SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
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イスラエル予備役兵の手記
出典 the Jerusalem Post blog central
URL http://blogcentral.jpost.com/newsItems/viewFullItem$1183
原題 Lone Soldier: War
筆者 LONE SOLDIER
日時 2006年8月15日
他掲載媒体 不明
発信地 不明
内容 全訳

2週間前に緊急予備役招集を受け、荒れ狂う紛争の中でどのように我々を使うべきか将校たちが決めないままであったが、ようやくのことで複雑な任務を割り当てられた。我々はレバノンにおよそ10kmも侵入しイスラエル北部に向いた山岳の斜面にある壕に篭るヒズボラのゲリラ(Hezbollah guerrillas)と戦い駆逐するのである。情報および航空写真によると(#目標)地点は厳に強化されており、訓練および装備良好の聖戦士(jihadists)の細胞数個が守っている。空軍の絶え間ない攻撃にもかかわらず、カチューシャロケットがHaifa、Nahariya、Tzfatへとこの地域から撃ち込まれ続けている。

#以下全訳最後まで
ロケット発射機を破壊しゲリラを根絶(eliminate)できるのは地上部隊のみであるとの決定が下された。作戦行動の性格には問題があり、我が方に大きな損害が予想された。ガラガラヘビを巣穴から咬まれずに引き出そうとするようなものである。私の部隊は破壊部隊(demolition unit)なので、任務が我々に降りてきた。先頭チーム(point team)の銃手(gunner)となることを誇りに思った。


3日間の訓練後、我々は徒歩でレバノンへ国境を越えた。これは1週間前の月曜のことで、夜間を通して行軍し、ヒズボラの裏庭へと深く深く進んだ。明け方に最初の長い夜間行軍ののち、我々はQuzahの小村に銃撃と手榴弾の嵐で殺到し、ドアを吹き飛ばして家を接収(commandeer)し、日中はその中で待機した。夜間にのみ動けと命じられていた。


家の中で、我々はできるかぎり休もうと努めた、我々の周囲での戦闘の激しさを考えにいれる必要があったが。激しい砲撃が国境のイスラエル側から雨のように丘の頂にあちこちと固まってみえる屋敷へ降り注いだ。我々がこの地域にいるが、精確にどこにいるかは分からず、我々を囲む丘に居るヒズボラの戦闘員は村の中の家屋に適当にミサイルと迫撃砲弾を放った。
自動小銃の音がいたるところで聞こえたが、敵のか我々のかは知る術は無かった。


初日の午前早く、我々は無線で恐ろしい知らせを受けた。我々の東半マイルにある村で、我々と並んで任務についている部隊が篭る建物の窓に最新の対戦車誘導弾が撃ち込まれた。損害は甚大だった。戦死9名、負傷40名。我々はこの部隊と数時間前には一緒にいて、国境を超える前はバスの周りでトルココーヒーを啜っていたのだった。いまや無線から彼らが助けを求める叫びを聞いているのだった。


我々の当初目標は延期となり、死者と負傷者がイスラエルへ後送される安全を確保するため陣地を構えるよう命じられた。夜明け直前に、我々は再び村へと突撃し家に入り、浴室の床や外壁が無い部屋に伏せた。


日中、我々は台所の窓から東の谷を伺っていると、我々の南方、イスラエル北部へと茂みからカチューシャが斉射されるのを目の当たりにした。敵の視点から国境の向こうのイスラエルの町をみるのは現実を凌駕していた。恐ろしくもあり、美しくもあった。


我々は砲兵(the artillery cells)とF-16(the F16s)を精確な座標へ誘導しようと最善を尽くし、すでに砲撃を受けた家の瓦礫の間から伺っては座標緒元を伝えるのだった。(#敵の)対戦車誘導弾班(missile battery)を近くに見つけたときは、我々は通りを匍匐して手持ちのロケットを茂みへ撃ち込んだ。谷には容赦なく砲弾が落ち、砲兵は組織的に地域を一掃し、大地を広く引き裂いた。非常にしばしば砲弾が何か木々の間に隠されているものに当たると二次爆発が起こり、7月4日の花火のようにあらゆる方向へ茂みから弾薬が飛び散るのだった。二次爆発は我々からも、空中を哨戒するパイロットがいらない無人飛翔体(pilot-less aircraft)からも見えた。F-16が滑らかに進入してきて、大きな爆弾を落とした。無音の巨大な爆発で月面にあるような大きさのクレーターが出来るのを見守り、数瞬後に音と衝撃が我々に突き当たった。貫くように割れ目ができ、大気が引き裂かれ穴が開いたかのようだった。


我々は爆撃され尽くした村に三晩留まり、その間ずっと家々の窓に迫撃砲弾と銃撃を受け続けた。迫撃砲弾が落下してくると擦れるような音が聞こえ、全く何もできずに床に座っており自分の膝に落ちてこないよう願うばかりだった。まるでキャディラックが村にカタパルトで放り込まれているかのような音だった、そして爆発は既にがたがたの建物を揺らし、通りには赤熱した弾片が雨と注いだ。夜には、我々は家を出て別の家を接収し、ヒズボラが我々の正確な位置に照準を合わせられぬようにした。我々は無線を傍受して、彼らが我々がいたところへ砲撃を指示するのを聞いた。我々は1時間ずつ眠った、眠れればの話だが。


隣の村から犠牲者の最後の一人が後送された、耐え難いほど遅々としていた。その間に戦車1両が命中弾を受けさらに4名の貴重な兵士が失われた。金曜の夜、我々は弾片が散る屋敷の中庭に集った。礼拝帽(#原文kippot ウィキでは http://ja.wikipedia.org/wiki/キッパ )の無い者はヘルメットをかぶり、我々は南を向きTzfatのさらに向こう、Jeusalem(#原文ママ)にむいて礼拝(shabbat)にあずかった。顔に緑と黒を塗り闇の中、我々はさらにレバノンの奥深くへと行軍した。


途方も無く険しい地形を抜けて歩き続けること二晩を経て、我々は目標から数キロの丘斜面に着いた。ヒズボラの細胞が丘から我々に撃ち掛けてくる中、他の部隊が我々の経路のかたわらにある小村を接収して我々を援護した。砲撃は絶え間なく続き、我々がたどり着く前に我々の経路から1キロにある建造物は全て叩かれた。


計画通り、我々は丘斜面に到着し焼け焦げた茂みと崩れた段丘で補給ヘリが水や壕を破壊するのに使う追加の爆薬を降ろす(drop off)するのを待った。補給を受け取ってから我々は任務を遂行すべく徒歩で進み続けることとなっていた。我々は疲弊し、汚れていたが、背嚢を短い間でも降ろせたので嬉しかった。すると思いがけぬことが起きた。


ヘリは華々しく到着し、6機で低空で我々の頭上を飛んだ。降ろすとヘリは1機ずつ轟音をあげてイスラエルへと向かい、再び低空で我々の頭上を飛んだ。突如、夢の中でのように我々の左手、おそらくは100ヤードのところからロケットが上昇していくのを見た。何が起きているのか気付くのに暫しを要した。恐ろしいことに、誘導弾(missile)は4機目のヘリの左側面に命中した、おそらく私の真上40フィートのところで。火球が生じ、見たのか想像したのかは分からないが、パイロットが操ろうと苦闘している絵が浮かんだ。我々の上にヘリが墜落すると思い数瞬、筆舌に尽くしがたい恐慌があったが、不随となったヘリはさらに50ヤード飛んで、横にひっくり返り丘斜面に落ちた。鼻につく匂いの黒煙がきのこ状にヘリが爆発して生じた巨大なオレンジ色の火球を包んだ。爆発音を聞いたかは覚えていないが、茂みの中、私の隣で大尉が"神よ、神よ"と言ったのだけは覚えている。


たちまち、ヒズボラの迫撃砲弾が雨霰と我らが陣地に注ぎ、我々は身を隠そうと伏せ、我々の周囲では地面が沸き返るようだった。他のヘリは囮のフレアを撒きながら機体を傾けて飛び去った。激しい銃撃が漆黒の夜を切り裂いたが、私には敵のか我が方のか定かで無かった。誘導弾が放たれたあたりが見えたが闇の中では味方を撃つ恐れがあり撃てなかった。これが長い時間続き、攻撃がやむと一帯にヘリの残骸を探し守る小部隊を残して我々は谷へ戻った。ヒズボラがパイロットや乗員の遺体を身代金(ransam)のために手に入れようとするのは確かだった。


後に、我々はこの墜落でヘリの乗員5名が亡くなったと知った。損害は堪えれないほどであったが、しかし我々は幸運だったと思った。ヘリは降ろしてから撃たれたからである。数分前であれば、30名ばかりの兵で一杯だったのだ。


この墜落のため、我々は予定通りに補給全てを受けられなかった、水が最後の水筒にまで減ってるため事態は深刻となった。陽が差す前に大急ぎで、航空機が水を積んだ箱を落下傘で投下したが、地形が険しいため我々は箱を見つけられず、夜が明けるのでヒズボラの狙撃手と迫撃砲手が壕から出てくる前にこれまでの陣地へと我々は退いた。


我々は素早く掻き分けて茂みに入り夜が来るのを待った。眠るのは不可能だった。昨晩の死に物狂いの補給捜索の後では脱水に苦しめられた。これまでの4日間で眠れたのはおそらく4時間、私が携行する重機関銃(heavy machine gun)と弾薬千発ばかりをさげた戦闘着が効いていた。茂みで食塩注射を2回受け、残るわずかな戦闘糧食を食べようとしたが喉を通らなかった。その日の大半、私は他の兵三名と黙って座り、眠ることも出来ず、各自がそれぞれの思いに沈み数奇で定かならぬ運命へと身をゆだねた。このような状況で脳裏を巡る思いを言葉にすることができる日もいつかはこよう。今試みても無為であろう。


暗くなると、我々は装備をつけた。士官らはさらに遅らすことなく任務を遂行する決意だったが、我々の水は最後の一滴を残すのみだった。無線でヘリ乗員の遺体が回収されイスラエルへ後送されることが伝えられた。厳しい行軍を前に、士官らは部隊を2個の支隊(task force)に分けることを決めた。一隊は我々のうちの負傷者を後送する。険しい地形でのこれまでの行軍で骨折したり捻挫した兵が3名いた。これ以上進むを遅くさせないように彼らはヘリ乗員の遺体とともにイスラエル領内へと空輸される。二つ目の隊は昨晩、航空機から投下された水を捜索する。その後両隊は集結してようやく山岳の斜面へと進み、我々の北部の都市へのこの地域からのロケット発射を終わらせる。


私は負傷者を後送させる隊に配され、担架をかついで着陸地へと向かっていると無線が鳴った。総参謀本部(General Staff)から地域で作戦中の全部隊への命令で、直ちにあらゆる敵対行為を停止し停戦を遵守せよというのだった、停戦が進んでいるとは我々は全く知らなかった。このようにして突然、戦争は終わった。


敵対行為の終了の知らせとともに、私も空輸されるとの決定が下された。再び、私は昨晩ヘリが撃墜されるのを見たその場所にゆき、自分もヘリに乗る準備をした。ブラックホークヘリが下の谷間の暗い深みから現れた。着陸するや担架を担ぎ死者の遺骸が入ったボディバッグを持って我々は駆け寄った。中にかがみこむと向かってくるロケットに対する囮のフレアを放出しつつ直ちにヘリは急上昇し機体を傾けた。私が死者や負傷者の間に横たわっていると上を乗員が踏み越えていった。私にみえるのはフレアの火のみで、ヘリが急激に機体を傾けているのは防御機動なのか敵の攻撃が命中したためなのか全く分からなかった。いつなんどき地面に衝突するか分からずしばらく脅えていたが、ヘリは水平になり急激に上昇して地対空ミサイルの射程から出てイスラエルへと飛び戻った。


数時間前、もう一度点滴を受けたのち私は病院から解放された。皆に私が無事なことを知らせたいばかりだ。諸君を余りにも心配させたのならばすまなかった。
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コメント
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冒頭の段で修正
誤 100km
 →
正 10km

へ進出距離を訂正。失礼しました。
2006/10/05 (木) 23:03:10 | URL | SBCT太郎 #-[ 編集]
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