SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ストライカー装甲車を囮とする待ち伏せ
出典 M&C News
URL http://news.monstersandcritics.com/middleeast/article_1045113.php/In_Mosul_the_Stryker_shows_its_worth?page=1
原題 In Mosul, the Stryker shows its worth
日時 2005年8月31日
筆者 Pamela Hess (UPI電)
発信地 イラク モスル
内容 3-21Inf.が登場するモスルでの対内乱戦闘の話
一部のみ以下訳出

A中隊の殺害数は3月がことに多かった。中隊では三月の狂気(March Madness)と呼んでいる。
(訳注 アリスの三月兎と狂った帽子屋あたりが引用されている?)

三月にストライカー装甲車の特徴を利用した新たな戦技を用い始めたのである。その特徴とは顕然性である。

”内乱者が大きな緑色の車両を見つけると、彼らは米兵があたりにいると
判断する”と第21歩兵連隊第3大隊A中隊長Robert "Blake" Lackey大尉。
”敵が車両に目をつけているので、我々はそれを逆手に取った”

A中隊は2週間のうちに4回、同一地点で攻撃を受けた。兵らはいらだった。モスルの内乱者は”通いの内乱者”、つまり、別の場所に住いを持ち、ある地域に来て戦闘し、それから群集や交通に紛れ込んで逃げるのである。

しかし、内乱者は12時間戻ってこない。このいない時間帯にA中隊の狙撃手がしばしば内乱者が現れる地域、無辜の市民の交通に容易に素早く溶け込める交差点が多い、を見渡す地点に隠れる。

その後暫くして、ストライカー装甲車がその地区にやってきて兵を降ろす。内乱者が攻撃すると、彼らは通りを見下ろす狙撃手により背後から撃たれる。これは”囮待ち伏せ”として呼ばれる戦技であり、旅団で評判でもちきりである。

”3月は運に恵まれた。敵は対応できなかったからだ。それというのも主に我々が敵を全員殺害したので戻って仲間に伝える者がいなかったからだ”とLackey中隊長。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright © 2005 SBCT関係論文翻訳 all rights reserved.
Powered by FC2ブログ.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。