SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
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従軍特派員派遣の知らせ
出典 fairbanks daily news miner
URL http://www.news-miner.com/Stories/0,1413,113~7252~3154448,00.html
原題 News-Miner's first embedded reporter leaves for Iraq on Tuesday
日時 2005年12月4日
筆者 Kelly Bostian 編集長 (managing editor)
掲載紙面 不明
発信地 無し
内容 同紙の軍事記者Margaret Friedenauerが火曜にイラク入りのため出発。6週間にわたり滞在し、12月15日のイラク選挙とクリスマス休暇を現地で取材し1月末に帰還する予定。以下は全訳。
本紙はまもなくイラクへ記者を送る。

本紙記者は長年にわたり長距離を旅して地元に関わりがあるニュースを取材してきた。アラスカ各地や隅々から我々は記事を書き送っている。

本紙はどちらかというと小さな町の小粒の新聞であるが、町の住民は、それゆえ本紙も、広く活動している。毎シーズン、Nanooks( http://www.uafhockey.com/ )のチームを追ってスポーツ記者が国中を飛び回り、地元代表団と一緒にロシアや日本に行く。毎年の会期にはJuneauに記者を当然の如く送っているが、考えてみれば、直線でおよそ700マイルはあるところへである。そして確信を持っていえるが、本紙の規模でワシントンD.C.に支局を構えて常勤(full-time)記者を置いている新聞や自治体(community)のは皆無か、あっても僅かであろう。

火曜に、軍事記者Margaret Friedenauerがイラクでの6週間の取材へと出発する。万事がうまくいけば、12月15日の選挙前にモスルに入り、地元部隊と休日を過ごし、1月末に戻ることになっている。

同記者はフォートウェインライト(Fort Wainwright)とフォートリチャードソン(Fort Richardson)の第172ストライカー旅団に従軍取材する予定である。その理由は簡単である。フォートウェインライトからの3000名の兵はフェアバンクスの人口のおよそ10%を占めるからである。つまり、地元の関心が非常にあるニュースであり、兵の日常の活動を取材することでニュースを伝え、かつ、兵らの常日頃の困難を我々住民(community)が分かち知るうえで一助となるのである。

同人をイラクへ送る決定は容易いものではなかった。本紙発行人(publisher)であるMarilyn Romanoは記者のイラク取材の提案を受けての会議で端的に言ったものである。地元の軍指揮官は部隊を危険へと送り出すことにつき選択の余地がないという辛い立場にあるが、我々は記者についてそのような立場にないと。

とはいえ、同記者の提案は検討に値するものであった。最後にはこの取材行への本人の熱意と我々の同人の才能と判断への信頼が勝った。加えて、地元の関心が高い取材であり、地元紙から記者が来て休日をともに過ごすことが地元部隊に与える影響の大きさ、Bob Nall大佐やMichael Shields大佐からの安全(と危険)についての詳しい話も、戦争地帯へ本紙記者を初めて送る決断をする助けとなった。

従軍経験のある記者の話から判断する限り、そして我々ができる限りの準備をしているとはいえ、未知の要素は尚もある。本誌記者のフェアバンクスからシアトル、ロンドンを経て、”戦域へ(into theater)"の軍事輸送を待つこととなるクウェートへの道中で遅れが生じることも起こりえよう。12月15日前(around the Dec. 15 elections)には地域への旅行は禁止となる。それゆえ、記者は今月もさらに過ぎてからでなく火曜に旅たつことになる。

木曜の晩、編集者で彼女とボーイフレンドをTurtle Clubでのディナーに招待し、イラクについて話し合った。記事の執筆について談じ、兵らとイラクに滞在するのがどのようなものか、兵らがどんな話をするか、記者としてどう対応するであろうかなどを語り合った。我々は皆でどんなニュースを彼女がものにできるかについて論じ合い、時間管理と機会を最大限に利用しつつも現実的であるべきとも話した。

読者には毎日ではないかもしれないが、毎日”地元の”イラクからのニュースを数本、紙面およびサイトにてお眼に掛けることができるようになるだろう。ネットではFriedenauer記者とその取材のためブログ型式のページを設ける予定である。

限りない可能性があり、多くの記者と同様に彼女は記事にすべき幾万の話にめぐり合うであろう。が、そこには未だ至っておらず、確実なところは分からないので、我々は一歩退いて彼女に伝えたのは、”現地に着けばどうなっているか分かるだろうから我々に教えてくれ、そして我々で一緒にこの仕事をやり遂げよう”ということだった。同記者とはEメール、時には携帯電話で連絡できることになっている。

人生や仕事で、理論や理屈の世界ではまったく理に適っている決断をすることが時としてある。我々もそのような決断の上で計画しその軌道にあるが、常に現実の緊張が、等量の興奮と恐怖とともに潜み続けている。木曜日のディナーのあと、駐車場で車の鍵を回したとき、それを感じた。冷たい座席のせいだったのかもしれないが、”我々は彼女をイラクへ送るんだ”と呟いたとき、背筋を震えが走ったのだった。
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