SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
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レバノン南部 ヒズボラの地下壕
出典 CSM
URL  http://www.csmonitor.com/2007/0511/p01s02-wome.html
原題 A rare trip through izbullah's secret tunnel network
Monitor reporter Nicholas Blanford provides an exclusive view inside one of the militant Shiite group's wartime hideouts.
日時 2007年5月11日
筆者 Nicholas Blanford、CSM特派員
発信地 レバノン Rshaf
内容 全訳

#画像注記
秘密のキッチン:レバノン南部のRshaf村付近にあるヒズボラの放棄された地下壕。台所に寝室も完備している。
Nicholas Blanford

地下壕:レバノン南部のRshaf村の近くにあるヒズボラの放棄した地下壕の通路。
Nicholas Blanford

居住区:壁と天井は溶接鉄板。向かい側の壁には換気坑が開いている。反対側の壁には電気照明のスイッチが見える。
Nicholas Blanford

秘密ドア:ヒズボラの放棄した地下壕へと入る、金属枠の嵌められた入り口。およそ2.5フィート四方の大きさで谷間の斜面を200フィートばかりあがった茂みに隠れている。
Nick Blanford

#以下全訳

 レバノンの険しい南部丘陵地帯にある荒涼とした谷間の斜面をよじ登ったところに、それはあった。遮る岩越しにはっきりと漆黒の穴が口を開けていた。

 中に入るには、身を捻りこむようにせねばならないだろう。奥に進むのは危険かもしれない。

 発見され露わになること自体極めて稀であり、爆発物で罠が仕掛けられている可能性もある。私は罠の仕掛け線が無いか調べたが、見当たらなかった。

 「見つけた。開いている。中に入れる」、斜面を苦労して登っている二人の同僚に私はそう声を掛けた。

 我々はヒズボラの秘密の世界へと今まさに入らんとしている。シーア派武装組織ヒズボラは昨年夏、この高台やその他何十とある秘密陣地でイスラエルと戦ったのである。中に何があるかは分からないが、樫やセイヨウネズの密な茂みに覆われたこの急峻な石灰石の丘陵で戦ったレバノンのゲリラ組織の能力についておおいに語ってくれるはずと我々は確信していた。

 息を整えるためしばし体を休め、バックパックを降ろして中からヘッドランプを取り出した。

 我々が進むと、深い地下で冷やされた空気が入り口から流れてきた。谷間の焼け付くような暑さと比べるにさわやかであった。


地下壕探し(Bunker hunting)

 昨年夏の34日間の戦闘が終了して以来、私はヒズボラの地下壕を探し続けてきた。

 もどかしさを感じることがあったのは確かだった。地下壕やロケット発射陣地はレバノン=イスラエル国境の人里はなれた谷間に極秘に建設され、入り口は巧妙に偽装されている。

 罠が仕掛けられている可能性に加えて、国境沿いの谷間や丘陵上のヒズボラが退去した安全保障地帯の多くにはクラスター爆弾やその他の不発弾も転がっている。

 3月、ある筋から地図座標を受け取る幸運に恵まれて、私はある地下壕へと辿り着いた。その地下壕は20フィート(#6m)の縦穴に出入り口があった。

 二つ目の地図座標を、私はGPSレシーバーに入力し、今週早く、イスラエル国境から約2マイル(#3.2km)北にあるRshaf近くのこの場所へと辿り着いた。

 GPSの方向表示に従って進んでいると、イスラエルの無人偵察機の飛翔音が聞こえた。まばゆい青空の中で姿は見えなかったが、我々の頭上高くをゆっくりと旋回している。恐らくはヒズボラの徴候を探っているのだろう。 


中へ(Going in)

 ヘッドランプで入り口から照らすと、岩が積み重なっているのはわずか数フィートだと分かった。そこから先は広がっており通路になっている。

 壁と天井は鉄板と鉄骨で強化されており、鉄板や鉄骨は黒く塗られており、日光を反射して入り口を露見させぬようになっている。

 通路をつっかえんばかりに進みつつ、サソリやクモがいないか注意を払った。通路は水平におよそ10ヤード進んでから右手に鋭く曲がった。

 肩幅よりも少々広い程度で、頭が天井につかえないよう少々前にかがまねばならなかった。角を曲がると、鉄板の塗装は電気照明をよく反射するよう白色になっていた。

 壁に取り付けられた白のプラスチック管に電線が通っており、スイッチや照明器具用ガラスへと続いている。壁の天辺には青いプラスチック製ホースが走っており地下壕に水を供給している。

 最初に見えてきた部屋は小さな浴室でアラブ式の便器、シャワー、蛇口付きの浴槽、水を沸かすボイラーが揃っていた。そればかりかコンクリ床の下には排水もしつらえてあった。

 谷間の焦がさんばかりの陽光を浴びたあとでは空気は恵みにも思えるほど涼しい。60ヤード以上はある主通路に沿って2箇所に金属格子のある垂直換気坑が設けられており、新鮮な空気が絶えず取り入れられるようになっていた。

 この時点で我々は恐らく地下100フィートから150フィートのところにいた。イスラエルのいかなる兵器にも堪えられる深さである。同僚を先に進ませて自分のヘッドランプを消してみた。

 突如として現れる暗闇と完全な静寂は堪えようの無いほどのしかかってきた。
 
 この地下壕に数十名の戦士が篭り、進撃してくるイスラエル軍を待っているのはどんな感じだったろうか。

 棚やアルミ製のシンクに蛇口のある台所があった。白い金属壁は点々と錆が浮き出している。通路のだいたい10ヤードごとに重い防爆扉があり内側から閂で閉ざせるようになっている。

 私の知る限り、この地下壕はこれまで発見された中で最大で最も造りが良い。

 建造に要した作業量だけでもずば抜けているが、さらに全く秘密の内に建設されているのである。

 おそらくはヒズボラの者以外は2週間前まで存在を知らなかったであろう。地上をパトロールしているUNIFIL(UN Interim Forces in Lebanon)の国連平和維持軍や頭上から監視しているイスラエル軍航空機すら含めてである。

 全備品、鉄板一枚一枚、鉄骨一本一本、扉一枚一枚を谷間の斜面を人力で運びあげて地下壕内で据えつけなければならなかったのに。

 そして、地下壕を開削して出た何百トンという土砂をどうしたかに関しては見当もつかない。 


6年にわたる建造期間(Six years of building)

 昨年夏の戦争に先立つ6年間の間、ヒズボラが地下施設を建造しているという推測は広くあったが、その規模と造りが明らかとなったのは8月14日の停戦後のことだった。

 イスラエルは敵を著しく侮っていた。そしてイスラエルのオルメルト首相(Ehud Olmert)やその他の高官らはその報いをうけて政界での生き残りをかけて必死である。

 「諜報のとんでもない失敗、イスラエルはたまたま行き当たって初めて地下壕に気付いた、のとヒズボラのプロの極致といえる素晴らしい仕事の結果だ」とベイルート所在の中東安全保障問題コンサルタントでUNIFILの元上級顧問であるTimur Gokselは語る。

 さて、これらの地下壕は役立たずとなった。位置が暴露してしまったからである。

 ヒズボラは国境沿いのUNIFILのパトロール地帯にある地下壕は全て放棄して、北に新たに築いた防御線へと転じた。

 我々がいるこの地下壕にあるのは緑色の寝具用マットと簡素な金属フレームのベッドのみである。地下壕の反対端では鉄で補強された狭い通路が広がって岩の洞窟となっていた。

 片側の窪みには金属製の水槽が4つあり、アラビア語で「犠牲」と書かれていた。水槽の底にある蛇口を捻ると氷のように冷たい水が迸り出てきた。洞窟の突き当たりには岩を刻んだ急な階段になっており、およそ15フィートの出入り口の穴には黒い金属板に梯子が溶接されていた。

 梯子を登ると地下壕の入り口から斜面を約40ヤードほどあがったところにあるずんぐりとした樫の茂みの中へと出た。イスラエルの無人偵察機はいまだに頭上を飛んでいた。そのカメラはひょっとしたらば丘でどこへともなく突然姿を消した謎の三人を探しているのだろう。
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