SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
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タルアファルの徒歩パトロール
出典 stars and stripes
URL http://stripes.com/article.asp?section=104&article=36551
原題 Soldiers stay grounded in Tal Afar
Unit stresses foot patrols over armored vehicles
日時 2006年4月18日
筆者 Monte Morin, Stars and Stripes
他掲載媒体 中東版
発信地 イラク タルアファル
内容
#画像注訳
#1枚目
Monte Morin / S&S
幼い少年が見守る中、カリフォルニア州Eureka出身21歳のLoren Keely特技兵(Spc.)(第1機甲師団)はイラク北部の都市タルアファルである地区を最近パトロールしていた。

#2枚目
Monte Morin / S&S
第1機甲師団第37機甲連隊第2大隊に配属(attach)された第36歩兵連隊第1大隊C中隊"Hard Rock"の兵が最近、タルアファルの中心部の通りをパトロールしている。

#3枚目
Monte Morin / S&S
木曜日、タルアファルにて分隊長Matthew Lafata二等軍曹(Staff Sgt.)の背の上にTayon Brown特技兵(Spc.)が立ち、通りで頭上に下がっている怪しげな瓶をとろうとしている。

#4枚目
Monte Morin / S&S
木曜日、タルアファルにてMatthew Lafata二等軍曹(Staff Sgt.)は路肩爆弾の疑いのある地点を調べている最中に、眼から汗を拭っている。 この場所では爆発物は見つからなかった。

Matthew Lafata二等軍曹にとってはこういうたぐいのパトロールだった。

#以下全訳最後まで
歩兵分隊長はほぼ一時間この古い都市の中央で路肩爆弾らしきものにかかりきりとなってやっとだれかが単なる土盛りだと伝えてきた。

ついで、31歳でStaten Island出身の彼は、背中に分隊の一人が乗って頭上にさがっている怪しげなボトルを切り落とす間踏み台となるという予想外の任務をする羽目となった。

アトランタ出身29歳のTayon Brown特技兵(Spc.)29歳が背中に乗ると”うぅ~”とLafata軍曹は声を漏らした。”一体お前は体重どんだけあるんだ”

何者かがプラスチックの水ボトルに砂を入れて狭い通りの壁に螺旋鉄条線から水平に吊るしたのだ。配置があまりに意図的であったからLafata軍曹と分隊は内乱者が何かの信号として吊るしたのだと考えた。兵らは路肩爆弾の付近ではその他の物に注意を払うよう指示を受けている。

軍曹が手と膝をついて、重みで手が震える中、Brown特技兵はボトルを吊るしている鉄条線を切りしげしげと調べた。

”そうさ、これは他のパトロールに引き継ぐよ”(“Yup, this is turning into one of those patrols,”)と軍曹はいい、分隊は動き続けた。

およそ3ヶ月前にタルアファルに来てから、第1機甲師団第37機甲連隊第2大隊の兵は前任の第3機甲騎兵連隊よりも、かつての内乱者の牙城にて遥かに丁寧なパトロール方法をとっている。

激戦で市を奪回した後、第3機甲騎兵連隊(ACR, armored cavalry regiment)はタルアファルをブラッドレー戦闘車や戦車で走り回っていたが、ドイツFriedberg駐屯の第1機甲師団は大きく徒歩パトロールに頼っている。市の地域によっては、兵らは狭いくねった路地や大通りを昼夜、頻繁に無作為家屋捜索をして歩き回る。

"この市に徒歩パトロールを送っていないところは無い”と第37機甲連隊第2大隊"Dukes"の大隊長John K. Tien中佐(Lt. Col.)は語る。

部隊指揮官らは徒歩パトロールには幾つか利点があると述べる。第一に市の通りの多くは狭くて装甲車両が通り抜け出来ない。十分な幅の通りは戦車が絶えず通っていたため酷く損傷しており、交差点の中には数フィートの深さまで掘られて(jagged through)しまったところがある。戦車やブラッドレーが方向転換する地点だったのである。

また指揮官らは徒歩パトロールのほうが市の一帯と住民と親しむことができ、路肩爆弾の徴候ばかりでなく地区に新たな火種となるものを見つけることができるようになるとも話す。

通訳がパトロールに同行し、兵らが住人と話し情報を集められるようにしている。ときには地元住民らが兵らに通り道に爆弾があると教えることもある。

"徒歩パトロールは危険だが、人々が話しかけてくる”とカリフォルニア州Long Beach出身42歳のTien中佐は言う。”戦車の砲身の向こうからとは違って徒歩パトロールでは顔をつきあわせた接触ができる。テロリスト以外の人々は我々が通りにでて彼らと危険を分かち合うことを認めてくれていると思う。心理的な絆がある”

民族的に入り混じったこの都市、特にその北部で内乱活動が増加しつつあるなかパトロールは行われた。兵らの中には内乱側戦士はブッシュ大統領がおよそ3週間前にタルアファルを手本となる都市として持ち上げてから攻撃を激しくしたとみる者もいる。

”我々はタルアファルを諦めていないし、敵も同じくそうだ”とテキサス州Fort Worth出身38歳の旅団作戦将校であるAndy Shoffner少佐(Maj.)は語る。"テロリストの活動は最近かなり積極的だ”

ますます、攻撃が米兵を狙うようになっており、新手の路肩爆弾は徒歩パトロールを特に標的としたものになりつつある。4月8日、大隊で最初の戦死者は市で最も危険な地区の一つで路肩爆弾を踏んだ兵士だった。それからほどなくしてイラク軍兵士が狙撃者に脚を撃たれた。

先週水曜日にあった攻撃にはこのほか攻撃に車爆弾2つも含まれている。

Task Force 2-37(第37機甲連隊第2大隊支隊)に配属(attach)され、Lafata軍曹の分隊は木曜日3時間の薄暮パトロールをはじめたとき、呼ばれて、タルアファルの米軍の指揮センターとなっている何世紀も前のオスマントルコ朝の要塞である”城砦”のすぐ下で爆弾らしきものを調べることとなった。

分隊が到着すると現場をイラク警察が封鎖し終えていた。米陸軍の工兵が現場で、小さな遠隔操縦のカメラ付き車両で調べていた。工兵らは爆弾かどうかはっきりと判断できる距離までこの道具を近づけさせる事ができず、Lafata軍曹と彼の部下が突き止めることとなった。

付近の屋上から、Lafata二等軍曹とCincinnati出身22歳のRichard Begley特技兵(Spc.)が草むらと土を小銃の照準筒と双眼鏡で見つめる。彼らは爆発物であることを示すような有線やその他の手がかりを探して眼を酷使した。

"(爆弾か)単なる土盛りか分からん”と眼から汗を拭いながらLafata軍曹。

1時間近くも指揮上層(command)と無線のやり取りをしたあげく、Lafata軍曹と部下らはやっと、怪しげな場所は単なる土盛りだという言葉を得た。イラクの公務員(municipal crew)が午前に道路工事をしていたが、このときになるまで誰も兵にそのことを伝えていなかったのである。

軍曹は首を振りちょっと笑った。彼はこの状況に僅かな面白みをかろうじて感じたのである。

"我々があれが何か突き止めようとしている、俺が土盛り(dirt)に見えると言うと、彼らは無線で新しい土盛りにみえるかと聞いてきた”と軍曹。"そうさね、あの土(dirt)はここに二、三千年くらいあったと確信を持てるね”
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