SBCT関係論文翻訳
1999年10月AUSAの昼食会にて時の米陸軍参謀長エリック=シンセキ大将は演説を行った。陸軍の変革・再編・革新の道程標となる出来事であった。
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2-8FAの日日ルポ
原題 The Road to Mosul
U.S. troops patrol the insurgency's front door
筆者 David Axe
日時 2005年5月3日
発信地 イラク Qayyarah

今年春のある夜、米部隊が乗ったストライカー装甲車がモスル郊外の砂漠、Qayyarah町付近で哨戒
していた。寒く、風があり、全員が疲れていた。

ストライカー装甲車、舟のような形をした車両でミサイル発射器がついている、の後部の兵は眠っていた。操縦手(#原文ママ)のKyle Pennington大尉(26歳)は半時間も外を覗いていなかった。
Tom Burns少尉がこの4両からなる哨戒隊を指揮していた。この部隊はワシントン州フォートルイスの第25歩兵師団の一部である。(彼らは第8砲兵連隊第2大隊である。)戦友であるイラク人部隊は近くのトヨタのピックアップトラックの後部で身を寄せ合っている。

Burns少尉は22歳で、イラクにはまだ3週間である。彼はストライカーの赤外線視察装置を使っていた。視察装置を左に回す。右に回す。米軍ヘリの一群が地平線の上を飛ばしていくのが見えた。そして見たのは、一台だけのピックアップトラックが遠い道を走っていることだった。

無線をいれると、Burns少尉は同行のピックアップトラックからイラク人2名をストライカーに乗り
移るよう命じた。そしてPenningtonにトラックを捕まえろと伝えた。

ストライカーは轟音とともに生き返り、きつい坂と荒れた砂地を時速40マイル以上で飛ばし、舞い上げた埃は満月の光を反射した。後部のイラク人は微笑み、震動ベッドの上の新婚夫婦のように揺れた。Burns少尉は怪しげなトラックを見失った。

たぶん何でもなかったかもしれない。たぶん荷台一杯にRPGを積んだ内乱者ではないだろう。たぶんモスル繁華街の混雑した市場へ向かう途中の自爆者であるはずもない。恐らくはこの寒い砂漠、イラクで最も危険な都市への正面玄関の一つであり、潤った緑のワシントン州から来たわずか300名の米部隊が哨戒している、で苦労して勝ち得た平穏を妨げるようなものではなかったはずだ。

彼らは戻って丘に上がり、イラク人はピックアップトラックに戻り、後部の兵らは眠りに戻った。

暫くして、Tracy Toliver軍曹が光る目玉と数本の足をした何かを見つけ、
「犬だ!」と言った。


ここ数ヶ月、イラクで最悪の土地はモスルである。暴力による死は状況の一部に過ぎない。
そこに自爆攻撃も加わる。が、攻撃回数と平均死者数を掛けて、時間で割った以上の意味がある。

通りを歩いているだけで嫌な感じになり、兵舎の壁が自分に向かって捻じ曲がってくるように思えたり、飯が不味かったり、空気が淀み、土地の人々が、なんと言っていいのか、心配そうにしている、そういう場所である。配属されたくない土地、ヘリが燃料切れで降りて欲しくない土地。あなたが米兵でバスに乗っていて、どこか、例えばクウェートで、後方部隊の奴がどこに行くところか聞いてくる。あなたが「(空所は想像で補ってくれ)」、すると奴らはギョッとして「そんな酷いところに?」という。そこで分かるわけだ。

モスルの問題については筋の通った説明がある。2004年のほとんど、ファルージャは内乱者の拠点だった。11月に米軍がファルージャを平らげた。賢い内乱者は逃げ出して、主要道路を北へモスルへと向かった。モスルは貧しい、民族で分断されている都市である。

内乱者は、スンニ派の牙城であるQayyarahとその周辺の町村、米人はまとめてQ-Westと呼んでいるところで留まることにした。

かくて、Q-Westが焦点となった。モスルの安定の鍵は悪漢と銃を締め出すことである。そしてモスルからこれらを締め出すに鍵となるのは幹線道路、ティグリス川、そしてQ-Westの小町村全てを確保することである。とはいえ、第8砲兵連隊第2大隊が勢い良く始めた仕事ではあるが、仕上げられるのはイラク人のみである。

ファルージャから内乱者が昨年末に逃走したのは、たまたまラマダン中で、反米攻撃が国中で引き起こされていた頃だったこともよくなかった。

Q-westは、そのときまではかなり平穏だったが、「こなごなとなった」とはKevin Murphy少佐(36歳)の言である。

モスルへの道のりにあるこの地帯を10月から哨戒している第8砲兵連隊第2大隊長のBradley Becker中佐は振り返って、「2週間でそうなってしまった」と言う。

Q-West中の警察署全部が攻撃された。イラク陸軍の基地も攻撃された。制服をまとっていたイラク人の大半は制服のままでは生命に関わると考え、数千人が職務を放棄した。その間、通りでは人々が殺されていた。

Becker中佐曰く、「警官の人数は2000名から50名まで減った」、そしてイラク陸軍でも同じような大量離脱があったと付け加えた。

一帯で火の手があがるのをみて、第2大隊は行動に出た。この広大な土地であまりにわずかな米兵しかいないということは、仕事の大半をするにはイラク人部隊の再建が必要ということである。

つまり、これまでのイラク人士官や警察署長を、未だに残っている連中のことだが、解雇したということである。その一方で元兵士でQayyarahの石油精製所で私立警備会社を経営しているRaadは内乱者を自主的に撃退したので米軍は彼を新たに大佐に任命した。

Q-Westを奪回するのは厄介だった。が、2-8FAは幸運だった。暴力の度合いとイラク人被害者の数にも関わらず、2,3週間前まで部隊では一人も戦死者はなく、重傷者も5名のみだった。が、幸運は永遠には続かなかった。それに、Becker中佐の目標はQ-Westの治安を7月にはイラク人に引き渡し始めることである。

「地元の協力が鍵となる」とBecker中佐の参謀の一人であるMike Yea大尉(29歳)は語る。Yeaの言うところによると、Q-Westの住民は自分たちで通りに気を配っており不審なことがあると警察に伝え、警察は自分たちでできることをしてみて敵の武装が上回るときはイラク陸軍を呼び、イラク陸軍は同様の場合、2-8FAを呼ぶ。

「ここがその例だ」とYea大尉は言い、イラク陸軍の検問所や外哨を示す色付き旗が刺された地図の一点を指した。指先には旗が一杯刺されている、As Shuraという町がある。

10月に2-8FAが着いたとき、As Shuraは一帯で最悪のところだった。そして11月には内乱者が町の警察署を粉々に吹き飛ばした。そこで2-8FAは町の中に強化外哨を建設し、新たに募集したイラク兵士とお守り役で一団の米兵を詰め込んだ。

いまや、As Shuraの部隊は一晩で6件の情報提供を受けていると、第52歩兵D中隊のDarren Kinder一等軍曹(40歳)は言う。Kinder軍曹の部隊は2-8FAに配されており、イラク兵とともに四六時中示威をしている。「我々は住民に近づいてくるよう頼んだ。」、「そして彼らは非常によく応じてくれている。」

3月25日に、Burns少尉および哨戒隊はAs Shuraの外哨に立ち寄った。中では米兵とイラク兵がテーブルに集まってトランプをしていた。その後のことだが、2-8FA本部では、Becker中佐とMurphy少佐が煙草を吸いに屋上に行っていた。「我々がこうリラックスできるということは」とBecker中佐は続けて、「良い徴候だ。」

地元の指導者、導師や部族長らとイラク軍および米軍が関係を築いているのも良い徴候である。つまり、指導者に会い彼らの信頼を勝ち得るということである。この細心を要する任務はRyan Gist大尉やTodd Cody中尉のような士官やHarvey Blankenship特技兵のような兵の肩に掛かっている。3月27日、彼らは装甲ハマーで早朝に哨戒に出た。最初に止まったのはQayyarahの繁華街で、肉屋が牛を歩道で屠っており、泡だらけの血がごみで縁まで一杯の溝へ流れていた。Gist大尉、Cody中尉、それに通訳は肉屋と私立護衛にアラビア語で挨拶しおしゃべりし、その間Blankenship特技兵や他の若い兵らは交通を止め、ときおりトラックを捜索し、不審なもの、例えば付近のチグリス河の土手をイラク陸軍の防弾チョッキを着てそぞろ歩いている10代のイラク人少年などに注意を払っていた。

肉屋に別れの挨拶をすると、Gist大尉と一行は10代の少年へ向けて歩き始めた、小銃は少年の胸に狙いを定めている。少年は防弾チョッキを脱ぎ捨てて、手を上げた。Gist大尉はやさしく扱った。
そのとき、Blankenship特技兵がティグリス川で網漁をしている漁船を見つけ、Gist大尉は手を振って寄せた。漁船は数名の漁師がアラビアの大衆音楽を流すラジオの脇で消えかけた火を囲んで野営地を作っている付近で岸に付けた、

Gist大尉は自己紹介をしアラビア語で形式ばった会話をしたあと英語に切り替えた。通訳はGist大尉の言うことを注意深く全て聞きてから漁師に向きアラビア語で繰り返した。

「河でなにか見ましたか?」Gist大尉が聞く。
「Laa」と漁師は言う。いいえの意味だ。

彼らの背後では、兵が漁船を捜索し、やがて・・・魚を見つけた。


哨戒隊は道路を飛ばしQ-Westをよぎり、ガソリンスタンド、警察署、Qayyarah石油精製所に立ち寄った。正午頃、哨戒隊はQ-Westの顔役の一人であるIshmael族長の整った緑で壁に囲まれた芝生にいた。外では子供が遊んでいた。召使が族長の家と庭の世話をしている。Blankenship特技兵が警備につき、Gist大尉とCody中尉は主人と握手し接吻しあった。そして士官らは族長のすぐそばの室内に入った。頑健で身だしなみのよいスンニ派で、手入れされた口ひげ、そしていつも片手に煙草を挟んでいる族長は、米人を椅子に座らせて少年にコーヒーと茶の準備を大声で命じた。

「あなたを私の兄弟であり友であると思っている」Gist大尉はIshmael族長に、茶をすすりながら言う。そして、Gistは身を傾けてIshmael族長の話を聞いた。

そして会話となる。一時間以上、Gist大尉はIshmael族長が問題を連ねるのを真面目に頷いていた。問題の主なものは失業と電力不足である。Gist大尉は台詞を繰り返した。「我々はこれをあなた無しではできない。どこに問題があるのか話して貰う必要がある。」

Ismael族長は暫し考え、それから注意を要する町村を列挙した。Cody中尉は注意深く書き留めた。

外では、Blankenship特技兵が通学中の下層民の子供に包囲されていた。彼は回りで踊っては、「旦那、旦那、鉛筆、旦那?」と叫ぶ子供らを気に掛けないようにしていた。

Blankenshipは傍白で語る、「どんな生活をしているかを知ってカルチャーショックを受けた。けれども我々は彼らによい事をしている。彼らの文化が一晩にして大きく変わるというのはないだろうが。」

彼はイラクでの大きな分裂、民族や宗教の敵対に触れて、「つまり、合州国でも差別はあったわけだし。」

彼が過去形を使ったのは大きい、というのもBlankenship特技兵はアジア系米国人であるから、少なくとも合州国での状況は彼のような人々にとってかつてよりも良くなっている。通りで民族が理由で殺人が起きることは少なくとも無い。モスルでは現にあり、Q-Westもわずか一月前までそうだった。

Blankenshipは肩をすくめていうには、「進歩には1世紀掛かるかもしれない。」


数日後の寒い晩、Becket中佐の本部は騒然としていた。ある隅では、Yea大尉が色旗の指された地図を見つめていた。別の隅では、Victor Martinez先任曹長、つまりBecker中佐の兵のうち一番上の階級である、が腕を地図の上に広げていた。その地図はモスル付近のティグリス川を強調していた。彼は家舟に機関銃を据えて河を哨戒させてはと言った。誰かが笑った。そしてMartinez先任曹長が冗談を言っているのではないのに気付いた。

また別の隅では、Becker中佐が背に小銃を負い、脇の下にヘルメットを抱えて微笑んでいる兵の一団と話をしていた。翌朝に出発する車列の操縦手たちである。Becker中佐は彼らに目的地を告げた。
中佐が「モスル」といったとたん、兵らの微笑みは消えた。
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コメント
この記事へのコメント
階級など
階級は原文のままに訳しました。不思議な点もありますが。大尉が操縦し、少尉が車長らしきことをしているというのはちょっと不思議でした。仇名なのか、それとも大尉が運転が得意なのか、運転のできる兵がたまたまいなかったのか、いろいろ考えてみたり。

#ミサイルランチャーつきのストライカーとはやはりATGM車なのでSBCT-2の旅団直轄の対戦車中隊か、歩兵中隊のMGS小隊(ATGM車で代替中のはず)ということに。2-8FAは大尉がストライカー装甲車でなく装甲ハマーで動いてる描写がありましたが。

#2-8FA関係の記事が多いように感じるのですが、取り上げられるということは任務にある程度成功している証拠なのでしょうか。
2005/05/05 (木) 02:31:03 | URL | 太郎 #-[ 編集]
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2005/05/06(金) 08:40:14 | アラブの声ブログ
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