SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
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バスラでウォーリア装甲車、撃破される
出典 Times Online
URL
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/iraq/article1617548.ece
原題 Four British soldiers killed in Basra
日時 2007年4月5日
筆者 不明
発信地 不明
内容 以下全訳

#画像注記訳
昨夜、路肩爆弾と伏撃により英兵4名とイラク人通訳1名が戦死したバスラの現場にいるイラクの子供達。
((Essam al-Sudani/AFP/Getty Images))
#画像注記終わり

 英国防省の本日の発表によると、英兵4名とイラク人通訳がバスラで路肩爆弾により戦死した。

 装甲車のパトロール隊が昨日、バスラ市郊外のシーア派民兵の支配下にある地区にて路肩爆弾2つの攻撃を受け、5名が戦死した。爆発と同時に隊列は小火器およびロケット擲弾の攻撃を受けた。この攻撃で別に兵士1名が重傷を負った。

 「攻撃で5名が亡くなり、全員が同じ車両に乗っていた。その車両に乗っていた別の兵士1名が極めて重い傷を負った」とバスラの英軍報道官Kevin Stratford-Wright中佐(Lieutenant-Colonel)は話している。(訳補 亡くなった)イラク人通訳は地元市民であった。

 目撃者によると、この英軍パトロール隊はバスラ市内の別の地区で武装した者5名の攻撃を撃退し、そのうち1名を負傷させていた。二度目の待ち伏せでは、英軍は負傷者を救出しつつも射撃を返していた。

 待ち伏せがあったのはシーア派の過激な指導者サドル師(Hojatoleslam Moqtada al-Sadr)に忠誠を尽くすマフディー軍団(the al-Mahdi Aemy)の牙城であるスラム、Hayaniya地区である。

 英軍が撤退に向けて準備しつつある中、マフディー軍団の民兵はイラクで二番目に大きい都市バスラを支配しようとして、現在地元政府を担っている世俗的なファドヒラ党(Fadhila party)と互いに攻撃を繰り返している。

 住民がReutersに語ったところでは、ウォーリア歩兵戦闘車とみられる装甲車少なくとも1両が炎上していたとのことである。

 「二度爆発音がして家が揺れた。外に出ると装甲車1両が完全に破壊されており、同じくらい酷くは無かったが、もう1両も損傷を受けていた。兵が何名か運び出されていたが、何名かは分からない」とその住人は語ったが、氏名を明らかにするのは拒んだ。

 今朝の現場の写真では路面に深さが少なくとも1m、幅数メートルの穴が開いており、イラク人の子供が燃え焦げた残骸のかけらを拾っていた。

 攻撃のあと、現場付近のイラク治安部隊の検問所を英軍パトロール隊が強襲(storm)して、そこにいた警官を武装解除するのが目撃された。先週日曜以来の英兵戦死者数は6名となり、英軍にとってイラク戦争で最も損害の多い週となった。2003年のイラク侵攻以降の英兵戦死者は140名となっている。

 先週日曜日、バスラの定期パトロール中に負傷したランカスター公連隊第2大隊(the 2nd Battalion, The Duke of Lancaster's Regiment)のDanny John Wilson二等兵(Kingsman)28歳が死亡した。その翌日にはライフルズ連隊第2大隊(the 2nd Battalion, The Rifles)のAaron Lincoln二等兵(Rifleman)が撃たれ戦死している。同二等兵は18歳だった。

 今年2月にブレア首相(Tony Blair)は治安を取り戻す6ヶ月間の作戦を成功裡に終えてバスラ州から兵1600名を撤退すると発表した。同首相はイランに拘束されていた英水兵および海兵あわせて15名がロンドンに帰還したことを受けて、バスラでの攻撃はイラクでの日常的な暴力という「過酷な現実(sober and ugly reality)」を突きつけると語った。

 「15名の帰還を喜んでいるさなかにも、バスラで兵が亡くなったことを悲しみ悼む。彼らはテロリストの手におり殺害されたのである」と同首相。

 昨晩、バスラの英軍報道官は当初、"重大な事件"が夜間にあったことを認めていた。今朝、国防省が戦死を認める声明を発表した。

 「国防省は英兵4名と民間人通訳1名が本日2007年4月5日、イラクにて戦死したことを深い哀悼の意とともに伝える。5名は本日午前、バスラ西にてウォーリアでパトロール中(a Warrior patrol)、路肩爆弾による攻撃を受けて戦死した」「近親者への告知を行っており、告知がすむまで一切の発表を控える」

 今日の攻撃で今夏遅くのバスラ委譲に対する新たな批判の声があがるであろう。今年2月にブレア首相は「バスラは望みどおりの状況である」としつつも、イラク側への権限委譲は再建計画とシンドバッド作戦(Operation Sinbad)の成功により可能となったとした。同作戦では州の内乱勢力による脅威地域(hotspot)を英軍及びイラク治安部隊(Iraqi forces)が除去した。

 昨日、イラクのマリキ首相(Nouri al-Maliki)は英国管理下にあるマイサン州(Maysan)が今月後半にイラク側へ委譲されることを認めた。

 米軍は本日、水曜日にバグダッドで複数の伏撃及び爆弾により米兵6名が亡くなったと発表した。米軍指揮官はまたバグダッドの南でブラックホークヘリが撃墜されたとの報道を確認中だと語っている。
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