SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
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タルアファル、Sarai地区にて強襲を前に

washingtonpost.com
出典 Washington Post
URL http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/09/06/AR2005090601633_pf.html
原題 With Death at Their Door, Few Leave Iraqi City
Civilians Urged to Flee Before U.S. Assault
日時 2005年9月7日
筆者  Jonathan Finer 同紙外報部
発信地 イラク タルアファル 9月6日
内容 鉄条網の一方の側の通りには米兵100名、ブラッドレー戦闘車5両、M1A1エイブラムス戦車2両。通りを隔てた向い側にはイラク北西部の包囲下にある都市タルアファルの男性、女性、子供がおよそ1000人。

以下全訳


軍はヘリから撒布した伝単(leaflet)と火曜の午前にラウドスピーカーで流したメッセージで、市中心の東にある、内乱側が支配するSarai地区へまもなく強襲することを警告し、市民に町南部の検問所を通って脱出するように求めた。が、大半がスンニ派トルクメン人であるSarai地区の住民は北へ逃げるか、何があろうと家に留まるかだと主張した。

8時間の対決、交渉、意思疎通の失敗、時折の銃撃と巻き起こる怒りの繰り返しの後、米側指揮官が群集に”最後の機会”を与えたところ、ある一家だけ、そのおよそ17名が市を軍の護衛の下で去ることに同意した。他の者は運を天に任せると高言し(vowing to take ones' chance)、Sarai地区へと引き返した。

"沢山の人々がバリケードを築いて籠ったが、大きな誤りだ”とGeroge Kakeletris二等軍曹(Staff Sgt.)。同軍曹は心理作戦の兵であり、軍がBel Airと呼ぶ通りをハマーで一日中行き来し、車の屋根に載せたスピーカーからアラビア語のメッセージを流していた。

およそ5千名の米軍とイラク軍が内乱者を駆逐する(dislodging)するのを目的とした攻勢でタルアファルに4日前に入った。これまでのところ戦闘は散発的である。米兵1名が戦死、また内乱者と推定される200名を殺害したと、この攻撃を指揮する第3機甲騎兵連隊長H.R.McMaster大佐。

火曜日にイラク軍検問所付近で自爆があり市民5名が亡くなった。4日間、小規模な強襲と家屋捜索をして部隊はSarai地区を包囲した。同地区には内乱者が集結していると指揮官らは考えている。

イラク政府はこの非常に不安定な地域では軍指揮官らに市民の犠牲を最小限とする事を要請した。1年前の9月のタルアファルに対する米軍主導の侵攻ではトルコ政府が激怒し、攻撃でトルクメン人が犠牲にされていると主張した。トルクメン人はトルコ人と民族的につながりがある。米軍が撤退すると内乱者が戻り、攻撃に対する怒りを利して市の支配を固めたが、これはスンニ派部族とシーア派部族とでの宗派間の流血により損なわれてもいる。

”市民に対する害があたう限り確実に最小限となるよう手段が講じられている”とMcMaster大佐。

が、Sarai地区住民らによると、タルアファルの南部に集住するシーア派住民や警官が、そちらの方向に逃げたら攻撃すると警告されているとのことである。、

”南に歩くくらいなら家で家族と一緒にアメリカの爆弾で死んだほうがましだ”と灰色のdishdasha、つまりローブを纏い白の頭巾を付けた男性は兵らに説いた。”皆がシーア派は我々を殺すか誘拐すると言っている。それは不名誉だ”

Sarai地区、タルアファルで最古の地区であり狭い通りが網目状になっており戦闘は難航することが予想されているが、同地区からの脱出により市民が攻勢の最終段階で負傷したり死亡したりすることを防ぐことが出来る。軍はほぼ1マイル長の鉄条網を同地区北端のBel Air通りに沿ってに敷いた。日曜には住民に南へ向かう様勧めた。南には内乱者が探知されずに逃げ出すのを防ぐ検問所が設けられている。指示に従い南へ火曜に逃げた200名の中に、女性の服装をし偽の胸を付けた、内乱者の容疑がかかっている男性が発見された。

軍にとって問題は火曜の午前8時に始まった。兵が放棄された家屋で一晩を過ごして目覚めるとSarai地区住人およそ300名が鉄条網をかいくぐって抜け出て家の外の通りに座り込んでおり、タルアファルからどう抜け出せばよいのかと聞いて来た。

兵らは群集を護衛して鉄条網の向こう側に返したところ、少なくともさらに500名が待っていた。彼らを阻止するため、戦車とブラッドレーがBel Air通りに沿って配置され、兵らは小銃を手に通りを見下ろす屋上へ送られた。

逃げ出そうとしている人々の部族長と名乗る男性が、時折、爆弾で生じた穴が十数個もある通りを横切って歩いてきて、鉄条網を慎重に越え、兵らと交渉した。住民の中には近親者が病身だったりかよわいため市南部へいけない、或いは北のほうにいる部族なのでその方向に行かねばならぬと主張するものもいた。また、Sarai地区には住んでいないが一晩過ごしたら鉄条網に閉じ込められていたと言う者もいた。兵らは彼らが鉄条網を越えるのを拒んだ。

”皆さんの99%は善良で、我々に真実を語っているとわかっています”と第3機甲騎兵連隊第2大隊Eagle中隊長のAlan Blackburn大尉。同中隊はBel Air周囲の地区を警備している。大尉は北に行くのを望んでいる男性に向かって、”ですが、皆さんの中には良からぬ連中がいるのも確かです。そして我々には奴らを見つける施設がありません。皆さんは南へ行かねばなりません”

”戦車で送ってくれない限り南へは行かない”と男性。”Sarai地区には悪い連中はいない。一緒に来てくれれば、家全部を連れて回り自分で確かめられるだろう。悪い連中は南のシーア派だ”

午後遅くには、兵らは折れて妥協策を提案した。軍のトラックに乗り市のすぐ外側の基地にて手続きを受けて内乱者と無関係であると分かれば釈放されるという条件付で北側から住民が出る案である。

”我々をたばかって南のシーア派へ連れて行こうとしているように聞こえる”とある男性。

”自分の車を運転してでなければいかない”と別な者も反対した。

午後3時ごろには、大隊長Chrisopher Hickey中佐が到着して最後の訴えをした。”私は皆さんをこの危険な状況から救い出そうとしているのです。皆さんにお伝えしますが、ここに留まっていては危険です”と中佐。”どうか、これが最後の機会です”

彼が群集に背を向けると、ある一家が出てきた。大人9人が荷物を持ち子供8人を引いていた。”他には”と差し招きつつ中佐。”よし、それでは此方の方々を救うことにします”といい、歩み去った。
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