SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
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ある車列護衛の話
出典 washington post
URL http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/05/15/AR2006051501740_pf.html
原題 For Water Truck 103, a Perilous Path to the End
Ambush Greets Convoy At Site Near Baghdad
日時 2006年5月16日
筆者 Nelson Hernandez、Washington Post Staff Writer
他掲載媒体 A01
発信地 イラク CONVOY 77に同行中
内容
バグダッドの西数マイルのところで、新品の給水トラックがトランスポーターから慎重に急造の土を盛った斜路へと降りていく、テキサスの工場からイラクの政府機関までの7000マイルの旅を終えて。

#以下全訳最後まで
合州国がトラックを目的地にたどり着かせるためにした多大な努力のわりには、トラックが下りるのを見守るイラク人の少数の一団には祝う感じはさほどなく、トラックを運んできた護衛と運転手の間にも取り立てて喜びはなかった。

彼らにとってはペルシャ湾岸からイラク南部の過酷な砂漠とティグリス川とユーフラテス川の間の肥沃な農地を抜ける幹線道路での一仕事にすぎない。道中、彼らが見るのは赤い格子模様のカフィーヤ(#kaffiyah 頭に巻くターバン)と長衣(#dishdasha)をまとった古代の人が守る羊や駱駝の群れ、路傍にかけより何か食べるものをと手を振る裸足の子供、土地そのものと同じように時間が過ぎ去ることもないかのような粗末な泥の家々。彼らがみなかったのは指を自動小銃の引金にかけた男どもであった。


ウムカスル(Umm Qasr)

2003年の侵攻以来、米国政府はイラク再建に200億ドル以上を拠出した。大掛かりな取り組みであるが、持たざる者にも銃しか持たぬ者にもつまるところ何ら恩恵をもたらしておらず、ワシントンの指導者の決断で開始される多数の小規模な作業と言うのが実態である。実効命令が署名をえると、一連の複雑な出来事の連鎖が動き始め、万事が計画通りにいけばアメリカからイラクへとものが運ばれる。

まず、納税者の金はトラック、道具箱、建設資材、武器、弾薬、軍靴、制服、レントゲン装置、病院用ベットへと化ける。これらは物品管理者、港湾作業員、トラック運転手、民間警備業者といった一群の民間人によって多くがイラクへ運ばれる。これら民間人の仕事は縁の下でほとんど見えないが兵士と同じく危険な目にあうことがある。

本ルポはそういった取り組みのささやかな一つ、イラクのペルシャ湾岸の主要港であるウムカスル(Umm Qasr)から首都西にあるBaghdad Water Directorateへの新品給水トラックの旅路である。旅路の果てにこそ、銃を持った男らが待ち構えていたのであった。

赤のマジックで風防に103と書かれた埃塗れの白のKlein社製K-250SS給水トラックは旅路の最後の行程で赤のトランスポーターの荷台にチェーンで繋がれて座っていた。

第103号車が生を歩み始めたのはテキサス州Jacksonville、Klein Products Inc.の製造工場である。値段は120,707ドル。水2500ガロンを積載するこのトラックは飲用水に乏しい国では有用である。

給水車は船でアラブ首長国連邦はドバイの港へ運ばれ、他の給水トラック26両と一緒に長い黒いthe Strong American号へと積み替えられた。ドバイからペルシャ湾をゆき、人工の短水路を抜けてウムカスル港についたのは2月25日のことだった。

ウムカスル(Umm Qasr)は、灰色、青、黄色のクレーンやさび付いた倉庫が空を背景にならぶ魅力に欠けた場所であり、イラク南部で圧倒的な宗派集団であるシーア派イスラム教とが支配している。港に積み上げられているコンテナの多くにはIRISL、Islamic Republic of Iran Shipping Linesのロゴがある。

"奴らが何を持ち込んでいるかは神のみぞ知るだ"と華氏108度(#摂氏42度)の午後、港を車で巡りつつJose Velazquez中佐(Lt. Col.)はイラクの隣人イランについて話す。"心中では港に悪企みをしている連中がいるのに疑問の余地はない。しかし、俺がここにいる間は大きな問題は全く起きていない"

ウムカスルに着く米国の物品は政府官庁、契約業者、下請け業者の網目を抜けてくる。その頂点にいるのがVelazquez中佐である。彼は陸軍工兵軍団湾岸支部計画および契約局(the Army Corps of Engineers' Gulf Region Division Project and Contracting Office)におり、イラクでの復興活動の監督を担っている。物品のイラクへの輸送はクウェートの会社であるPWC Logisticsと契約している。PWCは地元の船長やトラック運転手と調整して彼らと彼らを守る民間警備業者が物品を運ぶこととなる。

ウムカスルは復興向け物品の主要な受け入れ口の一つである。同港と近くのZubayr港で2005年だけで受け入れた車両、警察用車両、消防車、ミキサー車、ブルドーザー、トラクター(tractors)は1万両を超える。全ての物品はいずれイラク人の手元におさまる。

"ここでの我々の主な仕事はそれだ、物品を送り出すことだ"とVelazquez中佐。"その仕事をしていて死者はでる、しかし、我々は戦争のさなかにある。任務を完遂するため働き続けなればならない"

かくて、中佐は車列77の出発にサインする。給水トラック12両がthe Baghdad Water Directorateへ向けて、ArmorGroup InternationalのTeam 7の22名が守るConvoy 77である。


旅路にて(On the Road)

車列が出発したのは5月9日午前8時15分。トランスポーター12両に護衛の機銃を取り付けた装甲Ford F-350ピックアップ4両、そして経路をひそかに前で伺う非武装のピックアップ1両からなる。

ここからはMark Jonesが指揮をとる。彼のチームはイラク人従業員18名と在外英人、全員の軍歴を足すと42年となる3名からなる。Jonesは英陸軍に11年間勤めた後、ArmorGroupに入社した。同社は復興向け車列の多くを護衛している。

民間人となりもはや軍服は着ていないが、英国旗のパッチとボディアーマーに付けられたウェールズ旗を除けばだが、Jonesはチームを軍の部隊のように采配している。

"小火器の銃撃があった場合、進み続ける"とJonesは経路をまくし立てるように説明する。"誰かが負傷してもキルゾーンの中では止まらない。車がやられた場合は乗り換え動作(crossover drill)を行う”、乗り換え動作とは動けなくなった車両に別の車が近づいて乗員を収容して任務を続行するということである。

"向き合って戦わざるをえないときは、足元を固めて戦う
(If we have to stand and fight, we'll stand and fight)"

Jonesは攻撃の可能性を強調した。軍の婉曲語法では"接敵(contact)"というが、それは低速の車列はしばしば路肩に仕掛けられた爆弾や小火器による攻撃にあうがゆえである。トラックは小銃や機銃の銃弾ならばたっぷりとうけても耐えられるし、小さめの爆弾ならばやり過ごせる。しかし、ロケット擲弾、RPGは大きな脅威だ。直撃すればピックアップの装甲すら貫徹し内部の全員は焼かれてしまう。

車列が港を出た瞬間から、Jonesのチームは警戒していた。主補給路タンパ(Main Supply Route Tampa)を旅する間、各車の無線は、ゴミの山(debris)、通行車両、疑わしいPax、軍の用語で人々、通行人を指す、をみたので警戒せよで鳴っている。

"左側、車両、黒色。電話をしている"、この人物は内乱者に通話しているのか?

"左側に駐車している車両2台。ドアが開いている"、武装集団か?

"停車している車両、右側" 車爆弾か?

"前方に橋梁" 跨道橋は待ち伏せには理想的だ。

"銃を持った二人。右手だ! 一名はRPGを持っている!"

"目を離すな"、Jonesは叫び、暫し全員が攻撃を予期した。しかし、明らかに米兵2名がCamp Cedarの外側をパトロールしているだけだった。

"心が落ち着かない”とJones。"肉体的には疲れていないが、走りがおわるときには精神がくたびれている"

気を張り詰めていた中、旅の初日に車列におきた最悪のことはトラックが1両故障したことだった。車列中の予備のトラック2両が荷物と故障したトラックを牽引することでたちどころに問題は解決した。

6時間で280マイルを経て、車列はバグダッドの南およそ125マイルにある米国が運用する給油基地Convoy Support Center Scaniaに入った。
(#scaniaはスウェーデンのトラックメーカーに同名あり)

"たいした旅だ”とJones。"これは上出来のほうだ"


キャンプ スカニア(Camp Scania)

イラク人のトラック運転手らが疲れて汗まみれで車から降りて水をとったり食べ物へとむかう。同僚の運転手らと同じく、第103号車を運ぶトラックの運転手であるWahid Abidは白の綿のズボンに白のTシャツを着ている。彼はバスラ出身のシーア派教徒で2003年に米国主導の侵攻以来トラック運転手をしている。

"そうだ、確かに危険だ"と腰を落ち着けて食事しようとトラックのヘッドに入り際に彼は言う。彼は一晩をそこで過ごすのだ。
("Yes, certainly it's dangerous," he said before settling down with a meal and climbing into the cab of his truck, where he would spend the night.)"このしごとはやむをえずやっている、生きるには稼がないといけないから。仕事口はこれしか無い"

Jonesと英人同僚3人は基地内の大きな天幕の段ベッドで眠り、米国の食堂で食べる。コーンウォール風鶏料理、フレンチフライ、フルーツシェイク、サーティワンのアイスクリームが出る品揃えの豊富なところである。しかし、彼らがイラクにいるのは変わりない。

周囲の米兵とは違い、彼ら英人4人は言うのは、イラクで働くのは国のためやイラクに民主主義をもたらすためや故郷で認められたり、ましてや国を再建するためではない。彼らの働く理由は、彼らが語るには、イラク人トラック運転手と同じである。

"陸軍での時分は過ぎた”とJonesは食堂で物思いにふけりつつ話す。"楽しかった。けれど、思ったんだ、「いくら稼いでいるんだ」と。英国陸軍に居るよりも20倍早く将来を確実にできる。金さ。それ以外にない。金だ"

"で、それ以外のことを言うやつは嘘だ"と同僚のLeon Hartが付け加える。


バグダッド(Baghdad)

故障していたトラックも修理が終わり、車列が薄曇りの空のもと翌日午前7時25分、Camp Scaniaのコンクリートブロックから繰り出した。北へIskandariyah、Latifiyah Mahmudiyahといった街を抜けてゆく。
これらの街はイラクで最も危険なところであるが、車列が首都につき大きな壁に囲まれた施設であるthe Baghdad Water Directorateに入るまでなにごともなく平穏だった。

護衛の機銃トラック(gun truck)を防御に配してから、Jonesは管理者の小さい事務所に歩いてゆき、彼の机にかさばった封筒をおき書類を差し出して荷届状(shipment)第10687号に署名を貰った。

"これは給水トラックの鍵だ"とJones。

外では、第103号車が降ろされていた。トランスポーターの荷台から給水トラックを降ろせる斜路は無かったので、イラク人のブルドーザ運転手が間に合わせで土砂で造ることになった。数分間のち、トラックがゆっくりと地面に降りられるのに耐えられるものができた。任務完遂である。アメリカのささやかな一品がイラクに届けられたのである。

Jonesは機銃トラックに戻り、残りの給水車が降ろされるのを待った。のんぶりした仕事だった。1時間半以上が過ぎた。イラク人が町から行き来した。チーム7の一同はくつろいでしゃべっていた。

武装勢力はまさにこの瞬間を狙って攻撃をしてきたのだった。

ロケット擲弾が北から飛んできて近くで爆発し深いくぼみを作った。半秒ばかり凍り付いて動かなかったが、護衛の一人が叫んだ、"車に入れ" 数秒後には7名から15名が100ヤードほど離れた施設を見下ろす建物から自動小銃で撃ちかけてきはじめた。

通常の手順では最寄の米軍基地へ走るのだが、施設の鉄門は閉ざされており、車をぶち当てて破るには頑丈すぎ、一行は銃撃を受けている。向き直り戦うしかすべはない。

トラックの機銃が撃ち返し、建物に銃弾を注いだ。Jonesと同僚二人は身を隠した位置から狙いをつけて撃つ。向こうからの銃撃は途絶えた。

Jonesは手を振り、興奮している銃手に射撃をやめるよう叫んだ。電話をとりだしてトラックの背後を歩き回り軍に支援を求めた。車列のイラク人運転手は全員が消えうせていた。水道局(the water directorate)の職員もだ。銃撃者目掛けてうっていたイラク人護衛はHartのピックアップトラック(pickup truck)に肩で息をして震えながら入った。

彼がドアを閉めると、再び銃撃が始まった。最初は自動小銃のパン、パン、パンという音、そしてピックアップトラックに据えられた機銃の立て続けに轟く音。またもや、Jonesをはじめ外にいた男らは撃ち返した。

"ジェイ、車に入れ、車に入れ、ジェイ、出発するぞ"Hartが同僚のJames Stevensに叫ぶ。Jamesは車両が逃げられるように駆け出していき門をあけたところだった。

さらに数回撃ったのち、ピックアップトラックは施設から走り出て、右手に曲がり、主要道路を東へAbu Ghraibの米軍基地へと向かった。道路越しに内乱者らは別れの銃撃を車列に見舞ってきた。RPGを持った男性がトラックの銃手が撃ちかけるとあわてて物陰に隠れた。

彼らが安全なところに着いた頃に知らせが来た。彼らは内乱者を2名殺していた。車列はちりぢりとなった。ウムカスルにたどり着くまでにイラク人運転手のうち3,4名が誘拐された。護衛チームは全員が生き延び、負傷した者もいなかった。そして給水トラックはバグダッドに着いたのだった。
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