SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
タルアファルにて大規模な掃討作戦
出典 Washington Post
URL http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/09/02/AR2005090202250.html
原題 5,000 U.S. and Iraqi Troops Sweep Into City of Tall Afar
Urban Assault Is Largest Since Last Year
日時 2005年9月3日
筆者 Jonathan Finer 同紙外報部
発信地 タルアファル 9月2日
内容 タルアファルで大規模な都市掃討作戦が金曜日に開始された。
登場する部隊は第3機甲騎兵連隊のみ。
以下全訳
晴れた静かな払暁、市の尖塔(minaret)からの礼拝の呼びかけだけが聞こえる中、仕掛け爆弾がM1A1エイブラムス戦車を揺るがし(blast)、付近の建物を震わせ、群青色の空は濛々と吹き上がる黒煙で満たされた。

損傷を受けた車両の脇の建物からパチパチと小火器の音がおこった。米軍は次第に激しい攻撃で応じた。12.7mm機銃の連射、戦車の主砲弾、そしてTOWミサイル。が建物からは小火器が放たれ続けた。とうとう、耳をつんざくような音とともに戦車主砲弾が5発立て続けに撃ち込まれ、建物は燃え上がる瓦礫となり、爆発した変圧器の放つ白い火花が人気の無い通りを照らした。

昨年11月のファルージャ攻城戦以来最大の規模となる、5千名を超える米軍およびイラク軍が金曜日の夜明けにこの北部の都市に攻め入った。が、この日の終わりの45分間の戦闘が語るのはタルアファルの大半をほぼ1年も支配する内乱側はやすやすとこの都市を手放すつもりはないということである。

”彼らが戦うつもりなのは分かっていた”と陸軍の第3機甲騎兵連隊第2大隊Eagle中隊Blue小隊の機銃手のJonny Lara一等兵。同一等兵はおよそ100ヤードも離れた屋上で記者とともに衝突を見ていた。”さて戦闘というわけだ”

この日のうちに、焼け付く陽射しの中、家から家へ捜索をする米軍は内乱者少なくとも30名を殺害した。25万都市の上を一日中旋回するアパッチ攻撃ヘリは27名を殺害、これには指揮官によると古タイヤに仕掛け爆弾を隠そうとしていた8名が含まれる。米軍およびイラク軍の損害は報じられていない。

シリア国境からおよそ40マイルの田園地帯を通る古来の密輸路に位置するタルアファルは、軍関係者によると内乱側の北部イラクにおける作戦の上で主要な補給拠点とのことである。数百マイル南のAnbar州の一連の町では、海兵隊が5月初め以降、数回攻勢に出ているが、タルアファルはそれらの町同様に人員や武器の移動の上でも、戦士らにとって安全地帯としても内乱を持続する上で必須の待機地点とされる。

1年前の今月、米軍とイラク軍は、補給車列に対する一連の仕掛け爆弾の後、町に攻め入った。が、攻勢後すぐに、イラクの他でも繰り返されていることだが、タルアファルとシリア国境沿いの100マイル長を超える広大なイラク北部のこの一帯におよそ500名の警官を残して部隊の大半は引き揚げた。

10月の終わりまでには、内乱者は戻ってきた。より強力となり支援する外国人戦士も一層増えていた。彼らはたちどころに町を脅迫、誘拐と首切りにより、またタルアファルで多数を占めるスンニ派トルクメン人に米軍の作戦は彼らを狙ったものだと説得するキャンペーンも効いて、支配した。

”9月の作戦は基本的には人々を怒らせてしまった、それを内乱側が利用した”と今年4月に状況の悪化にともないバグダッドから移動してきた第3機甲騎兵連隊の計画将校(the planning officer)であるコロラド州フォートカーソンのBob Molinari少佐(35歳)は語る。攻勢は”我々が意図していたのとは正反対の効果をもたらした。我々は力の空白を作り出し、彼ら(訳補 内乱側)満たした”
数十名を除く地方警官の大半は辞め、多くは内乱側に味方した。市の導師(imam)と学校教師は過激なイスラム宗派を報じる新参者に交代させられた、と米軍指揮官や地元住民は語る。1年の暴力ののち、タルアファルの住民の半分もが郊外地帯へ逃げ出し、シャッターを下ろした商店と黒焦げの車両の過疎町となった。

”ここは町じゃない、墓地だ。イラクの最低の中でも最低だ”とフセイン政権時代の将官であるNajim Abdullah Jabouriは作戦開始前日のインタビューで語った。”掃除する必要がある”

Jabouri氏は米軍とイラク軍により4ヶ月前、タルアファルの警察署長としてバグダッドから連れてこられた。

第3機甲騎兵連隊長H.R. McMaster大佐によると、タルアファルの複雑な人口構成が平定を困難としているとのこと。住民の75%はスンニ派トルクメン人で多くはフセイン統治下で政治でも軍事でも顕職についていた。国内のシーア派主導政権の興隆によりますます脅かされて、彼らは地元のシーア派トルクメン人部族や、タルアファルに派遣されてきた多くはシーア派とクルド人からなる治安部隊と衝突している。

トルクメン人は隣国のトルコと民族的に繋がりがあるのが米軍にとって問題を複雑なものにしている。昨年のタルアファル侵攻では、トルコ外相Abdullah Gulはイラク関連については合州国への強力を停止すると脅している。

”この町は基本的にイラクにある全ての問題、全ての断絶が一箇所に集まった小宇宙なのだ”とMcMaster連隊長。

4ヶ月前の到着以来、第3機甲騎兵連隊はスンニ派とシーア派トルクメン人地元部族に接触して、違いを乗り越えて内乱者に対し集中するよう勧めてきた。米軍はタルアファルを囲む町々、昨年の攻勢時に内乱側が逃げ込んだと思われる北のAfganiなどを含む、で強襲もした。

市内での戦闘は夏中、一層激しさを増した。5月には車爆弾がシーア派の葬列近くで爆発し、少なくとも15名が死亡。内乱側は航空攻撃に対しては飛来するヘリを銃手に警告する携帯電話網を用いたうまい防御を編み出した。また、市内への主要補給路沿いでは車列が接近するとフラッシュライトで路肩爆弾による攻撃者に合図した。先週の3名を含む少なくとも13名の米兵が亡くなっている。

最近の会合では、McMaster大佐によると、部族指導者らは米軍に再度タルアファルに侵攻するよう、が今回は素早く撤退しないようにと懇請したとのことである。

”我々は過去の失敗から学ぶように努めている”と大佐。これまでの指揮官を批判としないように最大の留意をしつつも述べた。これまでの指揮官は資源と人員の制約が足枷となっていたという。

大佐は金曜日からの作戦と昨年11月のファルージャ攻撃とのいかなる比較にもいらだちをみせた。
ファルージャはタルアファルとほぼ規模は同じだが、米軍が侵攻した時点ではより内乱者の数はより多かった。その多くは殺害されたにも関わらず、ファルージャはゲリラにとって集結点となったと大佐。彼らは市が破壊された責めを米軍に負わせたのである。

”私は町を殺すつもりはない、生き返らせたいのだ”とMcMaster大佐。”我々は破壊を最小限度にする手立てを講じている。正しくやりたいと思っている”

作戦は金曜に始まり、兵らはブラッドレー戦闘車の後部に午前6時過ぎに乗り込み、タルアファルの奇妙に静まり返った通りへと進んだ。10名から15名の分隊で、彼らは家に突入した。家屋の多くはうち捨てられており、内乱活動に関係すると思われる住人を尋問した。爆弾が仕掛けられている恐れのある通りを避けて屋上から屋上へと飛び移るのもしばしばだった。

Blue小隊長(訳注 原文ママ)のNoah Hanners大尉は少なくとも数十名の兵役年齢の男性に尋問し、氏名を連隊の持つブラックリストで照合した。尋問された男性らは近所で内乱者が活動しているのは知っているが誰だともどこだとも知らないと述べた。

”我々の望みはここが安全になることだけだ”と暗灰色の長衣を纏った中年男性は言う、傍らでは妻と子供11人がマットに座り、妻は啜り泣き、娘の手は震えていた。

”それは私も望んでいる”とHanners大尉。”それであなたの助けが必要なのです”
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright © 2005 SBCT関係論文翻訳 all rights reserved.
Powered by FC2ブログ.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。