SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
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英国防省の戦死者氏名告知と弔意
出典 MOD 英国防省
URL http://www.mod.uk/DefenceInternet/DefenceNews/MilitaryOperations/FivePersonnelInBasraHelicopterCrashNamed.htm
原題 Five personnel in Basra helicopter crash named
日時 2006年5月6日
筆者 不明
発信地 不明
内容
#画像注記訳
#1枚目
John Coxen中佐(Wing Commander) 画像MOD(Ministry Of Defence)

#2枚目
Darren Chapman少佐(Lieutenant Commander) 画像MOD

#3枚目
David Dobson大尉(Captain) 画像MOD

#4枚目
Flight Lieutenant Sarah-Jayne Mulvihill大尉(Flight Lieutenant) 画像 MOD

#5枚目
画像 MOD

深い悲しみと遺憾の意とともに国防省は2006年5月6日土曜日バスラ市にてリンクス(Lynx)ヘリの墜落に続き行方不明となり亡くなったと思われる英国人5名の氏名を発表する。

#以下全訳最後まで
5人の氏名は
王立空軍John Coxen中佐
王立海軍Darren Chapman少佐
王立空軍Sarah-Jayne Mulvihill大尉
陸軍航空隊David Dobson大尉
Paul Collins二等海兵(Marine)


John Coxen中佐(Wing Commander)

中佐は王立空軍(Royal Air Force)Benson所属。
1959年生まれ。Liverpool出身。初級士官訓練(Initial Officer Training)修了後1983年1月に王立空軍に入隊。

空軍での年月を通じて、様々な作戦においてピューマ(Puma)、マーリン(Merlin)、チヌーク(Chinook)といった種々の型のヘリをOdiham王立空軍基地の第7飛行隊(7 Squadron)とGutersl王立空軍基地の第18飛行隊(18 Squadron)で操縦した。
またShawbury王立空軍基地の第二飛行訓練学校(No.2 Flying Training School)の第1飛行隊長を務めた。高い水準(#を求めること)で知られ、中佐は生徒を最大限に伸ばす才があった。実に、今日の王立空軍の第一線のヘリパイロットの多くは彼の献身と技能によりその境地に至ったのである。マーリンヘリが王立空軍での供用を開始するにあたって創設された第28(陸軍協力)飛行隊(28 (Army Co-operation) Squadron)に最初の航空要員の一人として加わり、部隊の発展に価値ある貢献をなした。第一線に有るときをつうじて、ともに飛ぶ同僚、生徒全てに非常に尊敬されかつ良く好かれた。

中佐への昇進とともに、彼は国防省で勤務した。彼の勤めた職務にはイラク及びアフガニスタン作戦についての国防政策の作成、英国の戦闘捜索救難能力創設にあたり枢要な仕事をし、王立空軍の全てのヘリについて欠かせぬ飛行耐性(airworthiness)に関する助言をした。中佐はアラバマ州Montgomeryにある米空軍参謀大学(the United States Air Force Staff College)にて研鑽し、同課程を修了し、豊富な知見を携えてBenson王立空軍基地へ戻り、2005年2月回転翼作戦評価および訓練部隊ならびに支援ヘリ基準評価航空団(Rotary Wing Operational Evaluation & Training Unit and Support Helicopter Standards Evaluation Wing)長(Officer Commanding -)に就任した。

Benson王立空軍基地司令(Station Commander)Duncan Welham大佐(Group Captain)は彼についてこのように述べる

"支援ヘリ部隊(the Support Helicopter Force)と王立空軍において彼の評価を上回る者はいない。個性的な人柄であり、謙虚かつ勇敢であった。彼を失い世界は悲しみに沈む場となる"

"携わった全ての仕事に置いて真の職業一徹であり、外面的には物静かであったが、目には常にきらめきがありいたずら好きながら乾いたユーモアの主であることを伝えていた。如何なる状況に置いても楽しみを見出すことができた。真に献身的な夫であり、妻Agnesとともに家庭生活を深く享受した。亡くなったことが惜しまれる"



Darren Chapman少佐(Lieutenant Commander)

王立海軍Darren Chapman少佐はYeoviltonに基地のある第847海軍飛行隊(847 Naval Air Squadron)長であった。享年40歳で既婚、子供は3人。

上等水兵(Able Seaman)から昇任を重ね、2005年12月に第847海軍飛行隊長の任を継いだ。それまでの職には統合ヘリ集団(the Joint Helicopter Command)の参謀将校がある。ヘリパイロットとしては多大な経験を有しLynx Mk7の資格取得を最近得た。またヘリ教官(Qualified Helicopter Instructor)とヘリ作戦教官(Helicopter Warfare Instructor)でもある。飛行経験の多くはシーキングMk4コマンドーヘリ(the Sea King Mk4 Commando)でのものでコマンドーヘリ集団飛行隊(the Commando Helicopter Force squadron)と合州国海兵隊への交換でも勤務した。作戦経験も多く、1991年の第一次湾岸戦争(the first Gulf campaigh)、1990年代半ばのバルカン半島での作戦、2003年にイラクでのテリック作戦(Operation Telic #英国でのイラク戦争の作戦名称)ではシーキングのパイロットとして勤務。最近、今回の派遣でイラクに戻ったばかりであった。また、2001年には第845海軍航空隊(845 Naval Air Squadron)の上席操縦員(the Senior Pilot)として勤務している。

王立海兵隊John McCardle大佐(Colonel)、コマンドーヘリ集団長(Commanding Officer of the Commando Helicopter Force)は彼をこう語る。

"真のプロ(professional)であり飛行隊の全員およびヘリ部隊の間で高く評価されていた。豪傑を偲ばせる人柄で、人々を笑わせる才能がおおいにあり預けられた者と階級に関係なく容易に通じ合えた。深く敬愛していた妻Lizと愛を注いだ子供Chloe、Ben、Georginaにお悔やみを申し上げる"

Chapman少佐のご遺族は次の談話を発表されている。

"Darrenの思いがけぬ悲劇的な死に深く衝撃を受け打ちのめされています。彼は素晴らしい父親、夫、息子、友人であり家族生活にも大変献身的でした。彼を必要とする者のところには常にあり、どんなことであれ手に余るなどということはありませんでした”

"外向的で、社交的でいつも冗談をいい、沢山の人々とふれあい豊かにする飛び切りの芸達者でした。同じように艦隊航空科(the Fleet Air Arm)の士官としても人生を捧げ、軍で飛ぶのを好み、彼がかくも愛した仕事をしつつ亡くなったことで救われる心地です。

"受け取った親切な思いと言葉の全てに感謝するとともに、我々に喪に服する時を与えてくださる間、配慮を賜りますようお願いします"


David Dobson大尉(Captain)

陸軍飛行隊(Army Air Corps)David Ian Dobson大尉、享年27歳は
Yeobilton王立海軍航空基地の第847海軍飛行隊(847 Naval Air Squadron)のパイロット。独身であった。

飛行隊ではDaveあるいはDobboと呼ばれており、陸軍には2001年1月に入隊し、サンドハースト(Sandhurst)での士官訓練修了後、陸軍航空隊に任官。2003年12月に飛行訓練を修了しリンクス(Lynx)ヘリパイロットの認定を受けた。その後北部アイルランドにて陸軍航空隊第5連隊(5 Regiment Army Air Corps)にてリンクスのパイロットとして勤務し、北部アイルランド従軍章(the General Service Medal (NI))を授章。
この2年間の作戦従軍勤務を完了後、2006年3月に第847海軍航空隊に銃手編隊付き編隊長(Flight Commander of the Air Door GUnner Flight)として加わりほどなくしてイラクでの作戦へ派遣された。印象深い若手将校であり、スポーツマンとして優れバスケットボールの陸軍代表、クリケット(Cricket)の陸軍航空隊代表だった。

王立海兵隊John McCardle大佐、コマンドーヘリ集団長はこう語る。

"コマンドーヘリ集団には僅かな間のみだったが、彼の第847海軍飛行隊(847 NAS)でのスタートは目覚しいものだった。極めて高く敬され、あらゆる任務に非常な熱意であたり、積極的に喜んで事にあたる態度を示した”


Sarah-Jayne Mulvihill大尉(Flight Liuetenant)

大尉は享年32歳。Benson王立空軍基地(Royal Air Force Benson)で飛行作戦将校として勤務していた。

Canterburyに生まれ、1997年に王立空軍に二等兵(airwoman)として入隊し基礎訓練修了後、1997年10月にConingsby王立空軍基地に配属された。大望を持ち極めて有能な航空兵として、彼女の能力はたちどころに目に留まり2001年10月に初級士官訓練(Initial Officer Training)に選抜された。2002年4月卒業後、航空管制科(the Air Traffic Control Branch)に任官。2003年3月に職種変更後(change in specification)、飛行作戦将校訓練(Flight Operations Officer Training)を修了しついでNortholt王立空軍基地に配属され割くsん将校として初の任期を開始。同基地からイラクに最初の派遣を経験。

2005年5月にBenson王立空軍基地に配属され、彼女はたちどころに第28(現役?)飛行隊(28 (AC) Sqn.)作戦将校として非常な衝撃を与えた。すぐさま信頼される良く好かれたチームの一員となり、2005年秋にはケニヤ(Kenya)に演習で派遣された。同地で英陸軍と緊密に協力して王立空軍のマーリンヘリを管制し、その間もあらゆる点で陸軍に伍した。朝のランニング(morning mile)では彼らを抜き去り、陸軍の最良の中でも力強い参謀将校として輝いていた。彼女は知見の限界を試すのにも鋭く、今年早く作戦将校としてイラクへ戻った。

Benson王立空軍基地司令(Station Commander Royal Air Force Benson)Duncan Welham大佐(Group Captain)はこう述べる。

"彼女は王立空軍の最良の一人であった。勇敢で熱意溢れ無私であった。献身的な将校であり我々皆は悲しんでいる”

"Bensonでは彼女の生き生きとした性格と同僚および友人への献身で彼女は職場でも基地全体でも極めて人気者だった。彼女が取り組もうとしないものなど無く、人生と仕事のあらゆる面へ彼女は積極的に打ち込み、重んじ享受した。スポーツマンとしても優れランニング、漕艇、サッカーを楽しんだ。夫のLee、同君も王立空軍に勤務している、に先立つこととなった"



Paul Collins二等海兵(Marine)

Paul M Collins二等海兵。享年21歳。第847海軍飛行隊でドア銃手(Air Door Gunner)として勤務。独身で所属基地はYeovilton王立海軍航空基地(Royal Naval Air Station Yeovilton).

2003年6月に王立海兵隊に入隊。2004年2月に緑のベレー(green beret)を得て、PlymouthのBickleigh Barracksに基地を置く第42王立海兵コマンドー(42 Commando Royal Marines)M中隊にチーム無線手(Team Radio Operator)として加わる。非常な短期間のうちに極めて有能かつプロ意識あることを自ら証した。当時の中隊長は彼を極めて壮健、礼儀正しく作法をわきまえた海兵で、やること全てに熱意と自信を持っていたと報告している。彼は中隊で人気のある一員であり、囲む友人も多く他者を助けることで抜きん出ていた。

2005年9月に第847海軍航空隊に加わり、ほどなくしてドア銃手(Air Door Gunner)の認定を受けて、今年早くにはノルウェーに派遣され、2006年3月にイラクでの現在の任務を継いだ。

コマンドーヘリ集団長John McCardle大佐はこう語る。

"彼は王立海兵の極致を体現していた。壮健で知的な若者で、何事につけ完全にプロであり、人生を十分に享受していた。飛行隊でもコマンドーヘリ集団でも非常に人気があった"

両親からは次のような辞が寄せられた。

"彼は素晴らしい若人で可能性に溢れ人生への情熱で一杯だった。肉体的にも精神的にも強靭であったが、知的で考え深く気配りする性格で穏やかなものとなっていた"

"戸外での趣味が大好きで弱冠10歳から王立海兵となることを願っていた。バイク事故で負傷してこの夢はほとんど消えかけた。しかし、彼は頑張り、復帰し夢をかなえて2004年2月13日にCommando Training Centreを卒業した。海兵に居た年月は短かったが良い友人を沢山作り戦友とともにいることほど彼にとって幸せなことは無かった"

"彼は息子としてもMarkの兄弟としても大変に愛され家族友人一同非常に悲しんでいる。また、我々は国防省に支援につき感謝を表しますとともに報道機関にはこの極めてこらえようもなく困難なときにあって、一同のプライバシーに配慮をお願いしたく存じます"
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