SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
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2-8FA 大隊長、地元民に別れの挨拶
出典 World Peace Herald
URL http://www.wpherald.com/storyview.php?StoryID=20050907-042311-1910r
原題 At last, a U.S. counterinsurgency strategy
筆者  Pamela Hess UPI国防総省担当
日時 2005年9月7日
発信地 イラク Qayyarah

内容
Bradley Becker中佐が歩み出た。前方作戦基地Key Westでの地域治安会合のため集まった部屋一杯のスンニ派やシーア派の族長や導師に告別の挨拶をするために。

以下全訳

それは奇妙ではあるが、卒業とよく似ている。

Becker中佐の第8砲兵連隊第2大隊はイラク北西部のQuayyarahに駐留して11ヶ月となり、アラスカからの新参部隊に引き継ぐ準備をしている。

”私はこの地域では新来で、基盤再建およびあなた方の村々の再建のために来たのだと思っていました”と通訳を傍らに演壇から中佐。”非常な決意をもった敵と戦っているということに気付いたのです”

11月、イラク到着から丁度1ヵ月後、Becker中佐や北西部の大隊長らは、驚くべき組織と広がりを持つ内乱側の攻撃に対して防御していることに気付いた。

2日間で、内乱者は44箇所のイラク警察および軍駐屯地にほぼ同時に攻撃を仕掛けた。攻撃を受けたうちの多くは屈し、多くの場合はわずか1発が撃たれただけでだった。

イラク警察は2日間で7千名から3百名に減じた。

イラク軍の地域全体にわたる崩壊もほぼ劇的であった。

”わずか7個小隊しかなかった。私はこれではこなせないと思った”とBecker中佐は振り返る。

少々意外な助けがあった。


旧バース党員である、Shiek Rahdとして知られる男性が地元の警察署の上に登り近所の者とともに銃をとり、攻撃者を退けたのである。

いまや、Rahdは非常な尊敬を受けるイラク軍大隊長であり、早くから内乱者の攻撃の的となっている。内乱者がRahdの車を吹き飛ばした。が、彼は生き延びた。彼を狙ったRPGが運転者の足を切断した。が、彼は生き延びた。

”彼はイラクで二番目に凶悪な人物だ”と微笑みつつBecker中佐。”私がまだこちらにいることに注意してもらわねばなりません”

Becker中佐は口髭を生やしたスンニ派の族長をこうからかったが、彼の戯れには真実が潜んでいる。米軍の大隊長は小隊と軍曹が戦う戦争だというが、実際には大隊長にかかっているのである。

大隊長らは、強情な共同体に米軍と協力することを納得させるために、交渉と戦力、つま飴と鞭を修正できるほど戦闘に近く、また目下の大戦略をはっきりとみてとれるほどの階級である。

”これは小隊階梯で戦われる大隊階梯での戦闘だ”とBecker大隊長。

大隊長は戦争や内乱の性質について大局から考えている。

この戦争は分散的な性格であり、つまり沢山の小戦闘、一度に1名や2名を拘束する強襲などである。そして、大隊長は、軍の階級がなかほどであることから想像されるよりも力があるのである。旅団長や師団長は大規模な戦争における通常の場合では大隊長から支援を受けるが、ここでは支援することのほうが多くなる。

この戦争の勝利は彼らの肩に懸かっている。

これは彼らが特に訓練を受けてきた類のものではない。

”我々が展開する前にうけてきたあらゆる訓練は最初の30日間のためであり、そこで生き延びて真の教訓をえられるようにするためのものだと、大尉達には言っている”と第25歩兵師団第1旅団第21歩兵連隊第3大隊長のMike Gibler中佐。”どんなふうになっているかはっきり分かっていたとは言えない”

”私の最大の不満は、11月10日から11日にもっとうまくできていたら、敵が何を目標としていたのか分かっていたら”ということだとGibler大隊長は内乱側の攻勢について語る。

”戦域に2ヶ月もいた後であれば、状況がどのように展開していくか読めただろうに”と中佐はMosulの事務室にて記者に語った。”が、敵の攻撃があまりに多かったので、11日の夜になるまでとらえどころがなかった。そのときになって我々は顔をあわせて’畜生! 奴らは警察を狙っている’というわけだ”

イラク中で、対内乱戦略は大隊階梯においてほぼ特有の流儀で現れている。その考案者らは、2年半の戦闘を経て、その結果がやっと実りつつあると語る。

”対内乱をテロリストを殺すことだと考えている人は肝心なことを忘れている”とBecker大隊長。

”本当は人心を獲得するということだ。テロリストを皆殺しにすることはできるが、それでも人々を怒らせれば、100名の内乱者を作り出すことになる”と中佐は説明する。

理論の上では、戦略は単純である。

治安がもたらされたという感覚をまず作り出す必要がある。

米軍は、しばしば地元民であることがある、内乱者相手に単独で有効に行動できるということを実地に示さねばならない。内乱側は共同体を脅迫、恫喝、暗殺活動により人質としていたり、地元民から黙認されていることがある。

どちらの場合でも、米軍は力を誇示する必要がある。”感覚の上での治安と実際の治安については大いに話し合いをしました”とGibler中佐。

”ある出来事をもたらし、あるいは(敵の)人員を追うといった出来事が起こります。こうして、治安状況は変わり、敵はもはやX、Y、Zといったことができなくなります”と中佐。”地元民にこれと、正しいかどうかを示します”

これらの活動と平行して、指揮官は族長や導師と会合して指導者として認めさせる。

適切な性格を持つことが重要である、忍耐、不明確さへの寛容、危険を受け入れる意思が必要となる。これには会合中はボディアーマーを脱ぎ、拳銃だけで出席することも含まれる。つまり、平安と自身を持って訪れるということだ。

”こういった物の後ろで身を小さくしていたら、どうして治安が大いに向上したと人々に言えるだろうか”とBecker中佐。

地元の指導者らと関係を結ぶことが唯一の有効な対内乱戦略である。指導者らが内乱に組しているとしてもだ”

ワシントンの高みから高官がいう”テロリストとは話し合わない”といった言葉は全く聞かれない。

米軍と関係ができれば、地元指導者らに内乱側と距離を置く様にさせることができるし、或いは少なくとも近くから見張れることになる。

再三あったことだが、真の力の誇示の後、族長や導師や村人らに米軍の味方をしても安全だと思わせることが出来るような誇示の後には、情報が少しずつ入ってくるようになると米軍士官たちは言う。

”するとかれらは、’本当に追うべきなのはXだ’と彼らがいい、我々は新たな目標を追いかけるのです”とGibler中佐。”この循環は果てしない。悪人を殺すと、代わりが出てくる。が、これらの悪人に狙いを次々と定めていけば、やがては内乱側は建て直すことができなくなり、そして本物の掛け値なしの治安が得られる”

この治安を固めるのがよそ者の見方をすることで得られる実際の具体的利益を示す再建計画と、米軍からイラク新政府へと忠誠を向けつつあるプロのイラク政府軍を組織的に導入することである。
Quayyarahでは、イラク陸軍3個大隊、そのうち一つはShiek Rahdが長である、が治安維持を引き継ぐ態勢を整えたとBecker中佐。イラク軍大隊はすでに自分で作戦を計画し遂行しており、バグダッドの米国関係者らからはやがては25万名となる陸軍の最先端であると見られている。

この戦略は空想的な理論ではない。その原理はあらゆる対内乱軍事理論の基礎である。が、どんな目標を追うべきか正確に判断し、各部族の重心を見抜くには繊細さと情報と柔軟性が必要とされる。これは教室で教えられるようなものではない。

また、変化には十分に時間が必要である。指揮官はまず地勢を見、双方の側で生命が掛かっている族長と米軍との関係を信頼する必要がある。そして一夜にして変えようとはしないことである。、

”座って彼らと毎日会合せねばならない。手を振りながら車で回るだけでは進展は望めない”とBecker中佐。”族長の家での昼食1回が強襲3回よりも治安を向上させる”

イラク北西部では、外国戦士、外部からのテロ組織と資金援助、悪党の横行、国の基盤の悲惨な状況と2004年の治安部隊の崩壊でこの過程は計り知れないほど遅滞した。

が、ファルージャが内乱者にとっての安全地帯であったのも昨年の11月までだった。

また、一帯は米軍部隊が十分でないためふらついた。第101空挺師団が2004年に引き揚げた後、師団のほぼ3分の1の規模である新手のストライカー旅団が引き継いだ。これは地域全体にわたって確米軍が地歩を固めているわけではないということだ。

かつては米軍を良く見かけた町が自分たちだけでやっていかねばならなくなった。そして内乱側は誰が友人で誰が米国に協力して彼らに敵対していたか覚えていた。

旅団が薄く引き延ばされたことが、米軍が昨年11月の大攻勢を察知できなかった一因である。Gibler中佐もBecker中佐もいまは信頼できる情報網、今もなおテロリスト細胞内で二重スパイとして活動している人も含めて、からかなり前から把握することができると考えている。

Gibler中佐は大隊は米軍の誤った戦力示威の効果を味わってきたという。多くの村々や地区ではいまや米国が留まり続けて内乱者が完全に打破されるまで保護してくれると納得しないと協力しないという。

”彼らは’あなた方がここにいて留まり続けるなら、やり方を押し付けず、私の命を危険に晒さないなら協力する’と言う”とGibler中佐。

第3機甲戦闘連隊(the 3rd Armored Combat Regiment 原文ママ)が目下、州北西部の厄介な一帯にいる、その一帯には第1旅団では600名の部隊を割けていただけだった。

Becker中佐の先週の族長との会合は、ここでの11ヶ月間で10回目である。2004年11月のQuayyarahでの治安維持会合、イラク治安部隊が分解してから数週間後のを中佐は振り返る。

現れた部族長は7名だった。

今日は、基地での会合には200名以上が参加した。

”8ヶ月以上もロケット攻撃を受けていない”と同中佐。

今週にいたるまで、中佐の大隊は戦死者が一人も出ていない、もっともすんでのところで出すところだったことは数回ある。こういった記録は幸運のおかげだと中佐はいうが、多くは人的関係と互恵に重きをおく対内乱戦略を忍耐強く行ったためである。

”ここにきたときブラックリストには数百名のテロリストがあげられていたが、いまや(拘束や殺害されていないのは3名を残すのみだ”とBecker中佐は自慢した。”捕まえた400名のうち、93%はアブグレイブ(最も重い犯罪者を拘置する監獄)に行った。このように非常な正確さは部族長と協働したからだ”

伝統的なイラクの昼食、子羊の足と鶏丸ごとに米、部族長や市長らはかわるがわるBecker中佐に最後のお願いをし不満事を伝え、中佐と写真を撮った。

”頭の中に綺麗に撮れた写真を保存しておくつもりだ”とある部族長。

”我々全員は君が帰国するので本当に残念だ。家族が待っているのは分かっている、が、偉大な友人を失うので我々全員は悲しんでいる”と不調法な髭でそれとわかる熱心なスンニ派のある男性。”夕食にあなたを我が家に招待する”

”喜んで参ります”とBecker中佐。
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コメント
この記事へのコメント
MOnHNdycaEDPt
2011/07/19 (火) 15:23:46 | URL | csbygru #-[ 編集]
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2011/07/25 (月) 13:03:47 | URL | Ayarza #-[ 編集]
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