SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
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アンバル州での対内乱作戦
出典 army times
URL http://www.armytimes.com/story.php?f=1-292925-2064102.php
原題 Anbar pullback:Thouse left behind do the best they can
日時 2006年8月28日
筆者 Sean D. Naylor、 Staff writer
他掲載媒体 不明
発信地 イラク バグダッドおよびAwah(#原文ママ)
内容 全訳

当初、アンバル州に割り当てられていた米軍部隊をバグダッドへ増援するのがイラクの首都の秩序を回復するのに不可欠であるかもしれないが、西部アンバル(Anbar)州で米兵の血を支払って得た地歩を犠牲にする危険性をはらんでいる。

#全訳最後まで


バグダッドでの宗派間暴力がたがを外れつつあるなか、イラク多国籍軍(Multi-National Forces-Iraq)は7月29日に首都に既にいる部隊を増援するため他の地域から兵3700名を移すと発表した。

その多くは第172ストライカー旅団戦闘団の兵である。同旅団は8月にアラスカ州フォートウェインライト(Fort Wainwright)へ帰還する予定となっていたが、派遣期間が120日間延長された。しかし、当初アンバル州に割り当てられていた部隊のうちから少なくともさらに1個大隊規模の部隊がバグダッドに送られたのである。アンバル州はバグダッドの西郊からシリアおよびヨルダン国境へと広がり、イラクのスンニ派内乱勢力の心臓である。

米軍指揮官にとってアンバル州は常に"兵力節用"地域である、つまり州を支配し内乱勢力を撃破するだけに必要な兵数を持てないということである。士官らの中には上級指揮官らがアンバル州に関心を示す唯一の理由は、イラク・アルカイダ(al-Qaida in Iraq)の外国人聖戦士の存在だと言う者もいる。"外国人戦士が居なかったら、バグダッドの者はアンバル州を一顧だにしないだろう"と第7海兵連隊戦闘団(Regimental Combat Team ')副長(executive officer)Ron Gridley中佐(Lt. Col.)は語る。同連隊はアンバル州中央部および西部一帯を担任している。

兵力が限られているが、米軍指揮官らは同州で進展しつつあると感じている。しかし、最近の再配置により砦にこもる米軍部隊はさらに少なくなり、あらゆる眼はバグダッドへと向いている。

主導を引き継ぐ備えのあるイラク部隊は近在せず、米軍指揮官らは達成するために兵らが犠牲となってきた全てが危険に晒されることを懸念している。



作戦域を占領する(Occupying the battle space)

これがどこにもまして顕著なのはSaber作戦域(Area of Operations Saber)、ユーフラテス川沿いのアンバル州北部に広がり、RawahとAnahを含んでいる地域である。2005年8月2日から2006年7月まで第7海兵連隊戦闘団の担任地域(battle space)にあるSaber作戦域(AO Saber)に駐留していた唯一の米軍部隊は、第172ストライカー旅団戦闘団の第14騎兵連隊第4大隊を中心に編成された支隊であった。11200平方マイルの広さがあり、イラク西部で"1個大隊規模部隊の作戦域としては最大"であったと第14騎兵連隊第4大隊(4-14)火力支援将校(fire support officer)であるTom Hart大尉(昇進待命)(Capt. (P))は語る。

4-14支隊(Task Force 4-14)は500名を下回る兵員でこの広大な地域を御していた。"我々は兵力の節用任務にあたっている"と同支隊長Mark Freitag中佐(Lt. Col.)は7月のインタビューで話していた。"仮に作戦域で使える兵員が800名あれば、おそらくは作戦域全てに前方展開(forward presence)することができよう" 状況は第7海兵連隊戦闘団(RCT 7)のほかの地域でもほぼ同じである。アンバル州中央部を占領するだけの"部隊が本当に無い"と7月13日のインタビューでGridley中佐は話している。その2週間後、RCT 7から部隊を剥がしてバグダッドへ増援するという命令が下った。"占領するにはあまりに広大だ"と第7連隊戦闘団副長のGridley中佐は語っていた。

かくて米軍は内乱勢力の活動を阻めるだけの力を持てぬことが時々あるようになった。Gridley中佐はRCT 7の作戦域の南端を走る幹線道路を地図上で指し示し、そこでは敵の活動がガソリンスタンド周辺で伺われていると語った。"ここで悪事が行われているのではないかと懸念しているが、そこで四六時中、警戒するだけの戦力がない"

2005年8月にTF 4-14がSaber作戦域に到着してRawahのすぐ郊外に本部を設けたとき、彼らは手ごわい難題に直面した。RawahとAnahの住人はほとんど全てスンニ派でスンニ派を基盤とする内乱勢力にとって肥沃な温床となっていた。2005年半ばには町は二つともイラク・アルカイダの下部組織であるJama' at al Tawid al Jihadこと唯一神と聖戦集団の手中にあり、この組織の人員は主として地元スンニ派内乱者であった。TF 4-14の士官らの推定では住民の98%は内乱勢力を消極的に支持しており、これが意味するのは連合軍とともに働く、情報を提供するのすら厭うということであった。

"消極的な抵抗は時には積極的な抵抗と同じくらいの打撃を与える、というのも握手はするが道の先で誰かが仕掛け爆弾(IED、improvised explosive device)を仕掛けていても伝えないのだ"、とHart大尉は語る。 仮にある者が"積極的な抵抗"に関与している、例えば実際に爆弾を仕掛けている、ならば"その者を殺せる"と同大尉。

Freitag大隊長と部隊にとってさらに状況を困難としたのは、いずれの町も比較的富裕であり、道路も良好で学校、下水道、上水道も機能していた。バグダッドと違って停電も稀であった。TF 4-14が提案し地元の歓心を得て内乱勢力から離反させるような軍民計画(civil-military project)はほとんど無かった。

しかし、TF 4-14は実証されている対内乱手法を用いて押し進んだ。地元で募集した警察部隊を設立し、これは優れた人的情報源となった。また、TF 4-14の戦術人的情報チーム(tactical human intelligence team)2個を用いて情報源(source)と情報提供者(informant)を募った。これはいっそう完全かつ精妙な内乱の構図および地域の公然および非公然の権力関係の図を把握するのに役立った。支隊の情報部門はついで人的情報を他の情報と融合し、部隊が内乱者を捉えるのに正確に目標を定めた強襲が可能となった。この成功には二つの効果があった、無辜の地元住民の家に押し入り離反させることが無くなり、かつTF 4-14とイラク治安部隊の能力に対する住民の信頼を高めたのである。


この方法では支隊は戦術的忍耐が必要となることがしばしばである。目標に関する情報が入り次第、強襲を発起するのではなく、さらに明らかになるのを待ち、銃を撃ち放すかわりに"手柔らかに、手柔らかに"行うよう留意することが求められる。忍耐するのは時には辛いこともあるし、TF 4-14の対内乱作戦は犠牲もあった。兵8名が亡くなり、ストライカー装甲車19両が破壊されたことは内乱勢力が変化する戦場に対応する能力があることを証している。"兵の一人がばらばらに吹き飛んで、望むことは町にゆき掃討することのみなときの大隊の感情は言葉では正確に言い表せない"とHart大尉。しかし、そのたびごとに大隊は全員で気を落ち着かせて古典的な対内乱戦術を続け、可能なときは常に地元の権威筋を通じてともに動いた。米兵が死ぬたびに怒りで襲い掛かるのは、Hart大尉曰く、長い目でみれば非生産的である。



ゆっくりと、着実に(Slowly, steadily)

ゆっくりしかし着実にTF 4-14はJTJ(唯一神と聖戦集団)に対して向かっていった。10月の憲法投票では、"Rawahは人口当たりの投票率がアンバル州全域で最高だった"と4-14火力支援将校のHart大尉。しかし、これは同大尉が述べるには、TF 4-14の通訳である、わずか一人の女性が投票に現れたがゆえであったという。TF 4-14支隊長Freitag中佐はゆっくりとRawahの町評議会(twon council)との関係を築いた。"地元の指導者から信任を受けることがきわめて重要だ"とFreitag中佐。Anahでは同中佐は支隊に配された第23歩兵連隊第4大隊A中隊(Apache Company, 4th Battalion, 23rd Infantry Regiment)をAbu HamzaというJTJの細胞に対して据えた。Abu Hamzaとはその指導者の名前から来ていた。7月までに同中隊は細胞を破壊し、JTJは屈辱のうちにAbu HamzaをAnahから引き上げた。Saber作戦域での路肩爆弾の月平均数は2006年の前半6ヶ月で3回、昨年10月は54回であった。

進展の明らかなしるしはRawahの経済が好調となり人口が急増したことである。TF 4-14のSaber作戦域での一年間のうちに人口は5千人からほぼ2万人へと上昇した。支隊が到着したときは人の気配が無かった通りが次第に買い物客やそぞろ歩く者で一杯となった。"住宅建設が指数的に増加しており、電力網に過大な負荷があるほどだ"とHart大尉。"この成功は一夜にしてもたらされたわけではない。敵の活動に過剰反応することによってでもない。時には無政府よりも悪い政府のほうが良いと理解することから得られたのだ"

7月にTF 4-14の一年間の派遣は終わった。同大隊は第14騎兵連隊第1大隊に交代する予定となっていた。1-14は第2歩兵師団第3旅団のストライカー部隊で、4-14と同様の編制である。1-14支隊(Task Force 1-14)は数ヶ月掛けて任務の準備をしてきていた。大隊長Jeffrey Peterson中佐はRawahを3月に展開前現地調査(pre-deployment site survey)"で訪れており、Freitag中佐の情報および作戦将校はワシントン州フォートルイスの1-14の駐屯地に週報を送り、交代予定部隊にSaber作戦域での最新状況を伝えた。

Freitag中佐からPeterson中佐へと手綱を引き継ぐ予定は7月28日で、1-14大隊長と先遣隊がRawahに到着したのが7月14日、調子を上げて走り出すのに2週間あった。しかし、両大隊の指揮官らを驚愕させたことには、彼らは数日後にイラクの首都バグダッドへ増援として向かうよう命じられた。4-14にとっては派遣が4ヶ月間延長されたことを意味していた。

1-14にとってはSaber作戦域の仔細を学ぶのに投じた労力が無駄となったということであった。Saber作戦域の空白を埋めるため、イラク多国籍軍(Multi-National Forces-Iraq)はカリフォルニア州Twentynine Palmsの第Ⅰ海兵遠征軍第1海兵師団海兵第3軽装甲偵察大隊(3rd Light Armored Reconnaissance Battalion)の本部部隊および1個中隊を送った。この移動により、アンバル州西部のRutbahにいた第3軽装甲偵察大隊(3rd LAR)は不利な状況に置かれた。

第14騎兵連隊第1大隊とことなり、海兵らはRawahとAnahについて予習する機会が無かった。対内乱に成功するには地元の人脈、部族、家族、血族、宗教、実業、政治の複雑な相互に絡む網を徹底的に理解することが求められる。けれども、3rd LARの指揮層は新たに配された作戦域についてほとんど何も知らぬままで到着した。同大隊長Matt Jones中佐は非常に困難な任務に備えるに約10日間をえた。かりにJones中佐が準備するに必要な時間を完全に与えられたとしても、彼の伴ってきた小勢では、同中佐は骨組みだけの本部とFreitag中佐とPeterson中佐と比べるとおよそ40%の戦闘力が使えるのみだと、4-14大隊長のFreitag中佐は話す。別な言い方をすると、Jones中佐には担任地域100平方キロあたり海兵1名以下しかいないということである。Freitag中佐曰く、3rd LARは4-14の作戦頻度(operational tempoに伍すべくもない。

また3rd LARのJones中佐には4-14と1-14にはある任務必須"可能素"、Saber作戦域での対内乱戦闘には不可欠であることが実証されている部隊を持っていない。"我々の人間情報チーム(humint, human intelligence team)は3rd LARが寄せ集められるよりも一層頑強である"とFreitag中佐。"我々の尋問チーム(interrogation team)は彼らにはまねできない" 騎兵大隊と3rd LARとのもう一つの大きな違いは前者には工兵小隊(the engineer platoon)があり、BuffaloとHusky仕掛け爆弾対策車両(counter-IED vehicle)を装備していることであると同中佐。海兵大隊は既にイラクに数ヶ月居り、4-14大隊士官の中には、Rawahに到着したときの海兵の態度はRawahの内乱勢力がもたらす難題とTF 4-14が海兵の調子を整えようとしての努力を軽視していると感じる者もいた。

Freitag中佐はそうは思わなかった。"国にある程度の期間居る部隊であれば、入り組んだ些細な点まで全て知る必要はないと感じることもあるだろう、というのも彼らは既に自分のやり方に満足しているからだ"と同中佐。"しかし、Jones中佐はスポンジのようだった。彼は何でも知りたがった...私が作戦域(AO)について知っていることを彼が身に着けたいと望んでいるのを知って私は大変嬉しかった"

しかし、Jones中佐と部下らは短期間に急激に多くを学ばねばならなかった。担任したその翌日、自爆トラック爆弾(a suicide truck bomb)により検問所で海兵4名が戦死した。7月遅くにはAnahの町評議員が暗殺された。TF 4-14が数ヶ月間にわたって啓開してきた経路に内乱勢力は路肩爆弾を仕掛けだした。Jones中佐は新たに1個中隊を得て、Freitag中佐のおよそ80%の戦力を持つようになったが、8月20日に仕掛け爆弾が3rd LARの軽装甲車両(Light Armored Vehicle)を吹き飛ばし、海兵2名と海軍兵(Navy corpsman)1名が戦死した。Saber作戦域でJones中佐の部隊は少なくとも8名が一月足らずのうちに戦死した、TF 4-14ほどに多数の作戦を遂行するだけの戦力がないのにもかかわらずである。8名とはTF 4-14の昨年からの戦死者数と同じである。

Jones中佐および第7海兵連隊戦闘団(RCT 7)報道官からは本記事についてのRCT 7へのメールでの問い合わせに返答は無かった。Saber作戦域での戦力削減に内乱勢力の暴力増加が続くことは驚きではない。同様の連鎖が一年足らず前にも起きている。昨年11月、TF 4-14の大部分はRawahを3週間を留守にした。アンバル州北西部にてRCT 7をOperation Steel Curtainで支援している間、Rawahに残ったのは1個小隊であった。同作戦はQaimやシリア国境の他の町での内乱勢力の暴力を減らすことに成功したものの、その理由の一部は内乱勢力がRawah、AnahやRamadiでの空白を利用してそちらへ移ったためだとTF 4-14の士官らは語る。

Saber作戦域での路肩爆弾による攻撃は10月の54回から11月は92回に増加した。これはもぐら叩き効果と呼ばれるものであり、イラクの別なところへ戦力を移すと内乱勢力が入る隙間を作るに過ぎないということである。第7海兵連隊戦闘団副長Gridley中佐はこれを風船を握ることにたとえる。"この連中は他へ行ってしまう"と同中佐。Hart大尉は米軍にはSteel Curtainのような作戦をあらゆる場所で同時に行うだけの兵力が無いと語る。Saber作戦域での1-14が残した空白をJones中佐の部隊で埋めるということは、"別なところでの危険性を甘受する"ということだ、例えばJones中佐の中隊がそれまで担当していた地域で、とFreitag中佐は話す。



決定と危険性(Decision and Risk)

公然と口にしたがる者はほとんどいないが、TF 4-14の兵らは昨年からのRawahとAnahで得た地歩、戦友8名の生命であがなったものがTF 1-14をバグダッド増援に用いるという決定で危険にさらされるのではないかと懸念している。"昨年懸命にやってきたことがいまや彼らが向けてきたのと同じ程度の関心を受けていないというように多くの者が感じている"、こうFreitag中佐は言う。けれども、同中佐はバグダッドを優先するのは筋が通っていると彼らの理解をえようと試みた。"西部のアンバル州は兵力の節用(economy of force)である...そして我々の指揮官(senior leaders)は兵力の節用として扱い続けており、というのも任務はここバグダッドにあるからだ"と同中佐。"バグダッドで成功しなければ、イラクが成功することはない。バグダッドを救うのに西部のアンバル州で兵力を節用して時間を稼がねばならないのであれば、それが正しい答えだ"

MNF-I(イラク多国籍軍)報道官はイラクにさらに兵力を送り込み首都での連合の努力を守るかわりに、アンバル州から戦力を引き抜いてバグダッドを増援する理由についてのメールでの質問に応じなかった。しかし、アンバル州に馴染んだ士官らの間にはこの戦略は危険な同州を不安定としていることについてはほとんど疑いは無い。けれども、負けたと広言する者はいない。"私は作戦域を戦闘せずに諦めるつもりはない"と第7海兵連隊戦闘団長W. Blake Crowe大佐(Col.)はRCT 7とTF 4-14参謀にAl Asad Air Baseにある本部での7月31日の会合で伝え、バグダッドでの戦いのためさらに1個大隊を失う可能性をほのめかした。



さらなる調整の開始(Start optional trim)

より少ない兵力で勝利を達成しようとしているアンバル州の米軍指揮官にとってはひややかな慰めであるが、しかし彼らの状況は対内乱ではほとんど陳腐である。フランス人David gaulaが1964年に著した"Counterinsurgency Warfare-Theory and Practice"、この著作はいまや陸軍指揮参謀大学(Command and General Staff College)で必須読書となっているが、筆者はこう述べている。"下級将校が実戦で数週間、数ヶ月間の果てしない追跡の末にようやくゲリラ十数名を倒すと、新手十数名が交代して来ただけであった...戦区Aを「掃討」した将軍が「彼らが」戦区Bのために2個大隊を引き抜くといって悲鳴をあげる...これらが対革命の苦難の典型的状況である" Galulaの同国人が言うところのplus ca change, plus C' est la meme choseである。
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