SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
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1-24Inf.大隊長、第75レンジャー連隊第2大隊長へ
出典 Tacoma News Tribune
URL http://www.thenewstribune.com/news/military/story/5630303p-5055526c.html
原題 ‘Deuce Four’ unit salutes its ‘let’s-go-get-’em’ leader
日時 2006年4月1日
筆者 MICHAEL GILBERT; The News Tribune
他掲載媒体 不明
発信地 不明
内容
第25歩兵師団第1旅団戦闘団第24歩兵連隊第1大隊長のErik Kurilla中佐(39歳)が同じフォートルイスに駐屯する第75レンジャー連隊第2大隊長に就任する。

#以下全訳。
フォートルイスの多くの部隊はイラクへ行ったり戻ってきたりしているが、第24歩兵連隊第1大隊ほど苦労し、また称賛を受けた部隊は無い。

#以下全訳最後まで
激化する内乱に対する部隊の不屈ぶりから大隊は”Deuce Four"として名声を博するに至った。

金曜に、モスルでの同大隊800名の試練を率いた男が下番した。

Erick Kurilla中佐(Lt. Col.)39歳はイラク派遣中二度負傷し、まもなくフォートルイスの第75レンジャー連隊第2大隊(the 2nd Battalion, 75th Ranger Regiment)の指揮を執ることとなる。同レンジャー大隊は陸軍で最も精鋭の戦闘部隊の一つである。

Kurilla中佐の上官である第25歩兵師団第1旅団長John RisCassi大佐(Col.)は金曜日の指揮交代式(the change-of-command ceremony)にて”本大隊の成し遂げたことは陸軍内のみならず国内、そしてイラクでも著名である”と述べた。

2004年10月に第24歩兵連隊第1大隊は、人口稠密でおおくはスンニ系アラブ人のモスル西半分を丁度内乱が真っ盛りとなった中、引き継いだ。ゲリラは自在に移動しては一日平均20回米軍及びイラク軍を攻撃していた。

Kurilla中佐の下、大隊は積極的な戦術を用い、市に外哨(outpost)を設け内乱者を戦いへ引き出した。2005年1月の選挙は予定通りに行われ、米軍はイラク警察を再建し、春には攻撃は1日平均5回に低下した。

RisCassi大佐によると、攻撃が全く無かった日も多いとのこと。

第24歩兵連隊第1大隊の功はフリーのジャーナーリストMichael Yonのブログを通じてインターネットに広まった。

Kurilla中佐はこの記事についてのインタビューは拒んだ。中佐を継いだのは第3歩兵師団の大隊作戦将校および副長(battalion operations and exexcutive officer)としてイラク派遣されたRod Coffey中佐(Lt. Col.)である。

大隊の兵への別れの挨拶の中で、Kurilla中佐はシェークスピアのヘンリー5世(Henry V)、ヨハネの福音書、ウィンストン・チャーチルを引用し兵を称えた。同大隊は兵16名が死亡、165名が負傷している。

中佐は自爆車攻撃で視力を失った中尉(lieutenant)、内乱者との戦闘で足を失った一等軍曹(sergeant first class)、2004年12月21日の食堂での爆弾事件で腹部に重傷を負い出血で瀕死となった先任軍曹(first sergeant)を語った。

”もっと多くあるが、これら全ての犠牲と勇気を私が話すならば一日がかりとなるだろう”と同中佐。

中佐は亡くなった兵16名の名を一人づつ挙げ、それぞれから得た教訓を話した。

”今日求めるのは、指揮の交代ではなく少数の者の犠牲に注目して頂きたいということである”と中佐。”かくも少数の者にかくも多数が負っているということはこれまで無かった”

Kurilla中佐は昨年8月に商店の路地で内乱者を追っているとき銃で3箇所を撃たれて部隊に先立って帰国した。中佐はMadigan Army Medical Centerで回復し、負傷した足にはチタンロッドを入れた。

(#訳注 髄内釘 という語があるがこれを指すかは不明である)

何ヶ月も松葉杖をしリハビリをした末、金曜日、最後に部隊を検閲する足どりには引き摺るところは見受けられなかった。

同大隊の分隊長としてイラクで1年を過ごしたRichard Bernsten二等軍曹(Staff Sgt.)は語る。

”中佐は、さあ、いって奴らを捕らえようという方でした”、”彼は率先して範を示したのです。真っ先に正面にいました。奴らを捕まえるぞ、俺も一緒に行く、後ろじゃなくて、前に立ってだ”
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