SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
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マイサン州の英軍、基地を捨てる
出典 defense technology international 2006年11月・12月号
URL 省略
原題 Unconventional Warfare a maverick British Army commander goes light and fast in southern Iraq
筆者 David Axe
他掲載媒体 不明
発信地 不明
内容 全訳普通の日であれば、David Labouchere中佐(Lt. Col.)率いる英国陸軍の戦闘群(battlegroupの兵およそ百名は夜明け前に起床する。兵らは寝袋を巻き、装備を十数両のランドローバー(LandRover)や中型トラック(medium truck)に積んだ。出発前には罠線を回収する。この罠線と歩哨とで就寝中に侵入者があった場合の早期警戒としているのである。彼らがここにいたという痕跡、空の飲料水ボトル数個に糧食の包装を集めて、トイレ穴の脇で焼く。イラクのマイサン州(Maysan)、このひなびた辺境州に女王王立軽騎兵(the Queen's Royal Hussars)の仮設基地があったのを示すのは渦巻きながら空に立ち昇る煙のみである。


戦闘群がほぼ毎夜、以前は刑務所であったAbu Naji基地に迫撃砲攻撃を受けていた5月と比べると大きな変化である。部隊が4月に基地に到着してから8月に出るまでに281発が基地に着弾した。同基地はマイサン州の90万人もの武器も整った部族民にとって癪の種であり、部族民らは機会があるごとに州を支配しているのは本当は誰かを思い出せてくるのであった。


8月にAbu Najiを閉鎖し、重装備全てとともに余剰となった人員を1000名近く削減して砂漠行についてからこのかた、Labouchere中佐の戦闘群はイラン国境を越えての不法な武器密輸の取り締まりという任務を成し遂げている。その証拠に、このところ、拳銃の市場価格は倍の1400ドル、AK-47は300$だったのが1400$、ロケットは50$が300$へと上昇した。「品切れのせいだと思うね」と同中佐は自慢する。


アマラ市(Al Amarah)近くにあったAbu Naji基地には最盛期で兵員1500名が住み、戦車、装甲兵員輸送車、病院、情報部隊、民間契約業者、配属されてきたヘリ3機がいた。これらすべてに大掛かりな支援も必要であり、定期的な地上車列による輸送が必須であった。そして車列には護衛が必要であり、Labouchere中佐の部隊の兵の大きな割合を専らに占めていた。Abu Najiは同中佐の言によると、「肥え太った豚(self-licking lollipop)」であった。「我々は物資を自分のところへ届け、基地を安全にするのに多大な努力を注いできた」と同中佐。


 しかし、彼らは本当のところは安全でなかった。間接射撃による攻撃は激しさを増しており、地元部族が戦闘群と十分に戦える能力があること、おそらくは正面きって戦えるであろうと再三気付かせるのであった。Labouchere中佐にとって最大の悪夢は包囲攻撃を受けることであった。同中佐の戦闘群はAbu Najiでは隔絶し、圧倒的に数の多い敵対的な人々に取り囲まれて孤立しており、人々は英軍が一手繰り出すごとに一層敵対的となっていった。「我々は戦車に乗った占領軍となっていた」と同中佐は打ち明ける。「我々はアマラではもはや歓迎されないようになっていた」


マイサン州の英軍は部隊防護を増強するほど、支援の必要が大きくなり任務での有用性が低下するという悪循環に陥っていた。これはイラク北西部での米軍を苦しめている悪循環そのものである。イラク北西部に展開する14万名のうち戦闘作戦に用いられうるのはごく僅かな一部にすぎない。

この悪循環を断つために、Labouchere中佐は大胆な計画を案出した。中佐はAbu Naji基地を閉鎖し、戦車や重装備を倉庫に入れ、軽武装、軽装甲で砂漠へと乗り出し、身軽となった大隊は補給を主に空中から受けるのである。

この案は癪の種である恒久基地を捨て去り、補給負荷および部隊防護を軽減して、部隊が実任務を遂行するのにより大きな割合を振り向けるというものである。部族が恒久基地を受け入れないことを認めて譲歩することで、Labouchere中佐はあたかも現代版のアラビアのロレンスのようにやがては部族を盟友とできると考えた。これにより中佐の人間情報網は強化され、情報及び捜索のための重装備も荷物から除けるようになる。そしてこれにより補給の選択肢に地元からの供給も入ってくる。燃料を手に入れるのに護衛を必要とする連合軍のタンクローリーの替わりに、選抜したイラク人業者を使うことができるようになる。

 イラクでの連合軍の通例からいえば、同中佐の計画は革新的なものであった。しかし、中佐は「実のところは、昔ながらのやり方だ」と指摘する。しかしハイテクに毒された軍は昔ながらのやり方を忌避してきたのである。

 中佐は彼のやり方を揉め事が自動火器で解決される地域に見合った荒々しさがあると語る。中佐がイランとの国境を跨ぐ沼地地帯で突撃銃を密輸している漁民を捕まえたら、突撃銃を壊し、舟は沈め、罪を犯した漁民らを家に連れていかせ徹底的に家捜しする。中佐は一言も謝罪しない。自身の任務を真剣に遂行するのみである。彼の任務は連合軍にとって、イラクにとって、そしてマイサン州のためになる。

 その一方で、さほど違法でもない物品の密輸を押さえたときは、たとえば家畜などであるが、そのまま釈放する。闇市場や西洋人の考えるところの腐敗はここでは「生活の一部」であると中佐は話す。西洋の軍はそれを変えに来たわけではない。「部族は遡ること4000年。民主主義は3年だ」

 「我々は4年周期で活動する。ここの人々は2世代周期で活動する」。同中佐はマイサン州の文化を尊重することがどんな軍事目標の達成にも不可欠と付言する。


 ここに水、食糧、医薬品を贈与する中佐の習慣も由来している。「沼地アラブ人は沼地アラブ人でない者を嫌う…贈り物を携えてこない限りね」と中佐。沼地アラブ人とは、マイサン州の人々の仇名であり、一帯で緑なす湿地帯との伝統的な繋がりを想起させる名である。


 これまでの当地の英軍指揮官の問題は、中佐によると、密輸者や外国からの侵入者に対する作戦を立案するにあたり地元の文化という要素を無視したことである。俊足の哨戒隊で砂漠を馳せ巡るかわりに、外国軍の占領という癪の種となる大きな常設基地から彼らは活動していた。地元部族と盟友関係を結び、比較的小規模の英軍部隊の眼と耳とするかわりに、これまでの指揮官らは部族民が彼らがこれまでずっとやってきたこと、武力を示威することで部族の揉め事を解決したというだけで逮捕した。


 戦闘群はあらゆる手立てを尽くして拘束しないように努めている。ほぼ6ヶ月となる活動期間で拘束したのはわずか1名のみである。「この社会では拘束は我々のやれることのなかでは最悪だ」とLabouchere中佐。「拘束すれば我々はサダム=フセインと同じになる。そして彼らは拘束を忌み嫌っている」

 中佐は国境を跨いでの武器密輸と外国からの浸透がやんでいる限り、部族同士の戦闘はある程度まで受け入れている。そして中佐の寛容な無干渉な占領下で部族は一層自由に(暴力的な)自治を行ううちに、マイサン州は英国の”客人”に一層寛容となり、自治に自信がつき、国境を警備する役割の負担も果たすようになった。


 Labouchere中佐がより軽量、かつより自在でより効力ある部隊について語るのは、自身の経験があってのものである。米国が友軍位置表示装置(the Blue Force Tracker)といった革新的とされるシステムを信奉するのとは好一対に、同中佐は短時間で荷造りし、砂漠を中型トラックだけで運べて、休憩の合間にレンチ一本で直せない装備は退ける。端末、結線、アンテナといったごたごたに絡み合うものよりは、中佐は無線と紙の地図を選ぶ。そして電子装置に頼るよりも歩哨を立てるのを選ぶのが常である。

 120マイル南にいる中佐の上官らが目新しい風変わりな装備をヘリの定期便に載せて送ってきたことが何度かあった。中佐は直ちに送り返すのが常であった。甚だしいときは、お偉方がレイブンUAV(Raven unmanned aerial vehicle)を携えた米軍チーム(U.S. team)を送ってきたことがあった。初めての展示飛行で米軍はこの小さな捜索用無人飛行機を駐機してあった英空軍のマーリン ヘリ(Merlin)に衝突させ、3千万ドルの機体に凹みを作った。中佐はすぐさまレイブンの牧童らをバスラへと送り返した。


 8月に砂漠に乗り出すまでは、女王王立軽騎兵戦闘群は十数両のチャレンジャー2戦車(Challenger Ⅱ)にウォーリア歩兵戦闘車(Warrior infantry fighting vehicle)を擁し兵員1500名を数えた。最初にLabouchere中佐がしたのは戦車と歩兵戦闘車を倉庫に入れることだった。中佐は迫撃砲、重機関銃、指揮統制装置の大半、それに重装備を維持する整備要員全てをすてさった。中佐が手元に留めたのはランドローバー、中型トラック、スコーピオン軽戦車(Scorpion light tank)数両、そして華氏140度となる夏の酷暑に譲った形で飲料水ボトル用の冷蔵トレーラー数両のみである。中佐は手持ちを2個大隊(battalion)と指揮班(command section)に分け、5日間の行動に足るだけの物資と燃料とともにマイサン州に部隊を分散させた。


 三隊の中では中佐の指揮班が最小である。その主だった装備は7.62mm機銃2丁を備えたオープントップのランドローバー3両、指揮統制装備を運ぶランドローバーが2,3両、そして39歳のDave Thompson大尉(Capt.)が率いる整備及び補給集団の5,6両の中型トラックである。


 「我々は補給の大半を航空機で行う」とThompson大尉は語る。一日に二度、マーリン ヘリにより水、軽量補給物資、交代の兵員が送り込まれてくる。そのヘリで疾病や負傷した者やバスラでの短期休暇を過ごす兵員が運ばれていく。救急時は、たとえば9月29日に女性衛生兵がサソリに咬まれてショック状態となったことがあったが、マーリン ヘリが英空軍医療チームを乗せてやってきて患者をバスラの軍病院へと運ぶ。緊急時には付近の補給基地から飛来する米軍救急ヘリも使える。


 重量物の補給には英空軍のC-130(C-130 Hercules)がパレットで空中投下するか、Labouchere中佐の斥候が事前に偵察した滑走路に戦術着陸(tactical landing)して行う。最近、補給活動をしてわずか数時間後に滑走路に迫撃砲弾が2,3発着弾してからというもの英空軍は戦術着陸をやりたがらなくなった。Thompson大尉の見積もりでは部隊は5日間に1回、C-130 1機による補給が必要である。


 「定まった施設が無いため、整備はやりにくくなった」と大尉は話す。幸いなことに、戦闘群の車両、とりわけランドローバーの信頼性はきわめて高い。「7ヶ月間続けて使うことができる」と同大尉。「エンジンを1、2個…それにクラッチを一つは交換する必要があるかもしれないが」。車両が故障した場合、実際に9月後半に起きたときはLabouchere中佐は部品を剥ぎ取り焼き捨てる許可を得られるまで中型トラックで牽引した。また、英空軍(RAF)が憤慨することには、同中佐は空中投下パレットとパラシュートを「著しく損傷した」との言い訳を使っては焼却してしまうのが常である。


  中佐の方法には航空支援が不可欠である。マーリン ヘリやC-130が補給と医療の命綱であるだけでなく、緊急時には中佐は米軍や英空軍の爆撃機を要請して低空を威嚇飛行(low-level fly-by)させる。皮肉なことに中佐が航空機に頼るということは常設基地に繋がれているということでもある。もっともその常設基地は彼の作戦地域から遠く離れているが。中佐の方式では大型の常設補給拠点を省くことはできない。中佐の目論見は、自恃を頼みとする地元住民にとって占領の悪しき象徴となっており、資源を消尽する要塞化された前線拠点、大規模な地上車列から戦闘部隊を解き放つことにある。


 しかし、中佐の方法は完璧ではない。地元の燃料業者を選びわけるまでは女王王立軽騎兵戦闘群は、大掛かりな護衛を必要とし、岩やさらには危険なものによる地元からの攻撃をうける地上車列を時折、迎えて受けることになる。「考えの上では地上車列に一切頼らなくなるはずだった」とバスラにいるLabouchere中佐の指揮官であるJames Everard准将(Brig.)。
「まだそこまでは至っていない」


 女王王立軽騎兵はイラクを11月に去る予定である。交代して来る部隊も同じ活動方法を引き継ぐが、補給面では数箇所手を加えて改善することとなる。これはLabouchere中佐の取り組みが報われての善意と国境がより隙が無くなったことを取り入れてのことである。イラクでの最後の週、罠線の間で冷涼で静寂な夜空に星を見つめつつ、中佐は思索をめぐらせた。彼は幸運だったと語る。2ヶ月以上の作戦の間、戦闘群が攻撃を受けるのはごく稀であり、死者(fatality)は全く無かった。しかし、幸運だけでここまでやってこれたわけではない。彼のやり方はイラクにとってより良い方法なのだと中佐は述懐する。


 質問を投げかけてみた。この方法はバグダッドでもうまく行きますか? 仕掛け爆弾に小火器の集中射撃の脅威があるバグダッドで、重装甲と防備の整った前線基地を捨て去れば自殺に等しいのではないか。


 中佐は北部アイルランドでの英軍の経験を引き合いにした。北部アイルランドでは装甲車両は射撃を招くのみであるが、軽車両と徒歩巡回は招かないことを気付いた部隊があった。「これがバグダッドでうまくいかないことがあるだろうか?」と中佐は尋ねる。それに、と付け加えて、彼の身軽で機敏であれという見解はより包括的な哲学の一部に過ぎない。その哲学とはイラク文化の尊重、明確で現実的な任務の追求、任務に実際に適した技術のみを用い、イラク人を敵に回さないことに始まる。


 中佐は問う、一体いつからこういったことが革新的なことになってしまったのだろうか、と。
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衛生兵は医療に関わる一般的な業務を任務とする。戦闘での負傷兵への応急医療だけでなく、後方での傷病兵の看護及び治療、部隊の衛生状態の維持を担当する。また寒冷地・熱帯地などの疾病地域においては、予防医学の指揮をとり(例:凍傷やマラリアの予防教育、予防措置等)
2007/07/25(水) 07:21:41 | 軍事等々
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