元住民と関係を結ぶことによってであった。これは様々な軍民作戦および連合統合民間軍事任務部隊(the Coalition Joint Civil Military Task Force CJCMOTF)およびその他の政府官庁(other government agencies OGAs)要員が完遂した地域での計画により、また、非政府組織(nongovernment organizations NGOs)の支援によりなされたものである。外に出て住民と関係を結ぶことで本当に担任域(AO)が分かる。住民はそうして初めて信頼を寄せるようになる。

 最後に我々が頼りとした情報は大部分が自らによるものであった。我々には情報収集資産が数多くあった。担任域における情報収集および分析こそが我々の成功を確実ならしめたのである。国家階梯情報の指示を受けたのは極々稀であった。我々が整えた情報のほうがはるかに信頼が置けた。 指揮統制系統/指揮の統一(Command and Control Structure/Unitty of Command) アフガニスタンの様々な地域はそれぞれ作戦域(Areas of Operations)に分けられて任務部隊があてられていた。任務部隊にはそれぞれ異なる役割があり、例えば連合統合特殊作戦任務部隊(the Coalition Joint Civil Military Task Force CJSOTF)は特殊作戦任務を遂行し、連合統合民間軍事任務部隊(the Coalition Joint Civil Military Task Force CJCMOTF)は軍民作戦(Civil Military Operaions CMO)が主体となる。任務部隊によっては他の任務部隊の作戦域に人員が駐留することもある。例えば、Task Force Devilの人員はCJSOTFやCJCMOTFの基地に部隊防護とCJSOTFやCJCMOTF任務を支援する即応部隊(QRF)のため駐留することがしばしばだった。作戦を簡明にまとめ戦闘の把握を容易ならしめるためには、所与の作戦域を一つの集団が有する(own)必要がある。指揮の統一は火力の許可を与えるに必須である。究極には、一つの集団が作戦域を担うのが地域を平定するにあたっての取り組みを一体化するのに不可欠である。

 筆者が指揮を引き継ぐまでは、Shkin基地(Firebase Shkin)およびthe Bermel Valleyを含む作戦域をCJSOTFが統制しており、Task Force Devilの人員は部隊防護と限定的なパトロールをしているのみであった。CJSOTFが作戦域から引き上げたことで、Task Force Devilは基地および作戦域の統制を引き継いだ。

 基地および作戦域司令官は大隊副長(the battalion executive officer XO)であった。(#その下の)中隊長は筆者のみであった。副長の指揮権限と筆者の指揮権限の線引きは極めて曖昧であったが、実際のところ、この指揮系統は完璧にうまくいった。大隊副長は常に基地全体の指揮官となり、筆者は常に"前線指揮官"となった。筆者が要請すると副長が戦術作戦センター(the tactical operaions center TOC)で火力を承認した。副長は上長に報告を送り、陸軍航空や近接航空支援といった資産を要請し、筆者が窮地にあるときは増援として即応部隊の調整をした。我々の指揮系統は曖昧であったが、衝突することはけしてなかった。我々の関係は極めてうまくいった。筆者はこれを今後の基地における範例として推奨する。



戦闘作戦(Combat Operations)

基地防御(FIrebase Defense)
基地の防御は最優先であるが、低烈度紛争においては些か異なるものがある。なぜならば敵が正面総攻撃(full frontal attack)或いは突破(penetration)を行うことはほとんどありそうに無いからである。Shkin基地には主だった防衛線が3つあった。外周防衛線(outer perimeter)、内周防衛線(inner perimeter)、そして城壁(wall)である。

 常に1個分隊が輪番制で基地防御にあたっていた。この分隊は内周防御線門と東側にある塔のうち二つに人員を配していた。この二つの塔はthe Bermel Valleyを見渡しパキスタンまで見通せるほど射界が最大であり活動も最も多かった。分隊長は基地警衛軍曹(the firebase Sergeant of the Guard)として戦術作戦センターに対して基地防御全般と警衛の遂行の責を担った。残る塔二つのうち一つは対戦車小隊(AT platoon)(我々には装甲ハマーが6両しかなかったため、常に1個班はパトロールも即応部隊にも加わっていない状態であった)から配置され、もう一つの塔は基地の他の部隊、迫撃砲(mortar)、対空砲兵(air defense artillery)、野砲兵(field artillery)が共同で担任した。

 我々は常に即応部隊(QRF)を保持していた。 火力支援将校(the fire support officer FSO)は直射および間接火力支援を統合し、死角を考慮した素晴らしい基地防御全般計画を作成した。我々は基地に対する直接攻撃に備えてBlackjack訓練(戦闘教練の演習)を行った。この訓練は様々に役立った。第一に仮に直接攻撃を受けた場合に面するであろう問題を解決してくれた。第二に敵に直接攻撃を仕掛けることを思いついたことがあったとしても我々の能力がいかほどか示すことができた。そして最も重要なのはこの訓練で兵らに安全であり、基地を突破できるものは無く、防御計画の一員であると示せたことである。

 Blackjack訓練毎に実射訓練であろうと無かろうと我々はあらゆる資産を参加させた。全員がヘルメットとボディアーマーを着用し、2フィート厚の泥(mud)でできた基地の構造体と防護壁を盾とした。分隊長や班長は基地戦術作戦センターに来て報告し、我々は城壁の一、二に直射で交戦する備えのある兵を増援した。時には兵が交戦する目標を野外に設置することすらした。常に大量負傷想定訓練を含めて重度外傷救急チーム(the advanced trauma life support ATLS team)を参加させ、戦友救護、後送、城壁の弱点への増援を行う態勢にある分隊とともに備えさせた。そして城壁と塔の基部に事前集積されている弾薬で全兵士に弾薬を補給する訓練も行った。 基地は涸れ谷(wadis)に取り巻かれており基地の外側100m-200mまで、ところによっては外周防御線のアフガニスタン民兵部隊(AMF)まで達している。筆者の着任までは、歩兵分隊がこの涸れ谷および基地西側の丘陵反対側といった死角を日常的に徒歩パトロール(dismounted patrol)していた。この徒歩パトロールは完全に徒歩で行われ、基地を徒歩で出入りしていた。これは標準的な基地防御計画ではあったが、筆者は二つの理由からこのパトロールを打ち切った。

 第一の理由は資源の逼迫と投じた見返りの比較である。このパトロールに常に1日あたり1個分隊が使われる。基地には6個小銃分隊しかない。筆者は武器分隊(weapon squad)を小銃分隊として用いて常に武器分隊のM240B機銃を基地防御のため塔に据えさせていた。これら6個分隊のうち、3個は防御を輪番制で行い、即応部隊、警衛、代休か訓練を行う。他の3個分隊は攻撃を輪番制で行い、これには基地の外でのあらゆる活動が含まれる。この攻撃に回る3個分隊のうちの1つを基地の死角を確認(clear)するという実りの僅かな徒歩パトロールにあてるのは選択肢たりえない。そのかわりにアヴェンジャー自走対空車両(the Avenger missile truck)やその他の兵など他に使える資産を筆者は用いた。アヴェンジャー対空ミサイル車両は死角を確かめるのに大変便利である。敵からの経空脅威(aerial threat)は一切無いため、我々はアヴェンジャーを死角内のあらゆる動きを極めて良く見える機動する目としての位置づけを与えた。徒歩パトロールよりは音がはるかに大きいが、極めて迅速かつ夜間では涸れ谷のどこであれ動きを識別することが可能であった。

 基地周辺での終始徒歩で行うパトロールを止めた第二のより重要な理由は低烈度紛争における敵の戦闘の仕方に気づくところがあったゆえである。敵はal Qaedaであれ、敵対的なTalibanであれ、アフガン民兵勢力(AMF)やその他同様の集団であれ、確立され防御されている施設に周到攻撃(deliberate attack)を仕掛けるほど大胆では無い。敵は迫撃砲やロケット弾を用いての間接射撃攻撃や外に出て暴露しているパトロールを伏撃する形で戦う。テロとの戦いにおいては、基地、前方作戦基地(forward operating base FOB)、その他の確立された施設(strcuture)に対する直接の小火器による攻撃は目立ってわずかである。(記録されている攻撃にあっても、多くは離れた哨所(guard post)に対する小攻撃というべきものであり、基地を突破するというよりはおそらく警衛を殺害する目的のみであったと思われる。) ロケット等の発射地点や伏撃地点を調べると、敵は基地から6kmから15kmで戦闘しており、多くはパキスタン国境付近であり、基地近くではないと判断した。敵がそこで戦うのであれば、我が方の作戦も基地近くでなくそこで行われるべきである。筆者がそこに努力を傾注できたのは実射Blackjack訓練で実証された如く防御が強固であり、近距離防護(close-in safety)に頼ることができたためである。

 基地防御上重要な最後の論点は作戦保安(operational security OPSEC)である。作戦保安の保持は必須である。我々は敵が我々の情報を収集していると分かっていた。基地をパトロールが出発すれば目撃され何らかの方法、たとえそれが灯火信号、鏡、閃光といった原始的な手段のみであっても報じられているとの前提で常に我々は活動した。また我々は地元労働者およびアフガン民兵(AMF)がいるときには話す内容に注意した。地元民の中では、たとえ定期パトロールであっても作戦については一切話さぬようにした。下士官(noncommissioned officers NCOs)は毎週の家への電話を監視して敵が盗聴する可能性のある衛星電話を通じて一切情報が漏洩しないようにした。


主作戦(Major Operations)
定期パトロールよりも大きなものは主作戦としていた。これは小隊規から中隊余(company plus)の規模での作戦である。どの場合でも、考えうるあらゆる事態に備えて、使える資産は全て用いて計画した。任務が強襲(raid)であれ、配慮を要する場での捜索(sensitve-site exploitation SSE)であれ、包囲捜索(cordon-and-search)であれ軍民作戦(CMO)であれ、任務編成はかなり似通ったものとなった。我々は常に計画に以下を設けていた。すなわち、外周包囲(outer cordon)、内周包囲(inner cordon)、捜索チーム、警護付きの村落チーム(Team Village)、情報収集資産、破壊処理チーム、医療チーム、即応火力支援である。作戦が我が105mm榴弾砲の標準射程内で収まる場合は、事前目標を設けてそのままの位置で置いた。作戦が105mm榴弾砲のロケット推進砲弾(rocket-assisted propellant RAP)射程内で行われるときは、ロケット推進砲弾のばらつきを信用しなかったため、60mm迫撃砲を移動(displace)した。ロケット推進砲弾の射程外であるときは榴弾砲を移動した。また我々は常に作戦計画に周到近接航空支援(deliberate CAS)の要請を含めた。軍民作戦であっても、近接航空支援は大変役に立った。

 外周包囲は常にアフガン民兵部隊(Afghan Militia Forces)からなっていた。内周包囲は常に我が対戦車小隊の兵からなっていた。両者が包囲に用いられたのは阻止陣地を確立するのが極めて迅速だったためである。時として、対戦車車両が不必要な箇所では筆者は歩兵分隊を内周包囲の確立に加わらせることもあった。包囲あるいは確保チーム(Team Secure)は常に対戦車小隊長の指揮統制下に置かれた。これにより指揮官を一人、目標の確保に確実に専心させることができた。確保チームはまず目標を封鎖し、ついで筆者の命令があってから、徹底した捜索を受けたのちに人員および車両交通が統制されて流れ込んでいくことになる。

 包囲内部では、1個小隊に捜索任務を課した。任務の多くは、それが強襲であれ、配慮を要する場での捜索であれ、その他であれ、家屋の大捜索を含んでいた。いかなる場合であれ、情報の手がかりがあった場合は何であれ捜索する態勢を整えておく必要があった。歩兵小隊長の一人が常に捜索小隊長に任じられた。捜索小隊長は工兵または爆発物処理(EOD)チームを割り当てられ不審物はなんであれ捜索し、或いは隠匿武器(cashes)を破壊できるようにしていた。

 我々は常に村落チーム(Team Village)を伴うようにしていた。このチームは我々の"柔らかい"部隊全て、警衛部隊、そして筆者自身からなっていた。"柔らかい(squishy)"とは大隊長の造語であり、大まかに敵を殺害するのを主要任務に含まぬ部隊を意味する。村落の長老との会合に行く民生や心理作戦部隊などが大抵含まれている。筆者は武器分隊(機関銃とジャベリン抜きで)を村落チームの身辺警護隊(personal security detachment)に用いるのが常であった。

 村落チームを率いるのは常に軍民作戦(CMO)要員の長、我が中隊のS5か民生チーム(the Civil Affairs team, CAT-A)長であった。村落チームの指揮統制下に入るが大抵は独自に活動したのが戦術人間情報チーム(the Tactical HUMINT team THT)である。THTは周りで活動すると最高であった。村落の長老との会合の間、村落チーム長と筆者はS2に会合で得られた情報全てを報告したが、THTは会合に招かれなかった村落の若年層や群集から情報を収集するのにかなりの成功を収めた。

 作戦の多くでは又、監視チーム(Team Overwatch)を含めた。これは我が火力支援将校(fire support officer)或いは火力支援下士官と空軍前方航空統制官(the Air Force forward air controller)あるいは戦術航空統制班(TACP)、そして時には狙撃手のことである。必要なときは歩兵2名からなる警衛班(security element)を伴う。包囲環とともに、監視チームは、行けるうちで最も高い地点に監視哨(OP)を設けて、監視しあらゆる間接火力支援を調整する。

 そして最後となるが、我々は医療チームも伴って行った。大抵は重度外傷救急チーム(ATLS)を丸々一式である。このチームは医療担当者(医者(doctor)か医師助手(physician assistant))と衛生兵2名からなっていた。主作戦では負傷者に備えて待機していたが、最低限度の巡回診療(diminumus health care)の主役として治療診察が役立つ子供を持つ地元長老の好意を獲得する軍民作戦資産としても素晴らしいものであった。

乗車示威パトロール(Mounted Presence Patrols)
乗車示威パトロールは最も有効なものの一つであった。毎日、我々は昼間示威パトロール2回、夜間示威パトロールを1回行った。これらのパトロールは他のパトロールや作戦と時期を同じくするときもあったが、多くは単にパトロールのみで行われた。昼間パトロールでは車両2両を使った。Mk-19自動擲弾銃装備装甲ハマーとM2 12.7mm機関銃装備装甲ハマーの2両である。このパトロールにより住民に我々が存在しthe Bermel谷を支配しているのを示すとともに、我が担任域(AO)において十分な目を行き渡らせることができた。また、若い対戦車指揮官、班指揮官、小隊長らと小隊軍曹に自身でパトロールを計画し率いる機会を与えることともなった。彼らは火力を計画し優先目標(priority targets)を変更(shift)し、不審車両を停車させて捜索し、復命報告(debriefings)で情報をもたらし我々が今後の作戦を計画する助けとなった。

 夜間には小隊丸々で走らせることを我々は学んだ。なぜならば2両では明らかに十分な火力を欠くためである。仮に2両で行き伏撃で離れ離れになったらば、完全に無力となる。我々がこの戦訓を得たのは2003年6月1日、実戦によってだった。第2戦車小隊(AT-2)の2両編成班がthe Bermle Bazaarに向かって夜間示威パトロール中に近距離伏撃(near ambush)に突っ込んだ。敵はロケット擲弾(rocket-propelled grenades RPG)とPK機関銃で攻撃を開始した。対戦車班は打ち返しつつ各車は殲滅帯(kill zone)を出来る限りはやい経路で走り抜けた。不幸なことに先導車にとっての最もはやい経路は前方へ走り抜けることであり、後尾車にとってはバックすることだった。殲滅帯から抜けると両車ともに各車の12.7mm機銃弾とMk-19擲弾の逸れ弾が僚車に当たるのを恐れて敵の位置に有効に射撃できなくなってしまった。さらに悪いことには、一両はタイヤのうち二輪に損傷を受けていたが、助けを他から全く得られなくなった。最後には損傷した車両は基地へ連れ帰り、先導車には即応部隊を合流させることができた。この晩我々が得た最も大きな戦訓は相互支援を可能とするように夜間においてはガントラック(gun truck)は最低4両で走らせることであった。

 この戦訓が非常な見返りをもたらしたのは8日後の2003年6月9日の夜のことだった。第2対戦車小隊(AT-2)のガントラック4両からなるパトロールが徒歩伏撃を隠密離脱(exfiltrate)させるため出ていて、最近敵の活動が報告されていた地域付近で動きを認めた。銃手の一人が武器を見分けた。小隊は先導班をRoute Saturnに始まる涸れ谷へ送り、後尾班はRoute Chevyに留まりL字型の配置についた。小隊はal Qaedaと同時に交戦を開始した。al Qaedaの活動員がRPGを撃つのと同時に12.7mm機銃手が射撃を開始したのである。射撃戦闘後、戦場にはal Qaeda側の戦死者4名が残されていた。彼らは我が基地を見張る位置に聴音・監視哨を設けて対戦車地雷や起爆コードといった装備を携え、仕掛け爆弾を口火とする伏撃に掛かろうとしていたのであった。この晩の成功は第2対戦車小隊が敵を包囲し圧倒できるだけの資産を持っていたことにひとえによるものである。


伏撃(Ambush)
伏撃は正規歩兵運用としては単純で極めて有用であることが分かった。我々は常に1個小銃分隊(rifle squad)にしばしばM240B機銃1丁と前線観測員(forward observer)を加え小隊長が担当して伏撃を行った。この伏撃パトロールを行うときは一切を省かず、レンジャー学校(Ranger School)や歩兵将校基礎課程(the Infantry Officer Basic Course)で教わったそのままの方法を用いた。伏撃パトロールは隠密侵透(clandestine infiltration)、設置(establishment)、撤収(break-down)、離脱(exfiltration)で一晩丸々を要した。低烈度紛争において伏撃パトロールを行うには要点が二つある。第一に交戦規則(the rules of engagement ROE)がややこしい(trickiness)こと、第二に見られずに有効裏に侵透することである。

 アフガニスタンでの交戦規則、ことにthe Bermel Valleryにおけるものは明確に敵対意図を見て取れた場合は先に射撃するのを許している。そこで、伏撃パトロールが有効となる。小隊長は住民、地形、敵の過去の活動と交通様態(traffic patterns)をもとに判断することを求められる。小隊長がこのような分隊規模任務の全てで用いられたのは交戦すべきか否かで難しい判断となることがありえるためであった。明白なのは夜間に移動する人員や車両の全てが敵対的では無いことである。これは夜間対戦車パトロール(nighttime AT patrols)で無数の車両を停車させて捜索することで証されている。つまり、敵人員を輸送している車両をはっきりと見分けるのはほぼ不可能ということであった。射撃開始の許可を出せる唯一の仮想状況は武装したal Qaeda要員が車両の荷台(backs)で武器を振りかざしている、或いは極めて不審な無灯火の高級SUV(sport-utility cehicle)の車列が一帯を通過しているなどの場合のみである。この点については、CIA(othe government agencies)、特殊作戦部隊(special operations forces)、アフガン民兵部隊(AMF)やアフガン国軍(ANA)人員が伏撃線(ambush line)についた分隊が知ることなく谷を通ることが無いよう、味方撃ちを回避するためにも担任域(AO)における指揮統制(C2)の統一の必要性をさらに強めるものである。しかし、我々が対決したal Qaedaの大半は徒歩で侵透、活動しており夜間における識別ははるかに容易であった。けれども、地形、敵活動、敵対意図を明白に識別する能力などによっては、伏撃パトロールは単なる大規模な夜間監視哨になってしまうこともありえた。

 このような環境においては分隊プラス(squad-plus)の部隊が隠密侵透するのは極めて困難である。the Bermel Valleryでは隠掩蔽(cover and concealment)は限られている。また敵が仕掛けてくる非通常戦を踏まえると、我々は敵の同調者が我々の動きを見守り連絡しているのに対抗する必要があった。基地門をパトロールが出るときは何者かが車両数を数え人員数を推定し敵に伝えていると常に想定していた。この前提にたち、我々は侵透を大変慎重に計画するようにした。これには対戦車小隊(AT platoon)とともに夜間2個分隊を出発させるなどがある。実際に伏撃を行う分隊は貨物輸送ハマー2両と対戦車車両の空いている席に散らばる。こうすることで、敵の同調者(enemy sympathizers)が伝えられるのは兵を満載したガントラック4両と貨物トラック2両がパトロールに基地を出ていること、そして確認できるのはなおも谷をパトロールしているということのみとなる。またこうすることで伏撃分隊がひとたび敵を拘束したらば、はるかに迅速に車両即応部隊(rolling QRF)が決戦戦力(finishing force)として行動できるようになる。乗車投入(rolling insertion)、欺瞞投入(false insertion)そして隠蔽地形への投入(insertion in concealed terrain)もまた隠密侵透(clandestine infiltration)では要点となる。

 敵車列が特定の経路を特定の時刻に移動しているというような詳細な情報が上部から来たことは全く無かった。これらのパトロールは単純に担任域(AO)を見張り火力を働かせて敵に機動の自由を拒絶するのに役立った。伏撃が油断の無い敵によって見られていたとしても、敵に我々が本腰を入れており主要経路で侵透するのに二度足を踏ませることはおそらく出来ていただろう。

捜索任務(Clearing Missions)
捜索には二種類ある。一連の住居を組織的に捜索するのと、単純に無人(empty)の地形を捜索するのとである。我々は数多くの住居を捜索したが、これは常に主作戦であり大抵は情報に基づくものであった。無人の地形の捜索は計画するのは容易であるが実行するのは疲れる。捜索作戦はしかしながら、極めて良質の情報をもたらすのがしばしばであった。これはある土地を敵の活動の手がかりを求めて歩くという徒歩作戦(dismounted mission)である。どんな作戦でも我々は火力支援、負傷者後送、即応部隊を必ず計画した。このような作戦で敵を実際に発見する可能性は僅かだった、というのも我々がある地域に入り接近するのは容易に見てとれるからである。けれども、敵は素早く逃げようとして、装備や彼らがいた証拠を残すことはありえた。加えて、敵がしばしば使う地域を我々が捜索することで、兵および指揮官らはいつの日か戦うこととなる場に慣れ、様々な戦力の誇示(show of force)の一つとして敵がその地を用いることを拒絶することとなる。なぜ誰もパキスタンへと通じる山々に住んだり通行したりしないかを我々はたちどころに分かった。ボディアーマーを着けて一度昇るだけで悟るに十分だった。


定点監視哨/狙撃手(Static Observation Posts/Snipers)
これは我々が遂行した作戦のうちで最も有効だったものの一つである。敵を発見する最良の方法は、敵が見られていないと思っているときにじかに彼らを見ることである。Shkinでの勤務の終盤までには、我々は大規模な斥候と長距離偵察分遣隊を持っていたので最も使われていた地域二つ、Losano RidgeとRoute Saturn近辺を72時間毎の輪番制にて連続監視(continuous coverage)していた。また我々は歩兵分隊を48時間の作戦に用いた。あるときは、筆者はイタリアの目標捕捉分遣隊(target acquisition detachment)を運用する光栄に浴した。これらの部隊それぞれに長所と短所があった。

 小銃分隊を用いるのも有効であった、とりわけ斥候や長距離偵察資産(LRS assets)が使えない場合はそうであったが、この方法には弱点もあった。持続力は大抵48時間を越えることは無かった。また、分隊は大掛かり過ぎて、非戦力による暴露(soft compromise)、つまり自然の采配による発見、例えば子供、村人、農夫らに見つかってしまう傾向があった。また、小銃分隊は隠密侵透するのも難しかった。しかし、小銃分隊は規模が大きいので、三隊に分割することでより広い面積を監視できるのが常であった。射撃組(fire team)ごとに監視哨を占め、分隊長、前方観測員(FO)、無線手(redio-telephone operator)、小隊長はさらに別に指揮統制監視哨(C2 OP)を占める。各射撃組は分隊長および小隊長との短距離通信を保ち、指揮統制監視哨は基地との通信を保つ。分隊聴音/監視哨(LP/OP)の有効な使い方の一つは残置(stay-behind)聴音/監視哨である。軍民作戦であれ、捜索作戦であれ村落で主作戦(major operation)を行ったときはいつも、残置するようにした。大きな戦闘部隊とともにであれば、小部隊を侵透させるのは遥かに容易となる。加えて、多くの村で助力を受け入れたくないのはal Qaedaが後から来るためだと話す。残置監視哨により、仮に来るとすればだが、それが何者であるかがを知ることが出来る。al Qaedaはなぜ我々が村に来たかの理由を知りたがっており、また我々に関する情報を集めたがっている。仮に分隊が非戦力により暴露してしまい誰もが隠密聴音/監視哨があると知っていたとしても、敵が我々が見張っており村人に安全だと感じさせたり敵を助けるのを躊躇わせたりするので完全に意味が無くなるわけではない。

 大隊斥候(battalion scout)と狙撃手は小型でより熟練した隊である。一度に72時間続行することができ、より良い地点へ侵透できる。加えて、我々の大隊では狙撃チームが大隊斥候と混ぜられていたので、チームを偵察に送った場合、そのチームがM24やバーレット12.7mm狙撃銃(Barett .50-caliber sniper rifle)を用いて精密射撃をする能力を持っているのがしばしばであった。無論、付随被害を最小限度におさえる必要上、低烈度紛争において精密射撃は必須である。斥候と狙撃手は任務の計画立案と復命報告では小銃分隊よりも優れているのが常だった。欠点は斥候と狙撃手のみでは有効な戦闘力でないことであり、そこで我々は即応間接火力(優先目標)と専任の即応部隊で補っていた。

 長距離偵察分遣隊(LRSD)は96-120時間にわたり持続可能で、大隊斥候よりもさらに適していた。あるとりわけ不安定な地域の継続監視が必要となったため、筆者はLRSDチームをほとんど斥候チームのように用いた。6名からなるチーム(6人目は衛生兵medic)を3名チーム二つに分けて、一つはチームリーダー(team leader)がもう一方はチームリーダー補(the assistant team leader)が率いた。 LRSDの計画手法と復命報告は斥候よりもさらに優れていた。LRSDは潜伏地点から戦術衛星データ送信(Tactical Satellite Data messages)を用いて画像を送ることができ、復命報告ではデジタルカメラ(digital camera)を多用した。しかしながら、斥候と同様にLRSDは自身のみでは戦闘力としては有効でない。斥候やLRSDチームが発見されたのは2003年6月29日の一回だけであった。LRSチームが暴露により攻撃を受けたのである(the LRS team received a "hard compromise")。敵はおよそ600mから自動火器(automatic weapon)で攻撃してきた。勿論、我々は防護のため105mm砲撃の優先目標をあてており、正確ではなかったが、砲撃が付近に着弾し始めると敵は射撃を止めてパキスタン側へ脱出し戻った。LRSDチームを即応部隊で容易に後退させ、かつ米側に負傷者は一切無かった。  短期間、筆者はイタリア軍目標捕捉チーム(Italian target acquisition team)を運用する機会をもった。LRSDと極めて似ているが、我々の大隊階梯での資産よりもより長期間持続することができるチームであった。また、彼らの光学装置とカメラの性能は素晴らしかった。熱線視界装置は我々のより遥かに明瞭であり、解像度は極めて大きかった。彼らのデジタルカメラは1km先から接写のごとく画像を撮ることができた。我々は与えられた上級偵察資産を喜んで十分に活用した。


配慮を要する場の捜索(Sensitive-Site Exploitations SSE)
配慮を要する場の捜索が必要となることは多かった。情報により行われる場合もあれば、接敵(contact)があり後ほど一帯を捜索する必要が生じてのこともあり、さらには敵に聖域(sanctuary)を与えぬ必要ゆえに、あるいは不審な家屋(compound)を発見してのこともあった。配慮を要する場の捜索、或いは第4歩兵師団がイラクの自由作戦(Operation Iraqi Freedom)で呼んでいた包囲訪問(cordon and knock)には独特のコツがある。包囲訪問は目指す家屋があたかもthe al Qaedaの最後の牙城であり、Osama bin Ladinが中に居り、彼らは死ぬまで戦う決意でいると考えて計画する必要がある。家屋は完全に包囲し誰も逃げられないようにせねばならない。我々は常に既に論じた主作戦手順(major-operation template)を用いた。アフガン民兵(AMF)が外周包囲(outer cordon)、対戦車車両と歩兵を幾許かで内周包囲(inner cordon)、前線観測手/戦術航空統制班(FO/TACP)チームが最高の瞰制高地(observation point)、工兵は捜索チームに協働し、民生、戦術人間情報チーム(THT)と筆者が話し合いに備える。我々は"穏やかな(soft)"立ち入り(breach)を望んだ、つまり我々がドアをノックし彼らが入れてくれることである。しかし、必要とあらば"強行(hard)"突破(breach)、或いは"周到(deliberate)"突破(breach)、つまりドアを壊すか、蝶番から吹き飛ばして入ることも計画しておいた。

 最も良い手はドアをノックし家屋の男性を呼び出し、彼を屋外に導いて彼の住居を捜索することを説明することである。我々は彼に男性は全員屋外に出るよう、女性と子供は全員が一箇所の部屋に移動するよう求め、こうすることで女性に対する敬意を示す。我々は彼に、我が兵は部屋が無人だとみなすので、子供が部屋に残っていたら撃たれる危険性があることを理解してもらう。我々はこの移動をするに丁度の時間を彼に与え、そして捜索チームがまず男性を身体検査(search)して彼らが脅威ではないことを確認する。(男性の氏名を記録するときは我々は個々人に本人の氏名だけしか聞かないことはしない。彼を脇へ連れて行き、他の男性の氏名も聞くようにする。アフガニスタンのような国では身元証明(identification)は簡単に偽造できるため、これは住民に紛れ込んでいるお尋ね者("black-list" personnel)を見つけ出すの鍵となる) ついでまず無人の部屋を一つ捜索して印を付ける。女性と子供を全員最初に集まっていた部屋からこの捜索し終えた部屋へ移動させる。(反連合軍武装勢力同調者(ACM sympathizers)や何か見せたくない物がある者は女性や子供の部屋なら捜索されないと考えてそこに隠すことがある) 女性と子供が捜索し終えた部屋に入ったら、捜索チームは最初に捜索し、女性と子供が今いる部屋に戻って女性の捜索担当(female searcher)が女性と子供の身体検査を始める。我々は常に大柄の男性2名に部屋の外で待機させておいた、この措置は主に全員に誰かが女性捜索担当に手出しをすればこの2名が入ってきて、台尻を振るうか必要とあらば銃を撃つと分かってもらう意味がある。。また、仮に男性がブルカ(burka、女性の着物で顔も含めて全身を覆うもの)を着て隠れようとしていたら、我々は彼を手厳しく扱った。あらゆるところを極めて徹底的に捜索した。工兵や爆発物処理チームの金属探知機を使い二重壁や二重床(false walls and floors)を探した。屋根の上も地下(down wells)も探した。爆発物処理(EOD)ロボットはこれに大いに役立った。

 さてここからが肝要である。見つけたものをもとに家族に対するのである。何も見つからず、定期的な捜索であったときは村落チーム(Team Village)を入れる。我々は男性にこの地域で起こっていることについて話したいと告げ、彼の住居を捜索したことを謝り、しかしこれは腰を据えて家長と話す前に行う合州国陸軍の標準的手続きであると念を押す。もし我々が民生小包(CA package)(毛布、文房具、心理戦ラジオ(PSYOP radio)、清浄食品(halal meals、イスラム教徒の宗教指針に従い調理されている食品))を持っている場合、配布するのに絶好のときである。住民は捜索されるのを気にしなくなり、何か受け取れるのであれば我々をもう一度招いて捜索させようとすることもあるだろう。家長に、我々の意図は彼の家屋を捜索することではなく、実質的には地方の軍閥の長(the local warlord)である筆者が彼と話し意見を求めたかったから選んで来たのだと思ってもらい、良好な関係で去るのが良い。そうすれば家長は家屋を捜索された不名誉な者ではなく、村落の中でも名誉ある地位にたつこととなる。 もちろん、我々が何かみつけたときは状況は異なる。我々は彼らの協力に応じて判断する必要がある。我々は断固として禁制品は押収する。我々は常に男性一人あたりAk-47かエンフィールド(Enfield)小銃1丁と弾倉1個は認めた。それ以外の武器、AK-47よりも大型の武器や余分な弾薬はそれらのみを押収するのが常であった。彼らが正当な書類或いはそれよりも良いのはal Qaedaについての情報を基地にもたらした場合はAKを返すと約束することも時にはあった。押収した装備にタグを付けるのが重要なのはこれゆえである。約束が果たされたときに正当な持ち主に確実に返還できるようにである。徹甲弾(al Qaedaが日常的に用い配っていた)、ロケット擲弾(RPG)、仕掛け爆弾製作材料(IED-making material)は存在自体が嫌疑を招き、家長を拘束して更なる尋問のため連行することとなった。彼らが非協力的であり禁制品を所持していた場合は、村落チームは関与せず村は何も貰えない。


車両検問所(Vehicle Checkpoints)
車両検問所(VCP)は反連合武装勢力(ACM)やal Qaedaに担任域(AO)での移動の自由を拒む上で優れた方法である。車両検問所はパシュトー語(Pashtun)の標識、道路コーン、カラーコーン(cone)、螺旋鉄条網(concertina wire)で凝ったものもあるが、我々は容易に設置し撤収できる極めて簡単な車両検問所を用いた。地元住民も同じく反連合武装勢力も我々がやっていることが分かり、我々の設けた規則を遵守した。銘記すべきことは車両検問所を設けてから30分以内に、反連合武装勢力はその場所を知り、担任域を移動する高価値目標(high-value target HVT)は迂回路を見つけてしまうことである。我々が着いてから90分以内には誰もが我々がそこに居ることを知り、迂回路に回ってしまう。我々は短時間で打ち切り、迂回路へ移動するほうが賢明である。我々は手当てがつくときは、主車両検問所(primary VCP)を設け、ついで副車両検問所(secondary VCP)を設けることにしていた。斥候、長距離斥候(LRS)、プレデター無人飛翔体(Predator UAV)といった偵察資産があるときは(#検問所を設けた)道沿いに車両が近づくまでに何が起きているのか見るのに用いた。検問所を通過した車両がこれから近づく車両に我々の存在を教えているのがしばしばであることがその結果分かった。配慮を要する場での捜索(SSE)と同じく我々は全車両のあらゆるところ、そして全員を検査した。仮に大荷物を載せた大型商用トラックであっても、何も密輸されていないと確信できない場合、時には荷をわざわざ降ろさせることもあった。検問所では最も階級が下の二等兵に至るまでが手配・容疑者氏名(black/grey list)を覚えておき高価値目標(HVT)を見かけたら、或いは氏名を聞いたらそれと分かることが重要である。また検問所においても男性には自身の氏名のみならず他の者の氏名を聞く方法を用いて身元を隠そうとする者がいないか調べるようにした。女性捜索担当が使えるときは用いた。反連合武装勢力(ACM)はどこかに留まっているときよりも旅をしているときはブルカ(Burka)に隠れていることが多い。不審車両が検問所をみて逃走しようとしたときに備えて、我々は常に追跡部隊を用意しておいた。これについてはアフガン民兵の運用のところで詳しく触れ、なぜアフガン民兵を追跡部隊として用いたのかなども書くが、基本的には何者かが注意を惹こうとしているときは、相手は我々を引き寄せてその間に本当の高価値目標(人物であれ弾薬であれ)に我々が塞いでいる経路を使わせようとしてたり、あるいは伏撃に誘い込もうとしている可能性がある。


即応部隊の運用(Use of a Quick-Reaction Force)
即応部隊は絶対に不可欠である。固有の即応部隊に加え、航空即応部隊(aerial QRF)とX-CAS(戦域で防護を供する特定の目標に振り分けられていない(nondedicated)滞空中の近接航空支援)は単に緊急時に即応するだけでなく、決戦力であるということが判明した。標準的な想定では、発見した部隊が敵位置を局限する(locate)。敵を砲撃や直射で拘束して到着した即応部隊が仕留められるようにする。常時、1個歩兵分隊、中小尉(lieutenant)1名、前線観測員(FO)、1個対戦車班を5分以内に基地から発進できた。また、常に20分から30分の間に二つ目の即応部隊を発進できる態勢にあった。筆者のような恵まれた指揮統制関係にあれば、中隊長は常に即応部隊とともに行くべきである、なぜならば決断するのに前線司令官が必要な状況となりえるからである。  どの任務でも、我々は接敵した場合の対応までの時間を見積もり即応部隊やその他の部隊を事前配置しておくことがあった。the Bermel ValleryではAngor Addaの隣のアフガン民兵国境検問所(the AMF border checkpoint)に即応部隊を事前配置しておくことがしばしばであった。これにより即応部隊が前方に位置する部隊を増援するまでの時間が短縮されるばかりでなく、前方で戦力を示威し我々のアフガン民兵に対する支持を示したのである。この陣地は堅く強化されており、瞰制が利き、兵は夜間暗視装置を用いて移動を見分けることができた。


アフガン民兵部隊の運用(Use of Afghan Militia Forces)
筆者はアフガン人に戦闘部隊の面では最大の敬意の念を持っている。アフガン国軍(the Afghan National Army)が連合軍として我々と肩を並べて戦う将来を望んでいる。紛争以外は何も知らずに育ち、アフガン人は最も勇敢で想像しうる限り最も鍛え抜かれた戦士であり、驚くばかりの誇りを抱いている。彼らは統合パトロール(joint patrol)を先導することに大きな誇りを持っている。アフガン人はヘルメットも被らずボディアーマーも着ず、トヨタハイラックス4輪駆動車(Toyota Hi-Lux 4X4)のような非装甲車両(soft-skin vehicle)に乗っている。アフガン人は先頭以外の位置には着かず、我々の兵は冗談で彼らを"アフガン地雷捜索者(Afghan Mine Finders)"と呼んだ。アフガン民兵は彼らが危険に晒されていることは承知しており進んで冒していた。筆者は我が国境警備隊長が地雷原と思われるところを踏みしめて歩き、ついでトヨタ4駆に乗って、地雷が埋まっていると思われる道路を爆風をかわすつもりか高速で走りぬけるのを見たことがある。あらゆる部隊と同じく、我々はその限界を弁えつつも長所を用いたのであった。  アフガン民兵は統合乗車パトロール全てと主作戦の多くを先導した。かれらがそうしたのは、勿論、地雷捜索の役割を果たすためである。また、彼らは土地を良く知っており場違いなものや不審なものを容易に見つけた。アフガン民兵が先導するのは時には慎重を要することもあった、なぜならば作戦保安(OPSEC)を保つために我々は彼らに作戦命令をできる限りぎりぎりにごく簡略に伝えるのみであり、先頭車両の運転手は大抵我々の目的地を知らなかったからである。我々は米側車両の先頭がアフガン民兵車両の先頭と無線および通訳を通じて通信を維持するのを標準作戦手順(standard operating procedure)とした。また、アフガン民兵は夜間暗視装置を持っていなかったので、彼らが夜間パトロールを先導するのは悪夢であった、というのも彼らは前照灯をつけっぱなしにして我々の位置を暴露し、かつ我々の夜間暗視装置を眩ませたのである。

 アフガン民兵は征服者が略奪するのが当然の社会で育っている、それで使わずにすむときは我々はアフガン民兵を捜索に用いなかった。選択の余地が無い場合は、捜索は確実に我が兵の直接の監督下で行われるようにした。アフガン民兵のみで用いると、地元住民から彼らが財産を盗み、女性や年長者に不敬を働いた等々の苦情の申し立てを受けることがしばしばであった。対立関係にある部族(rival tribe)の者が我がアフガン民兵が盗み、不敬を働いたと主張しても我々がそれを不当であると証明できないことはありえた。そして仮にアフガン民兵が万事適切に行ったとしても、地元住民は対立部族とみなす者よりはむしろ米国人に従うのである。

 我々は町に入るときは、アフガン民兵を外周包囲に用いた。彼らは素早く村を包囲し誰も逃げられぬようにした。アフガン民兵は山岳を迅速に登るのに優れている。我々が丘陵に囲まれた一群の家屋へと乗り入れて、アフガン民兵指揮官に一言伝えて、見上げるとそれぞれの丘の上にアフガン民兵が一人づつ立っているのだった。筆者は自身の兵を通信も無しに、重いボディアーマーを着せたままで部下だけで送ることなど思いも寄らなかったが、アフガン民兵はこれに関しては素晴らしかった。また、伝令が出た場合、つまり我々が村にゆき何者かが違う方角へと急ぎ去るのを見つけた場合、筆者はアフガン民兵を出して追わせた。アフガン民兵は伝令を追いかけてどこからであろうと連れ戻してきたものである。筆者はこれを米兵には通信、支援火力、その他無しではやらせられないし、煩雑な米軍パトロールを追跡のため作り上げたころには、当人は遠くに行ってしまっており群集に紛れ込んでいる。このことのみをもっても厳密な連合軍のみでは持ち得ない素晴らしい能力を戦場で与えてくれている。

 アフガン民兵を訓練するのは枢要な任務であり、時には困難であったが大変報われた。わが小部隊指揮官と若手の兵らはこれらの鍛えられた異国の戦士を小銃射撃場や小部隊作戦で訓練するのに心底楽しんだ。相互の敬意と信頼は訓練で形作られ、肩を並べての戦闘で証され、すばらしいものであった。

 しかしながら、アフガン民兵と似ているがさらに良いののがアフガン国軍(the Afghan National Army)であった。筆者の意見ではこれはアフガニスタンで行われている計画のうち最良のものの一つである。アフガン民兵(やその他土着の民兵部隊)の問題の一つは指揮官は彼らの忠誠心が地元や部族に向いているということを認識せねばならないということである。アフガニスタンは総じて互いに絶えず戦っている部族と軍閥の集合体である。アフガニスタンの歴史では彼らが連帯するのはロシア人のような外部からの侵略軍に対抗するときのみであった。ほとんど全てのアフガン人はアフガニスタンという国家よりも家族、部族、地域あるいは軍閥の長(warlord)に強い忠誠心を抱いている。筆者のアフガン民兵は全てTajicとOrguneであった。これは助けとなった、というのも彼らは筆者の担任域(AO)出身では無く、the Bermel Valleyのほぼ全ての部族、とりわけWasiris、Harote、Karoteに対して大いに不信の念を抱いていた。筆者の着任前に、Wasiriのアフガン民兵は部族長老の指令で全員が辞めた。しかし、Tajicアフガン民兵を用いたことで地元住民から多くの苦情が出た。一方、アフガン国軍はアフガン全土から入隊者がおり様々な地域で訓練を受けて運用されている。アフガン国軍はアフガニスタンとカルザイ(Karzai)大統領のみに集団として忠誠心を抱いている。かれらは街に入ったとき、髭をきれいに剃り、装備が良好なので地元住民は彼らを外国戦士と考えたほどである。アフガン国軍は地元住民の捜索にも安心して使え、Tajicアフガン民兵について聞いたような苦情は無かった。我々が経験した難点はアフガン民兵とアフガン国軍を一緒に運用した時にある程度の嫉妬があったのみであった。


軍民作戦(Civil Military Operations)
村落チームの構想および作戦(Team Village Concept and Operations) 村落チーム(Team Village)という表現は我々の前任である第504空挺歩兵連隊第1大隊the Red devils(the Red Devils of 1-504 Parachute Infantry Regiment)から学んだ。村落チームとは大抵、より大きな作戦の中で軍民作戦任務を遂行する一群の人員を指す。多くの場合、村落チームが主任務である、つまり任務の多くは軍民作戦を目的として行われる。チームは最低限、民生(Civil Affairs)と心理作戦(Psychological Operations)の混成であることがしばしばである。たいてい、歩兵上級指揮官が作戦の軍民任務に加わるが、その注意は警護と作戦全体に向けられている。その他村落チームに加わる資産は、以下に限られるわけではないが、最小限度の医療巡回診療(di-minimus health care)として医療サービスを行う衛生兵(medic)、軍事情報の専門家、警護要員である。

 部隊を機能別に分けることで各自が任務や目的、作戦の中でどのような役割なのか理解するのが容易となる。我々は常に警護チーム(Team Secure)を対戦車小隊長に率いさせ、捜索チーム(Team Clear, Team Search)は小銃小隊長(rifle platoon leader)、監視チーム(Team Overwatch)は火力支援将校(FSO)か火力支援下士官(FSNCO)、村落チームは民生部隊か心理作戦の長の指揮統制下とした。また迫撃砲を移動(displace)したときは火力チーム(Team Fires)も加わる。民生と心理作戦はともに高度に専門化していると強く主張するが、互いの仕事をこなすことはできたし、協働もうまくできた。

 我々は作戦がどう進むかは全く分からなかった。反連合武装勢力(ACM)の嫌疑がある家屋を捜索する計画で、周到突破(deliberate breach)、つまりドアを吹き飛ばして撃ちながら入る備えをしていたことがある。しかし、分かったのは住民は手厚くもてなしてくれ友好的であり家屋には何も無かった。かくて焦点は攻撃的な任務から軍民作戦を行う機会へと変わった。我々の任務の目的はあたかも家長(the head of the compound)の助言を求めることであり、かつ人道支援小包を供することかのように振舞うことでthe Bermel Valleyにおいて盟友を得る手助けとなった。焦点を変え友人を勝ち得ることが究極には地域を平定(pacify)する手助けとなる。また、時々には最低限度の医療巡回診療(di-minimus health care operation)を行い、村人は医療手当てを受けて喜んだのか、我々が探していた反連合武装勢力に関する情報をもたらすこともあった。我々は(#情報により)住居を捜索して当人を拘束しBagrahmそしてGuantanamoへと送る。あらゆる場合において、どちらへも対応できる柔軟性を持つこと、友好的な任務が敵対的となる、或いは敵対的な任務の中で友人を作れることが肝要である。

 完全に友好的な軍民作戦であっても、まず戦闘兵科の者が状況を整える必要があるのが常だった。村落チーム指揮官(基地に民生Aチーム(CAT-A)がいるときは筆者よりも階級が上のことがしばしばであった)は歩兵小隊長から"全て確保"で"前進許可"がえられるまで袖で待機せねばならぬことを理解せねばならなかった。また、任務によっては歩兵分隊が村落チームの警護に任じられることもあった。人道支援小包多数を配布したり、あるいは最低限度の医療巡回診療を行うのを計画するときは、地元住民が秩序を持って並び乱れぬようにする必要がある。群集に毛布の入った箱を投じるだけでは負傷者や死者が出る可能性もあり、そうとなったらその負傷者や死者の家族の好意を失うことになる。ところでアフガン人が白の補修テープ(white engineer tape)に敬意を示すのは驚くばかりである。白の補修テープで整列線を地面に引くだけであっという間に行儀良く並んでもらうことができる。


長老との会合(Meetings with the Elders)
外国文化とともに働くにはその文化の規範に基づいて働くことである。アフガニスタンでは部族の長老が仕切っている。どの村でも、どの住居でも家長として認められている老人が少なくとも一人いる。長老は部族の中で大きな影響力を持つ。長老が村にal Qaedaを助けよと言えば村はそうするし、同様に連合軍を助けよと言えば、村はそうする。村にゆくときは長老と話すのを求めるのが常であった。長老は我々にシューラ(shura)あるいは会合に座を連ねるよう求めるのが大抵であった。長老らは少々の食べ物、少なくともチャイ(chai)を1杯供したが完全な食事は稀であった。この場では我々は茶にラクダの乳が注がれるのを微笑んで我慢せねばならない。(アフガンのチャイは砂糖が非常に多くはいっておりほとんどシロップに近い。) あるときは長老が毛布を我々が座るために敷いてくれ、ピクニックであった。少年が我々の食べ物として、頭上のアンズの木に登り我々の周りじゅうに実が落ちるまで揺らしてくれた。

 主作戦と同様に、我々は戦力の誇示(showing force)から始める。我々の知る限りでは、村にはオサマ・ビン・ラディン(Osama bin Ladin)がいる可能性はあり、よって我々は戦闘に備えている。我々は迅速に村を封鎖する。目的が長老と会うのみであれば(新任の指揮官/土地の軍閥の長として、時間を割いて担任域の各村へゆき長老それぞれの感触を掴むのは重要である)、村を確保したらば、長老を尋ねて回り会合を持ちたいと伝える、そして我々がそうと知らぬうちに長老は会合のために部屋を空けている。(アフガニスタンでは基地の外には椅子は全く無い、我々は毛布の上に座るのが常である。) 長老は我々が伴ってきた戦力に敬意を示し全員の家を捜索するためでなく単に彼らと話しに来ただけと知り大変機嫌を良くする。我々が長老と会うのを望んでいることを示すことで彼らの村の代表としての地位は高まる。(我々は長老を通じて村の必要とする者に人道支援小包を渡すことで彼らの地位をさらに高めることもできる。)

 全てが整ったら、我々は紹介して長老に筆者が谷の治安を全て担う者であり、民生の担当(the Civil Affairs guy)は彼らが助けを必要としている計画は何かをつかみに来ていることを伝える。じっくりと話し合うのが常であり今後の軍民作戦計画、例えば井戸掘り、学校や病院の建設についての話から始める。長老らの心配事を把握しそして、最後になってから、彼らにal Qaedaの人員やal Qaedaの動きについて担任域(AO)で見かけなかったを尋ねる。長老らに理解してもらうのはNGOやその他人道支援は地域が安全でないと見ている限り来ないということである。仮に我々がal Qaedaのついての質問から切り出していたとすれば、長老らは全てを最初は否定するだろう。我々はまず彼らの信頼を勝ち得ねばならない。長老から会合の初回で情報を得られるのは稀であるが、続けていくうちに彼らがのちほどに基地にきて一対一で情報をくれるようになる。我々は長老らを招待をするときは常に慎重に行った。

 会合では、力を示すのも役に立つ。我々は警護要員を我々の背後か部屋のすぐ外、見えるところか少なくとも居るのを感じられる場所に待機させた。警護要員は身体検査をして筆者が承認の印にうなずくのをみるまでは何人たりとも入室させなかった。力と厚意をともに示す振る舞いも助けとなる。あるとき会合の最中に、対戦車小隊長が無線でAK-47をそれぞれ持った男性が二人、我々が居る村に車で入ろうとしているのを止めたと伝えてきた。筆者は村の長老にこの男性らを入れるべきかそれとも拘束すべきかと尋ねた。これにより筆者は強い力があるが、長老らの判断を信頼し、長老らの友人は助け、敵は害するということを示した。また、筆者は主作戦では事前に計画して近接航空支援を用いるのが常であった。近接航空支援の航空機に低空通過させると、村の全員は心底怖がるのが常である。長老らは筆者に続けさせないでくれと頼む。すると筆者が戦術航空統制班(TACP)に無線でそれ以上低空通過しないようにと伝える。これもまた、筆者が航空機に指令を出す力があり、また長老の頼みを聞き入れて中止させる意思があることを示された。

 会合が開かれている間に、1個分隊と工兵で何であれ不審なもの、最近掘られたようなところ、つまり村が我々が来るとの警告を早めに受けて掘られたようなのを探して回る。歩兵小隊長は会合の席の外で飴玉やその他小間物を子供に手渡してささやかながら人心掌握(winning hearts and minds)を行う。(我々がアフガンの子供にあげた最高の贈り物は彼ら自身のポラロイド写真である。彼らは自分の写真を見たことなどほとんど無いし、ましてや自分の写真を我が物としたことなど無い。) 歩兵小隊長が外で群集を扱っている間、人間情報の連中(the HUMINT guys)もその傍らで仕事をする。長老との会合で得られた情報は全て基地司令に村落チーム指揮官と筆者も出席しての復命報告で伝えられた。熟練のHUMINT要員は村の長老らの会合に出られるほど重要ではないが長老らが見ていないところで米人と話すことで自分を重要だと感じたい若手の男性らと話すのが遥かに良かった。若手の男性らの話は長老から得た話とは非常に異なることがしばしばであった。


知事との会合(Meetings with the Regional Governors)
我々は知事と月に一回腰を下ろしての会合をもった。この会合により知事がKarzai大統領のもとでの正統な地域の代表としての地位は強化された。知事との会合には知恵をめぐらす必要がしばしばあった。というのも知事と会うにはthe Bermel Bazaarに行かねばならず我々は我が兵のみならず知事のBermel警察に囲まれるがゆえである。知事は自分の警察を統べ支配していたのである。この警察は全員がおよそ17歳にみえ、大変細身だった。彼らがAK-47を携えて我々の周りにいるのはあまり安全とは思えなかったが、谷でわが戦力に挑戦することは無いと分かっていたし、彼らは我々を盟友(ally)と見ていた。そこで我々は力を見せることにした。我々は場を封鎖して我が警備要員に入室する者は誰であれ止めさせ筆者が承諾にうなずくのを待つようにした。我々は若きBermel警察官が肩からAK-47を提げたままでチャイとピーナッツを給仕するのを許すことで彼らに対する信頼を示し、我々が知事と彼の部下を信頼しているがたった一言で警察を武装解除できることを示しつつもである。

 しばしば会合は知事からの武器、弾薬その他の援助の要請が中心となった。筆者が知事に供与できる力は極めて限られていた。知事は筆者をアフガニスタンにおける米軍(the U.S. Military Command in Afghanistan)の直接の糸口とみていたが、知事の問題の多くはアフガンの中央政府から受けている支援に関するものであった。

 知事について特記すべきことは、知事の土地にはBermel Valley全体が含まれていたが、知事が牙城としているのはthe Bermel Bazaarのみであった。これは彼が谷全体に影響を持たないというわけではない、というのは地域の商売の多くはthe Bermel Bazaarが中心となっており、多数の部族や村の長老はthe Bermel Bazaarに行き会合して物事を論じ合うからである。


シューラの開催(Hosting a Shura)
谷での我々の軍民作戦全体は全ての村々と部族の調整にかかっている。というのも米国および非政府組織(NGO)の援助は谷の住民全体を助けるというものであったからである。これはKarotesがWasirisを信じず、その逆もしかりという場合には極めて困難である。我々が繰り返し伝えたのはNGOがthe Bermel Valleyで働くのを恐れているのはal Qaedaの活動が余りにあるためだということであった。谷間全体を平定する最良の方法の一つはシューラを開催することであった。シューラとは部族の長老全てでの会合である。我々はシューラを知事の本部および我々の基地の双方で開催した。

 知事の本部でシューラを開催するのは知事から部族の長老への階層秩序を確立するのに役立った。最大の問題は知事の部族からの参加者のほうがその他の部族からよりも多いことであった。我々の基地で開催したシューラのほうがより成功した。なぜならば基地は関係する長老全員にとって中立地帯であったからである。もう一つの技として知事を招かずに長老全員でシューラを開催するというのがある。こうすることで様々な長老からさらに率直な話を得られる。また、知事の発言と行動が一致しているか、知事の警察部隊の間で腐敗の問題は無いかを知るのにも良い方法である。

 シューラは常に不安定である、というのも仇敵同士の部族が互いに非難の応酬を始めようと望んでいるからである。時には我が村落チーム指揮官と筆者が会合を統べており全員互いの益のために協働するのが目標であることを思い起こさせるのが難しいこともあった。シューラは常に必要な手続きである。なぜならば我々が軍民作戦において最も望まぬのはある部族や村が我々が彼らの仇敵をひいきしていると感じることである。このような対立関係を我々に有利に利用する必要がある。それぞれの部族や村に我々のために最も働きal Qaedaの拘束や殺害により繋がる最良の情報を伝えればもっとも人道支援を受け取れると感じさせるのである。


パキスタン側との会合(Meetings with the Pakistanis)
the Bermel Valleyでは最大の脅威はal Qaedaでありパキスタン内に聖地があり国境あたりを自由に移動しているように思われる。国境は実は三種類ある。the Nima Line、the Durrand Line、そしてパキスタン側が主張する線の三つである。これら三つは互いに百mから二百mほどのところを走っている。総じて、国境は人工物により標識されておらず広大な山岳地帯により区切られているのである。パキスタン側は勿論、国境の高地を主張しており主要な瞰制高地の外哨(outpost)に人員を配している。地元住民の多くには実のところ、アフガニスタン、パキスタン、或いは国境という考え自体がほとんど無い。彼らは皆Wasiristanに住んでいると考えている、というのも国境の両側に住んでいるのはWasirisだからであり、山岳を歩き回ろうと思えば自在に行き来できるからである。谷全域において、天然の山岳障害に阻まれていないのはAngor Addaにある主なPakistani Bazaarのみである。Angor Addaはal Qaedaの活動で知られており、TIME誌が"Al Qaeda Town"と名うって記事で取り上げたことでよく知られている。

 筆者の着任前までパキスタン側は地域全体の治安を辺境部隊である地元のSouth-Wasiri Scouts(SWS)に委ねていた。多くのアフガン民兵やその他の地域の民兵と同様、SWSは国としてのパキスタンよりも地元指導者に忠誠心を向けている。我々は常にSWSの要員の多くは公然とal Qaedaを支持しているとみなしていた。筆者が2002年12月に姉妹旅団の第505空挺歩兵連隊Panther Brigadeで見習いをしているとき(learn the ropes)、同旅団で最初の空挺歩兵の戦死者が出たのはal Qaedaとthe Bermel Valleyでの戦闘であった。この戦死からほどなくして、別の米兵がSouth Wasiri Scoutとの会合後、相手のうちの一人に頭部を撃たれている。SWS(South Wasiri Scout)はthe Bermel Valley中を良く監視しており、夜間暗視装置を含む先端光学装置と通信装置を持っている。我々の夜間パトロールが基地を出ると国境沿いのSWSの外哨で火が灯るのが常のように思われた。

 筆者のパキスタン国境警備隊(the Pakistani Border Guard)指揮官らとの最初の会合は指揮を引き継いですぐであった。大隊副長(the battalion XO)が筆者のところに急いで来て私の名前テープを引き剥がし始め、"君の呼び名はDave大尉だ。君の前任と私が冒した過ちを繰り返させるわけにはいかん。君の氏名を知られてはいかん" 明らかにこのような会合が数回あって後、国家階梯情報資産がal Qaedaは副長と前のBravo中隊長の氏名を知っていると伝えてきた、そして副長は私に郷里の家族が報復にあう恐れの中で過ごしてほしくなかったのである。

 Angor Adda国境検問所への行き方は(#東西冷戦期のベルリンにあった)チェックポイントチャーリー(Checkpoint Charley)に極めて似ており、パキスタン側陣地の警備監視を引き継ぐがのごとく大掛かりに米軍とアフガン民兵を引き連れて、少人数の我が代表が非武装地帯へとパキスタン側入り口へ歩いていき、我々だけが入るのである。

 明らかに筆者の着任まで、この会合は極めて緊迫したものであり、SWSとの関係も同様であった。幸運なことには筆者の着任すぐ前からパキスタン内部で変化が始まっていた。SWS(South Wasiri Scouts)の隊長が更迭された。(我々は当初、彼は会合に出られぬと説明されていたが、後になって彼が転属したと伝えられた) パキスタン正規陸軍(Pakistani Regular Army)指揮官が作戦を引き継ぎに着任し、多数のパキスタン正規部隊がSWSを助けて国境検問所の配置に着き始めた。  会合は常に丁重であった。パキスタンがより進んでおり西洋化していることは明瞭であった、というのも我々は椅子に座り素晴らしい食事をとった(とりわけカレーは良かった)。眼目は協働するが、あまり情報を共有しすぎないことであった。我々は常に我が迫撃砲という言い方をした、というのも我々が榴弾砲で置き換えたことを知られたくなかったからである。)(多数の外哨が我々が擾乱射撃をパキスタン内に撃ち込んでいると主張していたので我が迫撃砲が話題となることがたびたびであった) 我々は地図を交換し、我々がthe Nima Lineを国境としているのを先方に伝え、彼らは新たな国境外哨の位置を伝えて我がパトロールが突然行き当たらぬようにした。また我々はThurya携帯電話を持ち、我々が国境付近で戦闘したり砲撃したりするときは儀礼上互いに通知するのに使った。

 筆者がSWS(South Wasiri Scouts)へ不信を根深く抱く一方で、その深さと同じくらい筆者はパキスタン正規軍を信頼した。パキスタン正規軍の到着は非常に望まれていた。ごく最近、同軍は地域でal Qaedaの拠点に対して無数の強襲を行ってNik Mohammedのような高価値目標(HVT)を捕らえ、その決意の程を示した。残念なことには、他の非通常戦闘や低烈度紛争の場合と同じく、外哨に詰めているのがムシャラフ(Musharrif)将軍に忠実なパキスタン正規軍か、忠誠を違えている可能性のあるSWSなのかは我々にはけして分からない。が、パキスタンはthe Bermel Valleyにおいて断然正しい方向に向かっている。


最低限度の医療巡回診療活動の遂行(Conducting Di-minimus Health Care Operations)
この活動は地元住民の人心掌握に優れていた。軍医、衛生兵、医師助手は地元住民に貢献できることを楽しんだ。そのほかの軍民作戦と同様に、この巡回診療はまず村落を確保し村の長老に我々の意図を伝えてから行われるのが常である。患者は列をなし、軽い打撲や切り傷に鼻づまりから、もっと重い負傷や病気に至るまで様々であった。ハマーの荷台で診療することもできたが、長老が整えた安全な住居で行われるとより良かった。また、女性および子供を診るため女性衛生兵が居ることが鍵である。さもないと女性子供は診療を受けたがらないか受けるのを禁じられることがあるし、彼らこそが最も必要としている者であるゆえである。このときも常に、我々は地元の序、つまりかすり傷の長老がマラリアにかかっている子供よりも前に診察を受けるということを尊重せねばならない。女性子供のために場を設けるときは彼らのプライバシーのため密室である必要がある。また、警衛が常について患者は秩序を保ち入室前に身体検査を確実に受けるようにせねばならない。もっとも、村人は我々よりもかなり先んじてテロリストを見分けて我々に伝えるか大変怯え不審に振舞い逃げるだろうと筆者は考えていたが。  これらの活動は後に使う情報を得るのに素晴らしかった。多くの人々が我々から診療をうけて大変に有難いと思い、われわれのal Qaedaに対する戦いを進んで助けてくれるようになった。また、我々が彼らを助けたり、文字通り生命を救ったことに非常に感謝した人々と一対一で個人で話し合う機会も持てた。


基地診療所の開設(Running a Firebase Clinic)
基地診療所も大変に効果的であり、また外に出て最小限度の医療巡回診療をするのと比べると容易でありかつ危険も無かった。我々は週に二回午前中に基地の内部ではなくアフガン民兵の外周防御線内部で診療所を開いた。これは我々が地元住民を助け支援を与えているのを示すとともに、人々が診療を求めてという見かけで来ることができるので情報を得るのにも役立った。また、住民は我々のところに助けを求めたので、我々に対する見返りとしては情報しかないと感じてもいた。


軍民作戦を情報収集に用いる(Using Civil Military Operations to Help Gather Intelligence)
厳格な戦闘兵科(combatarms)の兵で、軍民作戦の必要も軍民作戦がどのように助けとなるかも分からず、感じてもいない者は信じられないほど誤っている。"人心掌握"という呪文に納得していない者でも軍民作戦の最も効果的な使い方を受け入れる必要がある。つまり、情報収集である。多くの民生(CA)、心理作戦(PSYOP)、情報の者は、軍民作戦要員は情報収集担当ではない、或いは情報収集は彼らの任務では無いと強く主張するであろう。彼らは100%正しい。しかし、戦術指揮官は軍民作戦の兵らが任務を完遂するのを助けつつ情報を収集することで大きな恩恵を受けることができる。戦術人間情報(tactical HUMINT)チームや情報分析者を軍民作戦要員と混同してはならないが、軍民作戦は友人(allies)を獲得することにより指揮官の情報収集作戦を大きく助けてくれる。民生および心理作戦要員はそれぞれの仕事をし、人間情報の要員および分析者も自分の仕事をする。戦闘兵科指揮官が軍民作戦の安全を確保し、村落チーム指揮官と軍民作戦全体において協働し、戦場の情報見積もり(intelligence preparation of the battlefield)の作成を手伝って分析者とともに作業するならば、我々がShkin基地およびthe Bermel Valleyで達成したのと同様な成功を得られるであろう。

 軍民作戦は情報を得るのに様々に役立つ。第一にそして最大なのは、軍民作戦は情報収集の機会が豊富であることである。情報が人間情報(HUMINT)、信号情報(SIGINT)、あるいは隠密監視の形であれ、我々が村で主作戦を行っているときは常に敵および地元住民は関心を抱いた。我々の移動および活動中、信号情報が急増することがある。村にいる間、ひとたび我々が確保し友好的な活動を設けると、村人の多くは進んで人間情報を提供する。村落チーム指揮官と筆者は単に書き付けて村の長老との会合での話をのちほど分析者に復命するだけである。

 我が戦術人間情報チーム(tactical HUMINT team, THT)は外で長老の会合に招かれなかった若手の者から情報を集めるため群衆を扱う。最低限度の医療巡回診療活動においては、住民は進んで個人で、診察を受けつつ、或いは受けた後に情報を提供する。また、我々は作戦の初期において、村は米人の助けを受け入れたらal Qaedaが報復するので人道支援を受けたくないという思惑があるのを知った。ここで、隠密残置監視哨が我々が去った後に誰が村に入っていくかを正確に掴む上で役立った。

 二つ目のそしてより長期的な軍民作戦の情報収集に対する効用は地域住民全てと良好な関係を築くことで彼らが基地に来て促さずとも情報をもたらすことである。彼らが基地に来る見かけの理由、言い訳を作ることで、というのも時として彼らは知人に知られずに情報を提供したい場合に必要であるのだが、人間情報収集の優れた源となった。これが、長老やその他の者が基地に来て現在および将来ありえる軍民作戦について論じるのを歓迎されたか、および我々が基地診療所を開設していた理由でもある。

 the Bermel Valleyにおける我々の諸兵科連合および軍民作戦がはっきりと報われたのは2003年6月22日のことであった。ある地元住民が基地にシューラで来てal Qaedaが道路に地雷を埋設していることを告げた。我々は彼に続いて現場へ向かい、地雷埋設位置とおぼしき地点の手前で下車して行った。al Qaedaが伏撃をいまだ準備していないのが分かり、我々は攻撃を開始、敵パトロールの全員を殺傷した。al Qaedaが意図していた仕掛け爆弾およびロケット擲弾を用いた周到な(coordinated)伏撃に飛び込む代わりに、その戦技についてより情報を手にいれ、我が方から損害を出すことなく歩み去れたのである。



結論(Conclusion)
本論考の結論は単純である。我々は型を破り、有効であることを示した。他の者が我々の成功から学ぶことを願う。

 我が特殊部隊はテロとの地球規模の戦い(the Global War on Ter
歩兵中隊の自動車化について報告と提案
出典 infantry magazine 2006年1月・2月号
URL find articleより
原題 The need for a new cargo HMMWV
筆者 Timothy F. Wright大尉
筆者略歴
2000年ウェストポイント陸軍士官学校(the United States Military Academy)より任官。ハワイ州Schofield Barracksの第25歩兵師団第27歩兵連隊第2大隊に配属。小銃小隊長、中隊副長、偵察小隊長として勤務。大尉は2004年3月にアフガニスタンのOrgun-Eへ本部および本部中隊副長およびTF 2-27 S-3補(assistant S-3)として派遣される。現在はカンザス州フォートライリーの第1歩兵師団第4旅団戦闘団に配属されている。

内容 全訳
現行の陸軍変革の一環で、軽歩兵旅団全ては任務編制(task organization)および装備を大きく一変させて新たな歩兵旅団戦闘団(Infantry Brigade Combat Team IBCT)となる。歩兵旅団戦闘団は高烈度紛争(high intensity conflict)から安定支援作戦(stability and support operations)に至る作戦の全様相の遂行が可能な戦闘部隊である。IBCTの編制及び装備定数は以前の編制と比較して著しく向上しているが、機動部隊に生残性ある戦術車両を与えていない。このような車両はバグダッドの通りやアフガニスタンの山岳においてその価値を証しているのにも関わらずである。このような戦場では以前よりも歩兵中隊や歩兵小隊が長距離を動き(cover)、本部および支援組織から一層遠くで作戦する必要があることが明らかとなっている。この必要にかなうべく陸軍はM1114装甲ハマー(the M1114 up-armored HMMWV high-mobility multipurpose wheeled vehicle)の派生型として1個分隊およびその装備を輸送でき、かつ分隊が降車し付与された任務を実行するまで防護を与える車両を開発、配備する必要がある。

#以下全訳最後まで
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海兵遠征旅団下の遠征復興隊構想
出典 marine corps gazette
URL http://www.mca-marines.org/Gazette/2005/05rohr.html
原題 Intervention and National Building in Expeditionary Maneuver Warfare
筆者 Karl C. Rohr少佐
日時 2005年7月web特約記事
内容 MEB(海兵遠征旅団)下に遠征復興隊を設ける構想の紹介。介入から退出までの流れを想定し
同隊の機能を説明。

以下全訳

本事例研究は今後の遠征機動戦構想にいかにprogressive reconstruction(漸進的復興)構想が組み込まれうるかを実証するため想定したものである。


前提

海兵隊は既にexpeditionary reconstrcution unit(ERU 遠征復興隊)を立ち上げている。同隊は、civil affairs(民政)、public affairs and mass media(広報とマスメディア)、military police(憲兵)、psychological operations(PsyOps 心理作戦)、Judge Advocate General(JAG 法務)、contracting(契約)といった特技を有する現役特技兵の一団である。衛生、工兵、戦務支援、航空支援、通信、歩兵部隊の連絡将校も配される(assigned)。国連人道組織、非政府組織、民間非営利団体、政府組織、統合組織(例えば、特殊作戦部隊など)、他軍および他国の民政、心理作戦部隊と、対内乱/対テロおよび復興作戦につき関係を構築し維持するのがERUの仕事である。また、ERUはregional development zone(RDZ 地域開発帯)、progressive reconstruction team(PRT 漸進復興チーム)、civil action platoon(CAP 民政活動小隊)のため、即用できる戦術、戦技、手順の枠組みを確立するものとする。ERUは対内乱/対テロおよび国家建設/安定作戦において海兵隊の作戦級および戦術級機能であり、世界各地の偶発事態に対して迅速展開と柔軟な規模拡大が可能である。


状況

国家Xの元首がクーデターにより権力の座から逐われた。が、どの集団および集団の連合も国家の統治を握ることが出来なかった。派閥間の戦闘は内戦という流血の無秩序事態へと進んだ。政府の基本的機能が行われず、人道危機が深刻化した。合州国と国連は国家Xの人民を災厄から救うには介入が必要であると決断した。


展開前および計画立案

海兵遠征旅団を主戦力とする統合任務部隊が立ち上げられた。MEB司令官が統合任務部隊司令官に任命され、失敗国家に秩序と民主主義を復興するのに必要であるあらゆる手段を用いる権限を与えられた。Expeditionary strike group(遠征打撃群)が国家XにMEBに先立って派遣され、介入部隊の入域のための下準備をした。

ERUはRDZ(地域開発帯)を設定しPRT(漸進復興チーム)をそれぞれに配した(assign)。SOF(特殊作戦部隊)とCAP(民政活動小隊)がMEB(海兵遠征旅団)と関係部隊の諸隊から立ち上げられる。ERUは諜報情報にもとづいてinterim military goverment(暫定軍政府)の枠組みを構築する。各RDZには60名~100名からなる特性に合わせたPRTが置かれ、民間および軍の全ての復興活動の管理を担任する。介入開始後はPRTが地元住民と介入部隊との仲介として働く。介入部隊の民間=軍統治の影響を一層及ぼすために特殊作戦部隊と民政活動小隊が重要な村落に投入される。


展開、入域可能素

親部隊であるMEBとともにERUは待機し、展開する。advanced staging area(前方待機地域)にてERUはmaritime prepositioning force(future) MPF(F) 海上事前集積部隊(将来型)の到着を待つ。ERUの心理作戦部隊と広報部隊はラジオ、インターネット、TVを通じて待機地域から介入部隊の意図を放送で伝え始める。これらの部隊は介入の進展につれて活動を改善していく。このため、TV局、ラジオ局、発電所を軍事活動の初期目標とする必要がある。統合任務部隊司令官(commander joint task force /CJTF)はこれらのメディアを通じて総武装解除と軍閥の退場(standdown)を呼びかける。CJTFは介入による益を強調する、益はPRT(漸進復興チーム)が投入されるにつれて次第に全員に明らかになる。住民に地域代表暫定政府を形成するよう勧める。形成にあたっては、介入が行われるにつれて、PRT、特殊作戦部隊、民政活動小隊が住民を介助する。

統合任務部隊司令官は、武装内乱勢力に対する攻撃と制圧、飛行場、港湾、TV局やラジオ局、発電所、浄水施設、銀行、政府施設、その他権力の象徴といった重要基盤の確保といった軍事介入を計画し遂行する。無法な空白状態が生じるのを防ぐためPRTは各地域が確保されるに従い投入される。ERUは初期の軍事介入と敵戦力の打倒による威信と衝撃効果を利して攻撃部隊の後背に展開することで、好機を生かし、そして国家を目に見えるかたちで連続的に実際に支配する。この方法によりMEB(海兵遠征旅団)は既に手に納めた土地を再度奪取する必要がなくなり、介入の眼目である、法と秩序の回復が行われることになる。


決定的行動

決定的行動段階では、統合任務部隊司令官は安定の持続のため軍事力及び情報収集力を供する。ERUは地域住民と顔を会わせての接触と対ゲリラ作戦のための情報を供することで支援する。

戦力維持は、MPF(F)(海上事前集積戦力(将来型))から直接もたらされる補給により行われる。船舶から沿岸という遠隔のRDZ(地域開発帯)に対する補給運動は空輸と編制内の地上車列(organized ground comvoys)で行うことで、補給基地の防護に必要とされる人員数は削減され、住民対応と対ゲリラ作戦に用いることができる人員数を増加する。

ERU部隊は地域政府の再編、生命維持援助、住民の防護に集中する。ERUは地元住民を自衛できるよう訓練し、戦域全体での通信を確立し、介入の益と国家の病弊に対処する意思を放送で伝える。初期には介入部隊が治安を全てまかなうことになる。が、介入が決定的行動段階に進むに従い、PRT(漸進復興チーム)は統合任務部隊司令官の指導下で地域警察の編成を開始する。この段階においては、憲兵、FBI(Federal Bureau of Investigation 連邦捜査局)、CIA(Central Intelligence Agency 中央情報局)、国際的な警察訓練部隊が新たな地域警察の選抜と訓練を援助することで、作戦は大きく助けられる。

政府組織、非政府組織、民間非営利団体の連絡担当、法務官、契約特技者をERUの枠組みに組み込み、民間=軍事活動センターを立ち上げることで、この分野における海兵隊の作戦級および戦術級能力の維持にも効がある。人道組織は最も必要とする人々への迅速な流通と配分をおおいに助ける。ERU内の契約特技者は施設建設および補修や援助の輸送を、現地で契約作成することで経済援助の成果が具現するのを助ける。PRT内の法務官代表は地域に、公正な法廷と民主的な法改革確立の枠組みを供する。これらの集団はまた地元実業界に公正な慣行、法の支配、援助の平等な配分を確実に行わせることも担当する。

統合任務部隊司令官は、軍政官(military governor)として、成功を平和と繁栄を国家にもたらすことへ繋げる。これには派閥を融和させる(bringing factions together)ことも含まれる。その間に、復興および警備活動に従事していない、MEB(海兵遠征旅団)の地上および航空部隊本隊を用いて作戦級機動部隊が再確立される。機動部隊はその後、即応状態で沖合いに置かれ、必要に応じて残る軍閥に対する圧力を維持するため、統合任務部隊司令官が用いる。

統合および連合の後続部隊の投入はどの時点、どの段階でも可能であるが、合衆国軍の国家からの次第の撤退が進められて行く、決定的行動段階においてとりわけ価値がある。徹底して費用対効果をあげるため、失敗国家--国際的、超国家的あるいは麻薬テロリストによる--や人道危機に対する介入は、完全に統合された多国家対応であらねばならない。さもなくば、合州国と少数の選ばれた連合が重荷全てを負い、米国の納税者および軍人の代価は介入が見合わないほどとなる可能性がある。


撤退/離脱 :退出戦略(Redeployment/Departure: The Exit Strategy)

新たな政府が樹立され安定作戦が進み、海兵遠征旅団は、統合多国家部隊--統合任務部隊司令官の指揮下にある--に知識および基盤を委ね、引継ぎを行うことが可能となる。一旦、国家が安定化し、住民が自身で治安を保ち、合州国および連合軍との間で戦闘の引継ぎが行えるようになると、統合任務部隊司令官は軍政官の任務をを国連が任命した行政官(U.N. appointed administrator)へ引き継げるようになる。国連行政官は新たに作られた地域政府と共に安定と民主主義に向かって活動を続けていく。


Rohr少佐はカリフォルニア州モンテレーの外国語センター 防衛言語研究所海兵隊分遣隊長。MCGの常連の寄稿者
合州国 軍事力行使事例一覧 1798-1993

表題 1798年から1993年における合州国の海外における軍事力行使の例
出典 global security org
原題Instances of Use of United States Forces Abroad, 1798 - 1993
筆者  Ellen C. Collier, Specialist in U.S. Foreign Policy,
Foreign Affairs and National Defense Division
Washington DC: Congressional Research Service -- Library of Congress -- October 7, 1993

要約

本報告は紛争、あるいは紛争の可能性のある局面、あるいは通常の平時での目的を超えて合州国が軍隊を用いた234の例を集めた。本報告は過去に様々な一覧表の一環として作成された1989年以前のものを用いており、海外におけるこれまでの合州国の軍事活動をおおまかに描いたものを供することを目的としている。詳細な記述や分析は行っていない。

各例は部隊人員数、目的、敵対度、法的権限について大きく異なっている。1812年戦争、1846年のメキシコ戦争、1898年の米西戦争、1917年宣戦布告の第1次世界大戦、1941年宣戦布告の第2次世界大戦の5例は宣戦布告している。

例の中には宣戦布告無しの戦争と考えうる大掛かりな軍事的関与が含まれる。これには1798年から1800年のフランスとの宣戦布告無しの海洋戦争、1801年から1805年の第1次バーバリー戦争、1815年の第2次バーバリー戦争、1950年から1953年の朝鮮戦争、1964年から1973年のベトナム戦争、1991年のペルシャ湾岸戦争が含まれる。中には、例えばイラクに対するペルシャ湾岸戦争では議会は軍事行動を認めたが宣戦布告はしなかったものもある。

集めた例の大半は第2次世界大戦に先立つ時期において合州国市民を保護し、合州国の国益を増進するための海兵や海軍の短期の行動である。多数の行動が海賊や山賊に対して行われた。中には、海兵隊を大使館や公使館に駐留させるといった、後には通常の平時の慣習と考えられるようになったものも含まれる。秘密作戦、災害救援、日常的な同盟駐留や訓練演習は含めなかった。また、南北戦争および独立戦争、それに西部の拡大、居住、平定における軍部隊の継続的使用も含めていない。


1798年から1993年における合州国の海外での軍事力行使の例
(原注1 
表の1975年までの部分は僅かな変更を除き、次の再掲である。
合州国議会 上院国際関係委員会(現在の外交委員会)国際安全保障と科学事項についての株委員会 合衆国軍の外国における使用についての背景情報 1975年改訂 

委員会版
第94回議会第1会合
議会調査局 議会図書館 外務部局 作成
1975年合衆国政府印刷局 84ページ

原注1 終わり)

以下は合州国が軍事力を、紛争、或いは紛争の可能性のある局面において合州国市民を保護し或いは合州国の国益を増進するために海外で行使した234の事例の一覧表である。一覧表には秘密作戦や第2次世界大戦後、占領軍として、或いは相互安全保障機構への参加により、基地協定により、或いは通常の軍事援助や訓練作戦で駐留した数多くの事例を含めない。含めるべき行動についての判断は異なることから、より多く或いはより少ない事例を集めた表もある。
(原注2
その他の表としては
Goldwater, Senator Barry. War Without Declaration. A Chronological List of 199 U.S. Military Hostilities Abroad Without a Declaration of War. 1798-1972. Congressional Record, V. 119, July 20, 1973: S14174-14183;

U.S. Department of State. Armed Actions Taken by the United States Without a Declaration of War, 1789-1967. Research Project 806A. Historical Studies Division. Bureau of Public Affairs;

Collins, John M. America's Small Wars. New York, Brassey's, 1990; For a discussion of the evolution of lists of military actions and legal authorization for various actions, see Wormuth, Francis D. and Edwin B. Firmage, To Chain the Dog of War;

the War Power of Congress in History and Law. Dallas, Southern Methodist University Press, 1986. p. 133-149.
原注2 終わり)

各例の作戦規模、法的権限、重要性は大変様々である。関与した兵員数は米国民の生命および財産を保護するために上陸した数名の水兵や海兵隊員からベトナムにおける数十万人や第2次世界大戦における数百万人へとおよぶ。行動期間は短期から数年に及ぶ。中には軍事将校が権限なく行動した例もあり、或いはChief Exective或いは総司令官としての大統領権限のみで遂行された行動もある。またなんらかの方法で議会により権限を与えられての行動もあり、そのうち5つは宣戦布告した上での戦争である。表中の例の多くは、さりながら、国内法や国際法における行動の状況については触れられていない。つまり、本表へ含められていても合法性や重要性が含意されるわけでない。

1798-1800 –フランスとの宣戦布告無しの海洋戦争。この抗争には地上行動が含まれる。例えば、ドミニカ共和国のPuerto Plata市において砦から砲撃を受けつつもフランス私掠船者を海兵隊が捕らえるなどしている。

1801-05 – トリポリ 第1次バーバリー戦争。USSジョージワシントンとUSSフィラデルフィア事件およびEaton遠征を含む。Eaton遠征では合州国官吏William Eatonとともに数名の海兵隊員が上陸しフィラデルフィアの乗員を解放せんがためトリポリに対して軍を起こしている。トリポリは宣戦布告したが、合州国はしなかった。
http://71.1911encyclopedia.org/E/EA/EATON_WILLIAM.htm

1806 – メキシコ(当時はスペイン領土) リオグランデ川上流にてJames Wilkinson将軍の命によりCapt.Z. M. Pikeは1個小隊を率いてスペイン領土へ侵攻。今日のコロラドに自身が築いた砦において無抵抗で大尉は捕虜となる。メキシコに連行され、後に書類を取り上げられて釈放される。

1806-10 –メキシコ湾 おもにCapt. John ShawとMaster Commandant David Porterの下で米国の砲艦がニューオーリンズを根拠として、ミシシッピ三角州沖合いのスペインおよびフランスの私掠船に対して活動した。

1810 – 西フロリダ(当時はスペイン領土)ルイジアナ総督Claiboneは大統領の命を受けて、ミシシッピ川東の係争中の土地をPearl Riverまで軍により占領した。Pearl Riverは後にルイジアナ州の東部境界となった。総督はPerdido Riverまで占領する権限を与えられていた。

1812 -- アミーリア島および東フロリダ(当時はスペイン領土)
マディソン大統領と議会により、他の勢力が占領するのを妨げるため、一時的保有が認められる。が、保有にあたりGeorge Matthews将軍があまりに非正規な方法を用いたので、大統領はその方法は否認した。

1812-15 – 1812年戦争 1812年6月18日、合州国は合州国とグレートブリテンおよびアイルランド連合王国との間の戦争を布告した。戦争に繋がった問題のうちには英国のフランスに対する敵対中に中立船を要撃し、合州国を封鎖したことがある。

1813 – 西フロリダ(当時スペイン領土)
シンセキ 下院軍事委員会での証言99年10月21日
出典 合州国下院軍事委員会
http://armedservices.house.gov/testimony/106thcongress/99-10-21shinseki.htm

陸軍参謀長エリック=シンセキ大将による合州国陸軍の戦力現況

委員長ならびに委員の方々

今日及び将来の国家安全保障のための合州国陸軍の準備について最新状況を報告する機会を与えてくださり感謝します。これは陸軍参謀総長として証言する最初の機会です。Reimer大将の任期中のあなた方の支援に感謝します。彼がこちらの委員会で享受した良い関係をさらに築き上げていく所存です。

連邦議会への最後の出席で、Reimer大将は今世紀の終わりは著しい転回点、移行の年となると述べました。1998年には二つの傾向、8年に及ぶ戦力縮小と13年連続の真の購買力の低下がともにありました。この趨勢では、我々の国家が求める、訓練され備えある陸軍を維持しようとすれば、もはや陸軍を保てないものでした。Reimer大将が述べたように、”我々は新たな方向を描かねばならない。”のです。

今日は新たな方向についてお話したく思います。

今議会は軍、とりわけ陸軍の新たな方向を描きました。特に我々が感謝するのは本委員会および議会が通過させ大統領が署名して法となった、俸給の4.8%引き上げ、俸給表の改正、そして退役特典(訳注 原語はretirement)の改正です。これらの改正は、我々が最良の質の男女を軍に加わるよう募集し、国家への奉仕する長い生産的な職歴に質の高い兵を軍に留めるのを尽くす上で一山乗り越えるのに大きな助けとなります。我々の募集担当者と職歴相談員によると、俸給と退役特典の増加は魅力的な職業を求める若い男女に働きかける上で助けとなっているそうです。我々の兵士はこれらの法改正の通過を彼らの奉仕と犠牲が認められ報われているという力強い現れであると見ています。これらの改正を議会が承認したことは国家に奉仕する者に明確で重要な知らせを送るものです。


また我々が委員会と議会に、数々の主要装備の調達、研究、開発、実験、評価と複数年度調達の認可における援助に感謝したいと思います。これらの複数年度契約のあるものについては陸軍の管理に対して懸念があることは認識しておりますし、我々はこれらの懸念を真剣に取り上げています。我々は複数年度契約により費用節減を達成できるようともに働いてくれたあなた方の意志をありがたく思います。また、軍事建設の認可での積み上げにもまた感謝します。そのおかげで戦略機動性を増大するとともに兵と家族の福利厚生を大きく向上することができます。

また、委員の方々に感謝したいのは1999会計年度コソボ緊急補正予算の527億ドルと2000会計年度ボスニアおよびコソボへの紛争作戦(CONOPS)まもなくの早期支出に対する支援です。
この時宜にかなった紛争作戦支出は大いに感謝されており、展開した兵および展開を準備中の兵に対する支援を途切れさせずに済みます。

会計年度末において大変な成功を収めていることを報告させて下さい。陸軍の最終兵力は現役479100名で、認められている人員枠に余裕を持って達成しました。この成功に我々は少なくとも三つの要因があると見ています。第一に、議会が俸給引き上げ、俸給表改正、退役特典改正の法制化に関心を寄せ成立させて頂いたこと。募集担当者も兵もこの法制化を知っており、質の高い兵を募集し再任させる上で助けとなっています。第二に、陸軍が郷里募集支援計画を積極的に活用したこと。これは上級個人訓練を終えたばかりの新兵を郷里に短期間送り、近隣の若者に陸軍が与えてくれたことについて話させるものです。この計画により、会計年度末までに3万件を超える応募の問い合わせがありました。第三に、指揮官、下士官および士官の多大な努力により記録的な数の兵が再任したことです。我々の再任率は兵の職に対する満足が増大していることを示しており、上記の要因の中で我々が目標を達成する上で最も大きなものでした。陸軍は政権及び議会から受け取った助けに感謝します。そして、知って頂きたいのは我々も自助努力を懸命にしているということです。これらがあいまって成功がもたられたのです。


即応

平時において有用で戦時において無敵の、訓練され準備の整った陸軍を供するという妥協の余地のない契約を米国国民と陸軍は結んでいます。戦闘への備えが第一の仕事です。陸軍は訓練され備えています。がこの備えを達成するために他の分野では危険性を受け入れています。質の高い人々を募集し訓練すること、武器と装備を適切に獲得し維持すること、我々の軍を支援することができる基盤と戦力投射手段を構築し維持することにも力を尽くすよう気配りせねばなりません。これらの要求に対して資源を供することが、陸軍をいかなる紛争に対しても訓練し備える上で不可欠です。

陸軍は国家軍事戦略を遂行する能力がなくてはなりません。今日我々は訓練され備えがあるとはいえ、今日の資源と、面しうる戦略要求との間には齟齬がなおもあります。紛争の様相の上端においては、戦略はほぼ同時に二つの主要戦域戦争を戦闘し勝利することを求めています。今日、陸軍は統合チームの地上戦力部隊としてこの戦略要求を遂行する能力があります。が、幾度かの場合には、二つ目の主要戦域戦争においては大きな危険性があることを我々は述べてきております。この危険性とはアメリカの国力の消費、米国人の生命と国富という形で計られています。

作戦の様相は烈度において主要戦域戦争から平和維持活動と平和執行、災害救援、その他の安定化支援作戦へと至ります。1989年以来、陸軍は3435回の主要展開に参加しており、これらの多くは我々の国家安全保障利益の支援のため小規模紛争でした。これらの展開のほぼ全てにおいて、陸軍が展開部隊の大半を供しました。多くの事例では、兵はなおも現地に留まり作戦環境を形成しています。加えるに、同じ期間において、我々は陸軍の、現役、州兵そして予備役の規模を34%縮減しました。この縮減と展開の頻度により陸軍は酷使されています。いかなる日でも、陸軍は欧州、太平洋、韓国、その他重要地域に122000名以上の兵を前方駐留させています。さらに、陸軍は28000名以上の兵を世界各地での形成作戦に日常的に展開しています。もちろん、これらの形成作戦に参加する兵の多くは前方展開部隊から出されています。

展開している兵の数だけが話の全部ではありません。輪番展開を10年も経験したことで、陸軍は”三の法則”を教えられました。継続的に交代する部隊毎、兵士毎に、別の一つが展開を準備し、また別の一つが展開から回復している最中となります。つまり、ボスニアとコソボに12200名が展開しているとすれば、どの時点でもこれらの任務により影響を受けているのはおよそ36600名となります。

共同(航空)作戦の成功とコソボからのセルビア軍の撤退にもかかわらず、我々はなおも戦力を置き、その多くは陸軍の兵ですが、現地で紛争地域に平和をもたらすべく同盟国とともに働いています。これらの兵は我々の国家安全保障戦略を支援するため長期間にわたり留まり続けるでしょう。日々、6000名を超える兵がコソボ作戦においてFalcon任務部隊支援のため展開しています。また、Joint Forge支援でEagle任務部隊の一部として6200名がボスニアにいます。

これらの兵は陸軍の全部門からでており、ほとんど賞賛を受けることもなく任務を遂行しています。報道でボスニアが出てくるのは僅かですし、コソボについてはさらにさらに僅かです。それは米国の兵士が大変プロフェッショナルかつ良く仕事をしているからです。我々は、これらの、そしてその他”国家の先頭に立つ兵ら”全てがしている仕事に誇りをもつべきでしょう。


構想

先週、合州国陸軍協会の年次会合にて、Caldera長官と私は陸軍の将来についての構想を発表しました。お時間を頂いて構想の一部をお伝えし、皆様全員は冊子を受け取っておられますが、お許しを頂いて、本日の記録に挿入したく存じます。

我々の目標は、離陸せよとの命令を受けてから、96時間以内に世界のどこへでも戦闘可能な旅団1個を、120時間以内に師団1個を、30日間以内に5個師団を展開する能力を持つことです。この部隊は展開できるほどに軽量であり、戦闘し勝利できるほどに威力をもち、無事帰還できるほどに生残性を持ちます。平和を作ることも戦争を戦うこともできる汎用的です。平和創設活動から戦闘活動へと、またその逆へと迅速に移行できるほど機敏です。そして、任務に関わらず維持できるほど軽量で効率的です。
陸軍は次のような構想を実現しはじめています。”兵は国家の先頭にあり、世界で最も重んじられる陸軍を、作戦の全様相において圧倒的である 戦略的に即応性のある戦力へと変えていく。”国家指揮権力に危機に対応し、紛争を抑止するため関与し、戦闘し決定的に勝利し、その後平和を維持する能力をこの構想は与えることになります。


変革に取り掛かるには、陸軍の包括的な変化が必要です。すぐに始めねばなりません。このため、陸軍全体を戦略的に即応でき、作戦の様相のあらゆる点において圧倒的な全様相戦力へと直ちに変え始めます。この過程を勢いをつけて始めるため、目標戦力に必要な資材をもたらす新技術の探究を始めつつも、今ある”棚出し”の装備に投資して、教義、編制設計、指揮官訓練を促します。出来るだけ早期に、原型車両を得て、ワシントン州フォートルイスに最初の部隊を立ち上げます。フォートルイスは基盤、演習場、射撃場がこのような変革を受け入れることができるからです。今会計年度にフォートルイスに原型車両の第一弾が到着し始めるようにすることを目標としています。近い将来に別の部隊も続くことになります。このため、素早く行うには2000年会計年度予算である程度の見直しが必要です。議会と連絡を保ち、皆様の引き続きの支援を期待しています。

結論

要約しますと、政権と議会が今年、協力して頂いて、我々は新たな方向を描きました。13年間連続しての購買力の低下を終わらせました。陸軍は訓練され備えがあります。兵は危険な世界にあって国家の先頭に立ち、任務を有能にかつ良く遂行しています。彼らのしている仕事を私は誇りに思います。

それでも、陸軍は国家安全保障戦略が課した要求に応じるべく酷使され、苦闘しています。陸軍の最終兵力が34%縮減されたにも関わらず我々の作戦頻度は冷戦期の平均の300%です。急を要する必要にはなおも満たされていないものがあります。我々の認識する要求と我々のもつ資源との間には未だに齟齬があります。

我々がお伝えした構想は、差し迫った必要がある能力に応じる方策を描いた試みです。戦略的に展開でき、紛争箇所に迅速に到着し、必要に応じて関与し、作戦の様相にわたって圧倒的な戦力を構築し始めることをこの構想は可能としています。これは今日に対する計画であり、将来への道程表です。あなた方の助けと支援を得てこの構想を実行し、陸軍を次の世紀のずっと先まで最良の地上戦力とし続けることを望んでいます。

(#訳注 以下は挿入された資料と思われる)

陸軍構想 国家の先頭に立つ兵士 平時には有用であり、戦時には無敵

陸軍は国家政策の戦略的手段であり、二世紀以上にわたって平時にも戦時にも国家によく奉仕してきている。兵士はアメリカが世界の指導者としての責任、我々の国益を守り、世界危機を予防し、世界をより安全な場所とすることを果たすことを可能としている。国民国家間の摩擦について平和な解決策を見出し、 人類の困窮している問題に対処し、必要であらば、我々の国家の戦争で戦闘し勝利するという、米国民との譲れない契約、を果たすことでこれを行っている。

陸軍は、人である。

陸軍という時の素晴らしさは我々の人々により伝えられ続ける。彼らは我々の能力の源であり、兵は我々の組織の中核であり続けている。平時に有用であり戦時に無敵である能力を絶やさぬためには国家で最も有能で献身的な人々を惹き付け、訓練し、動機付け、保ち続ける。国家安全保障を確実にするため、我々の人々を装備し、訓練し、人々とその家族を世話して個人から最大限の可能性を引き出す。陸軍は専門に報いる、個人を豊かとする環境となり、国家の最も栄えある組織として人々はその一部であることに誇りを持つ。我々の体力、士気、精神的な能力が、どこでもいつでも戦う勝利する体力、自信、意志をもたらす。米国民が求めることは何であれ行うよう訓練し備え、より良く、より速く、より余力を持ってこれを行う。その過程では、我々は奮起を与える指揮で、兵を称え、その家族を養い、決定的な勝利へと訓練し、我々に信託された国力、制服をまとった我々の男女と彼らを成功させる資源、を責任を持って采配していることを示す。

陸軍 作戦の全様相にわたる戦略的な圧倒性

世界は権威主義体制や犯罪集団で満ちた危険な場であり、彼らの影響があいまって持つものと持たざるものを作り出すことで人類の苦難を広げている。過激主義の環境を助長し非対称能力と大量破壊兵器を入手する動きを強めている。また、自由へとより良い生活を分かち得たいという抑え難い望みを煽っている。平和と安定に対する脅威は、数知れず、複雑で、しばしば繋がりあっており、時として自然災害によりさらに悪化する。

ありうる作戦の様相は、人道支援や災害救援から平和維持活動や平和創設活動、そして大量破壊兵器が使用される可能性もある主要戦域戦争といった様々な任務において、統合、共同、多国籍の一員としての地上戦力ガ必要であることを描き出している。陸軍はこの様相のあらゆる点において即応し圧倒する。我々は国家に展開性があり、機敏で、汎用で、威力があり、生残性があり、そして持続可能な部隊を供する。この部隊は調達可能であり、人類が災厄を受けている状況を迅速にただし、紛争を決定的に解決する能力がある。陸軍の展開は、地上において生起するいかなる任務をも達成するという米国の関与の確実な印である。

即応:即応性とは、時間、距離、衝撃力の持続という質からなる。我々が戦力を行使するという脅威が、敵対者の計算違いを抑止するならば、、それ自体で即応性という質を備えていることになる。前方展開戦力、前方集積能力、関与、そして必要があれば、米大陸や必要とされる能力がある地点からの戦力投射により我々は戦略相応性を供する。兵がどこで奉仕していようと、我々は世界の指導という大きな責任に対する国家の方策の一部である。

展開:我々は世界のどこであろうと戦闘部隊,安定支援作戦と戦闘双方のため旅団戦闘団を離陸から96時間以内でを送り込む能力を開発する。我々ははずみをつけてこの能力を築きあげ、戦闘師団1個を120時間以内に、5個師団を30日以内へと育てる。

機敏:運動中に任務編成し防御から攻撃へとそしてその逆へと移行する戦術的戦闘での機敏さを示してきたのと同様に、安定支援作戦から戦闘へそしてのその逆へとうつる精神的かつ物理的な機敏さを我々は得る。全階梯および全部門における指揮官を、決定的に戦争を遂行でき、関与技量を必要とする任務において交渉し有効に生かせるよう育成する。


汎用:最小限の修正と最小限の時間で作戦の様相のいかなる点でも支配できる戦力を形成できる部隊を我々の組織構造に設計して組み込む。また、これらの組織を陸軍が行うことを求められてきたいかなる任務においても有効であるよう装備し訓練する。これらの行動により、我々の部隊は、能力をそなえ、調達可能で、国家にとってかけがえのないものとなり続ける。

威力:威力ある戦闘力の要素は、火力、機動、指揮、防護であり続ける。展開するとき、戦闘部隊のあらゆる隊は戦闘力を発揮することができ、戦闘に決定的に貢献する。我々は現在我々の重戦力が享受している、決定的な成果をもたらす威力と機動力を供しつつも今日の軽戦力の展開性を得る。現在軽戦力のみが入れる地域における展開性と運用性を与えつつも、重戦力の威力を十二分に保つ。敵対者が危機を複雑化するより前に紛争箇所に到達し、侮りがたい示威で沈静を促し、抑止に失敗した場合には、我々と我々の同盟者にとって最低限の犠牲で勝利する烈度で戦争を遂行し、米国に脅威を向ける者全てに明確なメッセージを送るつもりである。技術の許す限り、重戦力と軽戦力の違いを消し去り始める。専門部隊への要求を見直して、国家の要求にそれらが適うように確実に変化させる。

生残:兵が徒歩であろうと搭乗していようと、兵士個人の段階で最大限の防護を与える技術を作る。地上及び航空搬送体は、低視認、対弾防護、長距離捕捉および目標指定、早期攻撃、より小口径での初弾高命中率および撃破技術といった入手可能なものの最適の組み合わせを活用する。拡大した戦闘空間を支配すべく困難な道へと踏み出す備えはできており、舞台を防護するのに必要なことを行う。


持続:我々は積極的に補給負荷と補充要求を削減する。これには展開する車両数を統制し、reach back能力を活用し、武器と装備の設計においてシステム的手法に投資し、我々の人員と資材を輸送し持続する方法を革新する必要がある。技術が許す限りにおいて、我々は全装輪部隊へと進む備えがある。

これらの課題に対処する行動は陸軍の包括的変革を強いる。このため、我々は直ちに陸軍全体を戦略的に即応し作戦の様相のあらゆる点において圧倒的な戦力へと移行させ始める。目標戦力への新技術を探究しつつも、今日の棚出しの技術に投資することで、教義、編制設計、指揮官養成を刺激することで勢いをつけてこの過程を開始する。こうすることで、技術の優位をさらに拡大できる。

陸軍 国家において最も称えられる組織となることを熱望しつつ、我々は世界で最も敬される陸軍であり、合州国の益に脅威を与えようとする者には最も恐れられる地上戦力であり続ける。

我々は指揮による。指揮は我々の商売道具であり、我々を異ならせるものである。軍に入ってきた兵をもって次の世代の兵の指揮官へと育成する。、組織の学校、運用配置で得られる実地経験、個人の研究と職業上の読書を通じてこれらの指揮官を開発し続ける。比類なき職業倫理、強い価値観を持ち、他者に敬意と尊敬をもって処し、辛い仕事に慣れ、勇敢で、責任に堪え。チームを作り士気高揚させる方法を知り、周囲の全員に良い手本となる指揮者の群れを我々の兵は米国に与え返す。我々はこの機会を米国の若者に与え、そして我々の国家を強く、有能で、国家共同体の中で指揮的な役割を果たせるようにする。我々は明日のために今日の国家の指揮に投資する。

国家にこの戦略的優位を供するため、我々は、価値を基礎とする組織であり、であったし、そうあり続ける。この組織では、忠誠、義務、尊敬、克己的奉仕、名誉、一体性、個人の勇気が今日我々が行うことや将来の成功全てにおいて要である。我々の兵はこれらの価値を毎日体現し、世界で最良である。彼らは自発的に安楽と富を後回しにし、困難と犠牲に向い、国家を守って危険や時には死に直面する。我々は彼らに、ゆるぎなき支援、職業上の卓越、この構想を決意をもって追求して、彼らが次の危機、次の戦争、そして不確かな未来において世界で最良の地上戦力で確実にあり続けるようにするせめを負っている。


陸軍総参謀長ERIC K. SHINSEKI大将   陸軍長官LOUIS CALDERA
AUSA 2004 記者懇談会
Schoomaker参謀総長とCody副参謀総長の合州国陸軍協会年次総会における
報道陣懇談会 時 2004年10月26日 所 ワシントンD.C.
 :記事日付 2004年11月9日


General Schoomaker: 先ず初めに言いたいのはここにいらして会って下さることに感謝します。ここに居られる大抵の方には少なくとも一度お会いしたことがあると思います、多くの方には何度もお会いしているかと。我々と会ってくださっているということに感謝します。私は、ここにいらっしゃる皆がこういった繋がりを促進されていると思います。思うに、このような繋がりは重要となっています。我々が今日居る状況、とりわけ我々が陸軍でしているようなことは合州国の人々の支援を必要とします。思うに、人々にわれわれがしていることを理解してもらう必要があります。それで、私はあなた方がここに居られることに感謝する次第です。我々二人(Cody大将と)で質問に答えていきたいと思います。

Q:将軍、計画やこれから先数年で実現することについて沢山話を聞いています。少々脅威のことについても伺いたいです。イラクで起きていることと(聞き取れず)をどう見ますか?これから先、2、3、4年後は?どんな段階(聞き取れず)とどうやって(聞き取れず)できます?

GEN SCHOOMAKER: 良い質問だと思います。それで、もちろんあらゆる戦略指導者が解決しようとしているものの1つです。

合州国の国家安全保障戦略は1-4-2-1戦略と我々が呼んでいるものです。1は本土防衛です。これが最重要であることはこの場の皆さんも相違ないと思われると思います。4は地球上の主要地域で抑止できること、最大4つまでの脅威を抑止できることです。2は迅速に2つを撃破すること、2つの作戦級戦争といった遠征です。1はそのうちの1つで決定的に打倒することです。

つまり、以前の2つの主要地域紛争戦略よりも些か複雑です。そしてもちろん、重要なのはこの戦略をこれからさきの指針として、世界をみていく上でリスクを軽減する方法を考えるのみならず、用いていくということです。

私の見解では、幾つかが今日異なっています。我々は、我々が単独の超大国である時代に今やいます。歴史的にこの地位にかつてあったことはないと思います。第二に、世界はこれまでになく小さくなり、これまでよりもはるかに交流する能力とそれを可能にする技術が手に入れられるようになっています。人が地球上を迅速に移動する能力も技術を入手する能力も物事を行う能力も地球上の歴史のいかなる時期と比べても類稀なものです。

我々自身の社会と開かれた西洋の社会はこのような状況においては大変に脆弱です。私の味方では、私が繰り返し述べた、他の方も述べている理由で、われわれは生涯でもっとも危難のときにいるのです。それは我々が、誰かが何をしようとしているか、いつ、どこで、どのように行動にでるのかを正確に知っているからというよりは、彼らの意図が分かっており、どんな可能性があり、我々の弱点は何かを分かっているゆえです。これは先々解決しなければならない大変な問題です。

私にとってテロリズムとは戦術の一部です。言い換えれば、それは主義であり、共産主義やその他と、何であれ運動とその理由を体現している限りにおいては同様なのです。

ですが、我々が直面するのは長期間に及んでほとんど何も起こらないかもしれないが、それは我々が何かの際にいないということではないのです。大変に注意深くなくてはなりません。我々の軍はより広範な様相に対応すべく建設的であらねばならず、抑止として役目を果たすだけでなく、高度な戦闘に限らず、遠征的な意味での、対応的あるいは先制的に知っていること、あるいは知っていると思っていることに基づいて活動する能力が必要です。

私がみるに、我々は自身で決断を下すことはできるが、それのみが我々のすべき決断ではないのです。私が今言っているのは陸軍のことではなく、人々のうちの一人としてです。以前にも言いましたし、皆さんの中には聞いておられた方もいますが、かつてのように照明灯のスイッチの点灯と消灯のように我々は戦争している、或いは、我々は平和にあるとか、平時である、或いは戦時であるというように定める紋切り型はないのです。明るさ調整つまみがついているような状況ですが、つまみを持っているのは我々でないのです。つまり、ある程度の明るさは常にあるのですが、私の見方ではですが、明るさを上げたり、下げたり、我々が必ずしも調整できるとは限らぬ方法で人々が調整したりします。これは以前とはまったく異なる戦略的現実です。そして、機会と警告が異なれば、可能であることも行って帰る能力も変わってきます。私はこれを癌に例えています、癌を寛解させてもいつなんどき悪化するとも限りません。

さて、Dick、何か付け加えることはありますか。


GEN Cody: いいえ、参謀総長、これまでもこの例えを度々伺ってきましたし同意見です。直接観察し、イラクやアフガニスタンをみてどのような結末とするかを定める何らかの解決策を作り出すのはとても困難なことです。思うに、アフガニスタンやイラクでのことなどよりもはるかに全地球的ではるかに大きなことです。それはテロリズムやテロリストは、ごくごく小さな投資で、費用対効果で彼らが我々に非対称的にしてくることを見れば、例えば仕掛け爆弾やそういったもので、我は何百万と何百万ドルを用いて、全部の基地を部隊防護という点で部隊を、そしてその他のあらゆるところで守ろうとします。それゆえ、我々は彼らに対して攻撃を仕掛ける必要があり、駆逐するため大変に、大変に積極的にならねばなりません。

我々は参謀総長が敷き、国防長官も敷いた方向へと陸軍を変えねばなりません。参謀総長が以前にも述べたことを聞かれたでしょう。五種競技選手や十種競技選手を我々は必要としています。高度な戦争では第4クォーターの最後にフィールドゴールで、でなく第1クォーターで勝利しせねばなりません。高度な脅威、我々の自由で民主的な社会を脅かすものに対決できる戦力を建設できなくてはなりません。しかも、第4クォーターでなく第1クォーターで勝利できる戦力である必要があります。さもないと、多数の損害を受けることになります。

同時に、我々はイラクや同じくアフガニスタンで直面しているような内乱型にも対処できる戦力を持たねばなりません。迅速にこれらの部隊を行き来し、これらの型の交戦を行うような対処です。これには異なる形の全志願軍が必要です。兵らにはこれまでと異なる訓練を施さねばなりません。参謀総長と私がいつも我々は訓練方法を変え、下級指揮官や指揮官らに機械的な解決策を与えるのでなく問題をどのように考えるのかを教えなければならないと言っている理由がこれです。低い方の端ではこれらの非対称脅威が、非常に、非常に柔軟性があり、予想できる解決策を持っているだけだったら彼らの術中にはまることになります。予測性は我々にとって不利に働きます。そこでわれわれはこの機会を捉えており、陸軍を変化させることが必要なのです。

冷戦で敵が予測可能だったころは定型が常にありました。敵の行軍表をみて我々の隊形、兵器システム、戦術、戦技、手続きを設計し、予想される時間進行表を撹乱しようとしたものです。我々はこの非対称テロリストにはこのような罠に陥らぬよう気をつけねばなりません。ですが、同時に強健な戦力を構築し、高い方の端で戦闘をせねばならないとしたら、勝利し、大変に、大変に早く勝利できねばなりません。


Q: 州兵がご存知の通り、志願者が5000名から7000名ほど不足しています。これは陸軍で初のことだという懸念があります。これについて少々お話を。心配して居られるのか、どのように対処するかなどです。

もう一点は、イラクで野戦力規模の維持についてです。12月間での輪番については多くの話があります。来年、12月間で輪番するのを止めるとしたら大丈夫ですか?


GEN Schoomaker: 後の方の質問について1つ言わせてください、そうすればあなたが話していることにも繋がります。基本的な戦略上の問いは、”勝利とは何か”です。戦争と戦闘は同義ではないのです。ちょっと通じにくかったかもしれません。戦争は定義上で戦闘と同意味ではありません。戦争しつつも積極的に戦闘しないということもありえます。戦闘が長い間隔を置いて飛び飛びに行われる戦争もあるし、今回の戦争もあるのです。我々が行っている戦争の性格について考えて理解すること、対する敵を理解すること、その文脈で勝利を理解することが本当に重要なのです。

今日異なるのは我々は長期化した紛争をしているということです。我々はこれをテロリズムに対する戦争と呼んでいます。そのようにこの戦争は呼ばれてきています。我々の歴史で初めて、我々は全志願軍となっています。長期化した紛争に全志願軍を投じたことはこれまでで初めてです。ご自身でも思い出してみてください。かつて全志願軍を長期化した紛争に投じた時期があったら教えてください。私もいつのことか大いに知りたいです。我々は75年以来全志願軍なので、30年にわたって全志願軍ということになります。

つまり、陸軍の立場からは、大きな戦略的な問いの一つが将来にはどのような志願制陸軍が必要とされるかというものです。陸軍に志願動機を与えるにはどうするか?どのように陸軍で再任するか?その陸軍の性格は?どんな人々が入っているのか?今の全志願陸軍とは異なるのか?年齢層は高くなるのか?妻帯者は少なくなるのか、多くなるのか?何を必要とするか?

この観点からは、あなたの質問は大きなものだと思います。答えは、はい、です。我々は関心をもっており、ご質問に対する答えを絶えず求めています。

さて、今年、我々はずばぬけた成功を収めました。募集目標を数千引き上げて2003年の71000人から、たしか77000人の目標を設定して77500人で目標達成しました。たしか77550人かそれくらいだったと思います。

我々は再任目標も上積みしました。かつては、たしか、正確な数字をのちほどお伝えしますが、たしか51000人前後だったと思います。これを56000人以上に増やしました。つまり、実際には、除隊停止、転属停止などを除いても本年に現役戦力をかなり増やしたわけです。この方向で今後も継続していくつもりです。来年は募集が80000人、再任目標を継続して戦力を拡張するつもりです。もし、30000人に到達するならば、来年も50000人や60000人へあるいはそういった方向へ続けていく必要があるのか決定することになるでしょう。

現実としては、今日我々は200000人を必要としていると言ったとしても単にそう発言しただけではそうなりません。我々が必要とし再任していけるような人々をできるだけ早く入れるよう動いています。陸軍を縮小するほうが建設するよりもはるかに簡単です、そしてこの点は歴史の中で何度も何度も学んできました。かつて我々が何をしてきたかを振り返れば、建設するときにはつねに困難だったことが分かるでしょう。

ですが、覚えておくべきことは、徴兵制を予想しているものはおらず、徴兵制を欲しているものはおらず、第2次世界大戦で陸軍を建設したときは、一千万を超えました。徴兵制が1票の差で可決されたことを思い出されるかもしれません。1票です。事情はかつてと異なってはいません。そして徴兵制であっても拡張には時間を要します。

ということで、良い質問ですし重要な質問です。

今年の成功を当然と受け止めることは出来ません。ここでは率直に申しています。ご存知のように、り大変悲観的になり、人々の期待を地面に落とすことで自己成就する預言者となることはできます。
我々が必要としていることを達成するのは大変、大変に難しいのです。

とはいえ、私は楽観的でこれには資源を注いでいますし、つまり、採用担当者を増やして、採用部隊を大きくしているところです。訓練基地も拡張しています。我々が必要とする兵士には注意を払い、我々のところに留まるように兵士を動機付けられるようあらゆることをしています。思うにこれはわれわれがやらねばならないことです。

さて、これは陸軍のみの問題ではありません、これは国家の問題です。そしてここで言う問題とは課題のことです。否定的な意味で言っているのではありません。これは陸軍を育て維持し国家を守るという我らが国家の課題なのです。

少々不満を感じることがあるのは、世間で陸軍とその他全員のように人々が話すのを見聞きするときです。なぜならそうではないからです。陸軍は国家に仕えています。これが絶対に必須であるのは私が兵士だからでなく、我々はこれがより一層重要な世界にいるからであり、我々は全様相にわたり対処できる陸軍を持っているからです。そういうわけで私は楽観的なのです。ではありますが、だれもこれまでと同様の課題であるとは保障はできませんが。

それでは、海外勤務期間の長さについてです。我々はたった今は世界中で関与している状態であり、現在の運用では勤務期間を短縮することは大変、非常に困難ですが、変革をすることでこの状況を長期的には正していく必要があります。勤務期間の長さと作戦規模の維持に対する回答は陸軍内で展開可能な部隊の数を増加させることです。これは陸軍の人員数を増やすことと、効率性を高めること、陸軍内部で効率を管理すること、より展開性がある部隊、我々が創設している最中の旅団、つまり行動部隊、を作ることで余裕を作り出すということです。この二つは連携しています。両方やらねばなりません。つまり、訓練、装備、そのため必要なことを全てを意味します。これは大変に複雑なことです。

ではありますが、我々はその途上にいます。昨年よりも旅団数は3個増えました。昔の言い方なら1個師団です。今年はさらに3個旅団増えます。2003年から全部で6個の増加となります。2個師団の増加ということです。このままこの路線でいけば2006年には、さらに4個増えて全部で10個となります。3年で3個と三分の一師団の拡大です。我々はこれを陸軍の拡張と内部の効率の管理の組み合わせで行おうとしています。

ところで、”暫定的”という言葉を聞くことがあるでしょう。今日の午前陸軍長官がこれについて話したと思います。この言葉は陸軍を拡張する話ではありません。どうやってその支払いをするかという話なのです。今現在我々が認可を得ているのは議会が支持して政権に与えた緊急権限により、我々が補正予算を使えているからです。これは我々が装備に支払ったり、近代化したり、工業基盤を整える計画を縮小したり、空洞化させずにすむということです。この均衡を我々は維持しようとしています。補正権限で陸軍を拡張し手当てできればできるほど、同様に拡張しつつある我々の計画を全うし一貫されられます。今年2005年度の大統領予算では要求したよりも15億ドル多くえられました。議会がわれわれに耳を傾けてそうしてくれたのです。

ということで、われわれは陸軍を拡張しています。拡張することが必要なのです。海外勤務期間の長さについて、もう一つ言っておくことがあります。今年の3月から6月の間に我々は244000名を超える兵を中央軍戦域へ入出させました。かりに6月の海外勤務期間にしていたら、例えばですが、その期間に50万名を移動させねばならなかったことになります。

また作戦司令官らのいう問題もあります、「ご存知の通り、6月でやるなら部隊を用いれるのは4月となります。」これは、絶えず、助手席に座って教わり、運転席に座って任務につき、助手席に座って次の部隊に教えるという状況になるということです。たえずRSOI、つまり、受け入れ、展開、前方移動、統合をしているということです。地域の人々との関係や現地での一切の事を絶えず受け継ぎするということでああり、これは内乱においては望ましくないことです。これらは維持するのが望ましいし、連続性が必要です。


Q: それでは、期間を短縮するという考えではないということで --

GEN Schoomaker: 短縮したいのは山々です。今よりも規模をはるかに下げれば、我々はそうなることを望んでいるのですが、これまで話してきたことに資源をより割り振れるようになり、乱れを緩和できるようになります。

Q:12月の現地派遣期間とその後はどうでしたでしょう?

GEN Schoomaker: 規模を縮小するまでは現地派遣を12月として計画しています。

計画はこの規模に堪えねばなりません。が、展開の必要がある旅団数が減少するとわかったら、試しに9月の勤務期間や、6月の勤務期間としてみることはあります。

Q:将軍、(聞き取れず)についての考えをお話下さい。合州国の部隊の増加(聞き取れず)が選挙中に展開(聞き取れず)して警備するとお考えですか。

GEN Schoomaker: そのことについて詳しく話せません。Casey大将にどんな計画を立てているか伺うべきでしょう。選挙中の治安対策については幾つか選択肢があります。部隊を多く展開させるか、期間を延長させて重ね合わせるかなどです。幾つか選択肢がありますが、彼ら(CENTCOM、イラクでの軍事指揮をしている)と話すべきことです。なぜなら今現在のところ、私の知る限り、1月に向けてなおも順調に進んでいるからです。そうでしょう?


GEN Cody: その通りです。OIF-ⅠからOIF-Ⅱへの移行は95日間で行われたことを考えてください。これはアフガニスタンとイラクの間であり、全体の数字は以前申し上げた通りです。6月にはイラク暫定政府ができ、1月には選挙があることを踏まえて、Abizaid大将は統合参謀本部と協議してOIF-Ⅲを3つの輪番に広げることにしました。そして、参謀総長がたった今述べたこと、つまり常に対内乱において接触を維持するために、我々は大戦力を持っていませんので、戦力の大半を時間をかけて輪番させていくことになります。つまり、実際のOIF-Ⅲの輪番はこの9月に始まり、第25師団第1旅団、ストライカー2が第2歩兵師団第3旅団、ストライカー1に交代し始めています。
ということで、ある程度の柔軟性をえられる方法で戦略的に輪番しています。

ストライカー2の全人員を空輸してストライカー1の装備を使います。ワシントン州フォートルイスにはストライカー2の新品の装備が残されます。次に、ストライカー1がフォートルイスに帰還し、迅速にこれを再装備し、安定化することで、ある程度の戦略柔軟性を我々が持たねばならぬときには既に準備済みの装備を用いることができます。これが9月のことです。

さて、OIFの流れをみてゆくと、来年の4月までは終わりません、つまりそれほどの長期間に広がっているわけです。最初に第256がルイジアナ州から、ついでテネシー州の第278、これは装甲騎兵連隊です。二つは別々の地域に行きます。それからWebster将軍の第3歩兵師団、この旅団の最初の1つを動かします、それからアイダホ州の第116、そしてちょっと次の部隊を失念しました。

GEN Schoomaker: 第42師団。

GEN Cody: そうでした、第42師団が行きます。この期間全体に広がっているので一度に1旅団のみ変えてゆく必要があるだけで、全体の輪番も広がっているわけです。OIF-Ⅳもこの方法で準備されています。

アフガニスタンについては、ご承知でしょうが、OIF-ⅠとOIF-Ⅱの間に交代しました。アフガニスタンでも第10山岳師団と第25で同じ方法でやりました。これは12月をかけての交代です。

輪番の期間を広げたのは、Abizaid大将の要請によるものでより円滑に進むようにとのことからです。

Q:輪番を前倒しすることもできるのでは。

GEN Cody: 前倒しする能力はあります。ですが、この規模の対内乱では、我々が注いでいる戦力では、輪番の交代期間を広げて、あちらで戦闘している戦力で常に圧力を保つことに意味があります。ご存知の通り、彼らはイラク国家警備隊を建設しており、我々の部隊はイラク国家警備隊の部隊とともに連合の一部として行動しています。つまり、繰り返しますと、最初は連合やイラク国家警備隊の部隊と12月一緒にするのが、一度に6月で陸軍部隊が来ては去って交代するよりも望ましいのです。このような事情が絡んでいます。

我々の計画ではより厳しい場合も見ています、そして現地の状況が変われば、イラク側が周囲の支配、ついで22都市の周辺地域支配へと入っていけば、Abizaid大将が暫く前に説明したと思いますが、我々は陸軍参謀長と長官にいつ9月の海外勤務期間に戻れるか、いつそれが筋の通ったものになるかを検討するよう任務を与えられています。いつ我々は6月の海外勤務期間に戻れるのか。我々はAbizaid大将の決断と現地の状況に応じてこれらを決めることになります。

Q: 第1騎兵は? どうでしょう(聞き取れず)?

GEN Schoomaker: 要請されていません.

GEN Cody: 要請されていません。繰り返しになりますが、その理由の一つは、第1機甲師団と第2軽騎兵連隊で起きたことを思い出せば、我々は大変に短い期間で交代しなければなりませんでした。今回は交代期間を広げたことで、戦闘司令官はより予想が立てやすくなり、現地の支配が容易となり、部隊を移動させる際に重畳させるにあたって柔軟に行うことができます。

Q: 選挙が進むにつれてイラクでの戦力規模についてはどうですか?

GEN Schoomaker: はっきりと聞き取れません。

Q: (聞き取れず)

GEN Cody:おっしゃることを掴めました。展開を早める能力があるかということですね?もちろんあります。要請はされていませんが、要請があれば一斉に送る能力はあります。

GEN Schoomaker: アフガニスタンが例になるでしょう。中央軍はアフガニスタンで上積みを求めたので、われわれは --

GEN Cody: 第82師団の1個大隊です。

GEN Schoomaker: そうです。選挙期間中派遣しました。短期間の事前通告の展開で短期間で帰還しました。我々には能力はあります。

GEN Cody: また、同じ帰還に機械化と機甲任務部隊をイラクからISAFの支援で選挙期間中送りました。

GEN Schoomaker: それにMEU、海兵隊も使っています、戦域での予備部隊としてでした。

Q: これからの2,3年で、将軍、イラクやアフガニスタンで進行している戦争に対処できる戦略的柔軟性を持てますか?また、朝鮮で勃発したり、リビアの新しい友人が再び裏切ったり、他の紛争地域で緊張が高まったら対応できますか?

GEN Schoomaker:最も負荷となるのは朝鮮でしょう。リビアがこの種の問題となるとは見ていません。思うに、あらゆる可能な対応策を上回るような最悪の事態を想像して想定を作ることはできますが、現実的には我々はかなりの程度安心できると思います、つまり予測しうる事態に対応する能力はあるからです。

そして注意を向けるべきことがあります。これまでのように物事をする必要はもはやありません。我々には統合能力があり、基本的により強力で、より柔軟性のある方法で戦うことが出来ます。そして、人々の信頼は我々がそうできる能力を持ったことでかなり高いと思います。

陸軍を再任で保っていることは外せません。第3歩兵師団ではおよそ70%が戦闘経験者です。イラクに戻るということを知ったうえで、第3歩兵師団では3700名が再志願しました。わたしのみるところ、これは類い稀なことです。ほぼ70%が戦闘経験者の師団を持っているのです。

これは事に掛かるのに大変な時間を要するような部隊ではありません、そして我々の活動している方法では大きな利点となります。

国内に我々が持っているものや能力をみると、これは大変に良いことです。ということで、答えは、
Joe、非現実的だが大変に困難な想定を作ることはできるが、少なくとも我々が対処を求められている想定については、私が思うに我々の能力はかなり高いです。

Q:変革について話して頂けますか。1年前就任して我々に話したのは沢山の任務部隊を作ったということで、それからまた数個の任務部隊が追加されました。評価としてはどう考えていますか?これらの任務部隊について目標を達成していますか?新たな任務部隊や目標を計画されていますか?

GEN Schoomaker: では、先ず私が、ついでDickからも話してもらうことにしましょう。というのも、Dickが陸軍のキャンペーン計画を担当しており、細かい点まで話せますから。

前回話してから2つの分野を追加しました。行動可能な情報と焦点を持った補給です。進みつつ学び、やる必要があることを見出しています。そしてもちろん幾つかは統合階梯へと移りました。

移行した任務部隊については解散していますし、実験任務部隊から実地任務部隊に移っているのもあります、つまり大きく進んだところもあります。思うに多くの点で我々がこれまで考えていた路線よりも先んじていると思います。言い換えると、より多くを学んでいるということです。ある点では思っていたよりも少々難しかいところもありますので修正しなければなりません。しかし全体としては我々は大変軌道に乗っています。

例えば、我々は340000人枠を、現役、州兵、予備役を通じてですが、調整する必要のあった100000人でそうすることで、転換しました。これはかなりの進展です。我々は陸軍をおよそ15000名拡張しました。我々は規格化旅団を創設しました。我々は規格化旅団を展開しています。我々は迅速に航空に手直しをすべく迅速に動いているところです。我々は訓練体系を変更しました。我々は兵士の初期入隊訓練を大幅に変更しました。これまでにほぼ400000着のボディアーマーを生産しました。5000両の装甲向上ハマーを生産し、他の車両にも装甲を施しています。2003年、2003年の夏の時点では我々の有していた装甲向上ハマーは500両でした。今ではその10倍が要求に応じて戦域に移動しつつあり、ほぼ8000両となっています。我々は約13000、たしか12800だったと思いますが、の追加装甲セットを購入しました。ボディアーマーについては信じられないほどです。月1200着から月25000着以上へと今やなっています。迅速配備運動もあります。展開する全部隊は州兵、予備役、現役の区別無く一線装備を持っています。これは並みならぬ進歩であり、とても、とても誇りに思います。議会の支持と与えてくれた拠出と、政権が我々に与えてくれた裁量無しにはできませんでした。これは政治的な発言ではなくて、現実のことです。

今年は6つの決定をしました。これらはそれ自体で10年に及ぶ決定です。規格性、陸軍の近代化をこの路線で行う裁可、30000人の拡張、コマンチのキャンセルで得た資金を持って陸軍航空の変更に用いること。これらは大きいです。実際のところ、正確な数字は覚えていませんが、私の理解ではコマンチの終了に伴う終了費用はほとんど無かったと思います。

終了費用がコマンチ関係でほとんどなかったのは、仕事を切られた人々に恩恵があり、終了することが最善の利益だからです。それで大変うまくいきました。146億ドルのコマンチ計画に充てられていたのを手直しが本当に必要なところに最大限生かします。

ついでFCSを加速していることについても触れておきます。現在90億ドルほどの積み重なった計画があり、現有戦力に4つの分野で積みあがっています。現有戦力は今世紀のこれから10年も我々とともにあります。M1、ブラッドレー、アパッチはFCSへと我々が移行し、どのように編成し、どのように戦闘し、どのようにすべきか学ぶ助けとなります。これは大変なことです。第1騎兵師団は現在バグダッドでネットワークという点では我々がFCSで構想しているまさにそのもので活動しています。

数ヶ月前バグダッドで第1騎兵師団を訪問した際、戦闘状況報告を受けました。我々は20分ほどで全師団状況更新を受けました、IP上で音声、John Maddenのライトペン、共通画像などを用いてです。素晴らしい、大変な力でした。これこそがストライカーが北から移動して状況認識を維持し、途中48時間で2つの戦闘を戦えた理由です。これが作戦級での本当の機敏性です。

さて、FCSですが、戦域において多くのリスクを抱えた計画を行い、ある要素、ちょっとどういうのかは分かりませんが、によりこのリスクを軽減するのは大変なことです。我々がこの計画を完遂できる可能性が大変大きいです。私は良い手ごたえを感じています。また産業界も、そして沢山の人々もそうです。

そして、我々が2004年度を決算するにあたり助けを求めたことで行われた共同決定について触れます。海軍、空軍、海兵隊は45億ドルほど決済してくれたので産業基盤を閉鎖せずに04年度を決算できました。我々は変革に関する問題や事項を減速せずに済みました。そして繋ぎとして補正で250億ドルが発効次第使用可能となりました。これまでそのうちの数十億ドルを前渡しで得ています。

6つの大きな決定がありました。そのどれもが従来は10年は掛かるものでしたが、一年で6つ決定したのです。これは我々が現在していることに大変役立っています。我々は行っていることに大きな支援を得ています。私は我々が冬を越える能力については大変楽観しています。既にこれまでとは別の陸軍となっています。

Q:能力という点と(聞き取れず)から(聞き取れず)戦力について前もってお話できますか?勤務期間、州兵部隊のは、来年あたりも18月の予定でしょうか?

GEN Schoomaker:我々が活動している指針では連続24月まで州兵を動員することを認められています。勤務期間の短縮のことに戻ります。6月であれ9月であれ、準備には1年の場合と同程度掛かるので動員期間の大半を使用できないで消費することになります。準備と解除に掛かる期間と回転の兼ね合い、これが一つの問題です。

Dick、これについて話してください。

GEN Cody:参謀総長が言っていたことを纏めてからあなたの質問に戻ることにしましょう。

参謀総長が就任されたとき、TRADOCと参謀に関心領域を示しました。ご存知のように、我々は航空任務部隊を作り、ついで他の関心領域を出しました。それらは今全て陸軍参謀へ戻ってきています。同時に我々は陸軍キャンペーン計画を作りました。今していることは焦点を持った補給、行動可能な情報でと同じくこれらの関心領域全てに直接観察を置いています。これら二つは参謀総長が最後に追加したものです。

これら全ては参謀総長と長官へと戻り、報告され、決定がされ、我々は動き始めています。規格性、陸軍航空の再編、同じく航空の規格性がそうです。

規格性と航空だけでもこれらの領域の幾つかの間での相互作用をもたらしています。DOTLMPF、教義、組織、訓練、指揮官養成、資材、人材、そして施設をみると、規格性という大きな決断、指揮構造を4階梯から3階梯へ圧縮することで、どのような補給を構想するかについての要因となります。上位ではより統合的に、下位ではより焦点をもち相互作用的になります。というのは我々は、旅団戦闘団は3種類のみを有することになるからです。

最も大きな決定は陸軍の共通の土台としては師団から抜け出したことです、師団という10個の互いに似つかぬものではなく、3種類の共通の土台となる旅団戦闘団を有することになります。この決定は陸軍航空についての決定とともに、参謀総長がそれぞれを長官と昇任したことで、陸軍キャンペーン計画を作成することができるようになりました。この計画はどのように補給、情報、戦術人間情報から戦略情報まで、がどのように変えていくかの原動力となります。どのように訓練を変えたのでしょうか。今やこれらの旅団戦闘団は360度の戦闘空間を持ち、兵士全員が交戦できねばなりません。これが訓練を支配しています。またどのように訓練センター、戦闘訓練センターをみていくかを支配しています。大変な変化であるのを見ております。また我々がどのように指揮官を養成するかについても変えねばなりません。そこでこれを少々話します。

つまり、これら全ては相互作用しつつ進んでいます。参謀総長が下し、長官が下した規格性、陸軍航空、そして機関陸軍についての要望などが元となってです。TRADOCを率い、陸軍資材集団を率い、全てはどのような陸軍を我々が作ろうとしているかに向かってです。

このように今動いており、陸軍参謀とMACOMSが週に一度、参謀総長が検討を命じた各領域について検討しています。この新部隊に、あらゆる教義、あらゆる組織変更、訓練の変更、指揮官養成の変更をこれから4、5年かけて行っていく上で決断時点が途中に設けられています。これらすべてを大きな戦闘に関与しつつ行っています。ということでこれが陸軍キャンペーン計画のしていることです。

OIF-Ⅳについては、Abizaid大将とCasey大将の要求により決定された部隊ということになります。彼らが求めている要求として私が今知っているのは、OIF-Ⅳ向けに新たな2個師団下で少なくとも8個の新行動部隊旅団戦闘団です。

Q: 一般の言い方で言いますと?

GEN Cody: 一般の言い方では、2個師団がより頑強な指揮統制能力を持つよう再編されます。これまでの編制での師団や軍団を見ると、新たな師団本部は、我々はUExと呼んでいますが、指揮統制についてはこれまでの軍団が持っていたのに等しい能力を持つことになります。

GEN Schoomaker: 現在の第1騎兵師団が有するものすら上回ります。

GEN Cody: その通りです。旅団戦闘団は我々が取り入れているネットワーク結節の開発と絡み合って進んでいます。これについてはある程度第3歩兵師団で見ることができますが、新たな8個旅団戦闘団は、帯域をとってみても、指揮統制帯域が、我々の最もデジタル化された師団である第4歩兵師団と比べて2倍から3倍です。

GEN Schoomaker: たしか、第4歩兵師団の帯域は4MBから6MBあたりです。これが最もデジタル化された師団です。我々が取り入れているJNNにより、帯域は40MBから60MBへと増やせます。これはリーチバックや分析やより下位の戦術階梯で国家システムへアクセスが巨大となるということです。これはUAVやUAV上のセンサーを端末とできるということです。これは作戦負荷、全員の作戦図を拡大できる能力が向上するということです。

Q: 重戦力とより軽い戦力のISR(#訳注 情報、捜索、偵察)、なんと呼ぶのであれ、のことですか?

GEN Schoomaker: 軽と重で話すというのはほとんど物の役に立ちません。

Q: Cody大将、2つの師団を挙げておられましたが、第4歩兵師団と第101のことを具体的に話されていたのですか?

GEN Cody: 我々はまだ発表しておりませんし、ここで明らかにするつもりはないのですが、参謀総長がそれを望めばそうなります。

陸軍、旅団、師団を新編制へ変革する衝撃力を維持しつつ、同時に戦闘司令官のあらゆる要求をかなえ、戦務支援部隊での混乱、これは適切な言葉だろうとは思いますが、をある程度緩和し始められるような予定表通りに我々はやっています。行動部隊を建設し、申し上げた通り、次の輪番では8個を送ることになります。我々の能力、行動部隊は全て同一ですから、上位階梯での戦務支援への要求は低減しますので、維持する能力からある程度の負荷を取り去れるようになっています。

Q:ということは現役と予備役の比率は60対40や50対50となるのですか?

GEN Cody: OIF-IVでですか?

Q: はい、およその見当で。

GEN Cody: 今回の輪番よりは減少するはずです。今回の輪番では7個の州兵旅団戦闘団相当がOIFとOEF全体で出ています。OIF-IVでははるかに少なくなります。

OIF-IIIとOEF-VIIでは予備役部隊からおよそ7個旅団戦闘団が出ることになります。

これは OIF-IIよりも1個か2個多いです。40%以上になります。

Q:振り返ってみて、(聞き取れず)、(聞き取れず)を縮小したことは正しい決断でした(聞き取れず)?

GEN CODY:現地の司令官が自身の脅威分析に基づいてそれらの決断を下しました。 OIF-IIに入る際、現地の司令官はパトロールの増加を求めました。イラク内で1日1200から1300回のパトロールをしているのは、司令官がこの柔軟性を求めたためです。彼にこれを供しましたが、もし彼が必要ならより多くの機甲を供する柔軟性もありました。時が経つにつれ、彼はより多くの機甲を供するように求めました。我々はこれをクウェートの陸軍事前集積装備とご存知のように米大陸本土から機甲を運んで供しました。

現地の状況が変化したのです。実際にそうであった以上の速さで装甲向上ハマーを生産することはできなかったので、繋ぎとしてブラッドレーと戦車をより持ち込みました。良い決断だったか批評したり評価したりするつもりはありません。あちらでは状況は大変流動的でしたし、我々は司令官の望むものを供するだけの柔軟性はあったと思います。その後、司令官が現地で要求を変更したので、我々は供することができたし、大変手早く供することができました。

Q:それでは、これから先を見ると(聞き取れず)?

GEN CODY: こちらから話はしていません。彼らがどんな部隊が良いかを話して、OIF-II.よりもOIF-III は重くなっています。

Q: IV は一層重くなりますか、それとも同じくらいですか?

GEN CODY: ついこないだ戦闘司令官に新たな行動部隊旅団戦闘団の能力について説明したばかりです。行動部隊旅団戦闘団はこれまでのと比べて8個から11個へと機動中隊の数が増えています。もし戦闘司令官が機甲とともに来るのを求めればそうします。もし、彼が三分の一から三分の二、あるいは50対50で来るのを求めるならばどちらでもできます。我々はどちらでもいける態勢にあります。

Q:OIF-IVでは、来年遅くから、06年と07年にかけて展開することになりそうですか?時間予定表はどうですか?

GEN CODY: OIF-IIIの輪番は9月に始まりました。12月勤務期間でやっていくならば、最初に交代する部隊は来年となります。OIF-IVは9月に始まり、恐らくは06年4月に完了するでしょう。

Q:第42歩兵師団が師団本部と2個独立増強旅団で OIF-IIIでの機動戦力の半分を供することの重要性をどう見ておられますか?

GEN CODY:幾つか思う点があります。両面から見てみましょう。第3歩兵師団がその新行動部隊旅団戦闘団2個と、2個州兵旅団戦闘団を、これら旅団戦闘団は冷戦のときとは異なるものですが、有するというふうに見てみてください。これらの旅団を動員するにあたっては、我々は絶対に再編し、友軍位置追跡装置を与え、また多くの指揮統制向上を施しましたが、これらは現役旅団に行き渡っている最中のものです。

形としては第42が2個予備役旅団と、又、2個現役新行動部隊旅団、つまり、第3歩兵師団が固有の2個旅団と、そして第256、また、確か記憶では第278が行くことになります。さて、参謀総長の構想や陸軍構想での規格性でどこに進みつつあるかを考えてみてください。そして、互いに同一の陸軍、大変融通性があり、戦闘司令官に大変に機敏で、融通性と柔軟性がある部隊を供し、同様に機敏で融通性がある一階梯の戦務支援と、さらに上の階梯では統合補給により維持できる陸軍を持てるのです。つまり、我々はこの輪番でこの最初の機会を得るわけです。

GEN Schoomaker: ところで、どうしてこのように進んでいるかというと、それは戦域で部隊が任務分析をして、これを要求したためです。これは第一段階、バグダッドへの進撃といった主要戦闘作戦で師団や旅団が隣接して戦闘空間にあるわけではないのです。これは分散化した部隊を持つということです。かれらはやりたいことをみてみて、どんな種類の部隊を求めるか、どんな装備を部隊がして欲しいか、その他もろもろを我々に伝えました。そして、旅団の師団本部に対する関係は全体の形が分かってから決められたのです。

OIF-IVに入る頃には、ある師団本部が5個旅団を傘下としている一方、ある師団本部は3個を傘下としているようなこともよくみかけるようになるでしょう。というのも部隊と任務との関係もそのころには変わっているでしょうから。
Q: CENTCOMのみている任務の変化とはどんなものですか?どんなことを伝えられましたか?(聞き取れず)戦力は(聞き取れず)により左右されるのですか?

GEN Schoomaker: OIF-IVに入る頃には、それどころか入るよりも前には、彼らが構成を変えたり、あるいは我々が送るものが変わったりするでしょう。彼らの要求が小さくなることもあるでしょう。彼らの要求が大きくなることもあるでしょう。彼らは異なる取り合わせを求めることもあるでしょう。

Q: 短期的には、あなたがたは 要請に基づいてOIF-IIよりも重くなると言っておられ --

GEN Schoomaker: より重くなるといいますが、これについては慎重になります。部隊により装甲車両が含まれるという意味ですか?

Q: そうです、機甲が多くなる。

GEN SCHOOMAKER: 我々にその準備はあります。

Q: それで、Cook将軍が様々な理由から部隊はより重くなると最近発言されたと思いますが。

GEN CODY: そうなっています。というのは、ご存知の通り、 OIF-IIが三分の一から三分の二で開始して、時間が経つにつれ我々は戦闘司令官の要請に応じて支援し、一層の装甲車両を彼の部隊に追加し、その一方で彼は装甲向上ハマーやその他我々が供したパトロール車両を保持しましたからです。

GEN SCHOOMAKER: 不安の一部はこれがある程度不確実だということです。我々が構築する必要がある一つは不確実に対応する能力であり、よってこれは能力の問題です。我々は司令官のために広範な活動を計画しておき、時が至ったらば適用できるようにしています。我々が今知っていることに基づいて予想しているのですが、これは予想の下端ではなくある程度高く余裕をみて、OIF-III の終わりや、 OIF-IVの最初に必要な戦力、いくつの旅団が必要となるのかを予想しています。これは状況は変化しうるからです。

Q: 来年の陸軍の(聞き取れず)のつかみを教えて頂けますか?そしてとくに、あなたがたが例年以上の支出を(聞き取れず)、作戦頻度が高まっていることで。

GEN SCHOOMAKER: 繰り返しになりますが、我々は現在の位置を知るのみです。OIFとOEFを足し合わせると戦争は一月に57億ドル掛かっています。たしかアフガニスタンは9億ドルでイラクで掛かっているのは大体…

GEN CODY: ざっと50億ドル、約48億ドルです。

GEN SCHOOMAKER: 大体そのへんです。つまり大まかな数字としては55億ドルから60億ドルです。その大半を補正予算で払っています。我々がやろうとしているのは補正予算で部隊を整えて、作戦頻度と補修、弾薬、その他全てを支払い、計画にある変革予算を保つことです。

つまり、この速度で続けば、そのことをお聞きなのだと思いますが、陸軍の要求としては350億ドルから400億ドルを(2005年に)追加することにおそらくなるでしょう。

Q: これは予想外でしたか?この分野で仕事されてきたのですからお話願えませんか。

GEN SCHOOMAKER: どの車両や航空機をみるかによって違いますが、通常の疲労の3倍から10倍となっています。これはどれであるかによります。加えて戦闘損失があるので補充せねばなりません。これは調達予算です。

我々は未来に向けて組み直しをせねばなりません。補充する必要があります。損耗した車両は入れ替えねばなりません。現地に車両を残して人員を輪番させている理由のうちには、可能な場合には補給処の整備能力を最大限に生かすことと、戦域にある装備の寿命を延ばし、維持するため補給処能力を前進させるということがあります。

Q: 規格性に掛かる費用は含まれていますか?

GEN SCHOOMAKER: 規格性にかかる費用には補正予算に含まれているものもあります。なぜならそれは戦闘に行く部隊の訓練、装備、形成に関係するものだからです。

Q: 補正予算は350億ドルだったでしょうか?

GEN SCHOOMAKER: そうです。戦争費用、つまり装備補充、装備整備、燃料、弾薬、実際の戦争遂行に掛かる予算です。

Q: 今年ざっといくら使いましたか?

GEN SCHOOMAKER: たしか500億程度だと思います。これは大まかですが。正確な数字はお知らせしますが、たしか500億程度です。追加された予算は350億ドルから400億ドルです。繋ぎの補正として250億ドルのうちの160億ドルを得ました。これらすべてを足し合わせると500億ドルから550億ドルにおそらくなるでしょう。

Q: Kern将軍が話された組み直し費用についてはどうですか? 350億ドル(聞き取れず)のうちに含まれますか?

GEN SCHOOMAKER: いいえ。整備費用は補正予算に含まれます。ご存知のように、我々はそのようにしたのです。砂漠の盾と砂漠の嵐、一般にいう第一次湾岸戦争を思い出してみてください。私はあれは初めての現代戦だといえると思います。これは見方により異なるでしょうが。さて話をもとに戻します。当時、我々は戦争から先2年間で整備する予算を与えられました。つまり、我々がしているのは組み直しですが、これまでと同じく組み直すのではなく、将来に向かって組み直すことを望んでいます。これゆえ、規格性に掛かる費用のある部分はそのうちに含まれるのです。我々はなおも組み直す必要があります。我々はこれまでとは異なるべく組み直すのを求めています。

Q: ’06予算、丁度整え終わったばかりのですが、1個大隊余計にストライカーを購入されていると思います。これらについてはどんな計画をされているのか、(聞き取れず)おつもりですか?

GEN SCHOOMAKER: それは’05予算だとおもいますが --

GEN CODY: 盛り込まれている大体6億ドルについてですか?

GEN SCHOOMAKER: それは’05に入っています。

Q: あっ、'05でしたか。これについてはどう計画されていますか?戦闘を和らげたり、(聞き取れず)試験をするつもりですか?

GEN SCHOOMAKER: 幾つか選択肢はあります。最終的な決定がどうなるかは定かではありません。特殊作戦部隊がストライカーに関心を持っています。様々なことができるでしょう。現有のストライカー部隊に加えることもできます。これについては各部隊を眺め渡すこともできます。

GEN CODY: 規格性の利点は、3種類の旅団戦闘団を持つことで、単位ごとに追加でき、どのように維持するかの問題で部隊に手を入れなくて済むことです。ですが、我々はこれらのストライカーについてどうするか結論に至っていません。ですが、陸軍参謀総長がFCSの広範な開発について下した決定は、ストライカー部隊を追加する上でさらに選択肢を広げました。

GEN SCHOOMAKER: ストライカーはFCSではありません。これは重要な点です。ですが、我々がストライカーで実験できないということではないです。FCSでならできるであろうことをストライカーを代替として使ってまねることはストライカー旅団の能力ゆえできます。ともあれ、ストライカーは戦場でおそらくはもっとも生残性の高い車両であることを証しています。大変に、大変に生残性があり、また大変有用です。それにストライカー旅団は我々の有する世旅団の中で最も歩兵が多いのです。およそ1700名の歩兵がいます。重旅団は約700名かこれより少し多い程度です。

GEN CODY: 1000を少々超えます。

GEN SCHOOMAKER: ストライカー旅団は多くの歩兵がおり、機動力もより高く、より防護され、よりネットワーク化されているので多くのことに使えます。

Q: (聞き取れず)ストライカー反対勢力の動機は何ですか?

GEN SCHOOMAKER: その人々は--私にはわかりません。あなたの推測は私と同じくらいでしょう。ですが、他の物をつくっていてストライカーが成功しないことを望む人々はいると確かに思います。彼らは他の物を作って売りたいのです。我々は大変に注意深くならねばなりません。

我々が作ったり買ったりする必要があるのは我々がしなければならないことに最適のものです。我々は大変に、大変にストライカーの備えているものに満足しています。手を入れなければならないところはありますが、全体としては大成功であり、兵士は大きな信頼を寄せています。

Q: あなた方は予算の配分をより多く必要としています。この24%(聞き取れず)についてはまず脇においておきます。今日のテロリズムとの戦争ではあなた方が明らかに(聞き取れず)を持っています。将来を見た場合、FCSやその他やろうとしていることは、まことに多額の資金が掛かるでしょう。あなた方はPOMで280億ドルと400億ドル不足しています。予算の配分を変えることについてはどうお考えですか?次のような議論、FCSを必要とするほどには潜水艦を1隻作るのは必要ないというのは正しいでしょうか?本当に真剣にかつ血みどろとなる可能性をはらみつつもこの国が何を作り、(聞き取れず)この長引いた戦争を戦うに何が必要なのかを議論すべきときではありませんか?

GEN SCHOOMAKER: これについてはそのような方法はとりません。予算を配分する最良の方法は均等に配分することだというのは不自然だと思います。国家と国防総省がこれについては包括的に考える必要があるのであって、実際にそうしていると思います。

Q: 不自然かもしれませんが、そのものを見てみれば、お金に関することです。

GEN SCHOOMAKER: そうであることは分かっています。他の見方をしてみることで答えに到達するのではないかと言っている次第です。とうのつまりには我々が支出するのは計画予算と補正予算の組み合わせですが、われわれがやっていることについての真の購買力を見てみれば、可能なうちではこれまで得てきた割合よりもかなり多く得ています。250億ドルの補正予算のうち、我々は160億ドルを得ました。これから先へ進むには作ったものを維持する必要がありますし、思うに作ったものの有用性が自ら証することになるでしょう。

私の見方では将来の戦場ではどのような必要があるかをみればこれもおのずと分かります。現在のところ、我々は実際、これまでよりもはるかに大きな購買力を得ています。

さて思い出して欲しいのは、他軍種の計画が別の軍種へ拠出することもあるということです。空軍には多額の宇宙(聞き取れず)があります。海軍は我々が使用しているものを有しています。我々は他軍の衛星によって通信しています。衛星は高価です。つまり、これは母のアップルパイを分割してどの子供にも同じ大きさが行き渡るようにするというようなことではないという理由はこれです。むしろ、これは適切な均衡と能力を我々が得てどのように拠出していくかという話なのです。

Q: 陸軍では何隻の潜水艦を使っているんですか?

GEN SCHOOMAKER: 特殊作戦部隊がかなりの数を使っていますと申しましょう。潜水艦のかなりの数を改修して運搬体を運べるようにしております。他にも潜水艦のしていることがわれわれのやることを支援していますが、ここでは話せません。

おっしゃるとおり、我々が直接に全ての場合で乗っているわけではないですが、確かに、海軍の能力の中には統合火力として私たちが必要なものが含まれています。我々がリーチバックをするとき、我々が必要とする情報が彼らが我々に与えるうちに含まれています。彼らが我々に供する能力には陸軍にない能力であり、統合能力です。我々はこれを活用しています。繰り返しになりますが、この質問に対する対応はパイを均等に分けるということでなく、我々が必要な能力をどう拠出するか、将来に向けての統合能力、そしてどこにそれらの計画は位置するかという問題なのです。

情報計画についての問題全体はあなたがおっしゃっているようなことが多々あります。というのも、予算権限が(聞き取れず)、防衛官庁などはこのような問題を起こしがちではあります。

つまり、私は質問を避けているのではありません。われわれは過去やっていたのとは別な角度からこの問題を解くべき地点に達しているほどには成熟したと思います。

かつては我々の戦力組成の各部、陸軍、海軍、空軍、海兵隊に派生的なリスクがありました。必要なものが認められず、我々はリスクを分かって抱えていました。これが今日予備役が組織過重となり、予備役から余分な組織を取り払わねばならない理由です。というのも我々は拡大して充足するといった古い方法はやらないからです。そこで、樽の栓を締めに掛かっているわけです。

このように質問に答えます。我々は正しい道を辿っていると思います。

Q: 予算と装備について沢山伺いましたが、では沢山の人々がイラクでの戦争を(聞き取れず)と特徴付けていますが、少々規格性により情報能力を向上させることについて話してきたことをざっと纏めて頂けませんか。これについて掘り下げていただいてから民政、技術的(聞き取れず)、通常と非通常の協同などについても説明願えますか。

GEN SCHOOMAKER: さて、私は生涯の大半を特殊作戦で過ごして来ましたし、これまでの人生で今我々が実際にしているほど密接な関係を通常戦力と特殊作戦戦力がしているのは初めてです。私の行く先どこでも誰でも、特殊作戦部隊員でも通常戦力の司令官でも、こんなことは初めてだといいますし、私はこれは本当にいい話だと思います。

大抵の人々は情報とは技術システムが全てだと思っています。実際には、戦術級や作戦級では、どのように総合するかやどのように利用するかのほうが本当は大きいのです。そこで我々の規格性の一環でより下位の戦術部隊へと接続性を持っていきます。これは旅団戦闘団行動部隊が国家階梯の情報を旅団階梯で扱えるシステムと能力を持っているということです。我々はより多くの分析者を旅団階梯に配置しているところです。より多くの大佐、中佐を旅団階梯に配置しているところです。UAVも旅団階梯にゆきます。HUMINTも旅団階梯で持ちます。対諜報もゆきます。対諜報の要員はかつては師団や軍団に行くものでした。これらの旅団は自律して行動するよう、一層の力を与えられているばかりでなく、統合相互作用する能力もあります。

昨年に我々がどのように戦闘したかを思い出してみると、南部での主行動において支援を受けた司令官はSFLCC、地上部隊司令官ですが、西部の戦闘で支援を受けた司令部はCFACC、航空部隊司令官でした。これが実際には我々がイラクに持っていたSOF全ての司令部であり、他の通常戦力もその下に置いていました。

北部の司令部をみますと、これはSFSOC、つまり特殊作戦司令部が特殊戦力と、第173や北に送った重戦力のような通常戦力双方を統制していました。これが統合協同作戦性です。そして我々はさらに統合相互依存へと向かっています、統合相互依存ではこれまでのようなことができるばかりでなく、おたがいの道具袋に手を出して能力を要請して目標上で我々を助けてもらうのです、それが潜水艦からであろうと、空母からであろうと、遠く離れて空中給油機の支援を受ける航空基地からであろうと。

マザリシャリフの戦いをみてみれば、これは特殊部隊の戦闘でしたが、彼らは多くの統合火力をリーチバックで得ました。これはこのような機敏性と能力を持った旅団戦闘団を想像するにその可能性をうっすらと示しています。これは大変に強力です。この方向へ我々は向かっています。

ところで、砲兵が重いのは砲ゆえでなく、弾薬のためです。これが補給を左右しています。砲を給するのは大変な補給量です。そこで、これらの砲を我々の部隊に入れ、必要なときにいる、だけども水平線の彼方の誰かに連絡し、その誰かが安全地帯からでてきて我々のために問題を解決してくれるならば砲を撃たないのが、はるかによいわけです。こうすれば、砲も弾薬も補給の問題なく必要なときに有るわけです。これが相互依存であり、我々が求めているものです。これは迫撃砲についても同じです。航空基地からアパッチやA-10やJDAMなどで飛んできてくれる誰かを使えるのにどうして迫撃砲を使うでしょうか?連結することで問題を70発の155mm砲弾でなく1発のJDAMで解決できるようになります。このような点でこの統合協同作戦性や統合相互依存は我々の長所となります。このような部隊を我々は配備することを望んでおり、これがゆえ、私は我々は異なる戦闘ができるといっているわけですし、異なる戦闘をしてきています。そしてこれにさらに熟達することになるでしょう。

これで質問への答えとなるか分かりませエンが、この方向に我々は進んでいます。

有難う御座いました。
2-4 Cav 砂漠の嵐作戦における師団偵察大隊
出典:Combined Arms Research Library
Command & General Staff College Fort Leavenworth, Kansas

第4騎兵連隊第2大隊任務部隊
「先駆けにして、しんがり」
砂漠の嵐作戦における第4騎兵連隊第2大隊の歴史
筆者 Joseph C. Barto Ⅲ

序言

極度に抽象的な立場から個人に密着した立場まで様々な観点から戦争は研究されてきた。Joseph C. Barto Ⅲ少佐の「2-4騎兵任務部隊 “さきがけにして、しんがり”:砂漠の嵐作戦における第4騎兵連隊第2大隊の歴史」の場合、急変する流動的な戦闘についてのある者の所感という観点から戦争を見ている。

砂漠の嵐作戦での自身の経験をノートの書き込みの寄せ集め、広範な記録類、その他様々な資料から再現することで、BartoはTF2-4Cavの物語を語る。大隊副長と戦術作戦センター統括将校という立場から、大隊が砂漠をイラク軍を追って進撃する、その計画と実施を描いている。

その結果、Bartoの記述は迅速に展開する作戦における個人の経験についての独自の見方を伝えるものとなった。Bartoの経験は洗練された分析よりは軍事史の学徒に、動的でしばしば不明確な戦場における騎兵大隊の作戦について内部からの観点を与えんとしたものである。

1993年6月
Combat Studies Institue所長
Richard M. Swain大佐、砲兵


CSIの刊行物は軍事史の様々な分野にまたがります。このCSI刊行物で表明された見解は著者のものであり、必ずしも陸軍省や国防総省のものではない。


議会図書館書誌データ
著者 Barto, Joseph C.(Joseph Charles) 1955-
任務部隊2-4Cav—“先駆けにして、しんがり“:砂漠の嵐作戦における第4騎兵連隊第2大隊の歴史/ Joseph C. Barto Ⅲによる
参考文献を含む
1合州国陸軍 歩兵師団(機械化) 第24 – 歴史‐20世紀
2 1991年の湾岸戦争、連隊史-合州国 
3 合州国陸軍-歴史-1991年の湾岸戦争
DS79.724.U6B37 1993 93-16451
956.704'4242-dc20 CIP

目次

図一覧
表一覧

序言
謝辞

I. 序
II. 序曲:展開と砂漠の盾作戦
III. 戦争への移行
IV. 戦闘に向けての編制
V. 戦争におけるTF 2-4 Cav
VI. 偵察と警戒任務
VII. 攻撃準備
VIII. 戦闘の遂行
IX. 作戦要約
X. 結論

付録
A. 語彙一覧
B. 第24歩兵師団(機械化)における主な人物




図一覧

1.任務部隊の行軍隊形
2. 側衛隊形

地図
1. 第Ⅰ段階::偵察及び警戒活動
2. 第II段階
3. 第III段階
4. 第IV段階
5. 第V段階
6. 攻撃前の状況
7. 地上戦闘開始日における出撃線
8. 段階線Lionへの攻撃
9. 目標Brown、Grey、Redへの攻撃
10. ユーフラテス川渓谷への攻撃
11. タリル航空基地およびJalibah航空基地への攻撃
12. バスラへ向けての攻撃
13. ルメイラの戦い
14. 砂漠の盾および砂漠の嵐作戦における第24歩兵師団(機械化)の作戦概観

表一覧

1. 偵察及び警戒活動におけるTF 2-4 Cavの編制
2. 偵察及び警戒活動会合における議題
3. 戦闘作戦におけるTF 2-4 Cavの任務編成
4. TF 2-4 Cavの作戦計画
5. TF 2-4 Cavが破壊した装備及び資材




本書に記した事実やその細部の大部分は砂漠の嵐作戦中に自身で観察したことを纏めたものである。出来事が起きた時点で記録をとっており、著しい事件のあとでは数度書き改めている。私の戦闘配置は大隊副長および戦術作戦センター統括だったので、1991年2月2日午前に戦術作戦センターに到着した瞬間から1991年3月23日に大隊がフォートスチュアートに帰還するまで、任務部隊のあらゆる計画と遂行に直接関与していた。
副長として、私は師団計画会合の全てに大隊長とともに出席し、詳しくノートをとり、これを原資料として用いている。停戦直後、数時間を掛けてノートを検分して、当時鮮明であった記憶、任務部隊TOC(戦術作戦センター)で起きたそのままの出来事、任務部隊に配属された各中隊から送られたそのままの詳細報告、TOCと上級司令部との交信を記した。又、1991年3月5日に任務部隊はイラクのバスラの西40kmに位置した任務部隊TOCにて事後直後検討会を行っており、私は主席書記を勤めた。既に合州国に帰還していたS3を除く任務部隊の全指揮官がこの会に参加した。つまり、指揮群、指揮官、参謀が出席して事象、戦術、戦技、手続きの突っ込んだ議論が行われた。

航空騎兵中隊の作戦については本作では実際に任務部隊の作戦統制下にあったときを除いて取り上げない。航空騎兵は辛い地道な仕事を果たしたのだが、筆者は直接その活動に関与しなかったので直接の知識がないゆえである。そこで、師団の成功に対する彼らの大なる貢献と彼らの戦果については意図的に本作に含めないことにした。

南西アジアからの帰還後、史書を読んで気付いたことは、戦争についての師団と様々な旅団の記述によって時間と事件に違いがあることだった。調査して少々の常識を働かせることで、分かったことは25000名の師団戦闘団では皆が同時に同じ事をしているわけではないということだった。また、任務部隊は師団司令部と統制結節と常に連絡が取れるわけではなかったので、師団が命令を発してから数時間後に任務部隊が受領することも時折生じた。これがいわゆる「戦争の霧」の例である。

任務部隊に配属されるまで、私は師団主指揮所の当直将校でG3作戦長だった。主な職責は師団の部分命令を書き、師団長状況報告を起草し、毎晩の師団長報告で師団指揮群に説明することだった。これらの任務では師団全体の全ての活動について直接の知識が必要であった。それゆえTF 2-4Cavの活動と作戦現況についても1990年8月7日の警急から1991年2月2日に任務部隊TOC(戦術作戦センター)に到着するまでの間もなじんでいた。

明白なことであるが、私は作戦の全てについて知っているべくもない。そこで、昨年のうちに、任務部隊の主な人々に(彼らの多くは本作の草稿を何版か読んでいる)にインタビ尋ねた。彼らの批評と知見は感謝を込めてしかるべきところに含めた。告白するのはインタビューの多くは正式な類いのものでなく、フォートスチュアートの訓練場で営地のストーブとMRE(携行食)を囲んで古くからの戦友が戦時の諸々の出来事を振り返っている際にしたことだった。私が心がけたのは作戦の主な出来事の現場にいた者を見つけてインタビューすることだった。また、Jason K. Kamiya少佐の著「砂漠の嵐作戦における第24機械化歩兵師団戦闘団の歴史」を参考とした。私は任務部隊に関する師団作戦の確認に彼の著を大いに用いている。

本作中の事実と主張の全てに同意しかねる方も居られるかもしれないが、私は本作とKamiya少佐の著を混同しないよう気をつけた。本作に含まれる全ては私の知る限り真実である。これから詳述する砂漠の嵐作戦で起きたことは私の体験した現実であり、私が直接その中にいたのである。

本作を仕上げるにあたり、戦友の訂正と貢献が大きかったことを感謝しなかったらば、怠慢であろう。私は常にTom Leney中佐、Lou Gelling少佐、Pete Utley大尉、Jean Soucy先任曹長に事実を確認するため厄介となり、彼らはいつも時間を割いてくれた。Brian Hann中尉は本作の図表の作成に素晴らしい腕を振るってくれた。本作を書く際に手助けしてくれた方の名前はとても長い表であるが、書き記すにはあまりに多すぎるので、試みないでおくことにする。

私がこれまで成し遂げた最も困難な任務はTOC配属の45名の前に1991年2月23日立ち
任務を達成することは可能であり、達成して堂々と生きて帰還できるという自信と理解を伝えたことである。私は個人としてとりわけこれらの優れた若者に対して地上戦闘の間、責任があり、この厳粛な責任の重みを感じていた。我々はごく短期間を共にしただけだったが、兄弟となり、私の体験全ては彼らに負っている。あの記念すべき日、私は彼らに再度計画全体を説明し話をこう締め括った、「諸君に求めることは10日間の完璧な軍務であり、そうすれば我々は全てうまくいく。」彼らは実行し我々はうまくいった。我々は散り散りとなっているが、我々は戦争という特別の紐帯によりいつも繋がっている。そのうちにとりわけ感謝せねばならない4名がいる。掌軍曹(P)Bernard Cabrerra、二等軍曹James Gill、特技兵George “将軍”Jenkins、そして私の運転手にして戦闘時の相棒である特技兵Raymond Greenである。

(訳注:不明部分の原文 P. Bernard Cabrerraと表記されておらず、(P)なので人名の一部とは
思えない。)
(Master Sergeant(P) Bernard Cabrerra, Staff Sergeant James Gill, Specialist George "The General" Jenkins, and my driver and battle buddy, Specialist Raymond Green.)


謝辞

愛と恐怖は人の最も激しい感情のうちの二つである。砂漠の盾と砂漠の嵐作戦中、私は恐怖は大抵その状況認識に直接比例することを学んだ。妻、家族、友人、そして兵に対する愛ははっきりと異なるけどもしばしば同じくらい激しいものだった。

砂漠の嵐作戦中、恐怖を感じたことは無かった。敵と味方の状況が分かっていたり、怯えるほどには良く分かっていなかったり、気を回すには疲れすぎていたり忙しすぎたためである。軍人の家族は、数千マイルと未知に隔てられ、生の恐怖を分かっていた。そして彼らは恐怖を毎日見つめていたのである。彼らこそ砂漠の嵐作戦における真の英雄である。私の妻Triciaと三人の息子であるJoey、Tommy、Kevinは愛と恐怖が常に心と魂を揺り動かす中での日常生活という本当に信じられぬほどの重荷を負って生き延びたのである。Triciaと私は、我々の人生において最も激しく感情の動いたとき、愛と恐怖を同情と教官で分け合ってくれた類稀な家族と友人に特別な感謝をすべきである。1990年のクリスマスの前夜に、3日間のうちに27回とりこなわれたミサの一つが第24歩兵師団(機械化)の主指揮所であり、カソリック司祭が述べた。彼のクリスマスの言は短かった。彼は我々にこれまでの5年間のクリスマスを思い出すように求めた。誰が居たか。何が起きたか。どんな贈り物をあげたりもらったりしたか。これらのうつろいやすい細部を求めて心の奥を必死に探るうちに、かれが優しく諭したのは我々の感じたホームシックと同じくらい、このクリスマスはあらゆる細部に至るまで思い出されるだろうということであった。彼は最後にクリスマスは新たな始まりをも現すと締め括った。私の人生は、サウジアラビアの防衛とクウェートの解放という出来事に区分される二つの異なる時期に常に区分される。私の新たな始まりは1991年3月23日、2歳の息子Kevinが群集を抜け、憲兵を避けつつ、私の腕に飛び込んできたときに始まる。

しかし、本作は私についてのものではない。本作は任務部隊2-4騎兵の兵についての、彼らのためのものである。私の個人的記述は特別なものでも、値するものでもないが、単に召集に応じ、仕え、恐怖を克服し、義務を英雄的なおかつ奇妙にも淡々としたやり方で果たすことで武器持つ職の高貴な戦士の掟を称揚した兵らの思い、感情、経験を代表するに過ぎない。任務部隊2-4騎兵は3月14日にイラクを去り、1993年3月22日国へ帰る航空機に乗り込んだ。続いての戦闘後活動の混乱、再編、休暇、パレード、全体の幸福感の中で、砂漠の嵐作戦での出来事は薄れ始めたり、それぞれの形を取り始めたりした。本作業は砂漠の嵐作戦への我々の参加を取り巻く事実を単純に記録することから始まった。その単純な過程のどこかで、大部分はSam Lewis博士、Dan Bolger少佐、Joe Martz少佐の励ましにより、本著は単なる記録を超えて、叙事詩となった。記憶が薄れ、家族、友人、兵らが1991年の早くにサウジアラビアとイラクで何が起きたのかを知りたがったり、思い出したがったりするにつれ私の思いは高まった。この叙事詩は主として彼らのために記されている。


戦争は激しい感情をおこす出来事である。指揮する者と指揮を受ける者との間には信頼、自信、愛による特別の紐帯がある。それは特別な愛であり、書き表すのは難しいが見分けるのは容易い。彼らと会いその眼の中に、彼らが何をしてきたのかを語る声の中に聞くことができる。

私は彼らの兄弟の一員であり、彼らの物語を語る栄誉を与えられたことを誉れとする。本叙述を愛と恐怖を分かち合った皆に捧げる。


I. 序論

1991年3月23日の良く晴れた春の日、ジョージア州フォートスチュアートのCottrell Fieldに満ちた第4騎兵連隊第2大隊の家族が大気を興奮で一杯にしていた。拡声器は愛国的な音楽を流し、 アナウンサーが7ヶ月以上も前から始まっていたカウントダウンを締め括って言った、「英雄の帰還です!」旗を立てたバスが駐車場に入り、疲れた兵らを吐き出した。その場所はつい8月に展開を告げられた体育館からわずか100mしか離れていなかった。妻、息子、娘、母、父、姉妹、兄弟らは勇敢な兵とその家族の長旅が終わらんとするそのときを固唾を呑んで謝肉祭のときのようなお祭り気分で待った。先任曹長が大隊を整列させ、軍旗を広げた。大隊長は最後の100mを進むよう命じ、かくて第4騎兵連隊の誇りある歴史の中の一叙事詩が終わった。連隊史におけるこの1章は南北戦争以前からの伝統を引き継いでいる。1860年8月に、1885年にカンザスのフォートワースで創設された第1合州国騎兵連隊が第4騎兵連隊と改称されて初期の植民者を守り辺境の法と秩序を維持するため西部に駐屯した。編制完結後、連隊はカンザスのフォートライリーにへEdmun V. Sumner大佐の下で移った。連隊に配属された士官にはJoseph E. Johnston中佐、John Sedgwick少佐、 William Emory少佐、J. E. Stuart大尉、George B. McClellan大尉などの著名な者がいた。JonstonとStuartを除く全将校は南北戦争勃発時、忠誠を保った。この忠誠を誇りとして、
連隊の決めたモットーが、備えと忠誠、であった。連隊は南北戦争中20の作戦に参加した。

戦争後、第4騎兵は辺境任務に戻り、その後1898年から1907年までフィリピン諸島に送られた。こうして連隊旗にはさらに10本の戦闘旒を加え、世界中へ展開する伝統を確立した。第2次世界大戦中は、連隊はノルマンディー海岸に上陸した最初の部隊であることを喧伝した。こうして、さらに5本の戦闘旒を旗に加えた。

第4騎兵は韓国とベトナムでも戦闘したが、その間第2大隊は第1機甲師団、ついで第4機甲師団に配属されてドイツにいた。1972年7月、第2大隊は閉隊となり、1987年1月にジョージア州フォートスチュアートで第24歩兵師団(機械化)(Victory師団)の師団偵察大隊として再開隊した。砂漠の嵐作戦中には、ペルシャ湾岸で第4騎兵連隊第1大隊も第1歩兵師団(機械化)にて戦闘している。

本作の目的は三つある。第一に、砂漠の嵐作戦における任務部隊2‐4騎兵の行動を記録すること。第二に、同任務部隊を例として将来の研究の枠組みを確立すること。TF2-4Cavのペルシャ湾岸での経験を通じて、訓練、編制、指導、教義、補給、米国軍人の質について多くの戦訓を得ることができる。最後に、私は読者が戦争の個人的面での理解を得られるよう自身の意見や経験を加えた。本作を通じて、個人的意見は斜字体で記してある。

同時に、計画、実行、そして組織の環境面についての詳述により、読者は機甲騎兵作戦を軍人が成功させ、帰還するには、複雑性、柔軟性、そして精神的敏捷性が必要とされることを理解するだろう。まったくのところ、この知的能力こそ一人前の騎兵、そして今日の戦士の印である。ペルシャ湾岸における作戦において第4騎兵連隊第2大隊はその長い誇りある伝統にさらなる素晴らしき一章を加えたのであった。


II.序曲:展開そして砂漠の盾作戦

2‐4Cavの砂漠の嵐作戦における叙事詩は大隊の先導部隊が出撃線をイラクへ1991年2月24日に発ったときよりもずっと以前から始まっている。フォートスチュアートで第4騎兵連隊第2大隊(2‐4Cav)は第24自動車化小銃大隊として通っていた。その主要任務はVictory師団の機甲任務部隊や機械化任務部隊らが国家訓練センター(NTC)の輪番に備えるため対抗部隊活動を遂行することだった。1987年にJシリーズ編制および装備定数表へ転換して以来、大隊階梯外部訓練評価を大隊はしていなかった。大隊の最後の大隊階梯外部評価が行われたのは2-9Cavと呼ばれていた1986年であった。大隊の一回きりのNTC輪番があったのは1985年のことであった。さらには航空騎兵中隊は地上部隊とともに戦術作戦をしたことがなかった。これゆえ、1990年に大隊が展開したとき、明白で困難な問題を抱えていた。

これらの問題にもかかわらず、1990年8月7日に戦の角笛が鳴り響いたとき、2‐4Cavは第24歩兵師団(機械化)(24 ID(MI))の独立した師団部隊として先導旅団とともに展開し砂漠においてあらゆる騎兵任務を遂行した。実際、2‐4Cavは(クウェート国境からおよそ100km南の)Tapline道路に沿って師団警戒帯に80km長の遮蔽幕を展開し、ジョージ・ブッシュ大統領のいう「砂中の列線」に歯を与えた最初の米陸軍機械化部隊となった。



1990年7月12日、カンザス州フォートレーベンワースにある合州国陸軍指揮幕僚大学を卒業して、私は第24歩兵師団(機械化)に配属された。私のG3班の一員としての主任務は師団緊急活動センター統括将校だった。1ヶ月もたたぬうちに、1990年8月7日0100に、私は第24師団師団長Barry R. McCaffrey少将に第18空挺軍団から受領したばかりの展開命令を手渡していた。文は10行にも満たぬもので簡潔だが深く練られており、第24歩兵師団(機械化)に「中央軍へ展開せよ」と命じていた。師団長補(支援担当)のFrank Miller大佐と参謀長Joe N. Frazar大佐も師団に警報を発しすぐにVictory師団の全員とその家族に大きな影響を与えることになる伝達の文言を師団長が執務室で決めているときその場に居た。そのときの会話で、McCaffrey少将は私が永遠に記憶に留めることになる台詞をいったのだった。「この瞬間から先、我々全員で”難事業”の意味を改めることになるだろう。」

師団に警報が発せられたのは1990年8月7日0300だった。13年の軍役で、これほど困難な仕事に対して人々が懸命に、長時間取り組むのを見たのは初めてだった。昼夜の別はなかった。0200に掛かってきた電話に20時間勤務していた文民の秘書が出、事務室や廊下には疲れきった者が数時間の睡眠をとるため簡易ベッドが用意され、師団本部の裏に野外炊事所が設けられた。わずか72時間後には、車両が動き始め師団は移動を開始した。

#訳注 文章中の写真説明

1991年8月(原文ママ)、Victory師団の兵らはジョージア州サヴァンナのHunter陸軍飛行場の格納庫でサウジアラビアへの飛行を待ちつつ休息している。ジョージアの熱気もダンマン港で経験したのと比べると形無しであった。

#訳注 文章中の写真説明終わり

警報からわずか6日間と9時間に57分間で、FSSカペラが全部で10隻の第一船として第2旅団戦闘団の大部分と第4騎兵連隊第2大隊を搭載して旅路に出た。

#訳注 FSS fast sealift ship 高速海上輸送船
#http://www.globalsecurity.org/military/systems/ship/takr-287.htm

わたしのこなした任務の一つは師団主指揮所を移動させサヴァンナ港で船積みすることだった。それまで師団主指揮所を見たことは無かったので、本当に大難事だった。

1990年8月22日、師団主指揮所の人員移動の担当となった。我々は家族に別れを告げ、武器を受け取り、サウジアラビア王国への飛行を待ってHunter陸軍飛行場の格納庫で36時間過ごした。

最初から、McCaffrey少将は2-4Cavを彼の統制下で独立部隊として用いることを構想していた。事実、最初の頃の師団部分命令の一つは、航空旅団から2-4Cav大隊を解属して師団統制下に置くものだった。この解属は師団騎兵作戦を巡る根本的問題を明るみに出している。大隊が1987年1月に第4騎兵第2大隊と改称したとき、新編制と装備への転換の過程が始まった。この新たな師団騎兵大隊は航空旅団に配属され、2個地上騎兵中隊と2個航空騎兵中隊からなっていた。地上騎兵中隊の戦闘力は主としてM3騎兵戦闘車両19両とM106自走迫撃砲3門だった。航空騎兵中隊には観測ヘリ(OH-58C)6機とTOW攻撃ヘリ(AH1F)4機を有していた。

#訳注 M106 mortar
# http://www.globalsecurity.org/military/systems/ground/m1064.htm
#M113車体に107mm迫撃砲搭載した車両。

2-4Cavの前身である2-9Cavは戦闘力についてははるかに強健な編制であった。地上中隊には主戦闘戦車12両があり、偵察車両としてはM113派生型16両が用いられていた。航空資産は全て少佐指揮の1個航空中隊に入っていた。編制および装備の変更は能力に大きな変化があったばかりでなく全く新たな指揮統制となったためである。つまるところ、戦闘力が比較的欠如しているため、大隊は以前日常的にこなしていた戦闘任務の多くを行うことが出来なくなった。この切り詰められた新編制の創始者は騎兵大隊はこれまでのように師団の10個目の機動任務部隊としてでなく、偵察と遮蔽幕作戦を行うことを構想していた。

確かなことは、McCaffrey少将は10個目の機動任務部隊のほうを好んだことである。自身の統制下に直接、強力な戦闘部隊を運用できる柔軟性を得られるのだから。

砂漠に展開して、TF2-4Cavは師団長統制下で特定の任務を遂行するよう編成された。第一に、第197独立歩兵旅団が第24歩兵師団(機械化)の3番目の機動旅団として展開した際に、第4騎兵D中隊、ジョージア州フォートベニングの第197独立歩兵旅団独立騎兵中隊が大隊に配属された。特記すべきはD/4 Cav(第4騎兵D中隊)は連隊騎兵中隊として4個小隊編制であったことである。M60A3装備の2個戦車小隊と、3両のM113と3両のM901改良型TOW車両を装備した2個偵察小隊、そしてM106自走迫撃砲3両を装備した1個迫撃砲班からなっていた。第二に、師団のMLRS(多連装ロケット)中隊である第13砲兵A中隊(A/13 FA)が任務部隊に配属されて初期の遮蔽幕任務において間接射撃支援を供した。第三に、いくつかの機械化歩兵団や機甲団がサウジアラビア到着次第配属されて師団戦区の当初占領時における大隊の戦闘力を増加した。

砂漠の盾作戦のはじめ数週間は実に不安定な時期だった。サダムフセインがサウジアラビアを攻撃する可能性は本当にあったためである。TF2-4Cavは最も前方に展開した合州国機械化部隊であり、戦力の大増強は正当であり歓迎だった。が、これらの部隊を統合したことで大隊指揮には大変な負担となった。というのも部隊は大型任務部隊はおろか騎兵大隊として訓練する機会すらそれまで多くは無かったためである。幸運なことに、訓練は実りあるものであり、わずか5ヵ月後には大隊は大型任務部隊として良く戦えた。

我々の飛行機がサウジアラビア王国のダーラン国際空港に到着したのは1990年8月23日0600だった。飛行機を降りるとき、客室乗務員が涙を浮かべつつ何でも欲しいものをくれた。(私は野外にはいまなおユナイテッド空港の毛布を持っていく。)0630に我々は飛行機を出た。気温は華氏93度だった(その日は130度まであがった。)1300頃、我々はバスに乗り、ダンマン港へ向かった。人生でバスに乗っていたのはあれが一番長かった。というのは例の陸軍の流儀で10両かそこらのバスの全座席が一杯になるまで運転手は出発しなかったからである。その結果、バスに乗るだけで一日で一番熱い時間帯に一時間もかかった。

師団前方主指揮所(Victory Forward)についてすぐにG3班の当直将校としての任務を引き継いだ。職業的には、このような厳しくストレスの高い環境で当直将校を引き継ぐ備えはできていなかった。が、任務は明確だった。師団で起きているあらゆることに通じることである。この点で偽りは無かった。この任務は、けれども常にもまして困難であった。というのは通常の通信システムが動いていなかったからである。明らかに最もくたくたになっていた参謀将校は師団通信将校補のFred Lehman少佐だった。彼は早夜最新状況会合で報告をしているときに気を失ってしまった。航空機の到着が続き、船舶も到着して荷卸を開始した。
私の主要な任務の一つは毎夜師団最新状況で師団長にG3報告をすることだった。あまりに沢山のことが起こるので、この報告はとても難しく、何事にも確実だとは思えず、そして実際にその通りだった。

最初に集結して砂漠に出発した部隊がTF2-4Cavだった。通信は間歇的だったが、この初期のころ我々は大隊の移動を綿密に追った。次第に任務部隊は砂漠へ200km進出した。誰もが砂漠に居る大隊に喜んで加わった。というのも港での生活は耐え難かったからである。
砂漠は厳しかったが、港の湿気と酷い衛生環境は無かった。あるとき、我々は港湾地域が弾薬で一杯であることに気付いた。それどころか師団本部のすぐ外の船は弾薬を搭載しているのであった。これで一層砂漠は魅力的に思われたのだった。

G3班での任期中、私は師団長とG3参謀Pat Lamar中佐に師団全体の作戦を追跡し統制する責任を負っていた。とりわけ、作戦班は師団主指揮所の日常活動を監視し、主指揮所に配属された連絡将校を統制し、師団部分命令を書いて発し、指揮群に毎晩2000の状況報告で報告し、軍団に送られる師団長毎日状況報告を起草した。こうして、これらの任務をこなすことで師団のあらゆる活動を知ることになった。また、作戦班は他の合州国および連合国軍の状況を追跡しますます多くの部隊が戦域に到着するに従い師団地上管理班の役目も果たした。この利を生かして、私は毎日2-4Cavの活動を追跡できていた。

#訳注写真説明
郵便の配布は大変重要だった。星条旗紙を届けてくれた。新聞は最新のものではないこともあるだ、常に歓迎だった。外部の世界との接触は郵便、新聞、ラジオに限られていた。ラジオの受信は間歇的で断続的だった。Voice of Americaが最も信頼がおけた。抜きん出て重要だったのは家への電話だった。AT&Tと師団の要員が電話センターを立ち上げて運営するという素晴らしい仕事をした。砂漠の盾作戦中には師団戦区に電話センターが3つあった。師団が攻撃位置に移動した時には機動電話センターをAT&Tが供してくれた。兵は一月に一度家に電話をかけることを無理なく期待できた。任務部隊が最後に家に電話する機会は地上戦闘開始3日前だった。(左から右へ Gary Castilla軍曹、Marty Keys特技兵、Jay Nolet一等兵)
#写真説明終わり

2-4Cavはまた辺境へと出発した。今回はサウジアラビアのTapline道路に沿った辺境である。大隊の任務は師団本隊が戦術集合地域を占領する間、師団戦区全体に渡って遮蔽することである。大隊は1990年10月6日に第3装甲騎兵連隊がとってかわるまでもっとも前線に展開した合州国部隊であった。そして大隊が師団が戦術集合地域を占領するため移動する間に防衛するのは南西アジア作戦においてこれが最後ではなかった。

遮蔽幕任務を解かれて、大隊はFort Apacheという名のbase campを占領した。ここで大隊は第4騎兵D中隊を除いて固有の編制に戻った。同中隊は展開中この後も大隊に留まった。直ちに大隊は展開先国内での訓練を開始した。

#訳注 in-country を展開先国内と訳す。

訓練と即応の相克ゆえ、訓練は小隊と班階梯が中心となった。機動訓練をすること自体が即応の低下を招く。なぜなら車両は故障し資源が消費されるからである。大隊あるいは中隊階梯機械化機動は行われなかった。砂漠の盾作戦期間の大半において補給体系はトラック車両の移動が激しかったので車両の即応コストを支えることは出来なかったのである。が、小隊と班の標準訓練演習が開発されて定期的に実行された。常時即応が要求されたので、全階梯の指揮官は戦闘即応と機動訓練のコストを常に調整せねばならなかった。

訓練は小隊と班階梯であったものの、個人訓練は続けられた。大隊は乗車地上航法コース2本と徒歩地上航法コース1本、小火器射撃場を1つ建設した。M3A1搭乗員全員が修正されたブラッドレー砲術表7の課目を遂行した。加えて大隊S2は積極的に情報訓練計画を組織化し、S2とその参謀は毎週全大隊の各中隊地域で実行した。

大隊は師団全体で行われた様々な戦力近代化計画に加わった。D/4 CavはM60A3を更新するためM1A1を配備し、M113偵察車両にMk-19自動擲弾発射器を装備した。



Ⅲ.戦争への移行

師団指揮見積もりが行われて砂漠の嵐作戦の作戦計画が作られるにつれて、遥かに大きな戦闘力を持った大隊が必要とされることが明らかとなった。よって、TF2-4Cavを創設する師団部分命令が1990年12月20日に発された。大隊は任務編成により以下の任務のための資産を与えられた。

24時間、全天候下での偵察作戦
固有の戦闘力による独立警戒作戦
常時即応する火力支援の下で本隊の前衛として作戦
どの旅団支援地域および師団支援地域へも挿入、抽出できる能力を持った維持作戦
あらゆる騎兵任務を遂行しつつ任務編成を迅速に変化させる指揮統制

その結果の任務編成を表1に示す。

表1 偵察及び警戒作戦におけるTF 2-4 Cavの任務編成

第4騎兵連隊第2大隊任務部隊
・第4騎兵連隊第2大隊A中隊(M3A1 19両 M106自走迫撃砲 3両)
・・第124軍事情報大隊B中隊地上捜索レーダー第3小隊 第1、第2チーム (直接支援)
・・第25化学(偵察-フォックス)小隊第7分隊/班 (直接支援)
・・第3工兵大隊(戦闘)A中隊第1小隊 (直接支援)

・第4騎兵D中隊(M1A1 9両 M113 6両 M106自走迫撃砲 3両)
・・第124軍事情報大隊B中隊地上捜索レーダー第3小隊 第3、第4チーム (直接支援)
・・第25化学(偵察-フォックス)小隊第7分隊/班 (直接支援)
・・第3工兵大隊(戦闘)A中隊第3小隊 (直接支援)

・第69機甲連隊第3大隊D中隊 (M1A1 14両)
・・第3工兵大隊(戦闘)A中隊第2小隊 (直接支援)

・第13砲兵大隊A中隊(MLRS) (MLRS 9両)
・・第333砲兵中隊(目標捕捉中隊)G小隊/Q37 (直接支援)
・・第197旅団本部及び本部中隊対空小隊(スティンガー)第1班~第4班
・・第3工兵大隊(戦闘)A中隊(-)(直接支援)
・・第5対空連隊第1大隊第4中隊第1小隊(スティンガー)第1班~第4班(直接支援)

・第91第5化学(煙幕)(直接支援)
5/91 CHEM (SMOKE) (DS)
・第124軍事情報大隊C中隊(直接支援)
・・第18空挺軍団第525軍事情報旅団第519大隊C中隊第2小隊第1班(電子戦)(直接支援)
1/2/C/519/525/XVIII ABN CORPS (EW) (DS)
1/3/C/519/525/XVIII ABN CORPS (EW) (DS)
第1124軍事情報大隊第13中隊第1小隊第3分隊(捕虜尋問)(直接支援)
3/1/13/124 MI (IPW) (DS)
TACP (DS)
SQUADRON TRAINS
LOGISTICS SUPPORT TEAM(LST) 724 SB (MAIN)
MAINT TEAM 224 SB (FWD)
MAINT TEAM 197 SB (FWD)

(兵員総数は1250名から1375名。車両はおよそ250両)

この新たな任務編成で目立つのは大隊が2個航空騎兵中隊と航空部隊整備中隊、言い換えるとE中隊を失ったことである。補給支援を増すため、師団長は全航空資産を航空旅団下に編合した。また、砂漠の嵐作戦で一般にみられたことだが、師団長は航空部隊を用いて機動旅団と(自身に)迅速対応部隊と即応偵察資産を供した。既に論じたように、第24歩兵師団(機械化)が騎兵大隊を独立した機動任務部隊として用いたことは明白である。新編制が施行されるに先立って長い年月、ドイツの重師団では航空中隊を戦闘航空大隊に派出しており、師団偵察大隊は完全な地上機動部隊としての運用に専心していた。実際、これらの大隊は戦車36両、TOWミサイル搭載車両18両、ドラゴン対戦車ミサイル搭載のM113偵察車両18両を擁していた。欧州のこれらの大隊は戦車大隊や機械化歩兵大隊よりも固有の戦闘力が大であった。繰り返すが、これらの大隊は騎兵任務を行う10個目の機動大隊として使われていた。

1991年1月18日、航空騎兵中隊はTF 2-4 Cavから解属されて航空旅団にTF Air Cavとして配属された。TF Aif Cavの指揮官は以前大隊の副長であったL. Clay Edwards少佐だった。この配属は戦争中続き、航空騎兵中隊は様々な多くの部隊へ特定の任務を遂行する短期間毎に作戦統制下で配された。

(#訳注 画像に付けられた説明の訳
Fort Apacheのクリスマス。小さい白い巡礼用テントは教会。クリスマスツリーをトナカイが支えているのに注目。前景に見えるタイヤは砂漠で道路を示す。しばしば営地周囲の道路やヘリ着陸帯には燃料が撒かれてパウダー状の砂表を通る車両通行による埃を押さえた。
(#訳注 続いてもう一枚、右に並んだ画像に付いている説明の訳
機動酒保(PX)。部隊はPXの運営に自前で人員を出さねばならなかった。各部隊はPXの講座を開き、兵士を差し出さねばならなかった。部隊は広い範囲に別れ別れになっていたから、PXを現地で購入した車両に乗せて移動可能にした。砂漠では野外走行能力が求められるがこれらの車両には容易くは無かった。ドアが車両の天井に縛り付けられており、運転手側のドアがダンボールで代用されているのに注目。

新たな任務部隊がFort Apacheに集結するにしたがい、大隊長はこの任務編成の変更により直ちに訓練の必要があることに気付いた。そこで、大隊はTOCEXs(戦術作戦センター演習)と呼ばれる様々な指揮統制演習を実施し始めた。これらの内部演習で大隊の指揮系統体系を大きく向上した。また、1990年12月には大隊長は任務部隊の全部隊を騎兵作戦に馴染ませるため活発に指揮官訓練計画を組織化した。この戦闘演習は任務部隊の全部隊の能力についての座学から始まった。ついで、小隊軍曹に至るまでを含める大隊の指揮官が、事前予行をとおして行い、HMMWV(高機動多目的装輪車両)に搭乗しての野外訓練演習を終えた。最後に、大隊は各指揮官がそれぞれの戦闘車両に搭乗しての2日間の搭乗野外訓練演習を行った。この1週間の訓練で、確立された標準戦術、戦技、手続きを実行できる能力があるという自信を大隊は膨らませた。


IV. 戦闘に向けての組織

TF 2-4 Cavの任務編成は例外的であったのでFM17-95 騎兵作戦に記述されている戦術、戦技、手続きの修正が必要だった。大隊は前方戦術指揮所(TAC CP)、主指揮所或いは戦術作戦センター、後方指揮所としても使われる管理及び補給作戦センター(ALOC)に組織されていた。ALOCは同行の戦闘縦列と通常は旅団支援地域(BSA)に位置する野外縦列のうち大隊の作戦域に最も近いものとを統制した。

TAC Cpは2両のM3A1と航空連絡将校に属する1両のM113A2からなっていた。TAC CPを担当する将校は作戦将校(S3)だった。大隊長(SCO)はTAC Cpで戦闘し、必要に応じてTOCに戻った。大隊長は航空連絡将校とともにTAC Cpに配されたM113A2に乗っていた。この車両はUHF、VHF(あらゆる型の航空機と交信出来る)を含む無線機が複数あり、大隊長にもっとも効率的な機動通信能力を与えた。また、大隊長がM3A1よりもM113A2を指揮統制車両として好んだのは、主として乗員室の大きさによる。S3はM3A1で活動し、残る1両のM3A1は主として他2両の警護車両を勤めた。TAC CPは前方に位置し、大抵先頭中隊とともに運動するが見かけられた。

TOCは5両のM577(指揮所車両)と様々な装輪車両からなっていた。M577は、それぞれS2、S3、火力支援将校、工兵、通信(RATT(無線およびテレタイプ)装備)用だった。TOC担当将校は大隊副長(SXO)で、担当下士官は作戦曹長だった。TOCで働いていた将校はS2、作戦班の戦闘司令(battle captain)2名、火力支援将校、飛行作戦将校、工兵中隊副長、通信将校だった。TOCの全将校と兵はSXOと曹長の直接下で働いた。TOCの責任は現行作戦の統制、将来の作戦の計画、計画と命令の送達、役務支援調整、あらゆる上位および側翼部隊との調整であった。距離があったので、SCO(大隊長)が大隊の上位司令部と戦闘作戦遂行中に交信できることは稀だった。よって、TOCに位置する戦術衛星無線(TACSAT)が最も信頼できる師団と旅団への連絡となり、SXO(大隊副長)が定期的にTACSAT、TACSATは機動性が無かった、を用いて通信や命令を受け取って中継した。到達範囲にいるときは、FM(周波数変調)無線も通信に用いた。そしてTOCの移動中はFMが唯一の通信手段だった。TOC(戦術作戦センター)はSXOの統制下で傘下部隊と上位部隊との通信を絶やさぬよう独立して運動した。そのため、TOCの位置は総じて作戦区域の中央だったが、戦闘部隊は同位置になかった。ゆえに、TOCは自身で警護を担った。

(#訳注 画像説明)
指揮群のM113A2。このM113A2は航空連絡将校の班に支給された。任務部隊指揮官はこの車両で戦闘を指揮した。というのも、無線が追加されており、乗員室は任務部隊の指揮ができる広さだったからだ。同車には航空機と交信できるUHF無線と信頼性がより高いGPSがあった。指揮官の騎兵戦闘車両はJames Gill二等軍曹が指揮し、指揮M113と作戦将校の騎兵戦闘車両の警護をした。James Gill二等軍曹はいかなる航法手段も無しに砂漠で航法する
能力が非常に高かった。彼の車両は任務部隊がイラクへ入る前の晩に故障した。自分でGillは200km以上を航法して任務部隊に合流した。これらの3両で指揮群は成り立っていた。

戦闘縦列はALOC(管理及び補給作戦センター)、支援小隊と小さなS1/S4班から成っていた。整備兵は部隊整備収容点(UMCP)の配置につき、大隊整備小隊の多くは大隊整備将校の統制下だった。S4が戦闘縦列を担当し、その任務は教義の内容に沿ったものだったが、任務部隊の戦務支援組織全体が任務部隊の様々な面を反映している点が異なっていた。戦闘縦列には第724主支援大隊の補給支援チーム、第197と第224前方支援大隊の整備支援チームが含まれていた。中隊の補給資産は先任軍曹が統制し中隊戦闘縦列とともに前方に位置した。

この大きな任務部隊が形成される際、師団長は任務部隊指揮官を助けるのに副指揮官(DCO)が必要だと気付いた。その結果、1990年クリスマスに3-69 機甲の前副長だったLouis Gelling Jr.少佐が新たにDCOとなった。戦闘作戦中、DCOは主として任務部隊の補給支援の責任を負って、主にALOCで活動した。必要に応じてDCOはTOCやさらにTAC Cpにゆき、任務部隊の指揮を引き継いだ。副指揮官が前方に到着するまでの間は副長が指揮を受け継いでいた。

(#画像説明の訳)
偵察及び警戒段階におけるTF 2-4 Cavの主指揮所TOC。
左から右へ、それぞれ工兵用、火力支援用、作戦用、情報用のM577指揮所車両。一番右のM577の隣のTACSAT(戦術衛星)無線のアンテナに注目。アンテナは作動するには衛星に向ける必要があった。TACSAT無線は機動性が無かった。任務部隊は師団で5個のみのうち1つを持っていた。偵察及び警戒段階における第124軍事情報大隊C中隊の電子情報傍受器に注意。

注記: 主指揮所の構成はSUPER HOT、HOT、COLDの3種類があった。SUPER HOTはTACSAT無線に機動性がなかったために、通信を確立するための短時間の停止用である。HOTはより長時間の停止で用いられ、戦争中重用された。COLDは長期にわたる静的作戦で用いられた。この図の構成はCOLD TOCである。
TF 2-4 Cavの主指揮所、夜間作戦を可能とし要員を風雨から守る延長部が特徴的な構成。車両の2色迷彩に注目。この迷彩は展開前から全ての騎兵車両に使われていた。というのもこれは大隊がフォートスチュアートにいたとき対抗部隊に属する車両であることを示している。また右のVの字はVictory師団(#訳注 第24歩兵師団)の全車両に描かれていた。逆のVは連合軍の全車両に描かれていた。
(#画像説明の訳終わり)

大隊整備将校は部隊整備収容点の責任を負った。大隊整備将校は部隊整備収容点を確立し、位置を報告し、整備資材を使用可能に管理し、前方部隊に対して迅速に対応できる整備支援を維持できるよう移動した。部隊整備収容点確立の標準は以下の通り。
部内の回収資材で損傷車両を牽引する。全回収資材が装備を牽引する状態になり、そこでさらに車両が故障したら、全ての牽引されていた車両を切り離して上級整備将校か現場の下士官の統制下に部隊整備収容点を確立する。回収資材は全て前進し続けて本隊に追及し、故障車両を拾う。部隊整備収容点の車両が作戦可能となったら、全部が集団となって前進し、部隊に復帰するか他の部隊整備収容点と編合する。砂漠の嵐作戦中、5つの部隊整備収容点が設立された。この方式は修理された装備が可能な限り早く部隊へ復帰できるため大変に対応性があった。

本部及び本部中隊長は野外縦列を担当し、砂漠の嵐作戦中の大半は第224前方支援大隊に位置した。第224前方支援大隊は第2旅団を直接支援していた。本部及び本部中隊長の主な責任は旅団支援地域に戻った補給資材を推進することだった。簡潔に言うと、戦務支援資材の戦闘縦列と旅団支援地域や師団支援地域(DSA)との間の運動を調整していた。また本部及び本部中隊長は戦闘縦列に戻る補給車列を組織し指揮統制をした。野外縦列は大隊の作戦地域への近さに応じてどの旅団支援地域や師団支援地域からでも支援を受ける権限を与えられていた。

V.戦時のTF 2-4 CAV

(#訳注 画像説明の訳)
師団がTapline Roadで曲がる地点を逃さないようこの掲示が立てられた。攻撃陣地へのTapline Road上の路上行軍は永遠に続くかのように思われた。ジョージア州Hinesvilleは第24歩兵師団(機械化)の原屯地である。このころまでには部隊全員がHinesvilleへの道はイラクを通り抜けねばならないことが分かっていた。

TF 2-4 Cavの戦争叙事詩は1991年1月16日に始まる。この日の0300に任務部隊TOC(戦術作戦センター)はCENTCOM総司令官H. Norman Schwarzkopf大将から戦争の開始を告げる通知を受け取っていた。航空機が頭上をイラクへの航空攻撃第一撃のため音をあげて飛び過ぎ、TF 2-4 Cavの兵士らはサウジアラビアのJeladyのすぐ北にあった行軍地域Victoryで、500km以上も離れたサウジアラビアのNisabからおよそ50kmにある陣地へ運んでくれる重装備運搬車(HET)やトレーラートラックを待っていた。

1991年1月22日、攻撃前陣地への運搬を待っている最中だったが、大隊長が医療後送されて、Gelling少佐が任務部隊の指揮を引き継いだ。1月23日0330に任務部隊はHETへの積み込みを開始し、Tapline道路を通って北西へ500kmの移動に備えた。

(#訳注 画像説明訳)
Louis Gelling Jr.少佐はサウジアラビアのNisab付近での警戒帯の占領中任務部隊の指揮をとった。

1月24日2000に、任務部隊はサウジアラビア=イラク国境沿いに警戒帯を占領するため進発した。1991年1月25日、任務部隊は17本の車列で新たな集結地域に入った。Tapline道路は基本的に作業道路で幅員は15フィートから20フィート。アラビアアメリカ石油会社(#訳注 アラムコ サウジの国営石油会社)のパイプラインの作業に用いられている。作戦中、連合軍の大半の支援にこの作業道路が用いられた。極度に激しい交通であり、事故が定期的に起きていた。装軌車両の全乗員は自車に搭乗してHET上で運ばれた。HETは地元民が運転していたので、車列統制は困難であり、出発時と同じ編成で到着することは稀だった。さらに状況を悪化させたのは天候であり、雨天で寒かった。作戦の保全上の理由から、移動は大半が夜間に行われた。到着すると直ちに任務部隊はサウジアラビア=イラク国境沿いに陣地占領へと進発した。

警戒帯は幅員70km縦深10kmだった。任務部隊の任務は次の通り。
警戒帯から敵部隊を掃討する
師団の本隊が集合地域、そして後には攻撃陣地を占領する間防御する
警戒帯で地域偵察を行い、国境における全ての地形を識別し、国境沿いに走る堤を含む特徴的地形を分析することで攻撃の計画を助ける
昼間作戦を限定することで師団の蓄積を隠蔽する

とりわけ、部隊の防御が師団長が任務部隊に与えた重要な任務であった。

前方集合地域に到着すると、任務部隊は迅速に戦区へ展開し警戒帯を掃討した(地図1参照)。当初、警戒帯はサウジアラビア=イラク国境沿いの10km縦深として設定されていたが、越境しての戦闘情報が必要となり、国境のイラク側の10km縦深も含むよう拡張された。敵部隊は発見されず、任務部隊は何事も無く戦区を占領した。

1991年1月29日、Thomas J. Leney中佐がTF 2-4 Cavの指揮を引き継いだ。Leney中佐は1991年春に大隊の指揮を執るよう予定されていた。が、直ちにTF 2-4 Cavの指揮を執る必要があったので、陸軍総参謀長は1月24日にワシントンを出立し南西アジアに向かうよう指示した。

1月29日から2月3日にかけて、大隊参謀は再編された。師団G3班からJoseph C. Barto III少佐(#訳注 原文筆者)が大隊副長を引き継ぎ、S3補佐のPeter Utley大尉が作戦将校(S3)となった。師団S2班からKarl Buchanan大尉が到着して情報将校(S2)を引き継いだ。師団戦術指揮所の戦闘指揮(battle captain)Rans Black大尉が戦闘指揮となり、機甲将校上級課程(Armor Officer Advanced Course)から直接Jeffrey Bierl大尉がもう一人の戦闘指揮となった。戦闘参謀内での最後の大きな変化は1991年2月20日にあり、24Cavの古参兵であるBernard Cabrerra曹長(P)が作戦上級曹長の任務を引き継ぐため、長い困難な旅を終えて到着した。これらの要員の変更は大隊が師団のために警戒作戦を遂行している間に行われた。新大隊長と新参謀将校らにとって、まさに戦火の洗礼であったが、彼らは真の騎兵の流儀、備えと忠誠 で応じた。

地図1. 第一段階:偵察及び警戒作戦

2月1日午前0730頃だった。私は長い12時間の主指揮所でのシフトが終わり、次のシフトに備えて起きたばかりだった。班の無線要員の一人が前掛を開けて、「師団長がすぐに会いたいそうです」と言った。呼ばれるのは初めてでは無かったし、大抵は私の調子をみるためでもなかった。G3班の仕事は”無欠点”が求められる仕事であり、全てが完璧であるのが水準であり、何かがよくないと「作戦」とすぐにも声が発せられるのだった。よって、私は自分の仕事振り、班の仕事振りを、やや怒りっぽい上級将校との一方的会話をしてからどれくらい経っているかで計っていた。何がよくないのだろうと思いつつ素早く服をととのえた。主指揮所につくと、G3が握手してくれ、私が知らぬことを知っているかのように全員が私を見ていた。丁度その時、McCaffrey少将がバンからでてきて、主指揮所と同じとこにあった彼の寝台用バンに私を連れて行った。 私は内心で目まぐるしくまどっていた。何が次に起こるのか見当が付かなかった。彼は私の肩に手を置いて言った、「君を任命する、明日から君は騎兵大隊の副長だ」(#訳注 原文the Cai Holy Jesus! Cavalry Horseをさしている?)私は完全に不意を突かれた。気持ちがぐるぐる動いた。この年季入りの戦士は私の驚愕に気付いた。まるで胸を野球バットで殴られたようなものだった。この頃には我々が戦うのは分かっていたがいつであるかは知らなかった。家族のことを思い、使える電話は無かったから妻には話せそうに無かった。比較的安全な主指揮所から騎兵へ、そして最初にイラクに入る部隊の一員となるのは師団の最も若い将校の一人にとっては大した変化だった。次に私が指揮することになる兵士のことを考えた。私は彼らにふさわしいだろうか?私は騎兵のことは分かっていた。というのもドイツで第3機甲師団の騎兵中隊を指揮したことがあったからである。とはいえ、それは5年前のことだった。McCaffreyは暫く時間をかけて私への信頼を伝えてくれ、大隊長がまっさらの新任であるから、師団とその指揮を知る者がこの職ににつくのを彼は求めていた。また、彼は、私は任務部隊のTOC(戦術作戦センター)を切り盛りするのに適していると告げた。私は彼に断わるつもりはありませんといい、直ちにテントに戻り妻に手紙を書き、バッグに荷物を詰めた。

(#訳注 画像説明の訳)
イラク=サウジアラビア国境沿いでのTF 2-4 Cavの指揮交代式。師団長Barry R. McCaffrey少将が主宰し、Louis Gelling Jr.少佐(Major(P))が部隊の指揮官をした。

その後24時間の間、私の心を行き来した思いを全て思い出すことはできないが、分かってたことは次の日から、私が正しくやれることに懸かっている兵士を持つということだった。私はそのわずかな時間の大部分を日を過ごすための力と不屈の精神を求めて祈った。

その夜、私の最後の主指揮所での2000の状況報告で、集っていた者、私が多くの経験をともにしてきた者に、兵を戦闘で率いるため成人後の人生の大半を過ごしてきたのだと話した。さて、私の職業上そして個人としての勇気と能力の全てを呼び集めて行うときがきたのであった。次の朝(2月2日)0630に、Greg Stone少佐が私のテントに到着した。そして私は騎兵のところへ向かった。この日は妻の誕生日だった。

任務部隊TOCに到着すると、指揮官参謀会合が行われている最中だった。部屋を見渡すと見覚えのある顔は多くは無かった。彼らにとって、私は過去1月かそこいらから続いている大隊の指揮層がまた一人変わったということだった。戦争が終わった後に、下級将校の幾人かが私に言ったところでは、彼らにとっては奇妙な時期だったとのことだった。彼らの間ではTOCには行かないほうが良い、というのは戻って来れなくなるからという冗談があったという。5人の将校、大隊長もこのうちに入っていたが、3人の参謀将校、1人の小隊長にとってはこれは真実だった。

私はそれまで新大隊長にあったことはなかったし、彼は指揮について丁度4日間だった。幸いに、私は師団にいたときに新士官を沢山みていた。副大隊長(DCO)Lou Gellings少佐と私は彼が師団主指揮所の副G1だったころから互いに知っていた。新S2、Karl “Buck” Buchanan大尉とRans Black大尉は私が師団主指揮所にいたころからの馴染みだった。また、私のG3作戦班での任務のおかげで、私は任務部隊TOC(戦術作戦センター)の多くの者と無線や電話でこれまでの6月間定期的に話していた。年季の入った砂漠の部隊員らに最初から受け入れられたのには幾つか理由があったと思う。第一に、Greg Stone少佐が最初の日に私を要員に紹介して現在の作戦と作戦手順について説明してくれたこと。第二に、Gelling少佐の任務部隊の指揮環境についての機微に通じた評価で手早く私の面している課題が明らかとなったこと。第三に、私のこれまでの任務により、”大きな構図”について正確な見通しを持っていたこと。この見通しは皆に重宝された。

指揮官参謀会合に直ちに続いて、大隊長(SCO)は指揮官一同と会って明確に、役割、責任、指揮系統を定めた。Gelling少佐は指揮の次席となり任務部隊の補給作戦の責任を負った。S1、S4、大隊整備将校、衛生小隊長、軍医、従軍牧師がGelling少佐の直接下で働く。私はTOCを担当し、S2、火力支援将校、航空連絡将校、飛行作戦将校、戦闘指揮(battle captain)が私の直接下で働く。とりわけ、私は現在の作戦の統制と将来の作戦の計画を任された。それで、計画については、S3も私の権限内で活動することになった。

翌朝、2月3日、私はStone少佐を乗せて師団主指揮所へと運転した。彼はG3班での私のこれまでの任務を引き継ぐのだった。任務部隊に戻る途中で、私は二人の新たに交代してきた士官を拾った。Jeff Bierl大尉とWayne White少尉であった。両名とも本国から到着したばかりで、JeffはTOCで戦闘指揮のうちの一人に、Wayneは衛生小隊長となることになっていた。私はすでに大隊で最も新参の将校ではなくなったわけである。視界をくらませる砂嵐のため、TOCへの帰路は通常1時間かかるところ、3時間以上もかかった。コンパスと走行距離計のみを用いて無視界状況で航法する困難さを経験したのはこれが初めてだった。大変に正確とはいえなかった。砂漠での初の旅の道程の大半でうまくいったのは途中の部隊で止まっては座標を聞いたからだった。この座標を使って新たな方位と方向を地図に書き込んでは出発したのだった。

1991年のサウジアラビアの冬は降水量が最も多かった一つだった。壕は水で一杯になり、砂漠で雨が降るとどのように生活環境がなるのかを見せつけた。舗装道路は大半が石油系素材だったから、雨に濡れると氷よりも滑りやすかった。Tapline道路もそのような舗装だった。

時間が過ぎ行くにつれて、私の自信は深まった。師団での以前の経験から私はTOCで現在の作戦を切り盛りする方法は分かっていた。指揮幕僚大学での最近の訓練で、指揮見積もり課程を用いて作戦を計画する能力に自信がついた。これらと、”大きな構図”についての知識があいまって、適切に入ってゆき貢献する土台となった。とはいえ、まずは私はTOC(戦術作戦センター)の兵士に私が期待することを伝える必要があった。

その日の午後、私はTOCの全員を集めて、TOCでの運用基準を確立し始めた。まず、私はTOCの役割は任務部隊の作戦を統制することであると説明した。統制はTOCの正確で適切な情報を収集する能力により、指揮官が情報を得た上での判断を下すことに基づいている。そこで、TOCは常に全傘下部隊、任務部隊周囲の友軍、上位本部との通信を保たねばならない。機能するTOCとは沢山の情報を明確な戦場の状況へとまとめてこの状況を指揮官が判断するよう知らせることができねばならない。そして、一たび決断が下されたらば、TOCは計画を調整し、発展させ、遂行して、戦場にある全システムが、戦場の決定点と決定機へと向かうようにする。最後にこれらの情報全てを用いて、将来の作戦を予期し準備する。我々の課題はあたう限り最も正確な戦場の状況を描くことである。TOCでの正確さとは”TOC時間”を実時間に対して減少させることである。

(#訳注 画像説明の訳)
砂漠での散髪日。切れ味の良い鋏があれば、”腕の良い”床屋は一時間で20人の髪を切れた。

TOC要員から情報を受け取ったあと、私は直ちに12時間シフトを2つ組み、各シフトに戦闘指揮と運用下士官をそれぞれ1名ずつ配した。私が強調したことは、TOCの全員が情報収集するが、状況図の前に立って絶えず状況を評価して指揮官に報告する戦闘指揮(battle captain)に伝えられて初めて情報が役立つということであった。S2、火力支援将校、飛行作戦将校、S3上級曹長、そして私はどちらのシフトにも入らず常に行動がとれるようにしておく。また、この集団は、S3とともに計画集団の中心となる。TOCの責任は現在の作戦を見守ること、これは戦闘指揮の主要な任務である、と同時に将来の作戦を計画することである。この組織変更とともに、手早く訓練座学をし、士気高揚の話をしてTOC要員は仕事に戻った。戦闘の最中にあっても、TOC要員は毎日訓練を行った。訓練の中には、”早撃ち”つまり化学戦訓練や地図盤の更新や正確に状況報告を受けるための適切な技術などもあった。また、より大掛かりな訓練もした。例えば、ある日は、任務部隊の統制を戦術指揮所に移してTOCの移動技術と様々なTOCの構成を訓練した。訓練は戦闘の中でも続けねばならない、というのは作戦手順の欠点を正す唯一の方法だからである。

(#訳注 画像説明)
野外に設置されたシャワー。個人衛生は砂漠では常に問題だった。補給と距離の関係で洗濯はとりわけ困難な問題であった。戦闘作戦中は、洗濯と個人衛生は重要な士気事項である。師団の規則では各兵士は毎朝、個人衛生用にポット一杯の湯を受け取ることになっていた。
任務部隊TOC(戦術作戦センター)に到着して驚いたのは生活環境が酷いことだった。屋根の下で眠れる場所が全員分なかった。この地域の天気は寒く、兵士は地面の上か車両の中で寝ていた。簡易ベッドは全てFort Apacheに置いて来たが、大抵の兵士はサウジ製の発砲スチロールをマットとして使っていた。多くの場合、おなじみの明るい色をしたマットだけが兵士と地面の間にあるだけだった。戦闘に備えて、任務部隊はFort Apacheを出発する前に”身軽”になっていた。例えば、私の運転手が持っていたのは、砂漠迷彩制服1着、替えの下着と靴下3組、個人衛生用具、そして寝袋を詰めたリュックサックのみだった。任務部隊全員が、そしてこの点については師団全体が、化学防護服を着ていた。師団は1月16日の敵対行動開始後から任務志向防御態勢(MOPP)第1レベルに入り、戦争が終わり、サウジアラビアに戻るまで、8週間を超える間、ずっと化学防護服を着ていた。この服は個人衛生には便利ではなかった。綺麗な手で活性炭が縁となっている袖(charcoal-lined sleeve)を擦ると黒くなった。それでもなお、指揮系統全体で個人衛生を強調し、毎日のように行われた。

任務部隊TOCは補給を毎日受けた。補給は通常食料、燃料、郵便、その他一般物資と水であった。食料はMREで2日おきに1回温食があった。家からの小包はMREを補うのに大変喜ばれた。

VI.偵察及び警戒任務

当初は、師団G2が師団の偵察及び警戒作戦の計画と遂行を担っていた。しかし、2月3日に師団長は師団の偵察及び警戒作戦の全責任をTF 2-4 Cavへ師団長補(機動担当)James T. Scott准将の直接監督下で任せた。よって2月3日から2月20日まで、つまりGデイの数日前まで、任務部隊が警戒帯内の全部隊と作戦を統制した。任務部隊の戦闘参謀はたちどころに計画を作成し直ちに実行し始めた。

偵察及び警戒計画の最も重要な任務は二つあった。部隊を保全することと、将来の作戦を支援するため国境地帯における物理的環境と敵状況を正確に詳らかにすることである。

(#訳注 画像説明の訳)
S2のKarl Buchanan大尉が毎日の偵察及び警戒説明で報告した。左は任務部隊の計画地図。この説明用テントはTOC(戦術作戦センター)の隣。

70km×10kmの地帯を最大限覆うために、任務部隊にはさらに部隊が追加された。任務部隊がすぐさま気付いたことは攻勢が開始する前は、師団全体の焦点が警戒帯における作戦にあるということだった。そこで、警戒帯ではどんな師団資産でも使用することができた。しまにには、機動旅団の全偵察小隊が期間は様々だったが任務部隊に配されるに至った。加えて、1個航空騎兵中隊が任務部隊TOCと同位置にいて、昼間作戦で用いられた。夜間には、OH-58D が2機TOCにおり、1個AH-64アパッチ中隊が待機していた。OH-58DとAH-64ヘリには、航空騎兵に配置されていたOH-58CとAH-1にはない夜間作戦能力があった。また、AH-64には精密レーザー照射能力があり、国境の向こうの情報を得たり、確認することができた。国境付近で部隊が偵察する際には、任務部隊に民間のランドクルーザー6両が配された。これらの資材全てが国境沿いの物理的地形の特徴を識別し確認するために用いられた。任務部隊では全情報を少なくとも二つの別々の源から確かめる方針をとっていた。複数の確認をとる理由は地形の位置を確認するのは困難だったからである。国境の形と地帯の特徴を確かめるのは絶え間ない苦労だった。

(#訳注 画像説明の訳)
偵察および警戒段階では、任務部隊には1個航空騎兵中隊とOH-58Dが2機、任務部隊と連携した。これらの資産は作戦構想に統合されて、地上部隊と連携して情報収集任務を割り当てられた。航空騎兵が昼間に、OH-58Dが夜間活動した。AH-64は要請に備えた。航空資産は活動している戦区の地上指揮官に常に差し出された。しばしば、天候の状況ゆえに飛行ができなかった。

1991年2月3日2400頃に大隊長が師団主指揮所から戻ってただちに私を呼んだ。TOCで大隊長は師団長が我々に師団の偵察及び警戒任務の責任を与えたことを告げた。彼は指揮官の指導を私に与えて、翌日1000に師団長補(機動担当)のTerry Scott准将に計画を説明することになっていると伝えた。任務部隊に二日前に到着して以来、4時間ほどしかねていなかったが、かくて、さらに重圧が増したのであった。私は戦闘参謀を呼び集めて仕事を始めた。この期間に、戦闘参謀とTOC全体が有能な戦闘チームへと形作られていった。我々は計画を作成して遂行を24時間以内に始めねばならなかった。我々は夜通し働き、大隊長から最終修正を0900に受けた。師団長補(機動担当)は計画を若干の修正をして承認し、同日の1500に師団長に説明することになっていると伝えた。手短に休息をとってMREのあと、我々は師団長に説明し、彼も少々の修正で承認した。1630に、命令が任務部隊に説明され、我々は遂行を開始した。偵察及び警戒計画作成にこのような極度の時間制約のもとで成功したことでTOCの全員に自信がついた。そして、TOCの士気が高まっているのが感じ取れた。いまや我々はこなしていけることが分かったのである。計画群は遂行のため戦闘指揮に命令を渡して、任務部隊のイラクへの攻撃の計画作成へ計画者はとりかかった。

日々はあるていど定型的になった。休息が不可欠だった。大隊長と私はTOCにいないとしても常にTOCの近くにいた。完全に引き継ぎが行われるよう、私は1200と2400のシフト交代には常に立ち会った。12時間のうちには沢山のことが起きるので、次のシフトが完全に説明されるのが欠かせなかった。配されている人員が全員シフト交代時に揃うのでシフト交代を訓練を行い、指示をする場にも使った。肉体的にも精神的にも休息は不可欠だった。夜は3,4時間睡眠し、午後には短めの昼寝をするよう心がけた。加えて、一日20分間、音楽を聞いたり、手紙を書いたり、小説を読んだりすることで明確に思考し、情報を理解し、簡明に意思伝達し、決断を下す知的能力が大幅に向上した。

任務部隊のこれまでの指揮層は攻撃計画については既に大きく仕事を進めていたが、大隊長も私も作成には関与していなかったので、再び指揮官見積もり過程から始めた。計画の検討は完全な再検討となる必要は無かった。というのもPete Utley大尉がS3補としてその大半を書いたからである。いまや彼はS3として、我々が見ていくうえで助けとなる知識を伝えてくれた。が、計画は絶えず師団階梯で見直されていたので、任務部隊内でも絶えまなく再検討されることになった。

私が思うに、この最初の日々で新たな指揮官と、彼よりもさらに新任の副長との間に信頼と自信の絆が気付かれたのだった。最初の2つの説明が成功したのち、大隊長は私とTOC要員をほぼ全面的に信頼して偵察及び警戒任務の計画と遂行を任せてくれた。彼は自分で部隊へ出かけてゆき任務部隊の訓練の程度と士気を調べねばならないと気付いていた。Leney中佐は大隊の指揮にあらかじめ選ばれていたが、このようにほとんど知らせもなく、困難な状況下で突破口に送り込まれて驚いていた。すぐに部隊のところにいき、彼らを眼に科駆ればならないと分かっていた。そこで、2月5日から11日にかけて、彼は小隊から小隊へと訪問し、兵士とともに過ごすのに時間の大半を使った。また、偵察および警戒計画の支援で行われる様々な任務についての小隊長の作戦命令と事前予行を自身で閲し、しばしば留まって作戦の遂行を閲した。これらの訪問は大変意義があり、大隊長と任務部隊の自信が深まるのが見て取れた。

2月4日からは、日例師団偵察及び警戒会合がTF 2-4 CavのTOC(戦術作戦センター)で開かれるようになった。主宰は師団長補(機動担当)で、航空旅団、第1旅団、第2旅団、第197旅団、師団G2とG3、第124軍事情報大隊の代表が出席した。会合の議題は表2の通り。

表2. 偵察及び警戒会合の議題

(#訳注 議題 報告者の順に訳す)
過去24時間の作戦要約 S3
過去24時間に獲得した戦闘情報 S2
全使用可能な情報の検討と優先情報要請の更新 S2
これからの24時間の作戦について最終作戦命令を検討、推敲、送達 S3/部隊
24時間先から72時間先までの期間に遂行すべき任務についての勧奨 S3
24時間先から72時間先までの期間における情報目標指定 S3/部隊
指導および将来の作戦についての承認 師団長補(機動担当)

偵察及び警戒任務が成功するには、全活動は優先情報要請の一つに焦点をあわせる必要があった。任務が優先情報要請に関係しない場合、大抵師団長補(機動担当)は承認しなかった。

警戒帯でのあらゆる作戦はTF 2-4 Cavの統制下で遂行された。事前にTF 2-4 Cavとの調整がない場合10km縦深の警戒帯にはいかなる部隊も入れず、その期間に承認されている偵察および警戒作戦に関係する場合にのみ入れるのだった。航空旅団のOH-58DとAH-64は主として夜間作戦に用いられ、航空騎兵中隊は昼間作戦に用いられた。いうまでもなく、この期間中、TF 2-4 CavのTOC(戦術作戦センター)には静かなときは稀だった。任務部隊指揮官の意図は、広い正面で同時に作戦を調整することは困難であり、誤射が懸念されたので一度に一つ以上の任務を遂行しないというものだった。それでも、獲得せねばならぬ情報は多かったから、偵察及び警戒任務は途切れることなく遂行された。また、全師団地域は絶えずそして定期的に乗車や降車観測点により観察されていた。

偵察及び警戒計画の遂行において、大隊は任務を次の順序で調整し遂行した。
警戒帯で敵部隊を掃討。敵との接触は無かった。
国境地帯におけるイラク側の行動を観測し分類。
国境の地理的特徴を分類。
イラクの偵察資産を破壊するため限定的な戦闘作戦を遂行し、敵が師団の情報を獲得するのを阻害する。
偵察および警戒作戦を目立たぬように行うことで師団作戦が露になるのを用心する

偵察及び警戒任務は確立された教義に基づいて遂行され、TF 2-4 Cavはイラク側の探知から部隊を防護し、師団の初撃が成功するのを確実にするに必要な戦闘情報を全て獲得した。作戦中、任務部隊はおよそ10回、別々の機会に敵パトロールを観測した。が、敵を直射することはなかった。2月11日、A中隊が初の越境作戦を徒歩地域偵察で行った。よって、師団で最初にイラクに入った部隊という栄誉を得ている。

(#訳注 画像説明の訳)
(#左の画像)騎兵の厩集結地域。
(#右の画像)厩地域は騎兵が”乗馬”を世話するところである。

1991年2月14日、任務部隊はベドウィンの大家族とその羊の群れが国境を渡るのを手助けした。この家族はイラク内を数週間に渡って旅してきており、国境を超えて比較的安全なサウジアラビアへ行こうと必死に試みていた。この家族によると、食料の欠乏、敵対的なイラク人、航空攻撃により、イラク南部はあまり友好的なところでなかった。地方の情報がこの家族に話したところによると、Nisab付近にはイラク兵はいないということだったのでこの家族は任務部隊の戦区で越えようとしたのだった。これまでに東の方の別なところではイラク陸軍部隊がこの家族を追い返していた。家族によるとここ数日間、イラク軍を見かけなかったとの事だった。これはますます正確となっていく情報図を裏付けていた。我々が観測した唯一のイラク部隊は軽装輪車両に搭乗した不定期の国境警備パトロールのみだった。大変に予想しやすいソヴィエト型の敵戦闘序列に慣れている、よく訓練された米部隊としては敵の存在がないため切歯扼腕していた。戦闘参謀が攻勢を計画するにあたっては、最も漠然としていて頼りにならぬ情報すら用いてイラク側の戦闘序列計画の全体を抽出していた。米側の戦闘作戦計画はS2の車両にあった本のうちの一冊にあった敵状況から始められた。イラク側が姿を見せなかったので、戦闘参謀はこれを作り上げ、ほとんどありえそうもない事態に備えて貴重な計画時間を多く浪費してしまった。

(#訳注 画像説明の訳)
騎兵の厩で最も人気があったのはシャワーだった。水は冷たかったが量は十分だった。右手にみえる5000ガロン水タンカーから供給されていたからである。

偵察及び警戒任務は持続的性格なので、任務部隊の兵らは任務を成功裡に達成するに必要な準備状態を常に維持することは人間的に不可能だった。そこで、任務部隊は騎兵厩集結地域を設けて、小隊が大隊偵察小隊に交代して、遮蔽線から下がり、24時間休息し再編する機会を与えた。基本的には、小隊が騎兵厩に入ると、大隊整備班が整備作業を行い、車両から装備が下ろされて、搭載計画に従い積み込まれ、温食が給仕され、シャワーが設置され、礼拝が行われて、疲れた兵らが一晩丸々眠れるよう天幕が与えられた。Jean L. Soucy大隊先任曹長が直々に騎兵厩を監督し、ほぼ全員に全体に対して、あるいは個人的に話をし、士気を確かめた。Gデイ(地上戦が開始される日)が近づくにつれて不安が高まっていた。この騎兵厩により任務部隊の戦闘態勢には多大な益があった。

(#訳注 画像説明の訳)
Jean L. Soucy先任曹長(右側)は騎兵厩を担っていた。この日訪れたのはJames D. Randolph。Soucy先任曹長の騎兵厩の中の場所は自然と部隊員をひきつけた。彼には常に暖かいコーヒーがあり、励まして、相談に乗ってくれた。任務部隊にわずかな戦闘経験者であり、彼は兵のみならず士官からも助言を求められた。

1991年2月19日、”Buck” Buchanan大尉と私は師団主指揮所で最後の偵察および警戒報告をした。翌日には警戒帯の担任は機動旅団に移るので、我々は師団長と旅団長全員に説明するよう呼ばれたのだった。説明では2月3日以来の警戒帯での全活動をまとめた。引継ぎ説明はうまくゆき、私は将軍にG3時代からしてきた説明全てを思い起こしていた。師団長はこの複雑で困難な任務遂行における大隊の仕事を大変に喜んだ。説明を締めて、我々は達成したことを大変誇りに思った。TOC(戦術作戦センター)の全員が、師団主指揮所の食堂から解放してきたソーダとキャンディで成功を祝った。翌日、我々はイラクへの攻撃の準備に焦点をあわせた。

VII.攻撃の準備

1991年2月20日、TF 2-4 Cavは偵察及び警戒任務を解かれ、戦術集合地域Quarterに後退し攻勢戦闘作戦の準備をするよう命じられた。3個機動旅団が前進し、それぞれの戦区の警戒帯の統制を引き継いだ。

警戒任務を解かれて、TF 2-4 Cavは第2旅団に配属された。第124軍事情報大隊C中隊(C/124 MI)は任務部隊から解属されて直接第2旅団に配属された。さらにD/4 Cav(第4騎兵D中隊)も解属され、初動攻撃においては第197旅団に配属された。D/4 Cavは段階線Lion確保後に任務部隊の統制下に復帰することになっていた。D/4 Cav支援のため、任務部隊はD/4 Cavの通常の補給支援部隊となる”軽縦列”を編成し、副官Dave Anderson大尉の統制下に第197旅団へD/4 Cavとともに送った。これらの結果の任務編成は表3の通り。

表3. TF 2-4 Cavの戦闘作戦へ向けての任務編成

TF 2-4 CAV
第4騎兵連隊第2大隊A中隊 (M3A1 19両; M106自走107mm迫撃砲3両)
・1-2/3/GSR/B/124 MI (DS)
・第3工兵大隊(戦闘)A中隊第1小隊(直接支援)

第69機甲連隊第3大隊D中隊 (M1A1 14両)
・A/13 FA (MLRS) (9 LAUNCHERS)
・Q37/G/333 FA (TAB) (DS)
・1-4/ADA/HHC/197 BDE (STINGER) (DS)
・第3工兵大隊(戦闘)A中隊第2小隊(直接支援)

第3工兵大隊(戦闘)A中隊(-)(直接支援)
1-3/1/4B/1-5 ADA (STINGER) (DS)
1-4/2/48/1-5 ADA (STINGER) (DS)

SEC/7/25 CHEM (RECON-F) (DS)
戦術航空統制班 (直接支援)
大隊縦列(-)
LOGISTICS SUPPORT TEAM(LST) 724 SB (MAIN)
MAINT TEAM 224 SB (FWD)
MAINT TEAM 197 SB (FWD)

注記: D/4 Cavは任務部隊から解属され第197旅団に配属。段階線Lion到着次第任務部隊に復帰した。
第4騎兵D中隊(M1A1 9両;M901TOW 6両;M113 6両;M106自走107mm迫撃砲 3両)
3-4/3/GSR/B/124 MI (DS)
第3工兵大隊(戦闘)A中隊第3小隊(直接支援)
大隊縦列(-)

4日間の期間に、任務部隊は事前予行を遂行し、最終作戦命令を送達し、第2旅団の事前予行に出席し、師団長の説明と士気高揚の講話を受け、全乗員用と個人火器の試射場を開設し手運営した。また、部隊員の多くは家に最後となる電話を掛けた。事前予行は大変重要であり戦闘における大隊の成功に計り知れぬ貢献があった。1月早くに任務部隊を編成して以来、任務部隊階梯での機動は行われていなかった。この状況を正すため、2日間集中して、昼夜を通して、任務部隊は運動技術と操練をした。これらの事前予行で任務部隊の全員が機動、戦闘、任務を完遂する能力に自信を持った。さらに任務部隊は第2旅団で、部隊員抜きでの夜間戦術演習(#TEWT tactical exercise without troops)に参加し、指揮官は計画に自信を抱いた。最終事前予行ののち、各部隊は個別集合地域に移動し戦闘作戦の準備を完成させた。これにはM3A1の25mm砲までを含む試射場の開設も含まれていた。戦車主砲の試射は認められなかった。最後に2月21日、師団長が任務部隊指揮官を訪問して、計画を検討し、会合を激励の講話で締めた。出席した全員は”大きな構図”を理解し師団長に対する完全な信頼と自信という確信を得た。出席した全指揮官はこれからの任務への備えがあるという静かな自信を感じた。その夜、任務部隊指揮官はTOC(戦術作戦センター)に集合し最終図上演習(MAPEX)を行い報告(back-brief)をした。

(#訳注 画像説明の訳)
TF 2-4 Cav主指揮所の兵ら。ある最終事前予行で主指揮所は砂漠の中に木をみつけた。砂漠でこのような大きさの木を見るのは稀だったので、我々はこの集合写真を撮った。

1991年2月21日、最後の任務部隊事前予行のあとTOCは留まって下士官らが小火器試射場を設置していると、Soucy先任曹長が重要な人物を伴って到着した。彼の車両の後席には、1990年の夏にテキサス州フォートブリスにある上級曹長大学に入るため大隊を離れた2-4 Cavの古参Cabrerra上級曹長が座っていた。大隊に配属されている間にCabrerraは大隊の3個の中隊の先任曹長を様々な期間にやり、そして作戦上級曹長も勤めていた。大学を卒業したばかりで何とかして大隊への道をみつけたのだった。彼の話はそれだけで完全な物語だった。彼の到着は、個人の精力と真の騎兵の伝統である自分の連隊に戻りたいという願いによるものであると言ってよい。最初、私はこの古参に懐疑的だったが、すぐに彼はこれから繰り広げられる場における立役者となることが分かった。彼はすぐさま、我々の組織と戦闘への準備を新たな目で眺めた。翌日、TOCの全車両から装備を降ろして搭載計画に従って再び積み込んだ。我々が絆を深めたのは二日目の夜、Cabrerra上級曹長と私とFauver1等軍曹とで夜中一杯かけて地図にアセテートを貼り、集めたときだった。彼は本物の戦士であり、彼が来たそのときに来てくれたことを神に感謝した。彼の新たな視点により、これまで30日間以上も戦闘作戦を遂行していたTOC要員達は、あらゆる細々としたことも片付いたと確信できた。言い換えれば、彼は我々の人生で最も重要な戦闘前検閲を計画し、遂行し、監督したのだった。

計画

旅団の他部隊が攻勢作戦の計画に努力の大半を注いでいるとき、TF 2-4 Cavは師団の偵察及び警戒作戦に決定的に関与していた。従って、計画努力は指揮、統制、通信(C3)機能とその他作戦に不可欠な基本的な戦術事項に集中していた。任務部隊の指揮官達にとって最大の課題はどの二つの部隊をみても似ていない、この非教義的組織を任務を遂行するのに必要とされる協同作業のできる一体性ある部隊へと作っていくことだった。幸いなことに、偵察及び警戒任務を通じて、任務部隊は協同作業の方法を作り上げ、各機動中隊の能力と限界についての理解を深めていった。

任務部隊は1991年2月13日と14日の師団図上演習で明確にされた師団長の指導に従った。北に進め!「我々は決して戻らぬ;何をしてよいか分からぬときは北へ、渓谷目指して進み続けよ!
小隊階梯で事前予行せよ。
誰がどこにいつ行くのかを確認せよ。
出撃線では傘下部隊を厳格に統制せよ。
Fm指揮網を維持せよ。
北に行くに従い、後方境界を移動させよ。
射撃規律を維持せよ。地形に向けて撃つな、敵に向かって撃て!
命令に従え!

TF 2-4 Cavは任務を完遂した。が、常にそうなのだが、計画と実際の作戦は一致しない。
作戦は5段階で計画された。(表4と地図2、3、4、5を参照のこと)計画を立てる上でH時刻は仮にGデイの0600とされた。

第V段階終了後は、任務、敵、地形、自部隊、可能時間(METT-T)に応じて、任務部隊は以降の任務を遂行するために部分命令(FRAGO)を受領することになっていた。任務部隊の図上演習では任務部隊をユーフラテス川渓谷に東のバスラを向いて進入する任務、つまり第Ⅳ段階をやり遂げることに重点が置かれた。大隊長は、任務部隊が師団の先頭部隊をユーフラテス川渓谷へ、大変な難地形を越えて連れて行くことができたらば、任務の大部分は達成したことになると確信していた。指揮官が第Ⅱ段階と第Ⅲ段階に集中したのは、第Ⅳ段階と第Ⅴ段階では敵状況が不明確であることが予想され、かつ任務部隊の主要な任務は先導にあると考えていたからだった。

(#訳注 表の訳)
表4. TF 2-4 Cavの作戦計画 (OPLAN)
第Ⅰ段階
Gデイより4日前の1200:その場で交代を遂行し警戒帯を戦区の旅団へ引き渡す。TAA(戦術集合地域)Quarterを占領し先頭作戦の準備をする。D/4 Cavを第197旅団へ転属する。

第II段階
Gデイ前日2359: 戦闘経路Yankeeを経路偵察し国境の北側約10kmに位置する作戦域Spurを占領。命令があり次第、経路偵察を境界線Lionまで継続(地図2参照のこと。)
重要任務:
Gデイ前日1900:戦術集合地域Qarterからイラク国境と戦闘経路Yankeeとの交差点付近の攻撃陣地へ移動。
Gデイ前日2359: 出撃。
Gデイ 0230: 国境から約10kmの段階線Opusへ運動。全大隊(戦闘縦列を含める)が出撃線を出る。第13砲兵A中隊が準備を整えたとの報告があり次第、大隊行軍隊形で段階線Opusから前進。
Gデイ 0430: 作戦域 Cav”A”を段階線Colt沿いに占領し、弾薬燃料補給。
Gデイ 0600(H-hour):本隊が出撃。TF 2-4 Cavは段階線Coltから前進し、段階線Lionまで偵察任務を続行。
Gデイ 1400: 段階線Lionに沿って前方遮蔽幕を展開。

第III段階
命令があり次第、作戦地域Saberの段階線Jetから段階線Vikingまで戦闘経路X-Rayの前方で師団の左翼に遮蔽幕を展開するため運動。第197旅団が攻撃陣地Kellyへ移動する間、その左翼を守る。戦闘経路X-Rayを段階線Jetから段階線Vikingまで確認(地図3参照のこと。)
重要任務:
第2旅団が目標Grayを奪取するため前方へ超越するのを助ける。第197旅団が段階線Lionに到達次第、第4騎兵D中隊の配属を受け入れる。第1旅団が目標Redに向けて戦闘経路Whiskeyで前方へ超越するを助ける。戦区中央で遮蔽幕を撤収する。作戦域Saberへ運動し、北西のTallil航空基地に向けて遮蔽幕を占領する。第197旅団が攻撃陣地Kellyを占領するため運動する間その左翼を守る。

第IV段階
第197旅団が戦闘陣地101を奪取すべく攻撃する間、その左翼を守る(地図4参照のこと。)
重要任務:
第197旅団の左翼部隊であるTF 2-69 機甲と連接を確立。第197旅団との連接を維持するため一連の戦闘陣地を占領し、第197旅団の側翼を脅かす一切の敵部隊を撃滅する。

第Ⅴ段階
戦闘陣地103で第2旅団と連接を確立。第2旅団が目標Orange(Jalibah航空基地)を奪取すべく攻撃する間、南翼に遮蔽する。南の第3装甲騎兵連隊(3 ACR)と連接を確立(地図5を参照のこと)。
重要任務:
第4段階の遮蔽幕を撤収。戦区中央に任務部隊集合点を占領。第2旅団および第3装甲騎兵連隊と連接を確立。
(#訳注 表4の訳はここで終わる)


任務部隊は師団主攻をユーフラテス川渓谷へ先導することになっていたから、指揮群はCENTCOM司令官の意図を作戦級で確実に理解することに時間をかけた。総司令官の意図を注考え抜いて分析し、師団長の意図の理解と総合することが、任務部隊が任務を完遂する上で欠かせなかった。さらに任務部隊の指揮官らにとって重要だったのは、この分析によっ
CSI 旅団 第3部
現代の旅団 1991-2003


増強旅団
1970年代初期、陸軍は”Total Army”構想を掲げていた。同構想では予備役部隊である陸軍州兵と陸軍予備役は動員された場合、計画された任務と役割を防衛態勢の中で完全な一員となるとしていた。 “Total Army”構想には予備役部隊の即応度が募集、交代、装備、訓練時間といった要素により様々であることから浮き沈みがあった。様々な計画、例えば、roundout brigade(師団戦列参入旅団)やその派生計画では予備役部隊が同等の現役部隊のパートナーとされていたが、これは予備役の即応度の向上を目指したものだった。湾岸戦争では師団戦列参入旅団が用いられぬままであったが、その後も陸軍の削減により計画は継続された。1996年に陸軍は10個師団態勢となり、戦列参入旅団計画は置き換えられた。新たな計画は陸軍州兵増強旅団であり、eSB(増強独立旅団)やeHSb(増強重独立旅団)と略される。陸軍は15の独立陸軍州兵旅団を選んで特別(増強)状態とした。その大半は師団戦列参入計画に加わっていた部隊である。計画では包括的な計画、訓練、装備を組み合わせて90日から120日で動員と戦闘即応ができるよう旅団の能力を増強させる。選定された旅団は現役兵士(その大半は地域基盤即応群に属する)から特別な支援をうける。

1999年に増強旅団の即応度を高めるため陸軍は二つの組織改革を開始した。第一の改革は固有の隷属旅団を持たぬ師団本部を2個開隊したことである。第24歩兵師団(機械化)(カンザス州フォートライリー)、第7歩兵師団(フォートカーソン)の二つが開隊し、現役/予備役統合師団に指定された。師団本部の人員は現役兵士だが、隷下部隊には陸軍州兵独立旅団が配属される。現役と動員されていない状態の予備役部隊を同一の本部下に統合したのは米国陸軍史上初である。また通常は師団に配属される支援部隊全てが、独立旅団編制では直接各旅団に配属される。この唯一の先例は1967年のベトナムにおけるアメリカル師団の集成である。師団は動員前および動員後訓練、戦争準備と迅速展開を向上させるために編成された。師団本部は配属された増強旅団の計画、準備、訓練の調整を監督する。

第二の改革は現役即応群を陸軍予備役演習師団と併合し新たな組織である訓練支援師団としたことである。即応群は地域基盤陸軍機関であり、予備役訓練に助言と支援を与えるよう設計されていた。1996年に増強旅団が創設されたことで、即応群は陸軍がこれらの旅団を支える前衛となった。陸軍予備役演習師団は1990年代半ばに予備役部隊の訓練演習を準備し実行するために創設された。1999年以後は、新たな訓練支援師団が、増強師団の支援に特に編成された。この師団ではその分担地域にある増強旅団毎に特別な増強独立旅団訓練支援旅団を含まれている。


統合師団を指定されていない増強師団は現役/予備役訓練支援師団下の増強独立旅団訓練旅団により支援を受ける他、特定の現役部隊と“訓練提携”する地位を与えられた。

(#増強旅団一覧表 図13 がここに入ります) 

1994年-1995年、陸軍予備役部隊は戦力縮小で3個機動旅団を削減した。が、米国陸軍予備役の訓練師団は師団毎3個から9個の訓練旅団を保っていた。1994年と1999年の間に訓練師団は新たな2つの型、機関訓練師団と上記の演習師団へと再編された。機関訓練師団は以前の訓練師団が行っていた伝統的な入隊訓練と予備役部隊軍事特技訓練、それに以前は米国陸軍予備役部隊学校部隊が行っていた下士官および士官訓練任務を引き継いだ。演習師団はコンピューターシミュレーションおよび特に用意された訓練場で行う実働訓練を計画、実行する。機関訓練師団も演習師団も隷下に訓練旅団を持つ。訓練旅団は戦術部隊であったかつての師団旅団の旗と伝統を受け継いでいる。上で触れたとおり、1999年に演習師団は現役即応群と併合し新たに現役/予備役訓練支援師団となった。


フォース21と細かな調整

戦力削減と1991年の湾岸戦争の分析とがあいまって陸軍に戦力組成を再検討させた。技術の進歩により将来の陸軍組織をデジタル化することが可能となった。デジタル化とは、戦闘部隊をコンピューターで繋ぐことでより高度な状況認識と迅速な報告と命令の伝達ができ、よって指揮統制と補給が容易となるということである。陸軍は1994年3月に正式にフォース21と名づけて編制研究を開始。1995年にInterim Division Designと呼ばれた師団編制を計画者は策定した。 フォートフードの第4歩兵師団(機械化)が試験部隊となり、1996年-1997年に試行した。

フォース21では旅団に関する編制の変更が三点あった。第一に旅団階梯に装甲ハマー装備の小さい旅団偵察中隊が加えられた。第二に旅団の編制を固定とした。第三に旅団の戦闘大隊固有の戦務支援部隊から師団支援集団の前方支援大隊へ召し上げた。

偵察中隊はフォース21とは別に陸軍全体に施行された。これは後でとりあげる。旅団の編制の固定化により師団は1個機甲旅団と2個機械化旅団を持った。機甲旅団は2個戦車大隊と1個機械化歩兵大隊で編制。機械化旅団は1個戦車大隊と2個機械化歩兵大隊で編制。各大隊はAOEの4個列線中隊編制と異なり列線中隊は3個のみとなった。2003年には第4歩兵師団でさえ1個機甲旅団と2個機械化旅団の固定編制ではなくなり、2個機甲旅団と1個機械化旅団を配備していた。つまり、名称にもかかわらず機甲師団であった。戦務支援部隊の改良はデジタル化した補給の集中体系が持つ、支援を担任する部隊に直接迅速かつ正確に補給支援要請を部隊が送れるという利点に基づくものだった。2003年春には第4機械化師団と第1騎兵師団の一部のみがフォース21編制であっていた。第4歩兵師団(機械化)は2000年会稽年度に完全にデジタル化され、第1騎兵師団が続いた。陸軍の他の師団は限定転換師団21(LCD XXI)に反映された改良AOE編制を保った。LCD XXI編制では列線中隊は各大隊あたり3個へと削減され、旅団に1個偵察中隊が加わる。

フォース21研究と試験が進められている間も、別なところで陸軍の旅団および師団編制に調整と変更が続いていた。師団工兵旅団の創設と旅団への固有の1個偵察中隊追加そして旅団戦闘団構想などである。

湾岸戦争では実質的に全ての旅団に1個戦闘工兵大隊が配属されていた。

(# h ttp://orbat.com/site/history/historical/usa/desertstorm1991.htmlが詳しいのですが配属までは不明。工兵中隊が配属されている場合もあり)
従って、陸軍は戦争のほぼ直後から工兵再編イニシアティブという名称の計画を開始した。その結果重師団には2個工兵大隊と工兵旅団本部が加えられた。航空旅団と異なり、工兵旅団が機動部隊であるという仮装はなかった。旅団本部は師団砲兵本部と同様であり、通常師団の機動旅団の直接支援に配されている部隊の統制をする専門本部である。工兵旅団本部を保つか、単に大隊を直接に師団もしくは旅団に配属するかについて陸軍の考えは二転三転したが、2003年の早い時点では工兵旅団は重師団の基本部隊として依然有るが、旅団戦闘団構想により大抵の師団では工兵大隊は旅団に直接配属されている。2004年では、次章でみるように工兵旅団は師団の4番目の機動旅団本部へと転換されることになっている。

独立旅団には長年1個機甲騎兵中隊の偵察部隊が与えられてきている。師団旅団も通常同様の支援を師団騎兵大隊から受ける。湾岸戦争後は、フォース21として知られる研究で計画者らは師団に配属されている各機甲旅団および機械化歩兵旅団毎に固有の偵察中隊が必要であることに重点を置いた。偵察中隊は旅団長に既に大隊および師団階梯にはあるが旅団階梯には欠如していた直接偵察資産を与える。1998年に限定師団21で陸軍は一般には旅団偵察中隊、公式には騎兵の呼称を与えられている部隊を編制に組み入れた。それから2年のうちに旅団に中隊が加えられた。1963年にROADで旅団が創設されて以来、固有の戦闘部隊を旅団が持ったのはこれが初めてである。

旅団偵察中隊の編制は中隊本部と2個偵察小隊からなる。偵察小隊はM1025 HMMWV6両からなり、3個分隊に分かれる。各分隊はHMMWV2両からなり、一両はMK19 GMGかM240B中機関銃を装備し、もう一両はM2 50口径機関銃を装備する。HMMWVの乗員は偵察員3名。中隊はしばしば他の偵察資産、特に戦闘観測レーザーチーム(COLT)が編合されて専門の砲撃観測員を得る。2003年の時点で配備されている旅団偵察中隊は表14の通り。

表14 2003年における旅団偵察中隊

第1機甲師団第1旅団   第1騎兵F中隊
第1機甲師団第2旅団   第1騎兵G中隊
第1機甲師団第3旅団   第1騎兵H中隊
第1騎兵師団第1旅団   第10騎兵C中隊
第1騎兵師団第2旅団   第9騎兵D中隊
第1騎兵師団第3旅団   第9騎兵F中隊(2004年)
第1歩兵師団第1旅団   第4騎兵D中隊(#訳注 原文ママ)
第1歩兵師団第2旅団   第4騎兵E中隊
第1歩兵師団第3旅団   第4騎兵D中隊(#訳注 原文ママ)
第3歩兵師団第1旅団   第1騎兵C中隊
第3歩兵師団第2旅団   第9騎兵E中隊
第3歩兵師団第3旅団   第10騎兵D中隊
第4歩兵師団第1旅団   第10騎兵G中隊
第4歩兵師団第2旅団   第10騎兵H中隊
第4歩兵師団第3旅団   第9騎兵B中隊

(第1歩兵師団の旅団偵察中隊で確認できたのはhttp://www.globalsecurity.org/military/agency/army/4cav-e.htm
のみ。公式HPは未見)


ブラッドレー/騎兵中隊 2003
陸軍編制、部隊戦力、全く新たな世代の兵器の受容とベトナムやイラクといった様々な紛争への参加にも関わらず、旅団の基本編制は任務要求に基づいて戦闘部隊が配属される柔軟な任務部隊であり続けた。編制が保たれ続けたのは組織の無気力や変化への抵抗ゆえではない。編制が保たれたのはそれがうまく働いていたからである。旅団は現代戦闘の多くの面を遂行するにあたって大変有効な編制方式であることが実証された。師団支援集団の再編により各旅団に多機能支援大隊を与える、固有の旅団偵察中隊を加えるといった細かな変更は繰り返し価値を実証してきた編制概念の微調整であった。そして、戦力削減、基地に関する懸念、師団よりも小さい規模で特定の型の部隊を創設したいという望みが旅団概念に世紀末になって影響を及ぼしたのである。


ストライカー旅団:帰ってきた陸軍革新
近年、陸軍にとって、地球上の遠隔地へ迅速に適切な火力を持った部隊をその土地に根付いた脅威に対処するため投射するという問題が始終悩みとなっている。
機甲部隊や機械化部隊は事前集積装備を用いない場合、大量の船腹と現地に到着するまでに30日もの長期間を必要とする。軽部隊は空挺降下か航空機により比較的迅速に到着できるが、既に現地にいる脅威の重戦力に対して戦闘を成功裡に行うには軽すぎる。展開性と生残性の論議は目新しいものではない。1980年代に作られた自動車化試験師団と軽師団はこの問題への解決を探るものだった。

1999年10月、陸軍参謀長シンセキは暫定旅団戦闘団計画の創設により高度な展開と戦闘能力ある陸軍部隊を作ろうとする最も新たな試みを公表した。およそ20年前の第9歩兵師団自動車化計画と同様に、IBCT計画の目標は新たな技術を用いて適切な火力をもった軽自動車化車両を配備することであった。計画では兵員輸送車両、突撃砲を共に含む装輪装甲車両の派生型を開発することを前提としていた。

師団をIBCTの実験部隊とするかわりに、2000年4月に陸軍はフォートルイスに駐屯する2個師団旅団を選定した。両旅団は親師団がそれぞれ韓国とハワイに離れている部隊である。一方は機械化旅団でもう一つは軽旅団であった。2001年6月には計画にさらに4個旅団が追加された。これらは1個独立軽旅団、1個師団軽旅団、1個軽装甲騎兵連隊、陸軍州兵1個機械化師団旅団である。旅団の編制は、展開後に師団下あるいは独立して用いられ、96時間内に世界中へ空軍輸送により展開可能なよう設計されている。旅団は初期入域部隊(軽歩兵と空挺)と後から展開する重戦力との展開上の間隙を埋めるものである。

新旅団の中核は新型の軽装甲装輪車両である。IBCT計画が公表された時点ではこの車両は存在していなかった。最初の旅団はカナダ軍から借用した地上突撃車両(LAV-Ⅲ)とHMMWVを使用した。ジェネラルダイナミックスとジェネラルモーターズは2000年11月に契約を与えられ新型車両を開発した。当初は暫定装甲車両と呼ばれていたが、2002年2月に陸軍名誉賞を授かった2名(互いに無関係)から名をとりストライカーと陸軍は公式に命名。開発により、ストライカーは19トンの8輪装甲車両で派生型は8つ、時速は最大60マイルとなった。1機のC-17でストライカー3両を輸送可能。最初に作られた車両は歩兵輸送車であり、9名歩兵分隊を輸送し、Mk19 GMGか50口径機関銃で武装。派生型には機動砲が含まれ、2002年6月に最初の一台が試作車両として完成。MGSは安定化された105mm砲を装備。2005年に完全に配備されるまでの間、旅団内のMGS部隊はストライカー対戦車ミサイル型で代替される。その他の車両には偵察、迫撃砲、指揮、火力支援、工兵、野戦救急、核生物化学偵察車両がある。 ストライカーに加え、旅団はデジタル技術を活用し無線通信とセンサーにより部隊の戦場における状況認識を維持する能力を向上させる。


最初のストライカー旅団は2001年12月に、2番目がその1年後、残りは以降数年で作戦可能となる予定だった。しかしストライカーの開発で問題があり生産の遅れにより計画も遅れた。最初のIBCTである第2歩兵師団第3旅団がカリフォルニア州フォートアーウィンとルイジアナ州フォートポークの陸軍訓練センターで2ヶ月の野外訓練を開始したのは2003年3月後半だった。試験を成功裡に完了し、旅団は作戦可能とされた。2003年後半に紛争作戦での運用のためイラクに展開を開始。ストライカー部隊は表15に示す。

表15
第2歩兵師団第3旅団 ワシントン州フォートルイス
第25歩兵師団第1旅団 ワシントン州フォートルイス
第172歩兵旅団 アラスカ州フォートリチャードソン
第2装甲騎兵連隊(軽) ルイジアナ州フォートポーク
第25歩兵師団第2旅団 ハワイ州スコーフィールドバラック
第28歩兵師団(機械化)第56旅団 ペンシルヴァニア州陸軍州兵


ストライカー旅団編制はストライカー309両と700両を超える装輪車両を含む。旅団は3個諸兵科連合歩兵大隊と1個の新型騎兵大隊である、偵察捜索目標捕捉大隊(RSTA大隊)からなる。また、対戦車中隊および工兵中隊、砲兵大隊、軍事情報中隊や通信中隊に旅団支援大隊を含む。編制は中隊階梯において諸兵科連合部隊として容易に戦闘できるよう組まれている。諸兵科連合歩兵大隊は3個中隊からなる。歩兵中隊は3個歩兵小隊(ストライカー歩兵車両3両、81mm迫撃砲班(ストライカー迫撃砲型車3両)1個(、機動砲小隊(ストライカーMGS4両)、そして狙撃チーム1個からなる。

(#訳注 ここの編制についての記述は以下の資料と相違があります。
歩兵小隊は4両編制 迫撃砲班は2両 MGS小隊は3両とされています。
http://www.globalsecurity.org/military/library/policy/army/fm/3-21-11/c01.htm)

大隊階梯では偵察小隊、迫撃砲小隊、1個狙撃分隊がある。

RSTA大隊は3個偵察中隊と1個捜索中隊からなる。偵察中隊は3個偵察小隊と1個迫撃砲班からなる。捜索中隊は1個UAV小隊、NBC偵察小隊、1個マルチセンサー小隊からなる。


旅団の他はM198牽引式155mm榴弾砲を装備した砲兵大隊、TOW搭載ストライカーを装備した1個対戦車中隊(最終的には新型の「掩体壕破壊」TOWに更新される予定)、障害啓開装備を持った1個工兵中隊、人間情報資産の使用を考慮して特に設計されている1個軍事情報中隊、指揮統制支援をおこなう固有の1個通信中隊、1個衛生中隊、1個支援中隊、1個本部/補給中隊からなる1個支援大隊からなる。支援大隊は戦闘作戦の開始から72時間、旅団に自律して戦務支援を供するよう設計されている。

図37 ストライカー 左は歩兵輸送車 右は機動砲

図38 ストライカー旅団編制図
装輪装甲歩兵旅団
本部及び本部中隊
軍事情報中隊
通信中隊
装輪装甲歩兵大隊×3
・本部及び本部中隊
・・装輪装甲歩兵小隊
・・機動砲小隊(120mm×4)
・装輪装甲歩兵中隊×3
・・装輪装甲歩兵小隊
・・機動砲小隊
・・装輪装甲迫撃砲班(120mm×2)
装輪装甲偵察大隊
・ 装輪装甲偵察中隊×3
・・装輪装甲偵察小隊×3
・・装輪装甲迫撃砲班(120mm×2)
・装甲センサー部隊
装輪装甲対戦車中隊
・装輪装甲対戦車小隊×3
装輪装甲砲兵大隊
装輪装甲工兵中隊
・装輪装甲工兵小隊×3
・装輪装甲工兵小隊×1
旅団支援大隊




図39 2004年における旅団戦闘団
第4歩兵師団第3旅団
本部及び本部中隊
第44対空連隊第1大隊C中隊(ラインバッカー)
第9騎兵B中隊
第68機甲連隊第1大隊
第8歩兵連隊第1大隊
第12歩兵連隊第1大隊
第534通信中隊
第104 C軍事情報中隊
第29砲兵連隊第3大隊(155mm自走砲装備)
第4工兵大隊
第64前方支援大隊
・第64 A輸送中隊
・第64 B整備中隊
・第64 C衛生中隊


旅団戦闘団

1990年代後半の縮小と駐屯地に関する問題があいまって師団に対する旅団の役割に影響を及ぼした。2003年には1963年に旅団が復活して以来最も多くの数の陸軍旅団が親師団とは別に駐屯していた。皮肉なことにはその時点で陸軍の独立旅団の数はわずか2だった。それどころか1990年代の後半のある時点では独立旅団の数は0だった。2つの独立旅団のうち一つはアラスカ州の第172歩兵旅団で戦域防衛旅団である。もう一つは特殊目的旅団である第173空挺旅団でイタリアにいる。実情としては21世紀の陸軍は自己完結した独立旅団の役割を、旅団戦闘団構想を用いることで自己完結した師団旅団で行っている。


旅団戦闘団は1957年以前の連隊戦闘団構想に基づくものである。旅団に典型的に配属される2から5の機動大隊に加えて、師団支援部隊の切片を旅団への支援に指定して配属するものである。用語としては多少誤りの感があるのは旅団はかつての連隊と異なり編制上は任務部隊本部であるからである。ともあれ、旅団戦闘団という用語により陸軍は師団旅団を基本的に自己完結した部隊として容易に指定できるようになった。


2003年にはほぼ全ての師団旅団が親師団とともに位置しているのも含めて旅団戦闘団として組織されていた。駐屯に関する問題で旅団戦闘団を実行する必要が大きくなった。とりわけ、陸軍のいくつかの大型駐屯地では、親師団の師団本部を伴わない別々の師団の旅団が二つ同居しているところがあった。

ストライカー旅団が旅団戦闘団として師団本部を持たぬ形で呼称されていること、そしてストライカー旅団戦闘団は3つの別々の師団、1個独立旅団、1個装甲騎兵連隊が選定されたことはSBCTが部隊名に関わらず師団部隊でなく独立した部隊として編成されていることを示す。2004年時点での現役旅団とその駐屯地は表16の通り。(太字は親師団と別居か編制上独立していることを示す。)典型的な旅団戦闘団編成は図39の通り。

表16 2004年時点の旅団駐屯地

部隊名 駐屯地 親師団との同居・別居 型
第1機甲師団第1旅団 ドイツ 同居 機甲
第1機甲師団第2旅団 ドイツ 同居 機械化
第1機甲師団第3旅団 カンザス州フォートライリー 別居 機甲
第1騎兵師団第1旅団 テキサス州フォートフッド 同居 機甲
第1騎兵師団第2旅団 テキサス州フォートフッド 同居 機甲
第1騎兵師団第3旅団 テキサス州フォートフッド 同居 機械化
第1歩兵師団第1旅団 カンザス州フォートライリー 別居 機甲
第1歩兵師団第2旅団 ドイツ 同居 機械化
第1歩兵師団第3旅団 ドイツ 同居 機甲
第2歩兵師団第1旅団 韓国 同居 機甲
第2歩兵師団第2旅団 韓国 同居 機械化/空中強襲
第2歩兵師団第3旅団 ワシントン州フォートルイス SBCT
第3歩兵師団第1旅団 ジョージア州フォートスチュアート 同居 機械化
第3歩兵師団第2旅団 ジョージア州フォートスチュアート 同居 機甲
第3歩兵師団第3旅団 ジョージア州フォートベニング 別居 機械化
第4歩兵師団第1旅団 テキサス州フォートフッド  同居 フォース21/機甲 
第4歩兵師団第2旅団 テキサス州フォートフッド  同居 フォース21/機甲
第4歩兵師団第3旅団 コロラド州フォートカーソン 別居 フォース21/機械化
第10山岳師団第1旅団 ニューヨーク州フォートドラム 同居 軽 
第10山岳師団第2旅団 ニューヨーク州フォートドラム 同居 軽
第25歩兵師団第1旅団 ワシントン州フォートルイス 別居 SBCT
第25歩兵師団第2旅団 ハワイ州 同居 軽/SBCT
第25歩兵師団第3旅団 ハワイ州 同居 軽
第82空挺師団第1旅団 ノースカロライナ州フォートブラッグ 同居 空挺
第82空挺師団第2旅団 ノースカロライナ州フォートブラッグ 同居 空挺 
第82空挺師団第3旅団 ノースカロライナ州フォートブラッグ 同居 空挺
第101空中強襲師団第1旅団  ケンタッキー州フォートキャンベル 同居 空中強襲
第101空中強襲師団第2旅団 ケンタッキー州フォートキャンベル 同居 空中強襲 
第101空中強襲師団第3旅団 ケンタッキー州フォートキャンベル 同居 空中強襲 
第172歩兵旅団   アラスカ州 同居 軽/SBCT
第173空挺旅団   イタリア 同居 空挺




2003年のイラク戦争における旅団

2003年3月から4月のイラクとの戦争では、1991年の湾岸戦争と比べて陸軍が展開した地上戦闘機動旅団の数は遥かに少なかった。1991年には21個だったが2003年は8個である。にもかかわらず結果は遥かに短期間に遥かに決定的であった。22日間でイラク軍の戦闘可能な部隊を撃滅し、首都バグダッドを占領した。1991年のときは6週間の航空作戦に続く4日間の地上戦闘でイラク軍のわずか一部を相手にし、残る大半は無傷だった。イラクの自由作戦の地上作戦段階で展開した旅団は表17の通り。

表17 2003年 イラクとの戦争での旅団

第3歩兵師団航空旅団(機械化)
第3歩兵師団第1旅団(機械化)
第3歩兵師団第2旅団(機械化)
第3歩兵師団第3旅団(機械化)
第101空挺師団第1旅団(空中強襲)
第101空挺師団第2旅団(空中強襲)
第101空挺師団第3旅団(空中強襲)
第101空挺師団第101航空旅団(空中強襲)
第101空挺師団第159航空旅団(空中強襲)
第82空挺師団第2旅団
第1機甲師団第3旅団(イラクの自由作戦中には展開せず)
第173空挺旅団

この作戦では現代の戦場における機動旅団の汎用性と柔軟性がまたも証された。第3歩兵師団(機械化)の3個重旅団はバグダッドへの前進の先鋒となり、40時間以下で約200マイルを運動。そして、たまたま重なった悪天候下で予め計画された補給のため停止したのち、大河を2日間で渡河したのちイラク首都への運動を完了しその後数日間で首都の大部分を確保した。

第101空挺師団(空中強襲)の空中強襲旅団と第82空挺師団の空挺旅団はともに第1機甲師団第3旅団という重旅団に支援を受けて第3機械化師団に続いて前進し、同師団の旅団が迂回した都市を引き継いで長い補給及び通信線を守りつつ、サマワ、ナジャフ、カルバラ、ヒッラで敵の抵抗を撃滅した。第173空挺旅団は北部イラクの要地に空挺降下しクルド部隊を助けて正面の士気阻喪したイラク軍の撃破を完遂した。特殊作戦任務部隊の一部として第173のような旅団が用いられたのは米国陸軍史上で初のことである。

航空旅団は、師団航空旅団も、軍団階梯の第11航空群と第12航空旅団もイラク戦争ではおおいに用いられた。とはいえ、機動部隊としての航空旅団の使用はせいぜい限られたものだった。

第11航空群は攻撃ヘリ部隊であり、第12航空旅団は機動部隊に空輸資産を供するのが中心であった。さりながら、第3歩兵師団の航空旅団は作戦の後半、カルバラ付近の段階で偵察および警戒作戦を統制している。これらは伝統的には機動型の任務である。

将来には、イラクの自由作戦に参加したこれらの旅団、海兵隊、航空および海軍部隊の活動を完全に文書とする作が疑いの余地無く出てくるであろう。本作は米国陸軍における旅団の開発と作戦の歴史の最後の事例研究として第3歩兵師団(機械化)の3個機動旅団の作戦を予備分析して供するものである。


2003年イラクでの作戦における第3機械化師団の旅団

第5軍団第3歩兵師団(機械化)はイラクにおけるサダムフセイン体制を放逐する連合地上攻撃の主攻を遂行した。師団の作戦構想は体制の心臓への短剣の突きのように、可能な限り早期に迅速にバグダッドに前進することであった。

大胆な前進では後続部隊のため橋梁を確保するほかは慎重に都市を迂回し、首都南西50マイルのカルバラ周辺の地域を防御する共和国防衛隊を撃破するまではユーフラテス川西岸に留まって進んだ。

バグダッドに米軍部隊が近づいただけで体制は崩壊するという願望があった。中央軍は1991年に用いたのとは対照的な戦略を意図的に立てたイラク軍は二人の元ロシア軍将官の助言を受けて1991年のと同様のを予想していた。1991年の作戦は長期間の航空作戦、続いて大規模な地上作戦へと続き、部隊の多くは友軍と並んで進み何であれ迂回しなかった。
新たな作戦では精密弾薬、デジタル通信、情報収集の優位を元手としていた。これらの優位を利用して、イラクの防衛が対応して実をあげるよりも迅速かつ予想外に運動することが目的だった。この戦略の切り替えはランニングスタートと遠回しに呼ばれた。

イラクの自由作戦では、当初第3機械化師団の旅団戦闘団は1個戦車重旅団部隊、1個機械化重旅団部隊、そして2個機械化大隊と2個戦車大隊からなる均衡旅団部隊からなっていた。この任務編成は表18に示す。

表18 2003年における第3歩兵師団(機械化)の当初編成

第3歩兵師団(機械化)

第1旅団戦闘団
・第7歩兵連隊第3大隊任務部隊(機械化)
・第7歩兵連隊第2大隊任務部隊(機械化)
・第69機甲連隊第3大隊
・第1騎兵C中隊
・第41砲兵連隊第1大隊
・対空中隊
・第11工兵大隊
・第3前方支援大隊

第2旅団戦闘団
第15歩兵連隊第3大隊任務部隊
第64機甲連隊第4大隊任務部隊
第64機甲連隊第1大隊任務部隊
第9騎兵E中隊
第9砲兵連隊第1大隊


#・第3歩兵(機械化)師団の初動時の旅団編制表

第1旅団戦闘団
2-7任務部隊(2-7歩兵(機械化)大隊)
3-7任務部隊(3-7歩兵(機械化)大隊)
3-69任務部隊(3-69機甲大隊)
第1騎兵連隊C中隊
1-41砲兵大隊
1-3対空大隊A中隊
第11工兵大隊
第123前方支援大隊

第2旅団戦闘団
3-15任務部隊(3-15歩兵(機械化)大隊)
1-64任務部隊(1-64機甲大隊)
4-64任務部隊(4-64機甲大隊)
第9騎兵連隊E中隊
1-9砲兵大隊
1-3対空大隊○中隊
第10工兵大隊
第26前方支援大隊

第3旅団戦闘団
1-15任務部隊(1-15歩兵(機械化)大隊)
1-30任務部隊(1-30歩兵(機械化)大隊)
2-69任務部隊(2-80機甲大隊)
2-70機甲大隊(第1機甲師団第3旅団より)
第10騎兵連隊D中隊
1-3対空大隊○中隊
1-10砲兵大隊
第317工兵大隊
第203前方支援大隊

航空旅団
3-7騎兵大隊
1-3航空大隊
2-3航空大隊


師団はパトリオット対ミサイル大隊(第525対空連隊第5大隊)と補給軍団支援群を含む追加配属資産を受けた。フォース21旅団以下戦闘指揮装置が中隊階梯上の全指揮官に支給されたことで師団の指揮統制能力は大きく向上した。この最近配備されたデジタル装備により指揮官は友軍と、それより程度は低いものの敵軍を含めてのほぼ直近の状況認識を部隊位置表示により得られるようになった。

第3機械化師団の3個旅団は2003年3月20日の日没から21日の払暁の間にイラクとクウェートを隔てる堤を横断した。
師団は連合地上部隊の前線左側に位置していた。西は開けた砂漠であったが、側翼は情報源によるとイラク軍はいないとのことだった。東では第1海兵遠征軍の第1海兵師団の部隊がサフワン付近でクウェートからナシリヤへの主要道路(高速道路8号)に沿って
国境を横断した。

第1海兵遠征軍の当初の任務はルメイラ油田の確保、ついで高速道路8号をナシリヤへ前進し、ユーフラテス川を渡河し、川西岸をバグダッドへと進むことであった。第1海兵遠征軍の右(東)には、英国第1機甲師団がいた。英国第3コマンドー旅団とともに同師団はバスラ周辺地域の確保が任務だった。第3歩兵師団はクウェートからユーフラテス川渓谷をナシリヤとサマワ付近まで2列縦隊で野外踏破して前進する。イラクへ入った時点で各旅団にはそれぞれ特定の任務が与えられていた。第1旅団は右、第2旅団は左でまず国境警備を啓開して突破帯を確立、師団騎兵大隊の第7騎兵連隊第3大隊、第1旅団の大半と第3旅団が通過してユーフラテス川に向かっての2列での前進を可能ならしめる。続いて各旅団は前衛に続く。

図40 2003年 カルバラへの長駆 (訳注 略しました)

騎兵大隊は左側を開けた砂漠を通って迅速にサマワ近郊まで前進した。サマワでの任務は市南西の運河に掛かる橋梁2本を確保して市を東と南から遮断することと、師団がサマワを超えて前進する主軸に予定していた国道28号を確保することであった。戦車重編成の第2旅団は騎兵大隊のすぐ後ろに続き、北西のナジャフ近郊へと第7騎兵連隊第3大隊を超越して国道28号を北へと前進し、ナジャフ市南西に師団階梯および軍団補給基地の予定地を確保する任務を負っていた。

右の前進軸は第1旅団と第3旅団で成っていた。両旅団の任務はナシリヤ付近で国道1号と国道8号沿いのタリル航空基地の施設群が含む前進線を確保し、ナシリヤの西ユーフラテス川にかかる高速1号の橋梁を確保することであった。同橋は海兵隊がのちにティグリス川に前進するのに用いるので重要であった。確保後、旅団はナシリヤ地域の後方警備を担任する第2海兵遠征旅団の部隊に引き渡してサマワとナジャフへとユーフラテス川渓谷にそって前進を継続。初動の前進は開けた砂漠を通っての路外機動であり、後方部隊は道路や小道上で後続する。師団は行軍速度時速24マイル、初日に平均150マイル前進。旅団の進撃はそれぞれ異なった方法であった。左では第7騎兵連隊第3大隊に後続する第2旅団は2隊に分かれていた。装軌車両の全部は迅速に砂漠の難地形を路外機動し、装輪隊はそれよりは遅い速度で舗装道路を進んだ。右では第1旅団が路外を、最初は1個大隊任務部隊を先頭に他2個が側翼に位置する楔隊形で、その後3個全部が並列となって進んだ。

国境をのぞいてはイラク軍はナシリヤ地域への前進に対して抵抗しなかった。右(東)を担任する第1旅団は、海兵隊が確保中のルメイラ油田の西でタリル航空基地の東にあるJalibah飛行場を確保。その後、第3旅団が第1旅団を超越してタリル地域を攻撃し防御していたイラク軍第11歩兵師団を撃破した。

第3旅団戦闘団は攻撃陣地Barrowと名づけられたタリルの南東の砂漠のある地点で隊形を整えて、3個前方任務部隊(1個戦車大隊は予備として保持)を用いる機動の連続でタリルを攻撃し飛行場を孤立させてから確保した。午後遅くにはTF2-69機甲が旅団偵察中隊に後続して前進し、国道1号に沿って飛行場西側を迂回、ユーフラテス川にかかる高速橋に到達。
この地点は目標Clayと名づけられていた。午後と夕方かかって任務部隊は橋南端でイラク軍徒歩部隊と戦闘し2350までに撃破、ついで川を渡り北岸を3月22日0500に確保した。
橋梁での戦闘が激しく続く中、旅団の残り2個任務部隊も戦闘に加入した。TF1-15歩兵の任務はタリル飛行場の北東地域にある目標Libertyと名づけられた兵舎の確保であった。3月21日夕方に動いて、任務部隊は目標を、わずかの抵抗も消え去り(イラク対空部隊将官1名を含めて降伏したものもいた)3月22日の早朝に確保し、飛行場の包囲網は閉じた。TF1-30歩兵は飛行場の掃討を担任し、南東から飛行場を囲む堤を突破して直接前進、砲兵、攻撃ヘリ、航空火力の支援を受けて飛行場を横切って突撃し、軽微な抵抗を受けつつもタリルを奪取した。

図41 2003年21日から22日 タリル航空基地 (訳注 略)

作戦中に繰り返された機動なのだが、第3旅団が地歩を固めてナシリヤを包囲する警戒部隊となり、第1旅団は第3旅団を超越して国道8号を西はサマワへと前進した。第3旅団は3月23日に国道8号を東から第2海兵遠征旅団が来て交代するまでナシリヤに留まった。引継ぎを受けて旅団は北西へとサマワへの道路を各路するため出発した。

3月22日の黎明後、サマワに第7騎兵連隊第3大隊の地上部隊が到達。後続の第2旅団の装軌隊も騎兵部隊に追い付き、休息後、サマワ地域を迂回してナジャフへ向かう。騎兵大隊は市南辺にある目標Chathamと名づけられた運河橋2本を確保するため前進し、途上で特殊部隊と連接した。その後騎兵大隊はイラク準軍隊部隊と激しい火力戦闘に入ったがすぐに優位となった。同日、第1旅団はユーフラテス川沿いに国道8号をナシリヤ地域からサマワに向けて前進し、敵と短時間交戦した後に戦闘を騎兵大隊へと引き継ぎ、サマワ近辺で国道28号を西に第2旅団に続いてナジャフ近郊へと向かった。騎兵大隊はサマワ近辺に留まり同市を包囲し続け、23日には第3旅団へ配属された。

海兵隊にナシリヤを引き継いだ後、第3旅団は前進してサマワの包囲を閉じた。サマワ包囲中、イラク準軍隊部隊が度々、都市地形の防御優位を捨てて第3旅団の機甲部隊に突撃して攻撃したが、予想通りの結果となった。旅団は3月29日に第82空挺師団第2旅団に引き継がれるまで同市周辺に留まった。引継ぎ後、ナジャフ北西の集合地域へと移動してカルバラ近辺での作戦に向けて準備した。

シーア派の聖なる都市ナジャフが第3機械化師団の各旅団の地平線に次に現れた。この大都市も包囲する必要があった。シーア派の都市なので狂ったような抵抗はないと期待されていた。が、この予想は外れた。ナジャフの南西、国道28号に沿った砂漠の一帯が目標Ramsとして、バグダッドへの最終的な進撃のための師団主補給基地に指定されていた。目標Ramsを確保しナジャフを孤立させる戦闘に参加したのは第1旅団、第2旅団と第7騎兵連隊第3大隊である。第2旅団は先頭にたち、目標Ramsを確保すべく40時間以下で230マイルの前進を完遂した。続いて第1旅団が目標Ramsを超越してナジャフを北(バグダッドの方角)から遮断し、第7騎兵連隊第3大隊はユーフラテス川沿いに国道8号を進みナジャフを東から遮断した。

サマワと同様に、イラク側は市内部に留まらずに外部へ出て作戦する準軍隊部隊が主に抵抗した。目標Ramsは放棄されていると予想されていたが、そうではなかった。イラクの不正規部隊と正規部隊が同地を占領し無線塔通信施設を守っていた。防御側は米側の迅速な前進に気付いておらず、空挺投入を予想していた。第2旅団の先導部隊、戦車重編成大隊任務部隊が当初の予定よりも1日早く3月22日ぎりぎりに到着し、狂的だが自殺的なイラク準軍隊を戦闘で撃破し、近接航空支援と砲撃に支援されて23日の1000までに目標を確保した。続いて行動の第2段階ではイラク側はナジャフから繰り返し目標Ramsの旅団部隊を攻撃hしてきた。以後2日間旅団は防御態勢で目標Ramsに留まった。

第1旅団はナシリヤで交代を受けた後、サマワを迂回して第2旅団に続いて目標Ramsに向かい、ついで目標Ramsを超越してさらに北西に向かって国道28号を暫定目標Raidersへと23日の午前遅くに進んだ。目標Raidersに前進したことでナジャフを北西から遮断し、Raidersからすぐさま東へと前進して目標Jenkinsに指定されたユーフラテス川にKifalで掛かる橋梁を確保。この動きでナジャフを北東から遮断した。


目標Ramsから目標Raidersに向かう国道28号はナジャフが位置する崖線を横切る。道路はそこで切通しとなっており、両側に機動の余地のない制約地形となっている天然の緊扼地点である。イラク軍は国道28号と崖両側に沿って歩兵が壕を掘り、砲兵も配置が巧みだった。
第1旅団が目標Ramsからの前進を開始すると直射および間接射撃が先頭部隊を見舞った。旅団は対応として支援火力部隊に進路を啓開すべく要請した。煙幕射撃で敵の視界から縦列を隠したのち、直接支援砲兵大隊である第10砲兵連隊第1大隊は58の射撃任務で放ち、イラク側の抵抗を制圧した。第1旅団は24日の早い時刻に目標Raidersを確保しJenkinsへの運動に備えた。その日遅く、旅団はナジャフから北に走る国道9号にRaidersとJenkinsの間で阻止陣地を確立。25日払暁にJenkinsへの前進は砂嵐のただなかで始まった。対空砲兵中隊と戦車中隊を中心とする任務部隊がJenkinsにかかる橋梁に西から通じる道路を旅団本隊の前進に先立つ数時間前に確保した。イラク側は橋の此岸をいまやおなじみの狂気の勢いで準備陣地で守っていた。対空中隊団は第7歩兵連隊第3大隊B中隊を含むTF3-69機甲が到着し川西岸のKifalのその一帯を掃討するまで防御側と9時間にわたり砲撃で交戦した。掃討に直ちに続いて1個戦車小隊が東岸へ橋を強行して渡ろうとし、一方イラク側は橋を爆破しようとした。爆破は構造を倒すには至らなかったものの、破壊により戦車は一度に1両ずつ案内されて渡るのがやっとだった。任務部隊はこの方法で対岸に戦車全部を渡した。いまや川を渡った任務部隊はイラク側の徒歩部隊が繰り返す自殺的攻撃を撃退し、強力な防御陣地を確立した。橋頭堡が達成されたことにより第1旅団はナジャフの北からの遮断を完遂した。

一方師団の前方部隊がナジャフにいた23日にナシリヤ付近では、師団支援集団の装輪隊は目標Ramsに向けての遅々とした前進を続けていた。通信線が長く延びるにつれ、市街地域を当初は迂回していたものの、後方地域車列への危険はそれに従って増した。師団支援集団の車列の一つがナシリヤの確保していなかった地域に迷い込み伏撃を受けて損害と捕虜を出した。この車列は主として師団に配属されたパトリオット大隊の整備中隊であった。ナジャフに話を戻すと、師団騎兵大隊は第1旅団と第2旅団に加わって戦闘に入った。市の包囲を閉じるため、第7騎兵連隊第3大隊はサマワでの包囲任務を交代した後、3月24日に国道9号をユーフラテス川に沿って45マイル、目標Floydに向かって進んだ。目標Floydの中心はナジャフの南東にあるAbu Sukhayr町に近いユーフラテス川に掛かる2つに分かれた橋である。騎兵の進路は第1旅団と第2旅団の目標Ramsに向かっての運動の東で並行している。国道6号に沿っての前進は地形の制約により道路一本のみであり、前進はたちどころに走行しつつの戦闘となった。騎兵はイラクの準軍隊および民兵が確立した一連の大規模な伏撃を突破せねばならなかった。準軍隊および民兵はRPGと対戦車ミサイルを装備していた。加わゆるに、3日間の砂嵐が始まって視界を制限し、戦闘によっては至近距離で生起した。Faysaliahでの戦闘は最も激しく、とりわけ運河橋が崩れて道を塞ぎ、M1戦車1両に損傷を与えて迂回を余儀なくされた。一方、暫くの間、対岸では戦車とブラッドレーのハンターキラーチームが立ち往生した。大隊が進路全体でなおも戦闘を続けている中、3月25日の払暁には、前衛隊が9時間で45マイルの路上機動の後に目標Floydに到達した。この道はその後、兵らに「待ち伏せ通り」と呼ばれた。

やっと目標Floyd付近に到達するなり、第7騎兵連隊第3大隊は直ちに橋を確保すべく攻撃した。この攻撃は熱線および夜間視察装置を用いて砂嵐の只中で行われた。イラクの準軍隊の成員らは橋を激しく守った。にもかかわらず午前遅くには橋は確保され大隊の一部は別な橋とダムを確保すべくAbu Sukharを通って川東岸を北へと運動した。再び抵抗は隅々に至るまで激しく、砂嵐のため視界が悪かったので戦闘は近距離で行われた。イラク側の圧力が増し、第7騎兵連隊第3大隊はすぐにユーフラテス川両岸で3つの正面で同時に戦うことになった。弾薬があっというまに切れてきた。師団は即座に第1旅団と第2旅団に警報を出して騎兵大隊を救援か連接するため部隊を集合させた。25日の薄暮に第1旅団はKifal橋頭堡の2-69機甲任務部隊から部隊を派出してユーフラテス川岸を東へ緊急補給を携えて騎兵へ派出した。二つの部隊は第3旅団が運動を開始してから3時間以内に連接した。その間、南西では第2旅団が目標Ramsを確保し騎兵大隊とその場で引き継ぐことを課せられ、26日に実行したことでナジャフを南から遮断した。この任務では旅団は追加でこれまで師団後方部隊を護衛していた2個戦車大隊任務部隊を目標Ramsの占領の際に受領している。
ナジャフをめぐる作戦はイラク南部とクウェートを3日間(3月25日から27日)覆い、視界をゼロにした大型の砂嵐で妨げられた。けれども砂嵐も第3歩兵師団(機械化)がナジャフを孤立させ次の作戦として予定されていたカルバラとバグダッドへの途上でのイラク共和国防衛隊に対する作戦の準備で目標Ramsに大規模な補給基地を確立するのを阻むことはなかった。

司令部はカルバラ付近に予想される共和国防衛隊に対して前進する前に作戦休止を組んではいたが、2003年3月26日には第3機械化師団の全3個旅団はこの主要任務から外れて、進撃路沿いの警備任務を遂行していた。3月25日から29日にかけて実質的に北への全ての進撃は停止した。南では第3旅団がサマワを包囲していた。その北西50マイルでは第2旅団が南から第1旅団が北からナジャフを包囲していた。

旅団がカルバラ=バグダッド作戦の準備を開始できるようにするため、第5軍団は第101空挺師団(空中強襲)と第82師団第2旅団を派出して警備任務を引き継がせた。第82空挺師団の部隊は29日に第3旅団とサマワ周囲で交代、同日、第101は他2個旅団とナジャフ周囲で交代した。第101師団も第82師団も以後数日間第3機械化師団の通信線に位置する敵の抵抗中心を減殺するのに費やした。

引継ぎ次第、第3師団の旅団は目標Ramsへと移動し次の作戦に備えて装備を整え再編した。この再装備と再編は部隊がサマワとナジャフ周囲に配置されているときから行われていた。師団は3個の機動旅団本部下の任務編成を再編した。第3旅団はまずナシリヤ、ついでサマワで抵抗巣を包囲していたので、2-69機甲任務部隊は3月22日、目標Raidersに第1旅団が前進する際に同旅団へ転属されていた。第1機甲師団第1旅団から第3師団第3旅団に配属されていた戦車大隊である第70機甲連隊第2大隊は第2旅団の第64機甲連隊第1大隊とともに3月24日に目標Ramsで師団支援集団の警備のため派出された。両大隊はその後26日に目標Floydでの救援作戦のため第2旅団に配属された。師団がカルバラ作戦の準備を3月29日始めたとき、第70機甲連隊第2大隊はそれ以降ずっと第101空挺師団(空中強襲)へと配属される
ことになり、1-15歩兵任務部隊は第3旅団から第2旅団へとカルバラ=バグダッド作戦中転属された。これにより師団の編成は第1旅団が2個機械化歩兵任務部隊と1個戦車任務部隊、第3旅団が1個機械化と1個戦車任務部隊、そして第2旅団が2個機械化と2個戦車任務部隊となった。

第2旅団は次いで機械化任務部隊の一つである3-15歩兵任務部隊を師団のユーフラテス川渡河点の警備に数日間差し出した。任務編成は作戦開始時点と同様にバグダッド到達時には戻り、第3旅団は当初の常時配属されている大隊を受け戻した。

作戦の最後となる段階はカルバラを迂回しての前進、ユーフラテス川の渡河、バグダッドに直接前進し包囲することから成り立っていた。バグダッドを孤立させた上で、次に各旅団は市内に侵入した。侵入の度合いはイラク側体制の抵抗と状態によった。第3歩兵師団はティグリス川に北から南へ二分されているバグダッドの西部の包囲を担った。第1海兵遠征軍は南東から前進し、ティグリス川以東を担任したあ。この作戦では全3個師団機動旅団がそれぞれ要となる役割で用いられ、それぞれの最終目的はバグダッドの包囲であり、北が第3旅団、西が第1旅団、南が第2旅団となっていた。

バグダッドはユーフラテス川の東にある。米陸軍部隊は川西の目標Ramsにいるので、イラクの首都に前進する前に渡河せねばならない。ユーフラテス川西の地形は、堤、運河、灌漑水路、岩列、そしてカルバラの街区で区切られているため大機甲部隊の運動を制約していた。前進と師団の通信線として唯一の通過可能な地形はカルバラとイラク人が塩の湖と呼び、米側は一般にはカルバラ湖と呼んでいた大湖の間の2マイルの地隙である。情報分析によると、敵はカルバラ市の西であるカルバラ地隙を砲兵とミサイルによる殺傷地帯としていた。にもかかわらず地形により米軍はこの地隙を通過せざるをえなかった。従って、攻勢作戦を再開する前に、第5軍団は地隙を射程におさめる敵兵器の全てを発見、破壊することに全力を注いだ。

カルバラ地隙に最も近く最良の渡河点は、カルバラの北西にあるMusayyibで国道9号の2本各4車線の幹線道路橋である。この地点を渡河するのは防御しているイラク側にとって明白であった。イラク側に対して米軍の真の意図を欺瞞するため、第5軍団は実際の前進の前に様々な手段で偽計を仕掛けた。この戦略の一環として、第5軍団は第3機械化師団に師団の計画しているユーフラテス川渡河点を欺瞞するため陽動攻撃を行うよう指示した。

カルバラの東Hindiyahで道路がユーフラテス川を橋で渡り、古代バビロンの遺跡の隣にできたヒッラ-へ続いている。この端が目標Murrayに指定された。真の渡河点であるカルバラの北西Musayyibの国道9号の二本の幹線道路橋は目標Peachに指定された。第101空挺師団の部隊がナジャフからヒッラ-に向けて北西から陽動する間、カルバラ地隙への前進の序段として、第3歩兵師団第2旅団は目標Ramsから目標Murrayに向けて同様に陽動した。それに加えて第2旅団は師団の前進する正面の地域にある小さな孤立した敵部隊を掃討した。

3月30日、第2旅団は2個機械化歩兵任務部隊をもって岩列から敵部隊を掃討することでナジャフとカルバラ間の師団正面を啓開すべく出撃した。砲撃と攻撃ヘリが任務部隊を支援した。翌日には第5軍団全体が動いて敵の注意をカルバラ地隙から逸らしイラク軍砲兵とミサイル部隊の撃滅をすべく様々な陽動攻撃と航空攻撃を行った。

第3歩兵師団の主行動は第2旅団による目標Murray、Hindiyahに掛かる橋への陽動であった。
第2旅団の任務はイラク部隊をカルバラ付近の主攻から引き離し主渡河がHindiyahで行われると騙すことであった。3月31日の0600に、2個機械化任務部隊が側翼を掩護する中、4-64機甲任務部隊が、途中町を掃討しつつ砲兵と工兵の支援を受けて主道をHindiyahを抜けてユーフラテス橋へ向かった。抵抗は激しく、迫撃砲、砲兵射撃、そして至るところにあるRPGが建物や通りの角から飛んできた。防御していたのはフェダイーンと共和国防衛隊ネブカドネザル師団の第23歩兵旅団第2大隊であった。第3機械化師団と共和国防衛隊の部隊が衝突したのはこれが最初だった。戦車は1時間以内にユーフラテス橋西端を確保し、工兵が構体から爆薬を除去した後、その後数時間対岸の敵と戦闘した。防御側は民間人を盾や人質にして移動したり射撃し始めた。作戦は陽動だったので4-64任務部隊は川を渡らなかった。敵に防御に成功したと思わせて、午後遅くには第2旅団はHindiyah南東の国道9号の阻止陣地へと後退した。阻止陣地はイラク側にHindiyahで再度攻撃があると予想させるばかりでなく翌日の他の2個旅団の作戦を支援できるよう作られていた。

図43 2003年 バグダッドへの進撃 (訳注 省略しました) 

本当の攻撃は4月1日から2日の夜間に開始された。第1旅団が、右は3-69機甲任務部隊、左は2-7歩兵任務部隊を先頭にしてカルバラ地隙を前進、0700には驚くほど軽微な抵抗を受けつつ地隙を確保。共和国防衛隊のメディナ師団の抵抗が予想されていたが実際には無かった。第2旅団の陽動攻撃とあいまった対砲兵射撃により、イラク側のミサイルと砲兵による伏撃は発動する前に粉砕されてしまっていたのである。

目標Muscogeeはダムと橋梁の複合体であり地隙の北西隅に位置していた。Muscogeeは戦車任務部隊が特に注意を払っており、その間に機械化任務部隊がカルバラ市西部からの今やお決まりの不正規兵の攻撃を払いのけていた。橋梁とダムは4月2日0600に奪取され、地隙は昼前には掃討された。砲兵と攻撃ヘリの射撃が前進を支援し、とりわけイラクの砲兵を制圧するには役立った。第1旅団の部隊はカルバラを西から包囲し、第3旅団はカルバラの右へ運動して、いまやおなじみの役割として、カルバラを東から遮断する陣地を築いた。

師団の指揮官、とりわけ副師団長(機動担当)Lloyd Austin准将は地隙の迅速な奪取により得られた衝撃力を維持し、ただちにユーフラテス川の橋梁(目標Peach)に前進し川を渡ることを望んだ。0700前に第3旅団はカルバラ包囲と地隙確保の全責任を引き継ぎ、一方、第1旅団は目標Peachへの前進を準備した。配属された工兵旅団本部、第937も前進して地隙を抜ける交通を調整した。

第1旅団は目標Peachへ4月2日の正午に前進した。先頭部隊の3-69機甲任務部隊は橋梁の地域に大変速く到達し1500にはMusayyibの北である高速道路9号の二重橋梁の西岸を確保した。砲兵、近接航空、攻撃ヘリの支援のもと、第7歩兵連隊第3大隊の機械化歩兵と旅団戦闘団の工兵大隊下の工兵が川をゴムボートで対岸に渡りイラク側が爆破する前に橋梁を確保しようとした。この試みは半ば成功したにとどまった。工兵が止めるよりも早く敵は北側橋梁の爆薬に点火してしまった。爆発したが橋はなおも立っていたが、中央には大穴が開き、構造体の損傷により中央は下の川へたわんだ。けれども、南側の橋梁は無償で確保され、すぐに3-69機甲任務部隊が渡った。同日の残りと夜は橋頭堡の確保と東岸での不可避の反攻への防御、そして第2旅団が橋頭堡を通過して前進を継続する準備が行われた。

第2旅団はHindiyahでの陽動攻撃を終えたばかりで第1旅団に続いて目標Peachを超過してバグダッドの南辺の目標Saintsを確保するため前進する任務を負った。目標Saintsは国道1号と国道8号の重要な交差点を管制しており、ティグリス川以西のバグダッドを国南部から遮断する位置である。
早急に前進するよう促されて、第2旅団は当初地隙自体を通らずにカルバラの西部を通過しようとした。地理的には短かったが、この経路は機甲車両や装輪車両には不向きな軟地形だったり錯雑した地形を通っていた。道路網は貧弱、泥濘で、灌漑水路や運河がめぐらされていた。その結果、旅団の一部はとうとう引き返して地隙を通過せねばならなかった。こうして遅れてしまい、第2旅団が目標Peachに到達したのは4月3日早くだった。

第2旅団の到着を待つ間、第1旅団は橋頭堡陣地で大規模な良く調整されたイラク側の機甲攻撃を撃退した。メディナ師団の第10機甲旅団がおそらくは作戦全体を通して最高の反攻を第2旅団(訳注 On Point第5章の記述では攻撃を受けて撃退したのは3-69機甲TFで第1旅団)に払暁に行った。攻撃は質の高いものであったが、米側の防御は攻撃を撃退し、イラク側指揮官は戦死した。

反攻後に第2旅団は東岸へ渡河し、橋梁の警備に1個機械化任務部隊(3-15歩兵)を残して第1旅団を超越、バグダッド南辺へ達する北軸へ1個機械化任務部隊(1-15歩兵)を前進させた。

前進に対して、大部分は準軍隊で中には共和国防衛隊ネブカドネザル師団の部隊による軽微な抵抗があったが、3時間後に目標Saintsに到達した。機械化歩兵は4月3日の午後早く、近接航空と砲兵の支援を受けて車体隠蔽したイラク側機械化部隊や徒歩部隊と戦闘して目標を確保した。目標Saintsを巡る戦闘が行われている間、第2旅団は1個機甲任務部隊(4-64機甲任務部隊)を派出して国道8号を南へ国道9号との交差点まで確保した。メディナ師団の残部がその地域にいると思われていた。任務部隊は反対方向を向いて防御していた小規模のイラク機甲部隊を撃破、撃滅した。これはおそらくはHindiyahでの陽動攻撃の成功によるものであろう。第2旅団で最後に渡河を終えた任務部隊、1-64機甲任務部隊は1-15歩兵任務部隊に続いて目標Saintsへ向かった。その夕方には全旅団部隊が目標Saintsに集結した。バグダッドは実質的に南方向を遮断された。


目標Peachの確保後、第1旅団は目標Lionsとされたバグダッドの西側になるサダム国際空港on order mission随時命令任務を遂行する準備を整えた。旅団は目標Saintsへ向かう第2旅団の部隊の最後が超越するや否や進発した。が、多くの突発事が同時に起き、第1旅団は速度を落とした。師団偵察部隊である第7騎兵連隊第3大隊は第1旅団より前に前進して同旅団の左を確保するため、同旅団を超越せねばならなかった。旅団は渡河点の警備を最初は第2旅団が後置した大隊へ、ついで師団工兵旅団へと受け渡さねばならなかった。旅団の全部隊は渡河のため集合せねばならなかった。工兵部隊が追加されて橋梁を架けようと到着したところだった。前進は定刻に開始されたが、第1旅団の部隊は進発直後から隊形が伸びきり、隊伍が整わず四分五裂して目標に到着することとなった。

第1旅団の前進はまず目標Peachから国道1号へと繋がる、不便な田舎道を経由していた。国道1号はバグダッドの下部を北西から南東へと走る主要高速道路である。この路線に入ったら、旅団の部隊は高速をバグダッド空港施設まで1マイル半のところまで進み、そして空港に調整攻撃を行う。第7騎兵連隊第3大隊は旅団の前を進み、空港の北西にある主要幹線道路である国道10号との交差点まで国道1号を進む。ここで大隊は旅団が空港を攻撃する間、側面を防御する。4月3日の午後遅く、前進が始まった。第一段の田園を抜けての運動で、第1旅団は初めて肯定的な反応をイラク民間人から受けた。バグダッドから南にさほど離れていないところを通過する車両に対して歓呼する者がいたのだった。地形の制約と小規模の伏撃により運動は遅れた。それでもすぐに国道1号に到達し、旅団戦闘団は計画していた支援射撃を目標Lionsに対して開始。先頭部隊である3-69機甲任務部隊は2200少々過ぎに空港周辺に着いた。旅団の残部は後方に伸び切っていたが、3-69任務部隊は単独で攻撃を開始、大空港の施設群南辺へ前進し攻撃。攻撃を4月3日から4日にかけての夜間の間続けた。
任務部隊は外周を確保し、反攻を撃退した。旅団の後続部隊は払暁に到着し始め、2-7歩兵任務部隊は南から来て、施設群の東側にバグダッド方向に面して阻止陣地を確立した。

工兵や他の部隊が到着し飛行場から残党を掃討するのを手助けした。第1旅団は兵舎、複合施設、掩体を系統的に掃討したが、その間も準軍隊や時折T-72が空港外で米側目掛けて射ってきた。中隊規模の徒歩攻撃が撃退されたのは主としてある工兵小隊軍曹が破壊されたM113APCの50口径機銃に取り付いて致命傷を負うまで制圧射撃をしたおかげであった。第1旅団はバグダッドを西から遮断する主要作戦基盤を確立した。

第1旅団と第2旅団がバグダッドに向けて機動する間、第3旅団はカルバラ外部に留まり、市を遮蔽し、準軍隊の散発的攻撃を受け流しつつ第101空挺師団の交代を待っていた。4月5日に引き継いだ後、旅団は目標Peach渡河点を通り過ぎ、目標Saintsで第2旅団の作戦基盤に到達した。ここで旅団はタリルでの戦闘以来初めて、平時配属部隊の全てが再び戻ってきた。Saintsから、第3旅団は国道1号を国道10号との交差点で、第7騎兵連隊第3大隊が3日から保持してイラク側の攻撃を寄せ付けていなかった目標Montgomeryまで進みバグダッドを北から遮断する任務の遂行を開始した。目標Montgomeryから、第3旅団は途上、主要道路、交差点に阻止陣地を確立しつつ北東へ進み、ティグリス川にかかる国道1号橋を確保した。これらの陣地をまとめて目標Titansと呼ぶ。目標Titansを旅団はバグダッド陥落まで保持した。旅団の部隊は時折イラク側と戦闘しつつ、後には1個任務部隊を目標Lionsの防御支援に送っている。4月9日に旅団の部隊はバグダッド自体へと前進した。


バグダッドを孤立させた後、当初の計画では大都市の防御を慎重に探索していくことになっていた。が、情報の示すところによると、これにはバグダッドにあまりに米軍が近づいていることを知り驚倒していた共和国防衛隊大佐も含まれるが、積極行動によりバグダッドを街区戦闘無しで確保できる可能性があった。第2旅団が1-64機甲任務部隊を送り出し、目標Saintsから国道8号を北へバグダッドに入らせ、続いて西へと今やバグダッド国際空港に改名された目標Lionsへ強襲させ、ついで田園を通って目標Saintsに帰還したのだが、
この強襲の際に大佐を捕虜にしたのだった。
 
強襲に対する抵抗は激烈だったが、やり方は誤っていた。組織だった市街戦防御はされてなかったが、M1戦車1両が対戦車射撃が車体後面に命中して行動不能となった。敵射撃により戦車を安全に回収することができなかったので、その場で破壊され放棄され、そのまま目印となった。強襲の成功によりバグダッド中心街への大規模運動も大いに有望となった。

こうして、第2旅団がバグダッドから南にある目標Saintsにいるうちに、4月7日に市中心街へと前進し、旅団規模強襲を行えとの命令を受領した。成功した場合は、強襲は市中心の物理的占領へそのまま移行することになっていた。7日の早い時間に旅団は威力前進した。2個戦車大隊任務部隊が中心地域へ急行し主要施設を確保し、機械化大隊任務部隊が続いて補給線と枢要な交差点を確保していく。イラク側不正規兵はようやく無敵のエイブラムス戦車にRPGとトラック搭載機銃を使うことの不毛さが分かったので短時間の火力戦闘で、戦車大隊を通過させた。だが、機械化任務部隊、3-15歩兵任務部隊が空港とバグダッド中心部を蛇行するティグリス川の間の主要道路交差点を確保しようとしてくると敵の狂気が再びもたげてきた。目標Moe, Larry, Curlyと名づけられた3つの交差点で立て続けに白昼戦闘して、歩兵は無秩序な防御側を完全に駆逐し、一方、旅団の他の部隊は2時間で市中心部へと12マイルの前進を完遂して、主要橋梁やかつてのサダム体制の牙城であった、宮殿、政府施設を確保した。

第2旅団がバグダッド中心街へ前進しているとき、イラクの地対地ミサイルが目標Saintsの旅団の戦術作戦所に直撃し、多数の兵が負傷、この枢要な通信結節が2時間にわたり機能不可能となった。が、旅団編制の柔軟性と冗長性のある指揮統制能力によりこの直撃の戦闘作戦への影響は軽微なもののみだった。

機械化歩兵が通信線を確保し市内深くの前方部隊への補給が可能となったので、第2旅団の強襲はバグダッド中心街への留まるための動きに変わった。第2旅団そして米陸軍はティグリス川西岸を確保してバグダッド内に留まった。第2旅団はその場でさらに2日間、減りつ着実に回数は減少しているものの戦闘を続けた。第1海兵遠征軍の部隊が4月9日にティグリス川対岸に到着したことで、サダム体制の組織的抵抗は実質的に集結した。海兵隊が川東岸を確保し、彫像が引き倒されて、イラクの人々は解放の瞬間が訪れたことを実感したのである。

イラク戦争における第3機械化師団の熟達した旅団運用は50年を超える師団階梯直下の編制階梯における戦力組成の極致である。旅団は支援部隊や配属部隊とともに旅団戦闘団を形成し、複雑な戦闘機動を遂行するのに必要な柔軟性と戦闘力を備え、同時に複数の異なる戦闘を行い、寸地で任務を移行させる。ある時点では師団機動旅団3個がそれぞれ60マイルから75マイル離れた3つの別々のイラクの都市、ナシリヤ、サマワ、ナジャフ郊外で戦闘し、全正面は150マイルを超えていた。旅団の分散したり、そしてカルバラ=バグダッド間進撃のような作戦では集中する能力、単独でまたより大規模な編成の一部で戦闘する能力は米陸軍の編制単位としての将来が先行きの良いことを示している。


結論および旅団の将来
結論

機動旅団は1775年同様、2004年においても成長性のある戦闘隊形である。革命戦争における諸兵科連合旅団はしばらくして19世紀と20世紀初頭の間は単一部隊へと道を譲った。諸兵科連合が復帰したのは1963年の新ROAD旅団、その祖先、AOE旅団、2003年の旅団戦闘段、2004年のUA旅団が戦闘司令部任務部隊構想を実現して、旅団は師団の一部として、或いは師団とは別に作戦する真の機動と火力の中心となったことによる。

第1次世界大戦以前、旅団は米軍指揮官が軍を戦闘させる際の基本単位であった。この原因は歴史的に人員補充制度が貧弱であったためである。当時の人員補充制度では連隊の兵力は細るにまかされた。旅団は将官の指揮に適した規模であり続ける必要があったので、州政府でなく陸軍により維持された。それゆえ旅団は細らなかった。そのかわり、旅団は、より多くの小型となった連隊で再編されることになった。19世紀を通じて、指揮官は自分が機動させる旅団は、人員補充制度の状況や連隊の規模に関わらずおおまかに2000名であることを見込めた。

第1次世界大戦にはじめて恒久固定旅団が編制された。第1次世界大戦の4単位師団、そしてその固有旅団は大規模であり、塹壕戦での運用のための編制であって、旅団の柔軟性と機動性は損なわれていた。第2次世界大戦に師団が再編されると、旅団は完全に除去され、連隊がその役割を継承した。が、現代の機甲戦闘ではその流動性と任務志向戦術により、機甲師団では大隊階梯と師団階梯の間の戦術司令部として連隊や旅団に代わって戦闘司令部が用いられた。戦闘司令部構想、つまり、特定の任務を遂行するため暫時配属された部隊を除いては固有の部隊を一切持たぬ柔軟性のある本部は機甲作戦を遂行するのに大変有効であることが実証された。

1963年に陸軍は全軍にわたって戦闘司令部構想を採用、同構想を拡張してより伝統的な旅団の称号で部隊を改名した。この旅団は配属された機動大隊を統制し、師団からの戦闘支援及び戦務支援部隊により支援を受けるもので、今日まで続いている。

最近のイラクでの戦争では、旅団は基本機動単位として著しい役割を演じた。ある時点では第3歩兵師団(機械化)は地理的に大きく散らばった3つの正面で3つの別々の戦闘を戦っていた。それぞれの戦闘は増強旅団が指導していた。師団は旅団を連係して機能する独立実体として運用することで機動した。例えば、第3師団が互いに約50マイル離れたサマワとナジャフを同時に迂回しようと機動した際、1個旅団がサマワを封じ込め、残り2個旅団がナジャフを包囲するため機動した。サマワが引き継がれると、サマワにいた旅団はナジャフの2個旅団を迂回してさらに50マイル先のカルバラへ前進する。その2個旅団は引継ぎを終えるとバグダッドを奪取する作戦に参加するためナジャフ郊外からカルバラへと移動する。続くバグダッドへの直接前進では、1個旅団がカルバラを封じ込め、1個がユーフラテス川渡河点を確保し、3番目が超越してバグダッドに前進した。ついで渡河点を引き継いだ後、旅団は前衛旅団を超越してバグダッド空港を確保。第3機械化師団長は絶え間なく旅団を回転、あるいはめまぐるしく交代させて元気な部隊で主導権を維持し、そして同時に狭い前進軸と長い補給線の警戒と防御に給し、又同時に幾つかの大都市地域を後続部隊が任務を引き継ぐまで封じ込めていた。

戦闘航空旅団の機動旅団としての有効性と現実性については陪審員は今もなお協議中である。陸軍は機動旅団とみなしているが、戦闘航空旅団が実戦において機動戦力として用いられた史実はない。火力を投じる事に関しては師団砲兵や砲兵旅団もこなせるのであり、機動部隊であると主張したりはしていない。2003年のイラク戦争では第3歩兵師団の航空旅団は限定的に師団のために偵察と警戒任務を行いつつも、火力を投じる役割だった。


旅団の将来:ストライカー旅団と行動部隊

ここ数年、軍事理論家、もっとも著名なところではDouglas MacGregor大佐やJohn Brinkerhoffが陸軍は師団ではなく旅団を基礎戦術単位として再編せよと促している。MacGregorは師団を取り回し辛いが、大変に成功をおさめた古代ギリシャのファランクスに例え、旅団に基づくより柔軟な編制に軍配をあげる。しばしばあげられる論拠に欧州の軍隊、とりわけドイツの連邦軍は旅団基盤であり、師団は主として指揮統制本部となっていることがある。だが、これはドイツ軍が小規模であり中欧で戦闘することを志向していることを無視している。MacGregorもBrinkerhoffも旅団を直接軍団本部下に配し、指揮上で師団階梯を部隊編制から完全に除去している。以下で見るように師団は少なくとも予見しうる未来において、旅団がより独立的な役割と任務を果たすようになってはいるが残り続ける。

旅団と師団の今後といずれが陸軍編制の構築単位となるかは、軍の規模と将来の任務によるであろう。そして、以下に説明するUA/UEx(行動部隊/運用部隊)構想が2003年に出現する以前から、師団は主要単位ではあり続けているが旅団はいずれにせよかつては主として師団が担ってきた独立した役割を引き継いでいた。縮減後に規模を検討した結果、陸軍州兵は基本的に既に旅団基盤軍に転換済みである。現役部隊では駐屯地の問題からほぼ3分の1の部隊、31個中8個が編成上独立しているか、親師団から派出されている。SBCT計画では実質的に師団を編制開発上無視しており、旅団戦闘団が広く適用されていることからみて、多くの点で米国陸軍はすでに旅団基盤軍である。

旅団の陸軍編制主要単位としての将来は、元来はObjective Forceと呼ばれていた陸軍の将来戦力計画におけるUAとして主要な役割があることで安泰のようである。この計画は当初はストライカー計画、あるいは“暫定”計画の延長である。同計画は21世紀における統合環境で軍事目的を達成しうるよう技術進歩を活用する戦力、つまりFuture Forceを最終的に開発、配備することを目的とする長期戦力開発計画である。


戦力開発計画の一環として、陸軍は部隊運用階梯のうち2つに焦点をあてた。Unit of Employment運用部隊と呼ばれる、典型的には師団規模だが軍あるいは軍団規模にもなれる部隊と、旅団規模部隊のUnit of Action行動部隊である。UEx構想は現行の教義および編制から多数の革新的な変化をみせている。編成柔軟性、統合性、他軍種からの指揮を可能とする能力、戦域作戦あるいは戦域作戦の一部を指揮する能力などである。UAはこれまでの旅団単位編制構想と軌を一にしている。旅団規模であるUAは編制では規格性を考慮し、傘下部隊と能力を任務、環境、その他要素に応じて追加することも引き抜くこともできる。この点ではUAは1963年にROAD旅団が採用されて以来運用されてきた旅団編制体系に合致し、実質的には現行の非公式であるが、ほぼ行き渡っている旅団戦闘団の使用の延長である。最初に編制されたUAはストライカー旅団計画の自然の結末であった。ストライカー旅団UAはデジタル通信における進歩と、当時まだ開発されていなかったが迅速展開能力のある装甲戦闘車両を活用する高度技術部隊として組織された。編制構想では規格性をもって、陸軍のObjective Force任務部隊は図44に掲げるUA旅団の基本編制構造を開発した。

図44 UA旅団編制

旅団本部および本部中隊
諸兵科連合大隊×3(歩兵中隊×2 機動砲中隊 偵察分遣隊 迫撃砲中隊)
砲兵大隊
通信中隊
軍事情報中隊
ヘリ航空分遣隊(ヘリ偵察中隊×2)
前方支援大隊

図44 原注
・ 各部隊は規格性があり、任務に応じて編成替えされる
・ 歩兵、機動砲、偵察分遣隊は計画中のFCSを装備する

旅団は教義上、装輪装甲ストライカーかその後継車両に搭乗する2個歩兵中隊と同様に搭乗する中隊規模の偵察分遣隊と迫撃砲中隊に装甲砲装輪ストライカーかその後継車両を装備する機動砲中隊からなる諸兵科連合大隊3個を含む。これまでの編制と異なるのは旅団の補給部隊である前方支援大隊が固有の警備部隊を持ち、偵察部隊は2個航空騎兵中隊を含むことである。

ストライカーUA旅団に求められた任務は以下に概略を示す。

表19 ストライカーUAに計画されていた任務

交戦を調整する
(旅団以下で)独立して加入できる最小規模の諸兵科連合部隊
戦力を集中させずに効果を集中することを可能とする
どこであろうと96時間で展開可能で到着次第直ちに戦闘
高頻度で連続作戦する戦術遠隔交戦への移行
精密打撃を精密機動で補完する
位置の優位を獲得し維持する
現地の連合軍および非政府組織と連絡を取り合う

前章の通り、ストライカー旅団UAは手直しが入り偵察、捜索および目標捕捉大隊(RSTA)と呼ばれる機動大隊が追加された。2004年にUA施行計画が固まり(以下で論じる)、ストライカーUAを除外としてUA機動旅団の全てから1個機動大隊が除去された。ストライカーUAは3個諸兵科連合大隊とRSTA大隊を保持し続ける。まずストライカー旅団、ついで陸軍の重旅団も軽旅団も含めた全旅団でのUA化と、そして独立して加入できる最小の諸兵科連合部隊の確立は、これまでのAOE旅団、ROAD旅団、戦闘司令部といった機動旅団の歴史において全くの革新的な前進である。UAが陸軍における新たな基本機動単位となり、UEx師団は統制本部と援助部隊としての性格を強めるのは、米国陸軍の草創期、ワシントンが旅団を陸軍の基礎機動単位として使ったころへの回帰である。


2004年早く、陸軍はUA構想を陸軍全体で採用する計画を公表した。構想では規格性の概念を拡張して、旅団は自己完結し、あたう限り編制が同一である必要がある。それにより必要に応じて統制師団や任務を変えることが可能となる。師団は通常4個の機動旅団を統制する作戦本部としてありつづけるものの、本質的には陸軍の21世紀に向けての再編構想では基本戦術単位を師団から、旅団基盤規格化陸軍へと変えることになる。現有の軽旅団(歩兵、軽歩兵、空挺、空中強襲)と重旅団(機甲、機械化歩兵)は転換過程の最後には3つの基本型へと変わる。重(これまでの機甲と機械化歩兵旅団から転換)、中(これまでの軽歩兵師団旅団から作られる新たなストライカー旅団戦闘団)と軽(残りの軽、空挺、宮中強襲)である。

相互交換性のある規格性構想は専門部隊を退けた。これまでの専門化した空中強襲旅団と空挺旅団は専門化したまま残るが、他の軽UA旅団と同一に再編されることになる。本論文出版時点での計画目標は、これまでの師団の3個機動旅団から、同等な戦闘力を持つ旅団を4つ作り出し、師団航空旅団全てを標準化することである。このため、新旅団は3個機動大隊から2個へ縮小されたが、1個騎兵大隊、RSTA大隊がこれまでの旅団騎兵中隊に取って代わる。陸軍指導者らは新たな小型化した旅団はこれまでの大きな旅団と比べて1.5倍もの戦闘力を持つと主張する。より多くの小型化旅団が創設されることで旅団の交代と、個人毎で無く部隊毎の人員補充制度による展開が可能となり、作戦級での柔軟性が増大する。新旅団は第2次世界大戦の軽機甲師団における戦闘司令部の編制がもっとも似ている。その典型的な編制では、1個戦車大隊、1個機甲歩兵大隊、1個機甲砲兵大隊であった。この小規模な編制は1963年にROAD旅団が採用されるまで機甲師団で続いていた。


旅団に規格性をあたえるため、各重旅団(機甲、機械化歩兵)と各軽旅団(歩兵、軽歩兵、空挺、空中強襲)は同様に編制される。旅団はどの師団本部下でも活動できるようになる。新構想では陸軍内部で長らく論争されてきたのだが、重UA旅団の2個機動大隊は諸兵科連合編制となり、2個戦車、2個機械化歩兵、1個工兵中隊となる。これにより、各機動大隊の編制は同一となる。

2個大隊に編制された8個機動中隊はこれまでの典型的なAOE旅団における9個機動中隊が3個大隊に編制されていたのとよく対応している。RSTA大隊で3個偵察中隊が加わるので実際には新旅団は(AOE偵察中隊を計算に入れても)重UA旅団の場合その直系の先祖に比べて、1個機動中隊が純増となる。この編制を図45に掲げる。


図45 2004年における重UA旅団
旅団中隊大隊(本部及び本部中隊 通信中隊 憲兵中隊 軍事情報中隊)
諸兵科連合大隊×2(戦車中隊×2 機械化歩兵中隊×2 工兵中隊 前方支援中隊)
RSTA大隊(偵察中隊×2 UAV中隊)
砲兵大隊(砲兵中隊(8門)×2 前方支援中隊)
旅団前方支援大隊(輸送中隊 整備中隊 衛生中隊)

原注 固有の対空資産は無し
訳注 諸兵科連合大隊の兵科記号は1個は機甲、1個は機械化歩兵
砲兵大隊の記号は機甲砲兵


師団航空旅団も標準化される。各旅団は2個攻撃ヘリ大隊(アパッチ24機)、強襲航空大隊、(UH-60ブラックホーク軽汎用ヘリ30機)、1個中中隊(CH-47中貨物ヘリ8機)、指揮統制ヘリ中隊(ブラックホーク8機)、固有の航空整備、そしておそらくは中隊規模のUAV部隊から成る。師団は統合師団に似る。これまでのやり方では師団毎に異なる規模のAH-64大隊とUH-60大隊を持った航空旅団があった。

航空旅団が規格編制となるこの再編でもなおもこれまでの編制で見受けられた二面性は続いている。つまり、一方では攻撃ヘリ大隊のような機動戦闘部隊を統制し、一方では強襲航空大隊や中航空中隊といった管理/支援部隊である。航空資産全てを1部隊にまとめる要求によりこの二重性が生じ、航空旅団は真に機動部隊なのかそれとも師団砲兵本部のような管理舞台なのかという論争が将来も続くことになる。

図46 2004年における規格化師団航空旅団

師団航空旅団の再編は陸軍の戦力開発者が提唱した規格性の構想を反映したものでもある。軌道旅団と同じく、師団航空旅団もどの師団本部傘下でも戦闘可能である。

規格旅団再編が完結する2007年には、機動資産をUA旅団へ配分しなおすことで現役陸軍で新旅団が15個誕生し、15の陸軍州兵増強旅団は22のUA旅団戦闘団へと生まれ変わる。1960年代早期に最初のROAD旅団が誕生して以来、その独自の編制により旅団は大変に柔軟な組織であったが、UA旅団は相互交換可能な、規格化された編制により戦略級のみならず作戦級においても柔軟性を与える。1778年におけるジョージ=ワシントンの再編以来はじめて、旅団が陸軍の基本戦術諸兵科連合単位となる。師団は実質的に統制本部となることで、陸軍の将来は過去の大部分と同様に旅団に属すことは明確である。

本研究を終えるにあたり、旅団の編制を変更する必要や要求を支持する近年の歴史的事例はないことを指摘しておくべきだろう。最も最近の軍事作戦、とりわけ2003年におけるイラク作戦ではROAD/AOE型の旅団戦闘団の柔軟性を実証する傾向にあった。

図47 2004年における陸軍旅団再編

現役旅団 33個 予備役 15個  → 現役48個 予備役22個
重旅団 15個 → 重旅団20個
軽旅団 18個 → 中旅団6個 軽旅団22個
陸軍州兵独立増強旅団15個→ 22個


旅団が機動に柔軟性を与えるためさらに小さい部隊に解体されたことは一度も無かった。AOE構想では規格化部隊は戦闘や戦闘支援の大隊や中隊であり、旅団ではなかった。2003年の作戦では第3歩兵師団(機械化)師団長は特定の任務によって旅団を編成する権能があり、彼はしばしば行使している。UA旅団が旅団以上の階梯における柔軟性を加えつつ、同様の柔軟性を供せるかは見定めるべきこととして残っている。陸軍が同様の規模の部隊を旅団階梯で用いた歴史上の例としては、1943年から1963年まで続いた機甲師団の先頭司令部は新たなUA旅団と同様の編制であり、各1個歩兵、1個戦車、1個砲兵大隊である。

UA旅団において諸兵科連合大隊が採用され、実戦時と同様に恒常編制されるのは1963年のROADの採用以来、旅団における最大の革命的変化である。UA旅団は数が増加することにより、AOE旅団よりも一段高い柔軟性を陸軍作戦に供する。旅団階梯部隊の回転を向上させ、個人毎でなく部隊毎交代人事制度を旅団階梯で行えるようになる。旅団が追加されることによる高い柔軟性と同様に、部隊は新兵を受け入れている間、非即応であることが可能となる。これによる戦訓は旅団のこれまでの歴史というよりむしろ将来のものとなろう。

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