SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
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バスラで英軍ヘリ墜落。墜落現場でイラク人と英軍が衝突
出典 USA Today
URL http://www.usatoday.com/news/world/iraq/2006-05-06-iraq-violence_x.htm
原題 Iraqis, British troops clash after helicopter crashes in Basra
日時 2006年5月6日 4:02 PM
筆者 AP
発信地 イラク バスラ
内容
#画像注記訳
このテレビ画像では、バスラの住人が土曜日の英軍ヘリ墜落現場にて歓声をあげて投石し火炎瓶(Molotov cocktail)を投じている。
#注記訳終わり

英軍ヘリ1機がバスラにて土曜に墜落し、イラク人が英軍に石や火炎瓶(firebombs)を投じ過激なシーア派宗教指導者を支持するスローガンを叫ぶ衝突が起きた。墜落の原因は攻撃によると思われる(apparently was hit by a missile)。

#以下全訳最後まで
イラク警察によるとこの南部の都市での墜落で乗員4名が死亡、つづいて戦闘が現場に急行した英兵とシーア派武装集団(gunmen)との間で起きイラクの大人4名と子供1名が亡くなった。民間人およそ30名が負傷した。

外国人の死を喜ぶイラク人がどっと喜ぶ、これまでにもあった光景のごとく、混乱した現場がイラク国営テレビとAl-Jazeera衛星テレビで広く放映された。

この流血はイラクの大多数であるシーア派の間で、スンニ派アラブ人が主体の内乱とは総じて立場を別にしながらも、外国兵の存在に対して不満が育ちつつあることを示した。

Mushtaq Khazim警察大尉(Police Capt.)によるとヘリは肩撃ちミサイル(shoulder-fired missile)が命中後、二軒の家の間の空き地に墜落した。肩撃ちミサイルはイラクの内乱勢力と武装民兵の間で広く使われている。大尉によると乗員4名が戦死した。

装甲車両に乗った英兵が現場に急行し、少なくとも250名の群集から投石を受けた。群集の多くは10代の少年で残骸から煙がもうもうと立ち上ると喜んで跳び上がり拳を突き上げた。

3両もの装甲車が火炎瓶(gasoline bomb)とロケット擲弾などにより燃え上がったが、目撃者の話では乗っていた兵らは無事に逃れたという。

群集は"我らは皆al-Sayedの兵なり"と叫んでいた。これはイラクに外国軍がいることに対して激しく敵対的な、シーア派の過激な指導者Muqtada al-Sadrのことである。

イラク当局が外出禁止令を出し、イラク警察や兵数百名が検問所を設置し通りをパトロールしたことで、日没には平穏が戻ったと住人は話す。イラク第二の大都市であるバスラでは散発的にロケットの音が聞こえる。

英国防省は午後の墜落で"犠牲者(casualties)"が出たことを確認したものの、何名であるかと墜落の原因については話さなかった。

英報道官Kelly Goodall大尉(Capt.)によると、向かった英兵は"小火器による銃撃、火炎瓶(petrol bomb)、爆弾(blast bomb)、石を含む様々な兵器による攻撃に"さらされた。

同報道官によると、兵らは自衛のため"実弾少数"を撃った。現場の兵には少々傷を負った者もいると述べたがそれ以上は明らかにしなかった。

ロンドンでは、任命されたばかりの新国防相Des Browneが英兵の死を"深く悲しんでいる"と語り、イラクで"我々の軍人男女が日々向かい合う危険を思い起こした"と話した。

この墜落は英国首相Tony Blairにとって厳しい時期に起きた。同首相のこの戦争に対する支持が自身の労働党内を含めて多くの英国人の憤激を買っている。労働党が地方選挙で大敗し、首相に退任の日程を定めるように求める声がでたことを受けて金曜日に内閣を大改造したばかりである。

英兵およそ8千名およびその他の国々の部隊がいるイラク南部では緊張が高まっている。

シーア派がほとんどの都市Diwaniyahにて、土曜日、爆弾でポーランド兵3名が負傷。4月27日には路肩爆弾でイタリア兵3名とルーマニア兵1名が南部のシーア派の都市Nasiriyah付近で亡くなっている。

シーア派が多い地域での騒擾の原因の一部としてal-Sadr師の影響が拡大している事がある。同師は2004年に二度米軍主導の軍に対する武装蜂起を率いたことがあり、米国主導の外国軍の活動に対してあからさまに批判している。

昨年9月、潜入捜査中の兵2名が警察に拘束されて、バスラでシーア派武装集団と英軍が衝突した。警察はシーア派民兵に浸透されている。英軍は拘束された兵を強襲で解放した。

今年2月に、Londonの新聞紙News of the Worldが2004年にAmarahでの暴動で英兵がイラク民間人を殴っているようにみえる動画を報じた事で緊張が再度高まった。

シーア派はまたZalmay Khalilzad米大使の着任以来、米国の政策に変化が見られることにも刺激されている。同大使はスンニ派イスラム教徒であり、シーア派が主導している内務省を人権侵害で非難しており、またスンニ派内乱勢力に武器を置かせようと和平を提案している。

その他の事件。サダム・フセインの故郷であるTikritにてイラク軍基地にイラク陸軍の制服をきた者が入り、爆弾ベルト(explosives belt)で自爆。士官3名が戦死したとイラク国防省報道官Abdul-Aziz Mohammed Jassim少将(Maj. Gen.)が述べた。

この攻撃はスンニ派アラブ人が政府軍と警察に入る気を削ぐための内乱側の作戦の一環とみられる。

また、米軍は金曜日、バグダッドで路肩爆弾により米兵1名が戦死したと発表した。2003年3月の開始以来、イラク戦争による米兵の戦死者は少なくとも2417名となる。

土曜日にこのほかの動きとして警察によると

バグダッドの南12マイルにあるYoussifiyahでの銃撃戦でイラク兵2名と内乱者3名が死亡。

Baqoubaから北へおよそ30マイルで車爆弾により警官2名とイラク兵1名が死亡。

バグダッドで路肩爆弾により警官1名が死亡し住民(people)8名が負傷。また通りすがりの銃撃により兄弟2名が死亡。

バグダッドの警察が誘拐され、宗派の処刑部隊により残虐に殺害されたイラク人18名の遺体を発見。一方、バグダッドの南では3名の準軍事警察官(paramilitary policemen)を含むイラク人7名が誘拐された。

北部の都市モスルで路肩爆弾によりイラク警察官2名が負傷。また、この日早く誘拐されていた父親と息子の遺体を警官が発見。銃で撃たれていた。
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